泡沫に消える

咲花楓

1.私の可愛い、

 青く輝く海面を見下ろす、午前11時。

 飽和した夏の温度と、うるさく響く蝉の声。強すぎる日差しに照らされた砂浜は焼けるような熱を帯びる。

「奏ー!海、冷たくて気持ちいいよー!」

 サンダルで飛び跳ねるようにはしゃぐ彼女の白いワンピースが眩しい。

「ほら、危ないから気を付けて」

 なんて声をかけ、サンダルに入った砂を落とす。

 静かに揺れ、押し寄せる波は、気持ちの良いくらいの冷たい温度を運ぶ。笑った彼女の顔も好きだ。

「ほら。こっちおいでよ」

 徐々に沖のほうへと出る彼女の脚は、いつのまにか膝のあたりまで海水に呑まれていた。あぁ、花が濡れてしまう。そう思いながらも、私は彼女に何も言わなかった。

 少し大きめの波が彼女を襲う。

「うわっ!濡れちゃった……はは……」

「ほら、気を付けてって言ったじゃん」

 仕方ないな、と思いつつ海水を纏って冷えた彼女の腕を引く。

「ほら、行こ。花。」

 いつかの夏。青い記憶だった。

 ――

 ドンッ、という鈍い音とともに電車が過ぎ去り、やがて金切り声にも似た音を立てて急停車する。赤く染まった"それ"を見る。向かいの1番線に立っていた彼女の不気味な笑顔は、少女の頭にこびりつく。

 生臭い、重い空気。喧騒を掻き消す夏の匂いは、もうしなかった。

「奏……?」


「ど……うして……?」

 ――

 私が彼女、朝日奈花に告白したのは、1年生の春だった。まだ花弁が舞う季節だったのを覚えている。

 彼女とは中学から同じクラスであったが、話したことはなく、ただずっと見ているだけだった。

 好きなんだ、と自覚するのに時間はかからなかった。そんな私の心を惹いた彼女は友達が多く、話しかけることができなかった。私みたいな話したこともない人は、どうせ拒絶される。だから、高校に上がってから告白したのだ。

 嬉しいことに、彼女は私のことを認知していた。まさか覚えてもらえてるとは思っておらず、それだけで飛び上がりそうなほど嬉しかった。

「え、早坂さん……好きって……?え?私が?」

 困惑していた。その顔も可愛かった。

「えっと……私、好きとか言われたことなくて、その……」

 頬を赤らめ、髪を触る仕草をする。こんなに露骨に動揺するなんて。

 今までずっと見ていた彼女が、自分のせいで顔を赤くして動揺している。何故だかそれに快感に近いものを感じてしまう。

 きっと私はどうにかしている。だんだんと上がる体温は、風を冷たく感じさせる。

「えと、その。私なんかでよければ……」

 そんな中返ってきた予想外の返答は、私の鼓動を増幅させる。周りに聞こえてしまうのでは。そんなことすら考えるくらいに。

 淡い桃色に照らされた彼女の柔らかな笑顔はかわいらしく、美しく、言葉に表せないほどの感情を私に持たせた。

 教室の木の匂いが、瞬間の景色を私の脳に焼き付けた。


 それから私たちは二人でいる時間が多くなった。

 最初こそ、全く話したことがなかった私たちはお互い探りながら仲を深めた。好きな曲だとか本だとか、幸運なことに、彼女とは共通点が多かった。と、言えば聞こえがいいだろうが、実際、全部私が彼女を見ているうちに知った彼女の好きなものを真似ているだけなのだが。

 好きな曲も本も、それ以外も。仕草も表情も、全部彼女に近づくために私が自然に作り上げた「早坂奏」だった。

 ただ、彼女の傍にいたい。そんな思いはすぐに満たされたし、私はさらに花を求めるようになっていた。

 

