桜守の約束

工藤 流優空

桜守の約束

 昔ばなしはお好きですか?

 いつできて、誰が話始めたのかは分からない。

 けれども、ずーっとずーっと語り続けられる物語。

 きっとそれには、理由がある。残り続ける理由が。

 そして今からお話するこの話にも、そういう「何か」がきっとあるのでしょう。

♢♢

 昔むかし。ある山のおくに、二匹のキツネが暮らしておりました。

 一匹は白い毛並み、もう一匹は黒い毛並みをしておりました。

 二匹は、たまにけんかもしましたが、仲良く暮らしておりました。

 ある日のこと。白いキツネが黒いキツネに言いました。

「オレは、世界で一番強い九尾のキツネになる」

「それなら、オレだって!」

 黒いキツネもあわてて言い返します。

 九尾のキツネ、と言いますのは、その名の通り、尾が九本あるキツネのことです。

 キツネの尻尾は、数が多ければ多いほど、力があるしるしです。

 九尾のキツネは、とても力が強く、他のキツネたちから尊敬されます。

 ですから九尾のキツネは、みんなのあこがれの的なのです。

 それから二匹は、たくさん努力をして、八つの尾を手に入れました。

 けれども最後の一尾を手に入れようかとした時でした。

 片方のキツネが、もう片方のキツネから尻尾を取り上げてしまいました。

 片方のキツネは九つの尾に、もう片方のキツネは七つの尾になってしまいました。

 九尾になったキツネは、誰よりも強くなった気がしました。

 それで、キツネだけでなく人間にもその力を示そうと思いました。

 あたり一帯は、真っ暗やみ。日の光がささなくなってしまいました。

 九尾のキツネは、その強大な力を使って人間をだまし始めました。

 七尾のキツネが何を言っても、九尾のキツネの心にはもはや、響きません。

 このままではいけない、七尾のキツネは覚悟を決めました。

 そして、友達だった九尾のキツネを封印しました。

 力を使い果たした七尾のキツネは、どこかへと消えてしまいました。

 今でも、九尾のキツネは、どこかに封印されたまま。

 そして、復活の機会を待ち望んでいるのです……。

♢♢

 桜坂中学校には、めずらしい学校イベントがある。

 それは毎年、今年中学一年生になった新入生の入学式から一か月後に行われる。

 その行事は、「実りの木植樹」。そう呼ばれている。

 その名前の通り、新入生が一人一本、自分の苗を選んで植えるイベント。

 植えてはい終わり、じゃない。

 毎日水をやって、しっかり育てること。それもまた、学校のルールなんだ。でも。

「え……ウソ……」

 なんとなく、いつかはそうなる気がしていた。

 だけど、本当にそうなってしまったら、やっぱりショックだ。

 一年三組、春永百花。私の名前が書かれたプレートの横にある苗木。

 その木の幹になる部分が、ぽっきり折れてしまっていた。

 まさか、そんな。

 木の一番大切な幹の部分から折れてしまうとは思ってなかったけれど。でも。

 もう、どうやってもこの木の命を伸ばすことはできないのが分かる。

 入学式の日、この木を選んだ時から覚悟はしていた。

 でも、これで私の木は。私が育ててきた木の命は本当に終わったんだ。

 もう水やりにこなくてもいい。

 大切な休み時間を木の水やりに使わなくてもいい。

人によったら喜ぶかもしれない。

 でも私にとっては違った。

「明日から、何を楽しみに学校に来たらいいのか、分かんないよ……」

 私にとってこの木は、私の心の安らぎ。

 この木の近くにいれば安心できた。この木になら、何でも話せた。

 友達を作りそびれてしまった私にとっての、たった一人の友達。

 木を友達って呼ぶのは、間違っているかもしれない。

 だけど、私にとってこの木は、それくらい大切なものだった。

 木が死んでしまったら、また私の居場所が一つ減ってしまう気がして。

 どうしようもなく、立ち直れないような気持ちになってしまったんだ。

 木の前にしゃがみこんで動けなくなっている私に声がかかった。

「あれ? キミは確か……、同じクラスの春永さんだったよね?」

 顔をあげると、にじんだ視界に一人のイケメンが映る。

「あ……、白澤くん……」

 それは同じクラスの白澤李九くんだった。

 白澤くんはクラスで大人気の男の子だ。

 同じクラスとはいえ、スクールカーストでいれば、最下層の私。

 そんな私みたいな人間の名前まで覚えていてくれるのが、おどろきだけれど。

 白澤くんは、誰にでも優しくて、いつも笑顔だ。

 だから、王子様みたいって女子にいつも囲まれてるんだ。

 白澤くんは、ごく自然に私のとなりにかがむと笑いかけてくる。

「どうしたの、こんなところで」

 そう言いながら、彼は私の視線の先の木に気づく。

「……あ、キミの木、折れちゃってるね……」

「そうなの」

 白澤くんは、私の顔をのぞきこんで言う。

「春永さん、毎日水やりに来てたのに……残念だね」

「え……」

 白澤くん、知ってたんだ。私が、毎日水やりに来ていたこと。

「知ってるよ、キミががんばってたことは」

 白澤くんは、立ち上がって私に向かってにっこり笑いかけてくる。

「他の人の木にまで、水をやってあげて、本当に優しい人だなって思っていたんだよ」

 そんなところまで……。

「それにキミは、わざわざ、残っていた木の中でも一番弱っていたこの木を選んで育てようとした。誰にでもできることじゃないと思うよ」

