隴西

隴西 その1

 隴西ろうせい


 劉秀りゅうしゅうじょ州親征の最中、劉鈞りゅうきん璽書じしょたずさえて河西かさいに戻る。劉秀は璽書にて竇融とうゆうりょうぼくと為し、梁統りょうとう宣徳せんとく将軍を加える。竇融、下された書を読むと梁統らの前で再度朗読す、曰く「行河西五郡大将軍事、属国都尉といみことのりす。辺塞へんさいの五郡に鎮守ちんじゅすることをねぎらおう。兵馬は精強、倉庫に備蓄有り、人民は富み盛んとなり、外は羌胡きょうこを砕きくじき、内はすなわち人民福をこうむる。威徳は流聞し、虚心きょしん坦懐たんかいあい望むも、道路へだたりふさがり、鬱々うつうつと心さえ塞ぐ。次官奉ずる書と献馬ことごとく至り、深く厚意を知る。今、えき州には公孫こうそん子陽しよう有り、天水てんすいにはかい将軍有り。しょくかんと会い攻むるに当たって、雌雄を決める権は竇将軍に在り。挙足きょそくを左右にすれば、軽重生ず。この故を以てすれば、相厚くしようと欲することあにはかる所有らんや。諸事は、つぶさに次官の見る所、竇将軍の知る所なり。王者互いにおこるは千載一遇なり。斉の桓公、晋の文公の微小国をたすけしを成し遂げようと欲せば、正に努めて功業を追うべし。三分鼎立ていりつして合従がっしょう連衡れんこうしようと欲すれば、またよろしく時を以て定むべし。天下未だ合されず、吾は汝と域を絶え、相併呑へいどんす国にあらず。今の議者、必ず秦末の南海都尉任囂じんごう龍川りゅうせん令の趙佗ちょうだへ遺言せし、七郡の王、南越王と為る計をこう。王者は土を分かつこと有るも民を分かつこと無く、自ずから己の事に適させるのみ。今、黄金二百斤を以て竇将軍に賜う。便宜が必要ならすなわち申せ」

 竇融が読み終わると、河西の将吏しょうりみな驚いて、天子は明らかに万里の外を見、説客せつかく張玄ちょうげんの言を網羅していると思った。竇融、梁統ら、再び今後の河西の去就きょしゅうを衆議する。


 洛陽らくように戻る途中で皇帝劉秀、孔子の故地に御幸した故に、太学を城門の外に建てることを詔し、博士らを優遇させる。その劉秀と京師けいしに辿り着きし馬援ばえんは、今上きんじょういとまして隗囂かいごうの下に帰らんと申し出る。劉秀は太中たちゅう大夫たいふ来歙らいきゅうをして馬援を送らしめる。

 馬援が馬上の人となれば、来歙もならいて道すがら共に語らうことになる。洛陽に感じることあらんか、と問われた馬援、答えて曰く「まつりごとは整い、奢侈しゃしおぼれることなく、人民は皇帝の庇護ひごを受けて、たまささか苦役くえきあえぐとえど、それは他の群雄とは異なり、自らの生活を安らぐことにつながる。今や漢が収める地は、しんの時代からわずかに巴蜀はしょく隴西ろうせいを除く所と為ろう。既に彭寵ほうちょうついえ、新太守郭伋かくきゅう寇賊こうぞくが充満す漁陽ぎょよう渠帥きょすいを討ち、かすめる匈奴きょうどに攻守の方略を定めれば、郡は安定すると聞く。東海とうかい董憲とうけん盧江ろこう李憲りけんは既に囲まれるところと為る」

 続けたる馬援、口をすべらせて曰く「今上には殆ど非が有らず」

 並びたる馬上の来歙、膝をぽんぽんと叩いて、それを止めて曰く「殆ど非が無いとおっしゃられるが、非があるとすれば如何いかに」と、あええて尋ねる。

 馬援苦笑して曰く「問われた故に答えん、しも今上に同じことを尋ねられれば、同じことを答えん。諫言をないがしろにしないのも今上の優れた資質故に」

 馬援言うに、先ず、劉秀の政、仁政である。しかし万民にとっての話であり、郡太守、国相、州牧に対しては厳罰であり、些細なことや連座で役職が免じられる。近頃、郡民にしたわれた前のとう郡太守耿伯山こうはくざんは、罪に問うた県令を囲むも自害され、して免じられた。前に河内かない太守であった寇子翼こうしよくは、上書した者を獄に繋いで拷問したと免じられた。馬援曰く「官吏にいささか厳しすぎる、まあその程度で御座る。瑕疵かしが無い玉璧ぎょくへきを望むのは難しい。これ以上の人物は今の中原には居りませぬ」

