孤高の魔法使い #1

 海沿いの街道を、クロムたちの乗った馬車が進んでいた。

 南に降るにつれて、より強くなってきた日差しが、降り注ぐ。

 屋根越しに伝わる熱が、馬車の中をまるでかまどの中のように暑くしている。

 体力のないオリーブが根をあげて、クロムに問いかける。


「ああ、もう限界。次の休憩場所はまだ?」

「御者さんは、もうすぐって言ってましたよ」

「さっきも、もうすぐって聞いたわよう」

「あと少しです」

「はあ、こう暑くっちゃあ、乗り物に酔うことすらできないわね」


 そんな話をしていると、やがて一行の進む先に、南国でよく見る背の高い木が見えてきた。


「ほら、オリーブさん。休憩場所が見えてきましたよ」

「本当? 蜃気楼じゃあ、ないわよね」

「大丈夫ですって」


 暑さでまいっているオリーブの疑いを晴らすかのように、南国の木はだんだんと大きくなってくる。

 そして、その木の横に併設されている、旅人用の休憩所が見えてきた。

 馬車がその休憩所に到着すると、御者は馬を木に繋ぎ、到着したことをクロムたちに伝える。


 まずクロムが、馬車から飛び降りる。

 ついでアンバーも、御者が用意した踏み台に足をかけて、馬車から降りた。

 クロムはアンバーの様子を伺いつつ、声をかける。


「はあ、暑かったねぇ。アンバーちゃん、大丈夫?」

「はい。いえ、ちょっと疲れました。どんどん暑くなってきますね」


 山育ちのアンバーにとって、ここまでの暑さは初めての体験だった。

 それでも日々の放牧で、見た目によらず体力のあるアンバーは、オリーブほどは疲れていなかった。

 クロムは、無遠慮にアンバーの手を取ると、休憩所の中の売店に向かう。


「熱中症にならないよう、飲み物を買いましょう」

「は、はい」


 側から見ると、アンバーを無理やり引っ張っていくように見えるクロムを、オリーブとラーセンは眺める。

 そして、休憩所をチラリと見ると、オリーブはラーセンに問いかけた。


「ここが、最後の休憩所よね、ラーセンさん」

「ああ。ここを出ると目的地だ」

「日記の持ち主の魔法使いさんは、なんでまた、こんな猛烈に暑い町に出かけたんでしょうね」

「あまり詳しく日記には書かれていなかったが、この地方に伝わる魔法に興味を持ったらしいな」

「全く。後を追う私たちのことも、ちょっとは考えてくれても良いのにね」


 三百年前の魔法使いに文句を言っても仕方がないことはわかっていつつも、悪態をつくオリーブ。

 ラーセンは、隻腕の女会長フォルラーナから渡された日記の写本を、改めて開く。

 そこには、新たな魔法陣を求めて、この先にある砂漠都市を訪ねたということが書かれていた。

 しかし、港を出発するまでのことしか日記には書かれていないので、その砂漠都市で何を見つけたかまではわからないのだ。


「それじゃあ、私たちも休憩所で一休みしましょう」


 そういうと、オリーブとラーセンは休憩所に入っていった。

 二人が休憩所に入ると、先に入っていたクロムとアンバーは、冷たいレモン水を飲んでいた。

 幸せそうな表情でレモン水を飲み干すと、クロムはアンバーに話しかける。


「喉も潤ったことだし、ここでも、やりますか?」

「はい、お願いします」


 レモン水を飲み干したコップをカウンターに返すと、二人はいそいそと休憩所の裏にある広場に移動した。

 広場に到着すると、クロムは愛用している魔法の杖をアンバーに手渡す。

 アンバーも、自分の杖をクロムに渡す。

 港を出てからここまでの道中、アンバーの両親がいた町で交わした約束の通り、お互いに自分の魔法を教え合うことを始めたのだ。


 まずは、クロムがアンバーに、近代魔法の基礎を教える。