 そう白澤くんのいう通り、最初から、この木は元気じゃなかった。

 でもそんな木を選んだのには理由があったんだ。

 ♢♢

 あの日。苗木がおかれたプランター。そこにたくさんの人が集まっていた。

 自分の育てる苗木を選ぶんだから、気に入ったものを見つけたい。

 みんな、押し合いへしあいしながら、苗木を選んでいた。

 一本を上から下からななめから、とあちこちの角度から見つめる子。

 何本もの苗木を両手に持って、しんちょうに選ぶ子。

 友達と一緒にわいわいはしゃぎながら選ぶ子。

 そんなみんなの様子を、私は後ろからながめていた。

 もみくちゃになってまで、選ばなくてもいい。

 みんなが選び終わってから、ゆっくり選ぼう、そう思っていたから。

 自分の育てる苗木を選んだ人たちは、今度は木を植える場所を決める。

 苗木を選び終わった人たちが少しずつ、プランターからはなれ始める。

 人だかりに、すきまができ始めた。

 そこでようやく私は前へと踏み出した。

 プランターにぎっしり並んでいた苗木は今はもう、数本になっていた。

 その数本を一本ずつながめて私は、小さくため息をついた。

 どの木も、何かしらの問題を抱えていて無事なものがなかったから。

 どこかの枝が折れてしまっていたり。

 ちぎれた根っこが土からのぞいていたり。

 木の軸がななめになって土におぼれてるみたいなものだったり。

 そんな感じのものしか残っていない。

 その中でも一番ひどいものがあった。

 ついている葉っぱは、虫くいだらけで穴だらけ。

 しかも緑の葉っぱより茶色の葉っぱばかり。

 枝も下向きになっているものの方が多くて、明らかに元気がない。

 木の幹になる部分のくきも、他の木よりすっごく細くて、少し折れかけ。

 いかにも、大きくなれませんって感じ。

「あれは誰も選ばないねー」

「むしろ、なんであんなのがまじってるんだろー」

 そう言って通りすぎる人たち。

 それを聞いていたら、なんだか、悲しくなった。

「おやおや、いいものが残ってないねぇ。新しいものを明日、探してこようか」

 ただその場に立ちつくす私に声をかけてくれた人がいた。

「校長先生……」

 私の後ろに立っていたのは、狐塚校長だった。

 狐塚校長は、この桜坂中学校の校長先生で、様々なウワサがある。

 今いる生徒のおばあちゃんが通っていた時から学校にいて校長だったとか。

 卒業アルバムを見比べても、今の先生と全然変わってないとか。

 だから、年をとらないオバケなんじゃないかとか、そんなことを言われている。

 私はそんなウワサ、信じてないけどね。

 その狐塚校長が、今私の目の前で目を細めている。

 まるで、私の何かをたしかめるように。

「あ、いえ。……私は、この苗木を育てようと思います」

 そう言いながら手に取ったのは、あの苗木だった。

「しかし、その木は見たところ一番、元気がなさそうじゃが……?」

 狐塚校長が首をかしげる。

「それでもいいんです。……この木が、いいんです」

 そう言い切って、自分でもびっくりする。

 残った苗木の中でも一番、育たなさそうな木。

 一番、元気がなさそうな木。誰も選ばなさそうな木。

 そんな木をなんで私、育てようって思ったんだろう。

 でも、なんとなく、答えは分かる。

 きっとそのさびしそうな姿がなんだか、自分と重なって見えたから。

 中学生になって、クラスに友達を作ることができなかった私。

 休み時間になると、机に顔をおしつけて、ねたフリをするしかない私。

 終わりのホームルームが終わると、誰よりも早く、教室をとびだして。

 一刻も早く家に帰りたいと願っている私。

 今の自分を木の絵で表してくださいって言われたら、まさにこの木になる。

 何十本もあった苗木の中で一番自信がなくて、一番元気のない、この木に。

 思わず地面を見る私に、狐塚校長の声が落ちてくる。

「なぜわしが、この『実りの木植樹』を始めたかの話を聞いていたかね?」

「はい」

 つい数十分前。入学式の中で、校長先生が話していた内容を思い出す。

『わしは、人生とは木を育てることと似ていると思うのじゃ』

 狐塚校長は、そう話し始めた。

『何かに取り組むことは、とても大変じゃ。手間と時間がかかる』

 その言葉に、前の列の何人かの生徒がうなずくのが見えた。

『けれども毎日こなしていると、ある時気づく。成長している自分に』

 そう言って、校長は手に持っていた苗木をかかげてみせた。

『選んだ苗木を自分だと思いなさい』

 体育館にざわめきが広がる。

『木が成長したら、自分をほめなさい。木が枯れそうなら、自分を大事にしなさい。そうしておれば、木は大きく育つじゃろう』

 そう、校長は言っていた。

「先生は、木を自分だと思って大切に育てなさい、そうおっしゃってました」

「そう。木を育てることは、自分自身に向き合い、自分の人生を育てることじゃ」

 校長は目を細める。

「木を大切に想う気持ちが、あの桜の木に届くからのぉ」

 校長はそう言って、少しはなれた場所にある一本の大きな桜の木を見上げた。

 この桜の木もまた、たくさんのウワサがある。

 この桜坂中学校ができた時から植わっていたって言われていたり。

 誰もこの桜の木が花を咲かせているところを見たところがないって言われてる。

 ちなみに今もまだ、桜は咲いていないしつぼみもついていない。

 でもなんで、私たちの育てる木と、あの桜の木が関係あるんだろう……?