 それは、ある日の放課後の事だった。花は朝からずっと、気分が悪いと言っていた。

『休んだほうがいいよ』

 そんなメッセージを送ったものの。

『授業を休むわけにはいかないから。』

 と返されてしまう。

 しかし放課後になり悪化したのか、吐き気がすると言ってトイレへと駆け込んだ。明らかに大丈夫じゃない。

 どこかためらうような駆け足の彼女を追いかけてトイレへと入ったのも束の間、私の目には嘔吐する彼女の姿が飛び込んできた。

 当然心配だった。今までに見たことも無いようなその様子に、私は強い不安を抱いていた。

 不安で、心配だったのだが。

 私は心のどこかで、彼女に対し何か別の感情を持ってしまっていた。

 飛び散る吐瀉物、汚れてしまう彼女の服。いつもの可愛らしい彼女からは想像もできないようなその光景を、なぜだか愛しく感じてしまう。

 どうしてか高鳴る鼓動を抑えながら、彼女の背中をさする。

「はぁ……はぁ……ぅっ、」

 涙を流しながら苦しそうに声を上げるその顔を見つめながら、大変だね、苦しいね、と声を掛ける。そんなこと、建前でしかないのに。

 

 その後すぐに病院へ行き診てもらった。どうやら胃腸炎のようだった。

 何か大きな病気じゃなくてよかった。それでも、花が苦しいのは変わりない。

 顔色の優れない彼女の傍で、私は今日も足並みを揃えていた。

 そうして彼女を家へと送り届け、家路につく。もうすっかり暗くなってしまった空の月明かりに照らされた私は、無意識にあの時を思い出していた。

 むせ返るような吐瀉物の匂いに涙を流す彼女。肌がひりつく温度と、眩しい程目に飛び込んでくるあの衝撃。

 あの時のあの感覚は、一体何だったのだろう。

 あのとき、確かに私は気分が高揚していた。記憶をなぞりながらあのときの感情を呼び起こす。

 そんなことがあるはずがない。何故こんなことを感じてしまうのだろう。

 あんな状態の花を、いや、そもそもあんな人を見て、こんな感情になるはず無いのに。

 混ざり合う自分の感情も理解できないまま家のドアを開ける。

 何故だか、空気が少し冷たい気がした。

 ――

 当然だが、花はしばらく学校を休んだ。いつもの席に花はいなかったし、昼休みにも、前に座る人はいなかった。

 生まれて初めて、激しい孤独感に襲われた。悲しくて、寂しくて、気がどうにかしてしまいそうだった。

 ずっと傍にいた、ずっと見てきた花がいないだけで、私の心はこんなにも荒んでしまうのだと、つくづく私は彼女に頼り切りだったのだと気付いた。それなら本望だが。

 文字通り私は、花のいない世界を考えられずにいた。


 でもずっと、何かが私の中で引っかかっている。

 花に会いたい、という気持ちの他に、もっと別の感情があるのだ。

 ずっと前からある"それ"は、何か思い出してはいけないように感じた。

 きっと、認めてしまったらすべてが狂ってしまう。

 この気持ちを、欲を隠さなくては。そんな気持ちでいっぱいだった。それは彼女が戻ってきてからも続いた。

 私はただ、花といられるだけで幸せだったのに。

 そう言い聞かせて自分を抑えつける。そばにいるだけで幸せだから、これ以上私に何も望ませないで。

 それは多分、本心ではなかった。

 

「奏……?どうしたの?」

「あ、あぁ、なんでもない、よ。」

 そう言っているが、きっと私は本心ではどうかしている。

「なんか苦しそう、大丈夫?」

「うん、大丈夫。」

 どこか乾いた二つ返事をする。うん、きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせた。

「?」

 理解のできない感情を抑えつけるのに精一杯の私を見ながらいつものように弁当を食べる花。

 

