徐州

 翌朝、体からまだ湯気を吹くまま、部屋に入った男は、用意させたすずりに筆を降ろす。広げた竹簡ちくかんの最後の二文字を確認する。頭からずっと文字を追って見ていく。地名の羅列である。周囲に間者がいるとして、さてこれから何を読み取れる。男は二文字を付け足す。最後のまだ真新しい文字は次の通りであった。


 徐州じょしゅう


 秋七月、皇帝劉秀りゅうしゅう、今度ははいしょう県に御幸みゆきする。予州、かつてはりょう劉永りゅうえいが天子を称して迎合させようとした所であるが、劉永は討たれ、その余衆の周建しゅうけんらは子の劉紆りゅううを立ててなおあらがう。

 劉秀、捕虜ほりょ将軍馬武ばぶ、偏将軍王覇おうはつかわして周建・劉紆を垂恵すいけいに囲ませる。劉紆をいただ蘇茂そぼ、同じく漢軍を敵とする五校ごこうと連合し、その兵四千余人を率いて周建を救おうとし、まず精鋭の騎兵を遣わして漢軍の兵站へいたんさえぎり馬武の軍糧ぐんりょうを撃たせる。馬武、駆けつけてこれを救えば、周建、城から兵を出して馬武を挟撃きょうげきする。馬武、王覇のたすけをたのみ、尽力をふるうにあたわざれば、蘇茂と周建に破られる所となる。馬武の軍はしって王覇の陣営を過ぎ、大いに叫んで救いを求む。

 王覇、返して曰く「賊兵盛んなり。出づれば必ず両方やぶれん。努力するのみ」

 すなわち陣営を閉ざして塁壁るいへきを堅くする。軍吏、みな何故兵を出されませぬと王覇に詰め寄る。

 王覇曰く「時勢を見よ。蘇茂の兵は精鋭、しかもその衆は多く、こちらと見れば、兵士は心に恐れを抱く。しかも捕虜将軍はわれを恃みとし、両軍は一心と為らず。これ敗れる道理である。そこで、今は陣営を閉ざして堅く守り、あいたすけざることを示さば、賊は必ず勝ちに乗じて軽々しく進み、他方、捕虜将軍は救い無くして、その戦うこと自ずから増そう。かくのごとくんば、蘇茂の衆は疲労し、吾はその疲れたるを承けて即ち勝つ所と為る」

 果たして、蘇茂・周建、全軍をぎ込んで馬武を攻める。合戦することが続けば、王覇の軍中の壮士そうし路潤ろじゅんら数十人、断髪し意志の固きを示して戦わんことをう。王覇、兵士の鋭意を察すれば、時は今と、陣営の後ろを開いて精鋭の騎兵を出し、蘇茂・周建の後ろを襲う。不覚を取った蘇茂・周建、前後から挟撃されれば驚き乱れて敗走する。

 勝ち残った馬武、王覇に何故なぜすぐさま援けなかったと怒鳴どなれば、王覇、兵家の勢は敵情によって変化し、先に援ければ共に負けていたであろう、今勝てたのは捕虜将の兵が死地しちに入って死力をくす故、我はその勝ちを援けたまでと返す。馬武、功は己に有ると受け、笑いてそれ以上問責もんせきせず。両将はそれぞれの陣営に帰る。

 敗れた蘇茂・周建、散兵をまとめ衆を為すと再び王覇の陣営を襲い、してやられた王覇に戦いを挑むも、王覇は堅く伏して出ず、かえって兵士をもてなし芸人に唱楽を為させる。その声音こわねを聞いた蘇茂、頬をひきつらせて雨の如く営中に矢を射かけさせる。目前の酒樽に矢が当たるも、王覇、安座あんざして動じない。

 軍吏曰く「蘇茂は前日に既に敗れておれば、今撃つは容易たやすき」

 されど王覇、返して曰く「しからず。蘇茂の客兵は遠くより来て糧食足らず。故にしばしば戦いを挑んで以て一時の勝ちを得ようと欲す。手合うべきに非ず。今、営を閉ざし士をいこわせるは、所謂いわゆる戦わずして人の兵を屈する、善の善なる者なり」

 蘇茂と周建、戦うこと能わざれば、すなわち引いて自陣に還る。ところが周建の兄の子、周誦しゅうしょう、反して城を閉ざしこれをこばむ。蘇茂・周建は仕方なく遁走とんそうし、周誦は城を以て漢軍に降った。従って王覇は、戦わずして勝つことになった。


 男曰く「いつもって労を待つ、敵には疲れてもらうは然りの計。屋に上げてはしごはずす、兵は死地に追い込まれれば必死に戦う、よってわざとその情勢を仕組む計。そして、戦わずして人の兵を屈する、善の善なる者なりと言えば、この兵法は『孫子そんし』に他ならない。しかし、この将、何時いつそれを覚えたか。戦いにおいて勢いは常に変わる。よって変に応じて戦い方を変えるのが真髄しんずい、それを会得えとくしている」

 しばらく考えて曰く「畢竟ひっきょう、人と言うのは、常に同じと思ってはいけない、そういうことか」と一人納得する。


 同じ七月、虎牙こが大将軍蓋延こうえん平狄へいてき将軍龐萌ほうぼうと共に西防さいぼうを攻め、これを降す。蓋延自らは更に泗水しすいに沿いて南に逃げる周建と蘇茂を南東に追いて彭城ほうじょうに破り、蘇茂・周建・劉紆等、みな逃れ、周建はその道すがら死し、蘇茂は東の下邳かひに奔って董憲とうけんと合し、劉紆は佼彊こうきょうに奔る。譙県の北に二日行程の所、董憲の将の賁休ふんきゅう、彭城の北東の蘭陵らんりょう城を挙げて降る。董憲、それを知ると怒って、その東のたんより攻めて賁休を囲む。この時、蓋延と龐萌は彭城に在れば、譙県の劉秀に、往きてこれを救わんことを請う。皇帝劉秀、即座にちょくして曰く「直ちに往きて郯を撃つべし。さすれば蘭陵必ず自ら解けん」

 しかし、蓋延ら賁休の城危うきを以て、まず蘭陵におもむく。董憲、南西から漢軍の蓋延が来ると聞いて、先の戦いで直接当たっては勝てぬと知る故、迎え撃つも偽って敗れる真似をすれば、蓋延らは退けるを追い、囲みを抜いて城に入る。董憲してやったりと、翌朝、全軍で蘭陵を囲む。蓋延、救うところが囲まれると大いに慌てふためき、城から打って出る。敵に背を向けるゆえに一挙に蘭陵を離れて郯を攻む。

 蓋延からの報を受けて、皇帝劉秀、これを責めて曰く「先頃、先ず郯に行かせようと欲したるは、不意を突かせる故のみ。今、走り逃れても、賊には目算が立ったであろう。囲みは、あに解くべけんや」

 はたして蓋延、郯を攻めても勝つこと能わず。遂に董憲は蘭陵城を落とし、賁休を斬った。


 男は地図を見て曰く「彭城から蘭陵も郯も一日行程で行ける。ならばどちらを撃つか。主上は、を囲みてちょうを救う計を発せるも、配下はそれを察せざる。手薄の本拠地を撃たれれば、敵城を攻むことよりも自城を守ることを優先させるのが常。なぜなら将がこの計を見破っても、不意を突いた故に、兵士は浮き足立ち、戦うこと能わざるが故。されどこの将ら、勇を恃んで、知略を学ばざる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る