「あの桜の木はのぉ、春だから咲くのではないのじゃよ」

「では、どういう時に咲くんでしょう?」

 私の問いに、校長は笑う。

「知りたいかね? それはのぉ……」

 そう言ってから、ウインク。

「それはまだ、内緒じゃ。今はまだ、な」

 その時の校長は、どこか楽しげな表情だった。

 まるでそのうち分かるよ、そう言っているようだった。

♢♢

「でもさ、本当は少し、安心したんじゃない?」

 白澤くんにそう言われてはっと我に返る。

彼は言葉を続ける。

「真面目なキミのことだからさ、こうならなかったらずっと水やりをがんばり続けてたと思うんだよね。それが楽しいってわけでもないのにさ」

「私は……」

 別にやらなきゃいけないことだったからやり続けてたわけじゃない。

 そう言い返そうとして、言葉につまる。

 確かに今でこそ、この木は私にとって大切な存在だった。

 だけど、白澤くんが言っていたことも当たってる。

 毎日学校を休むことなく通って。

 宿題はどんなことがあっても絶対やって。

 前日の夜に準備をするから忘れ物をしたこともない。

 真面目だけが取り柄で、それを取り上げたら私には、何も残らない。

 この木に欠かさず水をやっていたのも、そうしなさいって言われてたから。

 宿題と同じように「しなければならないこと」って考えてたのかも?

 なんだか、そう思い始めている自分もいるけれど。でも……。

「確かに、元々は義務で世話をしてた。でも今は違うの」

 私の言葉に、白澤くんの笑顔がくずれた気がした。

「最近は水やり、楽しくなってきてたんだ」

「そうなの?」

 変わってるねぇ、白澤くんがつぶやく。

「毎日こうやってここにきて、水をやるのが楽しみになってたの」

 だから、と言葉を続ける。

「だから今は友達をなくしたような気分」

 その時。白澤くんではない視線を感じて振り向いた。

 こちらを見つめていたのは、同じクラスの黒橋くんだった。

 いや、見つめているっていうよりは……、にらんでる……?

「そうなんだ。またお話聞かせてよ」

 黒橋くんの視線を感じたからなのか、そうじゃないかは分からない。

 だけど、白澤くんはそう言って歩き出した。

「ありがとう」

 彼の背中に声をかけると、彼は振り向かずに手だけ振ってくれた。

「気に入らねぇ。……アイツと、何話してたんだ?」

「うわああぁぁっ!?」

 ものすごく近いきょりに、白澤くんとは別の、イケメンの顔がある。

「黒橋くんっ!? 近い近いはなれてはなれてっ!!」

「なんだよ、不満かよ? さっき白澤のヤツにはデレデレしてたくせに」

「してないよっ! だから近いって!!!」

 ぎゅむぎゅむと黒橋くんを手で押しやる。

 黒橋七凪くんは、中学生になって初めてできた友達(だと思ってる)。

 正確には、「水やり友達」。

 彼も私と同じく、毎日自分の木に水やりをしに来ているんだ。

 それで少しずつ、話をするようになったっていうだけ。

 でもこれを他のクラスメートの女子たちが知ったら大変。

 黒橋くんも白澤くんと同じくらい、女子に大人気なんだ。

 もし黒橋くんが水やりを毎日やってるって知ったら。

 朝休みなのか昼休みなのか調べて、それが分かったら。

 たくさんの女子たちが、水やりをしに来るようになっちゃうよね。

 そうしたら、この静かな私の居場所がなくなっちゃう。絶対ヒミツにしなきゃ。

 黒橋くんは、白澤くんと違って、ほとんど人と話さない。

 休み時間はいつも本を読んでいて、特に友達はいない……ような気がする。

 だから私は勝手に、黒橋くんに親近感を感じちゃっているんだけれど……。

 黒橋くんが、白澤くんと話してた私を気にしてるのが、ちょっとうれしい。

 それって、黒橋くんにとっても私は、友達ってことなのかもしれないから。

「あ……? お前の木、元気ねぇじゃん」

 黒橋くんが言って、私の木の前にかがむ。

「そうなの。もうこの木、ダメかな……」

 黒橋くんは、私の木の枝をさわったりしながら、言う。

「……ダメなこと、ないんじゃね? お前があきらめないならな」

「え……」

 黒橋くんは私の目をまっすぐ見上げて言った。

「春永は、どうしたい? 答えによっては……考える」

 考える……? 一体何を……?