 その噛み砕いたモノが通り抜ける細い喉が、あんなにも汚れていたなんて。


「はっ」

 いけない。また余計なことを考えてしまう。

 彼女の苦しみを願ってしまうなんて、本当にどうかしている。

 どうかこのまま、何もないままでいてくれたら。

「ねえ、今度さ、海行かない?私全然行ったことなくて」

 葛藤を続ける私に、突然花は言葉を投げかけた。

「……海?いいじゃん、行こうよ。」

「やった、デートだね。」

 不意にそんなことを呟く彼女を見て、はっと我に返る。

「うん。デート」

 きらきらと楽しそうに笑う彼女が目に映る。

 そう、この笑顔。これだけで私は十分。

 つられて笑みを溢す私は、自然と解けた心のまままた言葉を連ねた。

 何か物足りない、なんて、どこかにある心を言語化することも出来ずに。

「そうだ。明日は私が花の分もお弁当、作ってくるね。」

「いいの?ありがと。」

 花は嬉しそうだった。私も、花に自分の弁当を食べてもらえるのは嬉しい。そう、とても。

「奏の料理、始めてだから楽しみ。」


 その次の日もいつも通り二人で弁当を食べる。そう。いつも通り。

 今日は私が作ってきた弁当。少し作りすぎたので、花のに多く入れておいた。


 少し多すぎか、と思ったが花はしっかり全部食べてくれた。よかった。と、胸を撫でおろす。

「お腹いっぱいになっちゃったなぁ……」

 そう言ってお腹をさする。

「たくさん食べてくれて嬉しいよ。」

 嬉しかった。ちゃんと、全部食べてくれて。

 

 5時間目は体育だった。しかも今日は持久走。

「持久走やだなぁ」

「私全然体力ないよー、授業終わるまでに走りきれるかなぁ」

 やはりみんな持久走は嫌らしい。私ももちろんそうだ。

 中学生のころ、持久走終わりに保健室行きになったことがある。そのときのことを思い出しては、毎回不安が押し寄せてくる。

「花、一緒に走ろうね」

「あ、う、うん。」

 不意に、彼女の様子が気になった。

「花、どうかした?」

「い、いや、なんでもないよ。一緒に走ろうね。」

 そうして皆が走り出す。

 体力のある子たち、運動部の男子なんかは速く、気づけば先頭集団を離れて私たちの真後ろにいる。

「はぁっ、はぁっ、みんな、速いね」

「っ、う、ん……ぅ」

 少し苦しそうだ。顔色が悪い。

「花、大丈夫?」

 心配になって聞く。彼女の脚が徐々に回転を遅めていく。

 そして、ついに花は足を止めた。

「奏、ごめん」

 

 ごめんね、花。


 その瞬間、花はその場で吐き出してしまう。

「朝日奈さん、大丈夫?!?」

 異変に気付いた先生がすぐに駆け寄ってきた。

 私もすぐに立ち止まり、花へと駆け寄る。

「花、大丈夫!?」

「ぅ、うぅ……奏、ごめ……ぅ」

 苦しそうに涙を流しながら嘔吐する彼女。そんな彼女の顔から目が離せなかった。

 

 あぁ、かわいいなぁ。こんなに苦しそうな顔をして。


 血の気の無い、苦しみが渦巻く彼女の顔を見つめる。

 もう私の視界には、その顔しか映っていなかった。

「はぁ……はぁ……」

 もっと見せてほしい。

 その顔が、綺麗で可愛らしいその顔が汚れるところを。

 

「私、保健室連れていきますね」

 花の真っ白な腕を掴み立ち上がる。離さないように強く掴んだ。

「花、立てる?」

「う、うん、ありがと、奏」

 そう言って立ち上がった真っ白な膝は震えていた。

「はぁ、はぁ……」

 呼吸の整わない彼女の様子を見る。

「大丈夫、私が付いてるから。」

 花の背中へと手をまわし、熱を纏った砂を踏みしめる。

 汗の滲んだ手で体操服越しの肌を撫でながら、確かな残り香を噛み締めていた。

 

 ガコン、という音とともに水の入った容器が落ちる。レバーを引き、硬貨を取り出す。

「花、治まった?」

 水を手渡す。先ほどまでベンチに横たわっていた彼女の顔色はすっかり良くなっていた。

 あぁ、終わってしまったと、そう感じた。

「ごめんね、奏。急に、吐いちゃって。」

 目を逸らす。花も原因はわかっている筈なのに。花は優しいから、何も言わないんだ。

「大丈夫。なんとか収まったみたいで、安心したよ。」

 水が喉を通る音が聞こえる。こんな小さい喉もさっきまでは汚れていたんだ、と考えるだけで、得体のしれない高揚があった。

「もうちょっと休む?」

「うん。」

 と答える花。

「もう少し休んでたほうがいいかも。私はここで休んでるね。」

 そうして花は座ったまま私を見送る。

 校舎の影、一人でベンチに座る彼女はまるでお人形のように美しかった。

「じゃあ、私は先に戻ってるね」

 そう言って日陰の外へ足を向け、アスファルトを出ようとする。そのとき、花は私の腕を掴んだ。

「……行かないで」

 何でか頬を赤らめる花。視線を逸らすその顔はどうしてか、私を見つめているようだった。

「もう少しだけ、一緒にいて。」

 そのまま腕を引っ張られ、彼女に促されるまま隣に座る。

 私の方に寄りかかる花。太ももの上に置かれた彼女の手は暖かく、まるで外の温度を感じさせなかった。

 

