第2話

 村で受けた説明と違い、給金はわずかでロクに仕送りもできない状態だ。

 あの商人に村ごと騙されたと知ったのは後の祭りで、契約により最低三年は違約金が発生してしまう。

 誰の子かわかっている、ただ一人だけだ。

 その人はいま、戦場にいる。

 そして、まもなく臨月を迎えるというその時に、とうとう主に見つかってしまう。

 普段なら、下級使用人は主の前に姿を現さない。

 たまたま庭の隅で、座り込んでいた姿を見られてしまったのだ。

 そして、私はみっともないと屋敷を叩き出されたのだった。

「違約金はなしにしてやる、消えろ」

 見送る仲間たちも何もできず、ひそかに銅貨の入った袋を手渡してくれた。

 彼女たちに頭を下げて、私は来た時と同じささやかな荷物だけを持って屋敷を去った。

 *****

 最初は村に戻ろうと思ったのだ。

 だが路銀も少なく、たどり着けそうにない。

 何より、いつ生まれてもおかしくないのだ。

 雨降る王都をずぶ濡れで、あてもなく歩く。

 浮かぶのは、懐かしいバックの笑顔だけ。

 何一つ、彼の情報はわからない。

 王都では毎日のように、戦場で勝利したと騎士たちが鼓舞したが、それが真実でないのも知っていた。

 以前の屋敷で知った真実、国民を騙すために不利な情報は流さない。

 彼は生きて帰れないかもしれない。

 頬を伝うのは雨なのか、それとも?

 薄れいく意識の中、最後の救いを求めて、私は王都の貧しいエリアの教会前で意識を失った。

 そこからの意識は曖昧だ。

 疲労と高熱で、私は生死の境を彷徨ったらしい。

 そして気づけば、私の腕に小さな命が誕生していた。

 赤い髪と私に似た青い瞳、ああ紛れもなく私たちの愛の証だ。

 弱っていた私を励ますように、この子は大きな声で泣いた。

 こうして私は、生きる意味を与えられた。

 教会は貧しくとも、哀れな私たち親子を守ってくれた。

 小さな個室に貧しい食事、せめてもと私は仲間から貰った銅貨を差し出してもシスター達は受け取らなかった。

「あなたは未来の希望を生むという、偉大な仕事をしたのです。今はただ体を休めなさい」

 心から感謝をして、私は息子と共にしばらく過ごす事になる。

 初めての育児もシスター達に助けられ、感謝してもしきれなかった。

 母乳がとまらないようにと、優先して食事を私に与えてくれたし、古着をもらってきて赤子のために肌着を縫ってくれた。

 勿論、私も体調の良い日は手伝いができるまで回復したのは、出産から半年程度たってからだった。

 何度も彼の姿が目に浮かぶ。

 せめて村に手紙の一つも出そうかと迷ったが、元雇用主が気分を変えて違約金を請求する危険を想像し、せめてあと少しは居場所を隠そうと決意した。

 午前の教会の開放時には、少なからず人々が祈りに訪れた。

 噂はいつも戦争の話だ。

 嘘か本当か、まもなく戦争が終わりそうだという事だった。

 村を出て二年近くがたった頃、その噂通りに戦争は突然終結した。

 人々はわきあがり、凱旋パレードに群がった。

 一人の英雄が誕生し、その若者が相手側の将軍を次々と弓で倒したお陰で、不利だった戦況が覆ったそうだ。

 国を救った英雄を一目見ようと、王都のメイン通りは人だかりで進めぬほどだ。

 たまたま買い出しを頼まれた私は、そのパレードにぶち当たってしまい、教会に戻るのに苦労していた。

 人込みの中に紛れた私の耳に、周囲の人たちの噂話が耳に入った。

「一兵卒の時から、頭角を現していたらしいじゃない。なんでも狙えば百発百中だって」

「試しに指揮官が、特殊な鉄の弓矢を渡しても簡単に使いこなしたとか」

 他人事のように聞きつつ、バックのように狩りの腕に優れた者はいるのだと感心していた。

 やっとできた人の隙間に入り込み、なんとか前に進んで教会への迂回路を目指す。

「剣は習ったことはなかったらしいけど、小型ナイフの扱いは既に会得していたって……」

「美青年だって言うじゃない、炎の鷹なんて言われて……」

「あっ来たわ!」

 反射的に私は振り返ってしまった。

 道の向こうから、武装したままの大勢の兵士や、馬に乗った指揮官の騎士たちがこちらに向かってくる。

(この中にバックはいるかしら? どうか、どうか生きていて。あなたにぜひあの子を抱いて欲しいの)

 いるはずがない……そう思っていても、ついパレードを見続けてしまった。

 やがて噂の英雄が現れると同時に、皆の歓声が最高潮にあがる。

 そして……

 ――私は硬直した ――

 見覚えのある姿、優しかった眼差しは鋭くなり、微笑みを絶やさなかった口元は引き締まっている。

 人々は英雄を歓迎する。

「今から、王城で表彰されるのよね?」

「素敵、爵位を与えられてもおかしくないわ」

 目の前を通り過ぎる懐かしい姿、これは夢なのか?

 一瞬目が合った気がしたが、私は急いで後ろに駆け出した。

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