 そう思ったけれど、黒橋くんの表情があまりにも真剣で。

 自分の気持ちをありのまま伝えよう、そう思ったんだ。

「私は……、この場所で過ごす時間が好きだし、黒橋くんと一緒に水やりするのも、好き。だから……、この木と一緒にいたい。このままダメになっちゃったとしても、変わらずにこの場所で、水やりを続けたい」

 そう一息に言ってから、後悔する。

私、何言ってるんだろ。

 木が枯れちゃったら、水やりする必要なんてないのに。

 それなのに、変わらずこの場所に来て水やりをしたいなんて、変だよね。

 でも、黒橋くんは私の言った言葉を笑ったりしなかった。

 相変わらず、真剣な表情を浮かべたままだ。

 しばらく、黒橋くんはその表情のまま、だまっていた。

 数分後、彼は一言だけ私に投げかけた。

「……分かった。少し時間くれ」

 そう言うと、黒橋くんは立ち上がって、どこかに去って行った。

 私はあぜんとして、黒橋くんの背中を見送る。

 黒橋くんの言葉を理解しようとして、たくさんのハテナマークが浮かぶ。

 今、『少し時間をくれ』って言ったよね?

 私の時間なら、いくらでもあげるけれども。

 時間があれば、何か解決するのかな。

 それに。それにこっちの方が重要だけど。

 なんか、私が告白したみたいな答え方だったけれど……?

「私ただ、この木の話、しただけだよね……?」

 あとには命が消えかかった木と、私だけが残された。

♢♢

 次の日の朝。学校へ着くといつも通り、自分の木のところへ向かう。

 昨日のあの感じだと、もしかしたらもう、自分の木はないかもしれない。

 おそうじの人に、片付けられちゃったかもしれない。

 それでも、いつものように木のある場所に向かわずにはいられなかった。

 それが日課だったし、そうしなきゃいけない気がしたから。

 もう私の木はないかもしれないけれど。

 ちゃんとこの目で確認するまでは、あきらめきれない。

 そんなことを思いながら、歩いていると。

 自分の木の前に誰かがいるのが目に入った。

 思わず大きな桜の木の後ろにかくれつつ、小さく息をつく。

 よかった、木はまだ、元の場所にある。

 元気になったりとかは、してないけれど。

 でも変わらずにそこに、私の木は存在していた。

 それがなんだか、うれしかった。

 木のかげから、自分の木の方を見る。

 私の木の前に座り込んでいたのは、黒橋くんだった。

「黒橋くん、私の木の前に立ってどうしたんだろ……」

 思い出されるのは、昨日の黒橋くんとの会話。

『……分かった。少し時間をくれ』

 そう言った黒橋くん。

 時間があれば、私の木をどうにかできるのか疑問だったけれど。

 その答えが今、分かるのかもしれない。

「黒橋くん、一体どうするつもりなの……?」

 黒橋くんは、一度周りを見回した。それから大きく息を吸う。

 そして私の木の枝に触れる。口の動きで、何か話しているのは聞こえる。

 だけど言葉自体は、はなれすぎていて聞こえない。

 そんな中少しずつ、黒橋くんが触れている、折れた木の幹が光り始めた。

「木が……、私の木が……光ってる……」

 木が光るのも、信じられないことだけれど。

 もっと不思議なことが怒ったんだ。

 そしてその光の中で、折れた木の幹同士がくっつき始めるのが見えたんだ。

 その時、ひらりと上から何かが落ちてきた。

 手のひらにのせて、確かめてみる。

「え……、これって……」

 それは、ピンク色の小さな花びら。

 花に詳しくない私でも分かる。これは……。

「桜の花びら……?」

 声に出してから、ありえないと思った。

 だってこの学校には、桜の木は一本しかない。

 しかもその木は……。

 思わず、今自分が身をかくしている木を見上げた。

「え……」

 昨日まで、つぼみもついていなかったこの学校唯一の桜の木。

 誰も花を咲かせているのを見たことがないと言われている木。

 その桜の木が今、満開の桜の花を咲かせている。

 おかしい。だってさっき、この木にかくれた時には。

 桜なんて咲いてなかったはず……。

「一体どういうこと……?」

 そう思わずつぶやいたときだった。

 桜の木が大きく光ったかと思ったら。

 次の瞬間には元通り、花もつぼみもない、いつもの木の姿に戻ってしまった。

 私が今見たものは、まぼろし……?

 私、つかれて変なものでも見ちゃったのかな。

 そんなことを考えながら、黒橋くんの方に目を向けて、思わず目をこする。

 さっきまで、幹が折れてむざんな姿だった私の木。それが。

 それが、入学式の日よりももっとずっと元気な姿になっていた。

 枝は上へと向いて、幹も折れていたのがうそのように元通り。

 それになんだか、前より幹が太くなっている気までする。

 だけど……。

「黒橋くん……っ!?」

 木のそばに座っていた黒橋くんの様子が、おかしい。

 肩がいそがしく上下していて、なんだか苦しそう。

 走っていくと、彼が地面に手をついてつぶやくのが聞こえた。

「やっぱりか……」

「黒橋くん、大丈夫……!?」

 かけよってきた私の声に、黒橋くんが私を見上げ、大きく目を見開いた。

「……っ! 春永、お前……っ」

 そのとたん、黒橋くんが黒く大きな光に包まれた。

「黒橋くん!?」

 思わず彼に手を伸ばす。彼に何が起きたかは分からない。

 でも助けないと……!