 砂の反射する光が校庭を照している。その陰で二人、風に吹かれながら。

「奏、好きだよ」

 突然聞こえてきたそんな声は、私の心に深く刺さった。これまで一度も彼女の口から聞いたことのない言葉だった。

「うん、私も」

 不思議と、鼓動は高まらなかった。

 

「朝日奈さん、大丈夫!?」

「うん、もう大丈夫。心配してくれてありがとね」

 なんて言って笑う花。彼女を見つめる私の心には、少しの嫉妬心があった。

 またあの笑顔を汚してあげたい、なんて歪んだ気持ちも。

 

 それから私は、彼女を意図的に傷つけるようになっていった。それも、彼女にばれない程度に。

 飲み物に異物を入れたり、彼女と友達を仲違いさせたり。

 そのたびに吐いたり体調を崩したり、泣いたりしていた。そのどれもが、私が引き起こしたものではないと、彼女は信じ切っていた。

「大丈夫、私が付いてるからね」

 そんな言葉に

「うん、ありがと」

 と返す花。

 何も、何も知らないくせに。

 可愛いなぁ、愛しいなぁ。


 きっとこれが私の愛なんだと。そう気づくのにそこまで時間はかからなかった。


 花の頭を撫でる。さらさらだった彼女の髪は、少し傷んでいるようだった。

 きっと、友達と喧嘩したことのストレスだろう。

 花をこんなにするなんて。あんな友達いらないからね。花には私だけでいいからね。


 やがて花は、一人暮らしの私の家によく来るようになった。誰にも見られない、二人だけの空間に。

 彼女を押し倒してそのまま首を絞め、苦しむ顔を見たい。そんな妄想をしてしまう。

 そんなことをすれば流石に怖がられてしまうし、嫌われてしまうのでさすがに躊躇はする。

 そう論理を並び立ててなんとか衝動を抑えつつ、スマホの画面へと目をやる。花はそんな私の肩を掴み、向き合わせる。突然のことに驚きつつも、相対した彼女の目に視線が吸い込まれていた。

 大きく真っ黒で、綺麗な目。やっぱり、可愛いなあ。

 

 その瞬間、唇を奪われる。柔らかく。温かかった。

 お互いの顔も見えないまま、口は繋がったままでいる。高まる鼓動の中、肩にあったその手が下りてきたのを感じた。

 そして、そのまま私は花を押し倒した。

「ん……花……」

 唇を重ねたまま彼女を抱きしめ、彼女の舌を噛む。生暖かい温度が交じり合っていた。

「はぁ……はぁ……」

 息を荒げる私と花を、唾液が繋ぐ。

「か、奏……もう……」

 躊躇する花に構わず私は続ける。息もできなくなるくらい、死んでしまうくらい、彼女を愛したい。呼吸の整わない彼女を見て、また高ぶった気持ちを抑え、彼女を抱きしめる。

 そっと、指でその華に触れた。

 

 薄暗いベッドの上、まだ息の整わない花を見つめる。

 彼女は微かに、私の手を握ってくれた。その体温が嬉しくて、また私はその背中を抱きしめる。

 

 大好きな、私の可愛い花。

 大好き、愛してる。

 

 こんなに愛しているのに。こんなに苦しんでいるのに。どうして、どうして。

 黒い何かが渦巻く。


 

 きっと、苦しみが足りないんだ。

 