 来歙は馬援が劉秀にれ込んでいることを確認する。

 馬援、来歙が黙っていると、今上だけでなく臣下についても論評し始める。長安ちょうあんにいる征西せいせい大将軍馮異ふういも賢い。赤眉せきびを破った事は知れ渡っているが、先頃の経緯いきさつを見れば実に慎重なりと。来歙もその経緯は即座に分かった。

 馮異は皇帝から離れて三年近くなる故に、自らあやうしと悟り、上書して、宮廷を思慕して中央に在らんと願うが、今上は許さない。後に、ある人の上奏文に馮異は関中かんちゅう専制せんせいし、長安の令を斬り、権威至って重く、人民は心を帰して号して咸陽かんよう王と為すと書かれ、今上は太中大夫宋嵩そうこうを使いに遣ってその奏上文を馮異に示しめば、馮異ひどく恐れて、上書して詫びて曰く「臣は元々書生なれど、陛下が天命を受けた際に偶々たまたまめぐり会え、その一行に加えられて、はなはだ私恩をこうむる。大将軍に位し、列侯にしゃくし、一方面を任され以て些かの功を立つるも、皆陛下の謀慮ぼうりょに因り、愚臣ぐしんの善く及ぶ所に非ず。臣伏して、おもんぱかるに詔勅しょうちょくを以て戦い攻めれば、常に意のままとなるも、時に私心を持って決断すれば、未だかつて悔ゆる無きあらず。陛下の独見の明、久しくして益々遠く、天子の資質と天道は得るもので有って聞くものに非ずと知る。兵乱初めておこり、天下擾乱じょうらんの時に当たって、豪傑、競い争い、迷いまどえる者は千を単位として数える所と為る。臣は遭遇するを以て身を聖明に託し、傾き揺らぐ混乱の中に在って敢えて過ちたがわず。しかるにいわんや天下平定し、上は尊く下は卑しく調ととのい、しかして臣の爵位の蒙る所、高くして測れずをや。誠に願わくはかしこまって身を謹み、自ずから終わりを全うしたい所存なり。臣に示される上奏文を見て、戦慄しておじおそれん。伏して思うに、明主は臣の愚性を知られる。誠に敢えて拘泥こうでいして自陳じちんす」

 劉秀、これに詔して報じて曰く「将軍の国家にけるや、義は君臣なるも恩はお父子の如し。何をかを疑い何をかを懼れるや」

 劉秀と馮異、それに来歙、常に間者によって長安以西の動静を窺えば、馮異が失脚して喜ぶは公孫述か或いは隗囂か、中央に近い所からの噂となれば、恐らくは隗囂の画策する所と察する。馬上の馬援、目を見開き視線を真前に向ければ、来歙、気付いたなと思い、間者の存在をそれ以上詮索させぬため、話を続けさせようと曰く「なるほど、征西大将軍は謙遜吏士でございましたな。他の将は如何に」

 馬援、強張った顔を弛めて、論評を続ける。征南せいなん大将軍岑彭しんほうも並みでは無い。黎丘れいきゅうに到りし時を思い出して馬援は述べる。兵法を知るようであるが、それよりも軍を整然と律し秋毫しゅうごうも掠めさせぬ軍規を保たせる将としての力量ははなはだ優れたるものなり。加えて、建威けんい大将軍耿弇こうえん、今二十七才か、若輩にてあの知略は無視できるところに非ず。最も怖いのは大司馬だいしば呉漢ごかん、今上に信任され、命令一過、董憲とうけん蘇茂そぼを悉く破った将で、時に知略を発し無類の統率力をふるう。その上、彼らを束ねる皇帝自身が非常に強い将である。武勇と知略、世間並みの将から隔絶かくぜつしている。他にも勇将ぎょう将多かれば、天下を取るのはこの人なり。来歙、馬援の言葉に無言でうなずく。

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望蜀 光武帝中興記 河野 行成 @kouzeikouno

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