 そう思って光の中に手をつっこむと、何やらやわらかい感触。

 ふわふわで、もっふもふ。まるでぬいぐるみを触ってるみたい。

 ……いやいやおかしいよ、なんで黒橋くんがもふもふしてるの……?

 感しょくをたしかめるために、何度もにぎったり、はなしたりしてみる。

 すると。

「おい春永、そこはオレの尻尾だ。つかむな」

 光の中から黒橋くんの声がして、一安心。……え、尻尾……?

 光がおさまって現れたのは……、一匹の黒い生き物だった。

 でも、黒橋くんじゃない。

 大きくてふっさふさの尻尾に、ぴんと立った耳。細くとんがった顔。

 それはまるで……。

「キツネ……?」

「きゅ、きゅううー?」

 黒いキツネが首をかしげる。

「黒橋くん、どこに行っちゃったの!?」

「きゅううー」

 尻尾をつかんだまま、私はあたりを見回すけれど、人の姿はない。

 あ、でも待って。さっき黒橋くん言ってた。

『オレの尻尾をつかむな』

 つまり、つまり……。

 普通なら、こんなこと、信じない。

 でも、あたりに黒橋くんの姿はない。

 だとしたら……。だとしたら……。

「キツネくん、キツネくん」

 相変わらず尻尾をつかんだままで、私はキツネに問いかける。

「きゅー」

 キツネが私の方を見る。

「キミは、黒橋くんだよね?」

「きゅ、きゅううう?」

 キツネが一瞬、やべっという感じの表情をした気がした。

「絶対ぜーったい、黒橋くんだよね!?」

「きゅ、きゅううー!」

 違う違う、違います! みたいな感じで返事をするキツネ。

「大体ねぇ、私の言葉にちゃんと返事をするのが、怪しいのよ!」

 私に言われて、キツネが今度は、しまったという感じの顔をする。

 いや、キツネの表情だから、分からないけれども。そういう気がするだけ。

「おやおや、バレてしまったようじゃのお……」

 後ろから、笑い声が聞こえてくる。振り返るとそこには……。

「おいジジィ! いたなら助けろよな!?」

 そこに立っていたのは、にこにこ顔の狐塚校長だった。

 あ、そういえば今このキツネ、日本語しゃべったよね……?

 しかも今、校長に対してジジィって言わなかった……?

「春永さん、そのキツネをはなしてやっておくれ。秘密を教えてやろう」

 そう言われて、思わずにぎっていた尻尾をはなす。

 キツネは一瞬ダッシュで逃げようとした。

けれど、狐塚校長がキツネにむかって話しかける。

「こら、逃げるんじゃない」

狐塚校長に言われてキツネはぺたん、と地面に座った。

やっぱりこのキツネ、日本語が分かるみたい。

「お前さんの言う通り、そのキツネの正体は、黒橋七凪本人じゃ」

「お、おいジジィ……」

 キツネが黒橋くんの声で言う。

「七凪、ジジィと呼ぶなと言っておるだろう。おじいちゃんと呼べ」

 狐塚校長の言葉を一瞬、私は理解できなかった。

「おじいちゃん!?」

「そう、わしは七凪の祖父なんじゃ。あ、内緒で頼むぞ」

 そうにこやかに、狐塚校長は言う。

「さて秘密の話に戻るが。……実は七凪もわしも、キツネなのじゃ」

「キツネって、あのキツネですか?」

「そう。今目の前におる、もふもふの毛をした動物の、キツネじゃ」

 何でもないことのように、狐塚校長が答える。

 いやいや! 普通のことじゃないよね!?

 キツネが二本足で立って人間の姿になって生活してるってことだよね!?

 それって、昔話だけの話じゃないの!?

 はいそうですかってここは、納得しとくべきなのかな……?

「二人は人間じゃなくって、キツネってことですか」

「そうじゃ。……この地に伝わる伝説のことは知っておるか?」

 狐塚校長の言葉に、私はうなずく。

「二匹の黒と白のキツネの話ですよね?」 

「そうじゃ」

 二匹のキツネの話は、この地域では有名な伝説だ。

 小学生の時、社会科の授業でこの地方の伝説をまとめる授業があって。

 その時に勉強したから、よく覚えてる。

 九尾のキツネにあこがれた黒色と白色のキツネの話。

 白色のキツネが九つの尻尾を集め、人間に悪さをし始め、封印されるんだよね。

 でもなんで今、その話が出てくるの……?

