もしも、あの夜に踏み出していたら

桜井遥

第1話 春、同期との出会い

社会人になったばかりの春。

新しいスーツにまだ着られているような気がして、ぎこちない挨拶を繰り返していた。


私は関連会社の事務職として、リース料金の消込作業を任されていた。

やがて、彼の担当先の入金状況を確認するために、何度も電話をかけるようになった。


「お世話になっております、入金の確認なのですが…」

受話器の向こうから返ってくる声は落ち着いていて、若さと勢いが混じっている。

顔は知らない。けれど、不思議と印象に残る声だった。


何度もやり取りを重ねるうちに、その声は私の日常の中で特別なものになっていった。


やがて同期会の場で、私は初めて彼と直接顔を合わせた。

その瞬間、胸の奥で小さくざわめきが広がった。

──まるでスクリーンから抜け出してきた俳優のように見えたのだ。

端正な輪郭と、軽やかな笑み。電話で感じていた声の印象が、目の前の姿とひとつに重なった。


笑い合う輪の中で、彼がいるだけで少し特別な時間に変わっていった。


──この小さなときめきが、やがて私の人生の記憶を揺さぶるほどの想いに育っていくとは、そのときまだ知らなかった。

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