「じゃあ、いつもみたいに初級火魔法をやってみましょう」

「はい」

「まずは、魔法の杖を胸元に持ち上げます」

「はい」

「そうしたら、次に杖に魔力を込めます。すると込めた量に応じた魔法陣の枠が出来上がります」

「こんな感じですか」

「そうそう。やっぱり古代魔法が使えると、近代魔法も上手に使えるんだね」


 クロムは、アンバーのセンスの良さに、心地よさを感じていた。

 アンバーが持つ魔法の杖の先に、空っぽの小さな魔法陣が展開される。

 アンバーは興味深げに、その魔法陣を見つめる。


「じゃあ、この前教えた、初級火魔法の魔法陣を描いてみましょう」

「はい」


 そう答えるとアンバーは、小さな魔法陣の中に、丁寧に初級火魔法の紋様を描き始める。

 普段は地面に描いている魔法陣が、何もない虚空に描けることに、アンバーはいつも新鮮味を感じている。

 小さな魔法陣を描き終えると、アンバーはクロムの顔を見る。

 クロムは、うんと小さくうなずくと、少し離れたところにある岩を指差す。

 そして、アンバーに話しかける。


「いいねえ、上手に描けているよ。そしたら、あの岩目掛けて、魔法陣を発動してみようか?」


 アンバーもこくりとうなずくと、魔法陣を発動させる。

 ぽん、という音と共に、小さな火球が岩に飛んでいく。

 そして、岩に当たると火球はフッと消え去った。

 それを見たクロムは、パチパチと手を叩いて、魔法がきちんと発動したことを褒める。


「アンバーちゃん、完璧だよ。完璧な初級火魔法だよ」

「ありがとうございます」

「お世辞抜きで、完璧。あとは背が伸びれば、自然と威力も上がるよ」

「そ、そうですか……」

「そうだよ。私のクラスメイトたちなんか、すぐに抜いちゃうよ」


 クロムにベタ褒めされたアンバーは、嬉しさと気恥ずかしさの混じった表情を浮かべると、両頬に手を当てる。

 少し赤らんだ顔を見て、ああ、もう、かわいいなあ、とクロムも相好を崩した。

 しかしすぐに、年上としての威厳を保たないとと気づき、こほんと咳払いをすると、アンバーから借りた魔法の杖を手に持つ。


「次は私の番ね。よろしく、アンバー先生」

「は、はい。それじゃあ、今日は、ウルフと戦った時に使った、動きを封じる魔法を教えます」

「お願いします」

「まずは、杖を手に持って、地面についてください」


 魔法の杖を地面につけることにまだ少し抵抗のあるクロムは、そっと杖を地面につく。


「そうしたら、動きを封じる魔法陣を描きます」


 近代魔法に比べるとシンプルな古代魔法の魔法陣を、クロムは描き始める。


「そうです。そんな感じです」

「アンバーちゃんがやっているような、何重にも大きくするような魔法陣はどうすればいいの?」

「一旦杖を地面から離して、今描いた魔法陣の真ん中につき直してください」


 アンバーに言われた通りにすると、最初に描いた魔法陣が押し出されるように大きくなる。


「本当だ。魔法陣が大きくなったよ」

「そこにまた、同じ魔法陣を描きます」

「なるほど」

「あとはそれを繰り返せば、良いです」


 次々に広がる魔法陣が楽しくなったクロムは、調子に乗ってどんどん魔法陣を広げる。

 そこでふと気づいたことがあり、アンバーに質問する。


「この状態で魔法陣を発動させると、私やアンバーちゃんにも、魔法がかかっちゃわないの?」

「それは『この人には、魔法はかけない』って頭の中で思うと、魔法の効果の対象外になるみたいです」

「へえ、便利なんだねえ」

「教えてもらっただけで、仕組みは全然わからないんですけど」


 そんな会話をしている間にも、クロムの描く魔法陣はだいぶ大きくなった。