「わしらは、あの伝説に出てくる黒いキツネの親せきでな。この地に封印した白い九尾のキツネが復活しないよう、見張るのが仕事じゃ」

「じゃああの伝説は……」

「そう、つくり話などではない。本当にこの地で起きたことなのじゃ」

「あの桜の木の下に、九尾のキツネの魂は封印されてる」

 キツネ黒橋くんが、大きな桜の木の下を指さす。

「ええ!? こんなところに!?」

 私がびっくりしているとキツネ黒橋くんが言葉を続ける。

「そう、ここがあの伝説の始まりの地で、終わりの地なのじゃ」

 狐塚校長がうなずく。

「九尾のキツネは、人間のマイナスの感情が大好物なんだ」

「マイナスの感情……?」

「うらみ、ねたみ。つらい、悲しい。いやだ。そういった感情のことじゃな」

 狐塚校長が言う。

「そういった感情を持つ者のところに、九尾のキツネの使者が現れ、悩みを解決する道具を渡すのじゃ」

「その道具のことを、妖具と呼んでる」

「ようぐ……」

「妖具をもらった人間は、その悩みは解決できるかもしれねぇ。でも、またマイナスの感情を抱いたり、妖具を使うたび、エネルギーが九尾のキツネにもたらされる」

「そうすると九尾のキツネが復活する力を得て、桜の木から出てきてしまうのじゃ」

「そんなことになったら大変じゃないですか」

「そのために、わしらがおる。しかし、わしらだけではだめじゃ」

 狐塚校長先生が私を見る。

「九尾のキツネとその使者に対抗するには、人間の協力者が必要じゃ」

「おいジジィ、まさか……」

 キツネ黒橋くんがびっくりした顔をする。

「春永百花さん。桜守として、わしらに力を貸してくれ」

「うそだろジジィ! 春永が桜守!?」

「あ、あの……、さくらもりってなんでしょう……」

 私の問いに、キツネ黒橋くんが勢いこんで言う。

「桜守っていうのは、この地域を守るこの桜の木を守る役目の人間のことだ」

「新入生が植えた木。あれは、その人その人の心を表すのじゃ」

 狐塚校長は、私の木に触れる。

「たとえば心が傷ついたとき。自分の木もまた、元気がなくなる。うれしい時、この木もまた、たくさんの葉をつけ、花を咲かせるのじゃ」

「木を見ればその人の状態が分かるってこと」

 キツネ黒橋くんの言葉に、納得する。

 狐塚校長が言っていた『木を自分だと思って育てなさい』ってその言葉通りだったんだ。

 木を大切に育てていれば、自分のことも大事にしているってことだもんね。

「九尾のキツネの使者も、木を見て行動してくる。弱った人間に妖具を渡すはずだ」

 狐塚校長は、私に向き直る。

「お前さんには、妖具の持ち主に会って妖具の破壊をお願いしたいのじゃ。大丈夫、何かあれば七凪が守ってくれるはずじゃ」

 キツネ黒橋くんが顔をしかめる。

「でもなんで、春永が桜守なんだよ」

「おや七凪、気づいておらんかったのか」

 狐塚校長がくすくすと笑う。

「春永さんの木をお前さんが治そうとしたとき、桜の木が力を貸した。そしてその様子を春永さん自身が目撃したのじゃ」

「春永……、お前、あの桜の木に花が咲いたのを見たのか!?」

 キツネ黒橋くんが大きく目を見開いた。

「あ、えっと……。見間違いだと思うけど、一瞬だけ、満開の桜が見えた……かも」

「それは見間違いではない、確かに見たのじゃよ」

 狐塚校長は言う。

「あの木が満開の桜を咲かせるのを見た者こそ、あの桜の木に選ばれた証、桜守の資格を持つものなのじゃ」

 そこで言葉を切り、狐塚校長は私の目をまっすぐに見つめた。

「わしらはキツネじゃからのう、人間が抱く気持ちすべてを理解することはできん。だからこそ、お前さんの力が必要なのじゃ。協力してくれるかの?」

 人と話すのが苦手で、ただ真面目に生きるしか取り柄がない私。

 そんな私に、他の人の気持ちなんて理解できるのかな。

 でも、もし狐塚校長の言う通り、私があの桜の木に選んでもらえたのなら。

 やってみたい、そう思えたんだ。

 桜守として、人と話すようになれば。

 自分は誰かに必要とされてるって思えるかもしれない。

 学校にも、この木だけじゃなくて他にも、居場所ができるかもしれない。

 そんな可能性が少しでもあるのなら、やってみるしかない。

「やってみます」

「よくぞ言ってくれた」

 狐塚校長は言って、私に何かを差し出した。それは、ノートだった。

 表紙に、大きな桜の木のイラストが描かれている。

 まるで、あの場所にある桜の木が満開になった時のような、そんな絵。

 ずーっと見ていられるほど、美しいイラストだった。

「これはあの桜の木が、お前さんを桜守に選んだ証じゃの」

 プレゼントともいう、と狐塚校長は続ける。

「桜守に選ばれた人間は、妖具に触れると妖具と持ち主にこの先、どんな運命が待ち受けるかを知ることができるのじゃ」

「オレの予想だけど」

キツネ黒橋くんが、ノートをのぞきこみながら言う。

「このノートにその結末、未来を書いて、持ち主に読ませるんじゃねぇかと思う」

「ノートに、私が見た妖具とその持ち主の未来を書いて、見せる……」

「お前、授業中に小説書いてるんだろ。だったら、物語仕立てにして、読ませるのが分かりやすくていいんじゃねぇか」

「え、あ、でも私、人に自分が書いた小説、読んでもらったことないよ!?」

 そう、黒橋くんには打ち明けた、私の秘密。

 それは、私は本を読むのが好きなだけじゃなくって、自分でも物語を書くこと!

