【挿話】異能者の旦那さま、上位式神(?)を召喚する

「こ、これは一体、どういうことなんだ……?」


 俺は眩い光とともに目の前に現れたその人を、しばし呆然と見つめる。

 俺はただ、新たな式神を召喚しようとしていただけなのに。

 それなのにどうしてずっと逢いたいと思っていた人が、突然目の前に現れることになってしまったのだろうか。


「幻覚か……?」


 しかし恐る恐る伸ばした俺の指先には、彼女が着ている着物の布の感触がきちんと残っていることに間違いはないと思う。


「……ふう。一度冷静に振り返ってみよう」


 そう呟いた俺は、現実逃避……もとい、ここに至るまでの自分の歩みに、そっと思いを馳せることにしたのだった。


***


 俺こと冬陽伊織は異能者家門として世に名高い、冬陽家の本家の子息としてこの世に生を受けた。

 とはいえ、所詮俺は三男だ。

 家督継承は長子に限らない家風ではあるものの、俺自身には別に出世欲があるわけではなく、ほそぼそと平和に生きていられればそれで良いと思っていた。

 母もそんな俺の気持ちを受け入れてくれて、兄たちとの権力争いを強制するようなことはなかった。

 結果として目立った功績のなかった俺は親戚たちの口に話題がのぼることもなく、半分存在を忘れられたような子ども時代を過ごすこととなった。


 そんな中で母が一つの縁談を持ち込んだのは、もちろん政略的な意味もないわけではないにせよ、俺への配慮という面も大きくあったのではないかと思う。

 いっそ冬陽の家を離れてしまったほうが、もう少し伸びやかに生きられる可能性を広げることができるのではないだろうかと。

 このとき縁談相手として名が上がった人物こそが、俺と同い年の朱夏家の長女・櫻子だ。

 うちの母親と朱夏家の当時の奥様・瑠璃子は仲が良かったため、その縁で俺を婿入りさせてはどうかという話が持ち上がったらしかった。

 とはいえ親同士で全てを決めてしまうのではなく、最終判断は子どもたち自身の相性に委ねようという結論に至ったようだ。

 だから、初顔合わせの場は皇室主催の宴。

 そこで偶然という体裁で対面し、可能であれば親しく会話を交わし、その結果次第でこれからを決めることになったわけである。

 ……ということを、俺は母から直接説明されたわけではなかった。

 しかし母の態度などから自らの置かれた状況を正確に理解した俺は、相手がどんな子であれ母がせっかく結んでくれた縁である以上、なるべく好意的に接するようにしようと心に決めていた。

