底なし沼のほとりに住む兄妹

知因子雨読(ちいんし・うどく)

底なし沼のほとりに住む兄妹

 北海道の田園地帯で生まれ育った僕は家の近所の森の中で遊ぶことが多かった。自然の豊富な地域ではあったものの最新の大きな工場もありそれはまるで『天空の城ラピュタ』のような景色だった。時代的に考えても森林を切り開き機械化していく現実が作品に投影されていたのかもしれない。父はその工場で働いていたので機械と森が共存する正にアニメやゲームのような世界で幼少期を過ごしたことになる。だから今でもそういう舞台設定を持つアニメやゲームに惹かれがちなのかもしれない。


 さておき僕には3歳離れた妹がいて僕が小学校低学年の頃だろうかその妹と共に森を歩いていたら同級生などが底なし沼と呼んでいる場所に辿り着いた。妹が「トイレに行きたい」と言うのでその辺で済ませるよう言ったが「嫌だ」と言うので家に戻ろうと思ったものの「もう歩けない」と言うので困り果てた。その時背後から「あの……」と声がして振り返ると僕と同い年くらいの男の子がいた。彼は「すぐそばに僕の家があるからトイレもそこで済ませなよ」と言ってくれたので家に入った。


 こんな場所に家なんてあったんだなと驚いたけど見落としていただけなのだろう。家の中には僕の妹と同じくらいの年の女の子もいて僕らに似ている兄妹だなと思った。2人とも初めて見る顔なので学校はどこなのか訊いてみると学校には行っていないと言う。親はどこにいるのか訊くと親はいないのだと言う。学校に行かない幼い兄妹が2人暮らしなんてことあるかなと疑問に感じたけどとりあえず一緒に遊んでから帰途に就いた。


 数日後にまた底なし沼に行ってみるとあの家が見当たらない。親や同級生に訊いても家のことは知らないという。


 十数年後。高校を卒業して上京した僕が久々に帰省した際に近所の森を散策しようとしたが底なし沼の場所は分からなかった。沼は多分あったと思うが底なし沼のほとりに住む兄妹が本当にいたのかどうかは怪しい。全ては僕の見た夢かもしれない。


 けれど大人になった今や子供の頃の記憶は殆ど残っていないのに彼らのことを鮮明に覚えているのは何故だろう。記憶とは不思議なもので大事なことは忘れていてもどうでもいいことは覚えていたりするものだから特に意味はない可能性もある。それでも理由付けを考えてみるとドッペルゲンガーという怪異のようにも思える。ドッペルゲンガーは自分に瓜二つの存在だが正体は不明。森には動植物の精霊のような存在がいて時おり人間の姿を借りて現れるのだとすれば説明は付く。


 底なし沼と呼ばれていた理由は実際に底が見えない真っ黒な沼だったことと長い枯れ枝などを刺してみても底に届くことがなかったことから名付けられた。危ないので近づかないようにしていたが兄妹に出会ったその日は近づいてしまっていた。僕は何度目かの訪問だったが妹は初めて。沼に落ちるかもしれない危険を察知した動植物の精霊が僕ら兄妹に化けて助けてくれたのかもしれず。


 そう信じてみるとこれは確かに貴重な思い出のひとつである。どうでも良いように思える記憶にも実は深い意味があるのかもしれない。(了)

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