 物語を書いているとき、別の自分になった気分になる。

 物語を書いているときは、素直に自分の気持ちを伝えられる。

 言葉に出して自分の気持ちを伝えることは下手だけど。

 文章で今思ってること、伝えたいことを表現することは、その何倍も得意で。

 いつでもコミュニケーションを文章でとることができたら、と思う。

「ま、妖具の破壊方法は、お前に任せるからまた考えてみてくれ」

 キツネ黒橋くんはそう言うと、言葉を続ける。

「オレたちの仕事は、大きく分けて四つある」

「あ、ちょっと待って。メモするから」

 もらったノートをかばんにしまって別のノートを取り出す。

 キツネ黒橋くんは小さな体から、大きなため息をはく。

「そんな大したことじゃねぇぞ」

「いいの。ちゃんとメモしとかないと不安なだけだから」

 誰かが教えてくれた。

 覚えた時間と忘れるまでの時間には、ルールがあって。

 覚えるまでにかけた時間が長いほど、忘れるまでの時間が長くなるんだって。

 私はすぐ忘れがちだから、なんでもメモするようにしているんだ。

 そうすれば、メモしたノートさえ見直せば、また思い出すことができるから。

 私がノートを開いたのを確認して、彼は言葉を続ける。

「一つ。生徒たちの木が枯れたりしないよう見守る」

「これは毎日水やりをしに来ていれば分かるよね」

「二つ。弱っている木があれば、その持ち主に接触する」

「その木の持ち主の人に会うってこと……?」

 私の言葉に、キツネ黒橋くんがうなずく。

「実際に会って話をしてみないと、そいつがどんな悩みを持っていて、どんな妖具を手に入れるか分からねぇからな」

 少し不安。それって、話したことのない人と会って話をするってことだよね?

 私にとっては、かんたんなことじゃない。

 狐塚校長は私の顔を見て言う。

「ちなみに、七凪も人と話すのは苦手じゃ」

「余計なことを教えるなよ」

 キツネ黒橋くんがぷうっと両方のほおをふくらませる。ちょっとだけかわいい。

「三つ。妖具を発見したら、それを破壊する。四つ。桜の木を使って木を修復する」

 キツネ黒橋くんの言葉を、私はノートに書き写す。

「どれもオレ一人じゃできねぇ。すでに、九尾のキツネの使者は動きだしてる」

「そうなの!?」

「そう。七凪がこの学校にいるのがその証拠じゃ。九尾のキツネの使者が現れた時のみ、黒キツネ一族から一人、中学校に派遣されるように決まっているのでな」

「入学式の日、オレの派遣が決まったんだ。だから、九尾のキツネの使者も、入学式の日に、生徒の姿になってまぎれこんだはずだ」

「そして今日、春永が桜守に選出された。おそらく使者はもう、誰かに妖具を渡したってことになる」

 それってもう、戦いは始まってるってこと……!?

 私まだ、何をすればいいかすら、よく分かってない状況なのに!

しかも、私と黒橋くん、両方が苦手とすることは。

どちらも、人と話すことが苦手だってこと。

でも、苦手でもやらないと、桜守の仕事はこなせない。

不安ではある。でも……。

「私と黒橋くんは選ばれた人ってことだからきっと大丈夫だよね!」

 私の言葉に、キツネ黒橋くんが首をかしげる。

「選ばれた? ……オレが?」

「だって黒キツネ一族から派遣されたって今、狐塚校長、言ってたじゃん」

 私の言葉に、狐塚校長はうなずく。

「何人かいた人たちの中で、黒橋くんが中学校に来たってことは、黒橋くんが一番、この仕事に向いてるって思われたからでしょ?」

「それは……」

 キツネ黒橋くんは、なんとも言えない顔をしている。

 選ばれたこと、あんまりうれしくなかったのかな……?

「その通りじゃ」

 答えないキツネ黒橋くんの代わりに、狐塚校長が答える。

「今回、七凪が派遣されたのも、春永さんが桜守に選ばれたのも、運命じゃ。二人ならやりとげられると、桜の木が選んだのじゃ。しっかり頼むぞ」

「……ま、仕事はきっちりこなすさ」

 そう言って、キツネ黒橋くんは鼻でくんくんとにおいをかぐ。

「え、何してるの黒橋くん」

「仕事。この姿の方が、色々見つけやすいんだよな……。例えば、弱った木とか」

 キツネ黒橋くんは、においをかぎつつ動き始める。

「ちなみに一度キツネとしての力を使うと、七凪はキツネの姿に戻ってしまう」

「人間の姿を保つのも、割とエネルギー使うんだよな。人間の姿には三十分もあれば戻れるけど、木を修復したりする力は、一日に一度しか使えない」

「それじゃ、一日に助けられる人数は一人だけってことだね」

「そういうことになるな。そしてそれは、向こうも多分同じだ」

「九尾のキツネの使者のこと?」

「そう。誰が人間に化けてるのかは知らねぇが、なにせ妖具を作るのにもエネルギーがいる。だからおそらく、あっちも一日一度しか力は使えねえはずだ」

 私たちだって、普通の中学生だ。

だから、桜守の仕事だけしているわけにはいかない。

登校して、授業を受けて。中学校生活を送りながら、妖具を持つ人に近づいて破壊して。

 そして弱った木を修復する、なんてこと、そう何人分も対処できないよね。

 相手だって同じ。中学生のフリをして学校にまぎれこんでいるんだから。

 だとしたら相手も中学校生活をしながら、妖具を作ってわたすことになる。

 そりゃあ、一日一つしか作れないよね。

 いっぱい作れたとしても、弱っている相手にしか渡せないんだとしたら。

 そんなに毎日、弱っている人を見つけて声をかけるのは大変だもん。

「あ、でもそれじゃ、今日はもう、誰かを助けられないってことだよね?」

 黒橋くんはさっき、枯れかけだった私の木を修復した。

 それって、もう力を使ってしまったってことだよね?