 そうして迎えた、宴の当日。

 母の紹介で引き合わされた少女の姿を一目見た瞬間――。


「……っ!」


 ――俺は、本能的に理解したのだった。

 彼女こそがこの俺の、運命の人に違いないと。

 もっとありふれた言い方をするならば俺は、彼女に一目惚れしてしまったのである。

 母親同士が推奨している上に、俺自身も気に入った相手なのだ。

 もはやこの縁談を断る理由などないし、話を積極的に進めてもらおう……というわけにはいかないようだと気付いたのは、それからまもなくのことであった。


「……私は伊織さまと政略結婚をしたくはありません」

「…………えっ?」


 偶然見てしまったのは自身の母親・瑠璃子に対し、そう櫻子が切実に訴えかけている場面であって。


「……そっか。運命だと思ったのは、俺だけだったんだ」


 その場面を見ただけの俺には、どんな脈絡で発せられた言葉なのか、正確に知ることは出来なかった。

 しかしそれでも自分との縁談を彼女が拒否したのだということだけは、明確に理解することが出来たのだった。


「そっか……。そうなのか……」


 ふらふらとする足を必死に動かしてすぐにその場から離れ、拒絶された悲しみに暮れた俺だが、しかし同時にこうも思った。

 どれだけ俺が傷つくことになろうとも、決して彼女に無理強いをさせるようなことはしたくないなと。

 だから俺はその後「今回の縁談はまとまらずに終わった」と告げられたときも、「分かりました」と甘んじて受け入れることにしたのだ。

 そしてその後は残念ながら彼女と顔をあわせる機会は持てず、さりとて忘れることも出来ぬままに九年もの歳月を過ごすことになった。


「そんな俺なのだから、さえなかったならばこれまでと変わらず、今もなるべく目立たぬように生き続ける道を選択していたんじゃないかな」


 運命の転換点となったのは、つい先日のことだ。

 数年前に母を亡くしたあと俺は皇宮に職を得たのを良い機会と捉え、居心地の悪い実家を出て自分だけの小さな屋敷に居を移していた。

 そのため基本的に父とは没交渉状態だったのだが、突然呼び出されたかと思ったらいきなり縁談を持ち出されたのだ。

 その相手は兄たちの支持勢力に与していない、中立だがかなり力のある傍系家門の娘で。

 ……つまりは、あわよくば俺も家督継承争いに巻き込んでやろうという魂胆が、露骨に透けて見えるような提案だった。

 俺はなんとか上手く立ち回り、その縁談を断ることに成功した。

 だが兄たちにとっては、父に目をつけられ、力を与えられようとしたということそのものが、家督継承争いにおけるとてつもない脅威に見えてしまったのだろうと思う。

 それまで完全に放置していたはずの俺に接触してきては、自分の支持勢力に与するが大した力を持たない家門の令嬢をあてがおうとしてきた。

 彼らは俺を取り込むなり無力化するなりしたかったのだろうが、いずれにせよ俺にとってはただただ迷惑でしかない話である。


「ああ、もう! 『冬陽』の名が俺を、否応なしに望まぬ争いの渦中に突き落とすというのならば!」


 それならばいっそ、家名など全部捨て去ってやろうか……!

 縁談攻勢に辟易した俺は、苛立ちのあまりそんなふうに一個人として生きる道を選ぶことも本気で検討したくらいだ。

 だが、それを思いとどまらせたのは長年経ってもどうしても捨てられない、俺の中に残る彼女への未練たっぷりの感情。


「……悔しいけれど冬陽の名が無ければ、曲がりなりにも名門・朱夏家の娘である櫻子と俺とでは釣り合いようもないか」


 たとえ、初対面のあの日からずっと嫌われているのだとしても。

 それでも彼女と結ばれる可能性を全て捨て去るような選択を、俺はどうしても取ることが出来なかった。

 ……だったらもう、ここは腹をくくるしかないのではないだろうか。

 父や兄に従属する立場に甘んじていては、今はかろうじて一時しのぎができたとしても、いつか不本意な結婚を強いられる可能性は高いのではないだろうか。

 そうなるくらいならば、いっそ……。


「いっそ、この家の権力を俺自身が握ってしまうほうが、まだましなんじゃないだろうか……?」


 そうしてこの家の家長となった暁には、もう一度朱夏家に縁談を申し入れてみようか。

 時が経ち、大人へと成長した彼女ならば、もしかしたら考え方も変わっているかもしれないから。

 望みは薄くとも、俺は一縷の可能性にでも賭けてみたいと思う。

 ……そこまで考えると俺の中でもだいぶ覚悟が決まってきたようで、「だったらどうしたら兄たちに勝てるだろうか」ということに意識を向けることができるようになった。


「今の俺では、まず間違いなく兄たちに敵わない。だから、とりあえずはあらゆる面で地力をつけるところから始めないといけない。……そうだ! この際、高位の式神の召喚に挑戦してみようか?」


 式神というものは下位から中位、上位とレベルが上がるにつれ、召喚の成功率はどんどんと落ちていくものだ。

 俺も兄も、あるいはほとんどの異能者たちだって、使役しているのは中位式神までが関の山である。

 公的に上位式神を使役していると世間に広く知られているのは、ただ一人、帝くらいのものではないだろうか。


「まあとにかく、そんなわけだから、言ってしまえばこれは駄目でもともとの案件だということだよな。だからこそ過度に期待せず、でもやるだけやってみる。そんな選択をしても悪くないんじゃないだろうか」


 失敗した場合は中位、上位と求めた式神のレベルが上がるほど、召喚に挑んだ異能者の心身に反動のダメージが来ると聞いている。

 俺はこれまで無理をする必要がないと思っていたため、安全策をとって中位式神の召喚までに留めていた。

 だが兄たちは上位式神の召喚に果敢に挑んで失敗し、気を失ったままなかなか目を覚まさなかったばかりか意識を取り戻した後もしばらく寝込むことになってしまったらしいと風の噂で聞いていた。


「まあ、怖くないかと言われれば怖い気もするが、他人よりも大きな力を求めるならば相応の覚悟は持って然るべきだよな」


 そうして覚悟を決めて召喚の儀に挑むことにして、見事に成功を収めることができ、そして――今に至る。


「……と、ここまでは間違いのない事実であると思う。そうなんだよ。成功した、はずなんだけれどな……?」


 俺は改めて自分が召喚した上位式神であるはずのその存在に、ぼうっと視線を巡らせる。


「……うん、やっぱりだよな?」


 何度確認しても、目の前に横たわっているのは、耳も尻尾も生えていない生粋の人間女性だ。

 しかも俺の心をずっと捉えて離さなかった朱夏櫻子、大人へと成長したその人であるようにしか見えなかった。

 思わずその美しさにぽうっと見惚れていたそのとき、室外で待機させていた俺の使役する式神が「ご主人さま?」とそっと声をかけてきた。

 ……ああ、そうだった。俺は集中するために自分の屋敷の一室に籠もっていたのだが、召喚に失敗して俺に反動が来て倒れた場合に備えて「もししばらく部屋から出てこなかったら声をかけるように」とだけは事前に頼んでいたのだった。


