7月8日
彼は駅に降り立ったが、まだ6時にもならない時間、人はまばらにいるもののこれまた静かで、彼のスニーカーと地面のこすれるザリザリという音が響く。目の前の道路はたぶん国道でもないし、狭い道路なので、車がいない。駅に立ち込めた霧が彼の顔と手を濡らし、彼は参考書を汚すまいとしたのだろうか、手に持っていた数学の本を急いでカバンにしまった。階段、今度はゴムを敷き詰めた新しい階段を下りて、ホームまで向かった。彼はまだ、コンビニのシャッターすら開いていないその駅にあるベンチに腰掛け、コンビニが開くのを待ち始める。
ガレージの音で再び目が覚めた、さすがに徹夜だったらしいのでしょうがないのだが。コンビニが開くのを待っていたので、それを素直に喜びその日の一番客として朝ご飯を買った。普通の菓子パンと牛乳を買った。そのまま、先ほどの生ぬるいベンチに腰掛けた。パリパリとプラスチックの袋を開け、アンパンを一口ほおばると、ほのかに甘いが、酸っぱさを少し感じた。腐っていたのだろうか、クレームを入れようと思ったが、徹夜の旅行につき、そんな気力はなかったのでそんなことはできなかった。腹を壊さないようにと心の中で願いながら、時々嗚咽することはあれ、アンパンを食べた。ひどいことに食材に対する感謝なんてものは全くなかったようだ。
朝ご飯を食べると、今度は町を散策する、公園を見てはベンチに腰かけて、そこでしばらく勉強する、ほとんど都市ではなくなってしまったとかいうそよ風に吹かれ、今や一定の区域でしか見られなくなっている木漏れ日から、申し訳ばかりに日差しがさす。もちろん、葉は木の枝でゆらゆらと風にあおられるので日差しも揺れる。そこはあまりに静かだった。水の中に沈んでいるかのような錯覚さえ感じられると、虫取りにいそしむ少年たち3人の集団はカニのように歩き、芝を這い、虫を探していた。勉強と、もっとそれよりも大事なことを彼はしていたようだ。1時間ほど勉強したらまた別の公園を探しに行った。公園のうち、三回に一回は人が全くいなかったので、ベンチをゆったりと使って寝ることにしたようだ。でも、そばにあった栃の木の葉が落ちてくるのであまり寝ることに集中できなかった。こんなんでつまらなくないのだろうか、ゲームセンターでも行ってみたらどうか。常々思うことなのだが、どうしてスマホを使わないのだろうか。そして、どこに泊まるのだろうか。
昼ご飯はラーメン屋に行った。入るとそこはニンニクのにおいが充満したガス室で、所狭しと昼休みのサラリーマンたちがいた。これで、どういう店だったかはわかるような、特徴的な店で、もちろんこってり。おそらく誰から見ても細身な彼はその中では異質だった、そうして、一番左のカウンターで、ラーメンを食べていた。多分固め濃いめ多め、よっぽどおなかがすいていたのか、それとも好みの味なのか。
午後になって、公園巡りではなく、散歩を始めた。そして彼が行ったのは図書館だ。彼はつくなり、哲学、心理学のコーナーへまっすぐ向かう。最初から読む本を決めていたかのように、機械的な動作で本を探し、お目当ての本を見つけたようだ。島田雅彦『散歩哲学』を手に取り、ソファに腰掛けて読んだ。
ロータリーでは、男が必死に蔵書検索をして、何かを探しているらしかった。彼はしばらく、本よりもそっちを見ていたが、その男が何かわかったように小説コーナーに行くと、いよいよ本を読み始めた。近代美術館を思わせるガラス張りの箱の中で展示されているかのごとく、二人はその場を離れず、ページをめくり、本の内容について思いをはせては、ため息、吐息を吐く。
よくよく考えれば、ある人は本を探し、ある人は黙々と哲学書を読み、ある人は読みたい本を黙々と探している。静寂が張り詰めていて、神聖不可侵なこの空間はある種図書館の理想像そのものだった。
その空間の中響く、ブーツの堅い足音、ページをはらりとめくる音が時間の流れを示しているようだった。彼はいろいろな場所を散策することで、思考していたらしい。こういう散歩ではむしろ景色というものが不必要にさえなってくるなんて誰かが言った。
夜、何かが起きるようなこともなく、普通に時間が過ぎていった。また、あのラーメン屋に行って、そのあとどこかの公園のベンチで寝た、とだけ伝えておく。
僕の学校にはたいそう立派な図書館があった。数年前に建て替えられたのだが、黒い壁に大きな窓、オレンジ色のキャンドル風のライトに、何十万冊あるのかというほどの蔵書。ハリーポッターの世界のようだと周りは言い、僕はそんな図書館でリラックスできるはずだ、そうに違いない、と思った。欲しい本は手に入り、気になる参考書は歩き回ればすぐに見つかる。その空間は間違いなく自分のためにできたようなもので、自分はここでなら自由という状態になれるとさえ思っていた。あまりにも傲慢に、エゴで、自己中な考え方だった。過剰期待の考え方だった。
次の日、わくわくした気持ちで羽を伸ばそうと、その図書館に入った。ゆっくりと開く自動ドアがむしろ期待を掻き立て、いったいどのように楽しめるのか、自分はどんな考えを得られるのか。そして、扉が開いて、その空間へ一歩足を踏み入れると、
図書館とはお世辞にも言い難い、イモ洗い。がやがや、とはならないものの、そこら中のイスというイス、ソファーというソファーは人で埋め尽くされ、とりつくべき島もなかった。しょうがなく、その日はハイデガー氏の本を手に取り、人にぶつかるのもしょうがないので、教室に戻って読んだ。むしろ今日はこっちのほうが静かだった。1週間そんなことも続いたら、僕は少しイライラした。教室も元のうるささが戻り、図書館に逃げようと思っても、そこではみんな漫画を読んでいる。哲学をすると、自分一人では限界が見えてくるのだが、語り合えるような人はいない。自分を理解してくれるような人など、いなかった、したいことはできなかった。
ここでも自由になれなかった。
彼はベンチで寝ている。さっきも言ったように。一切のいびきも書かず、寝返りをして、地面に落ちる、なんていう喜劇的な出来事さえない。ただ、少し口角を上げ、満ち足りたような笑顔をしていた。その夜は熱帯夜で、そこは静寂に包まれている。セミは泣き止み、街頭には画が集まり、遠くのクヌギにはクワガタやオオムラサキがブーンだの、パタパタ、だの、聞こえるかぎりぎりの音を鳴らしているらしかった、ここだけはとても静かだった。いや、たまに車が通り、排気ガスを吐きながら、走っていたか。
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