「奏、また明日ね。」

「うん、明日。」

 キスをして家を出る花を見送る。

 彼女をもっと苦しめる方法。絶望の底に叩き落すような、そんな方法。ある。

 花の背中を眺めながら、私は微笑んだ。

 ――

 次の日、私は一緒に帰れないと嘘をついた。

「じゃあ、今日は一人で帰るね。」

 そうして帰路につく彼女の背中を見届ける。

 私も行こう。

 いつもとは違う道でいつもの駅へと向かう。

 途中で花と会わないかが少し心配だった。

 なんとか駅に辿りついたあと、彼女が改札を通ったのを確認して後を追うように駅へと入る。

 そして、いつもの二番線とは違う、一番線へと足をんだ。いつもの喧騒は、聞こえなかった。

『一番線、電車が通過します』

 アナウンスが流れる。もうすぐ来る。そんな予感と共に、花の向かいに立った。

 向かいに立つ花はすぐにこちらに気が付く。

「あれ、奏?」

 何か言いたげだ。きっと、一緒に帰れないと言った私が向かいにいるのが不思議なのだろう。

 そんな彼女をよそに、私は黄色い線の外側へと立つ。黄色い線の内側でお待ちください、なんて忠告も無視して。

 それは、二度と感じない非日常。時計の秒針が止まるように、世界が止まった。

 急行電車が音を立てて接近する。

 

 見てて、花。

 

 その刹那、私は線路へと堕ちる。

 直前に見えた、恐怖と驚きに満ちた花の顔が、もう使わない頭に残る。

 あぁ、これから花はどんな顔をするんだろう。

 どれだけ苦しんでくれるんだろう。

 見せて、花。


 私の


 私の可愛い花。

 ――

  もう何日経ったか覚えていない。食べ物は喉を通らないし、何をする気にもなれない。

 あの髪の匂いも、手の温度も、唇の感触も。そのすべてが、もう二度と、元には戻らない。

 あの時ただ茫然と立ち尽くしていた私は、何が起きているのか理解できなかった。理解したくなかった。

 残るのは思い出と、歩んできた足跡だけ。泣くこともできずに、ただ戻らない過去を想うことしかできない。

 先生が来た、警察の人も来た。でも私は、何も答えられなかった。何も知らなかったし、何も言いたくなかったから。

 腕に残る傷跡を眺め、もうひとつ足す。これで何が変わるわけでもないのに。

 少しも軽くならない心を背に、止まった時計を見る。

 あのときの奏は、何を考えていたのだろう。どうして、笑っていたのだろう。

 誰にも、私にさえ言えない悩みがあったのか。ずっと傍にいた私は、どうして気づかなかったのだろう。


 からっぽの頭で考える。どうして、ずっと私がそばにいたのに。

 私が、


 あぁ、そうか。私が。


 私が、奏を殺したんだ。


 ずっと傍にいたから。知らない間に彼女を傷つけてしまったんだ。

 憎い、憎い。奏の命を奪った私が。私自身が。

 拳を振り上げ、力の限り頭を殴る。何回も。何回も。


 私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。私が。


 お前が。お前が。お前が。お前が。お前が。お前が。お前が。お前が。お前が。お前が。お前が。お前が。


 視界が揺らぐ。少し、耳の聞こえが悪くなった気がする。

 そんなことはどうでもいい。きっと奏は、もっと苦しんでいた。こんなことをしたって、罪滅ぼしにはならない。

 わかってる、そんなことは。お前は、私は、死ぬべきなんだ。生きてちゃダメなんだ。


 死ね。死ね。死ね。


 そう願っても、いつしか腕は限界を迎えてしまった。人の頭は案外頑丈なのか、または知らないうちに手加減していたのか。私が死ぬことはなかった。

 あんなに愛していた彼女が、奏が、どうして死ななければいけなかったのか。苦しみを、絶望をも超えた何かがまた私を襲う。

 

 そうだ。謝らないと。そして、話を聞かないと。何があったのか、どうして笑っていたのか。

 そうすれば、また一緒にいられる。

 待ってて、奏。


 外はすっかり暗かった。

 もう何日も寝ていないので狂った体内時計で測ることはできなかったが、大体10時頃だろうか。くすんだ制服を着たまま学校へと向かう。まるで私を歓迎するかのように開いている校門。見れば、まだいくつかの部屋の明かりが付いていた。明かりのつかない私は、それを掻き消すように、音も立てず校舎へと足を踏み入れる。

 上へ、上へと上がり、静かに最上階の扉を開ける。

 吹き抜けた冷たい風は刺すようで、肌がいつも以上に何かを感じ取っていた。

 

 もうすぐ、会える。


 何のために付けられたのかもわからない手すりへと足をかけフェンスの向こう側に立つ。

 もう引き返せない。いや、引き返す必要は無い。

 

 今はただ、奏に会いたい。それだけだった。

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