「すまない、今開ける」


 ふすまを開けると猫又型の中位式神で、人間の女性の姿ながら猫の耳と尻尾がぴょこんと生えている初音はつねがこてりと首を傾げていた。


「ご主人さま、大丈夫ですか? 何かございましたか?」

「いや、問題ない。おそらくは、無事に式神を召喚できたんじゃないかと思う。思うんだが……」

「あらあら、まあまあ! 立派な上位式神さまではございませんか!」


 歯切れの悪い俺の返答にしびれを切らしたらしい初音は、俺の横から首を突っ込んで室内を覗き込んだ。

 すると櫻子の姿を見てとるやぱちりと胸の前で手を合わせ、喜色に満ちた声をあげた。


「おめでとうございます! さすがはご主人さまですね! 見事に召喚に成功なさるなんて! そうしたら、これから何か私がお手伝いすべきことなどはございますか?」

「……えっ? ああ、そうだよな!」


 あまりにも予想外の事態に思考停止状態に陥っていたのだが、そうだよ、櫻子は気を失っているんだよ!

 うだうだ考えるなんて後でいくらでもできることだ。

 今はまず、彼女の介抱に専念しよう。


「よし、とりあえずは彼女を楽な服装に着替えさせてあげてもらえるか? 寝やすいようにして、それからみんなで手厚く世話しよう」

「承知いたしました」


 この時点では櫻子が目覚めたらきちんと朱夏の家に帰さなくてはならないなどと、回らない頭を動かして必死に考え始めていたように思う。

 冷静に考えれば現在の俺は、全く意図していなかったこととはいえ、他家の――それも名門家門の令嬢を勝手に自分の家に連れてきてしまった状態であるわけで、誘拐犯と罵られても仕方ないのだった。

 だから彼女が目覚めたら状況説明なり謝罪なりをしなければならないだろうけれど、どこからどこまでをどのように話したら許してもらえるのだろうか……?

 しかしそんなことを悠長に考えていられたのは、着替えさせ終えたと廊下に出てきた初音から衝撃的な一言を聞かされるまでのことであった。


「ご主人さま。大変申し上げにくいのですが、上位式神さまのお体には激しく折檻されたと思しき傷跡がたくさんございました」

「……はっ?」


 ……一体、どういうことなのだろうか。

 だって彼女は紛うことなき名門・朱夏家の長女。

 誰からも愛され、尊重されて然るべき人で、折檻などという言葉とは一番縁遠い場所にいるべき女性であるはずだった。

 それなのに、そんな人の体に傷がつくなんて、一体誰が何をしたというのか。


「……いや、そんな名門家の箱入り娘だからこそ、その体に傷をつけられる人間がいるとするならば、よほど近しい周囲の人間に限られるんじゃないだろうか?」


 よりはっきりと言えば、家族をはじめとした、朱夏の屋敷にいる人間たちに限られるのではないだろうか。

 当たってほしくなかった想像だが、しかしどうやら間違ってはいなかったようだ。


「お体も細く、栄養失調気味であられるようですし……これまで、あまり良い扱いを受けてこられなかったのでしょうね」

「っ……!」


 ……なんということだろう。

 俺は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けて、思わずふらりとよろめいてしまった。


「俺は……俺はこれまでずっと、選択を誤っていたのだろうか?」


 思わず呟いてしまったそれは、血を吐くように切実な俺の内心の叫びにほかならない。

 ……俺自身の心が、どれだけ傷つくことになろうとも。

 それでも彼女には決して無理をさせまいと誓ったからこそ、俺は縁談が不成立に終わったという辛い現実を受け入れた上に、あの日からずっと彼女の幸せだけを願い続けて、結果として彼女の人生に干渉しない道を選んできたのだ。

 そんな俺の選択の根底にあったのは、彼女は当然のこととして実家でつつがなく幸せに生活しているのだという大前提。

 名門家門の令嬢なのだから、至極当たり前にそれに見合う最高の待遇を得ているに違いないと。

 そう信じていたからこそ、俺のせいで彼女が今手にしている幸せを壊すことがあってはならないと思い、泣く泣く身を引くことにしたのだった。

 それなのに、彼女が実家で虐待されていただって?

 彼女が、幸せな人生を送れていなかっただって……?

 冗談じゃない。そんなこと、絶対にあってはならないことだ!


「かくなる上は朱夏家あんな家になど、このまま帰すわけには……!」


 思わず唸るように呟いたところで――。


「っ……! ここは一体どこなの……!?」


 不意に室内から、驚いたような女性の声が響いてきた。

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