 そろそろ頃合いかと、クロムは魔法の杖を持ち上げる。


「じゃあいくね。って、周りに何もいないから、魔法がうまくいったかどうかはわからないんだけどね」

「ふふ」


 軽口を叩くと、クロムは杖をつき魔法陣を発動させる。

 地面から白い光が立ち上がり、動きを封じる魔法が起動した。

 それと同時に、少し先にある茂みの陰から、うおっ、という男の声がした。


 クロムが慌てて、アンバーの方を見る。


「大変! 誰かいたみたい! 解除って、どうすればいいの?」

「え! あの、えーと、真ん中、真ん中です。魔法陣の真ん中に、もう一度発動と同じ要領で、杖をついてください!」


 思わぬ出来事にあたふたとしつつも、クロムは古代魔法の発動を終わらせる。

 そして、クロムとアンバーは、声のした方に駆け寄る。

 そこには、若い男が立ちすくんでいた。


「ごめんなさい。人がいるとは気づかなくって……」


 クロムが頭を深々と下げると、その男は綺麗に刈りそろえられた黒髪を、さっと手でなびかせた。

 そしてクロムとアンバーを見ると、何事もなかったかのように挨拶を始めた。


「やあ。初めまして。僕の名前はヴィルトーゾ。みんなからは、ヴィルと呼ばれているよ」

「クロムです。こっちはアンバーちゃん」


 顔を上げて、クロムはヴィルと名乗った男を見た。

 歳はクロムの担当教官であるシノクサと同じか、ほんの少し年上に見える。

 涼しげだけれども、デザインが派手な麻のシャツを着て、すらっとした長ズボンを履いている。

 そしてびっくりするくらい顔が良くて、見た目は非常にいけている男性だった。


(クラスメイトたちが見たら、きっと騒ぎになりそう……)


 魔法には興味津々だけれど、異性にはまだあまり興味がないクロムが、年に似合わぬ達観した感想を抱く。

 それを知ってか知らずか、ヴィルは話し始めた。


「それにしても、さっきの魔法はびっくりしたよ。あれはもしかして、古より伝わる『イケメンを生け捕る魔法』かい?」

「……!」


 見た目に反して、軽い発言が飛び出して、思わずクロムは絶句する。

 ほんの少しの静寂。

 そしてまだ幼くて、クロム以上に年上の男性の格好良さに気が付かないアンバーは、『イケメン』と『生け取り』の語呂が似ていることに気づいてしまい、吹き出しそうになるのを我慢する。

 それに気づいたヴィルが、アンバーを指差して話を続けた。


「お、後ろのお嬢ちゃんは、気づいたようだね。巧妙に隠された『イケイケ』な言霊に」


 追い討ちを喰らったアンバーは、たまらずその場に座り込んで、声を立てないよう笑いを堪える。

 アンバーが笑う理由に、まだ気がついていないクロムは、不思議そうにアンバーを見る。

 ヴィルは、ひとしきり二人を眺めると、少しだけ真面目な表情でクロムに話しかける。


「さて、先程は失礼した。実はお二人が興味深いことをしているのを見て、隠れて様子を見させてもらっていたんだ。そちらが気が付かなくても仕方ないし、悪いのは隠れて見ていた僕の方だ。だから、さっきのことは何も気にしなくても、大丈夫だ」


 そういうと、ヴィルは腰から魔法の杖を取り出して、二人に見せた。

 クロムはその杖が、近代魔法用の杖ということに気がつくと、ヴィルに質問する。


「もしかして、あなたも魔法使いですか?」


 ヴィルは、魔法の杖を右手と左手に交互に持ち替えながら答える。


「確かに、僕は魔法を使うことができる。ただ、僕の職業は魔法使いではなく、トレジャーハンターだよ」

「トレジャーハンター?」


 ヴィルの言葉に、クロムとアンバーはそろって首を捻った。

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