 でも今日、もし九尾の使者が妖具を誰かに渡してしまっていたら。

 その人の木を修復する力は、もう黒橋くんに残ってないんじゃないの?

 もし今から妖具をもらった人を見つけたとしても。

 今日はもう、その人の木を修復することはできないってことになる。

「いや、今回は例外じゃの」

 狐塚校長が桜の木を見上げて言う。

「七凪のキツネとしての力、妖力は、そこの桜の木から得ておる」

「今日オレが力を使うまで、この木はずっと力を貯めていた。だからまぁ、もう一回は使えるんじゃねぇかな」

「それなら安心だけど……」

 相変わらずにおいをくんくんとかいでいるキツネ黒橋くん。

 突然、ぽん、と空気がぬけるような音がした。

 その音と同時に、キツネ黒橋くんが消えて、人間姿の黒橋くんが現れた。

「急に戻られると、どの木が弱ってたか分かんねぇ……」

 頭を抱える黒橋くん。

「あ、でも黒橋くん、さっきこの木の前で止まってたよ?」

 私が一本の木の前で立ち止まると、その隣に黒橋くんもやってくる。

「……あー、これだこれ! よく見てたな春永」

 にやっと笑う黒橋くん。お、おう、笑顔がまぶしい。直視ができない。

「どれどれ名前は……っと。『睦月大成』だって。お前、知ってる?」

 木の横に立ててあるプレートに書かれた名前を呼んで、顔をしかめる黒橋くん。

 私はびっくりして、黒橋くんに私の顔を指さす。

「え、黒橋くん。私の名前って覚えてるよね?」

「はぁ? お前の名前は、春永百花だろ」

「フルネームで覚えてくれて、ありがとう」

「何で今更聞いたんだよ?」

「だって、睦月くんの名前、知らなさそうな感じだったから……」

 私の言葉に、黒橋くんはうなずく。

「ああ、覚えがねぇ」

「同じクラスなのに?」

「あれ、同じクラスだっけ?」

 ……私の名前を覚えてくれてたのがむしろ、めずらしいパターンだったのかな。

 私が思わず首をひねると、黒橋くんが不思議そうな顔をして言った。

「オレ、人の名前を覚えるの苦手なんだよな。お前の名前は、毎日木に水をやりに来てるから、プレート見て覚えただけだぜ?」

「ああ、そういうことね……」

 私が黒橋くんのことを、水やり友達として覚えていたことと同じように。

 黒橋くんもまた、私のことを気にしていてくれたんだね。

 なんだかちょっとうれしい。

「睦月くんって言ったら、いつでも『二番手くん』ってからかわれてる男の子だよ」

 私にそう言われて、黒橋くんがぽん、と手を打った。

「ああ、春永に言われて思い出した。アイツか。アイツが睦月か」

「顔、思い出した?」

「ああ。いっつも、あの、一番手のヤツに、バカにされてるヤツだろ?」

「一番手は、如月くんね」

「ああ、そいつそいつ!!!」

 黒橋くんが納得したように、また手をたたく。

 本当に、黒橋くんは名前と顔が一致してないみたい。

 これじゃあ確かに、一人では誰かを助けるのは難しそうだね。

 私も人に話しかけることは苦手。

 だけど、クラスメートの顔と名前くらいは、覚えてる。

「同じクラスなら、話は早い。早速教室に戻ろうぜ!」

 黒橋くんが歩き出す。

「あ、ちょっと待ってよ!」

「春永さん」

 私も追いかけようとした時、狐塚校長に呼び止められた。

「七凪はまだ、キツネとしても人間としても未熟だ。色々と迷惑をかけると思うが、よろしく頼むよ」

 狐塚校長、孫である黒橋くんのことが、心配なんだね。

私はうなずく。

「私だって全然、まだまだ分からないことだらけですし! それにせっかく桜の木に選んでもらったわけですから、責任を持ってがんばります!」

 それだけ狐塚校長に言うと、黒橋くんを追いかけて私も教室に向かった。

♢♢

 教室に着くと、なんだかいつもよりさわがしい。

 いや、毎日さわがしいんだけど、何かが違う……ような……?

 教室に入るとざわめきの中心に、睦月くんと黒橋くんがいた。

 その瞬間、私には何が起きたか、大体分かった。分かりたくはないけど。

「だ~かぁ~らぁ! お前に相談する悩みなんてないってっ!」

「いや、絶対お前には悩みがあるはずだ!」

 ビシィって指さしてるけれども黒橋くん、それ、なんか睦月くんが犯人みたいになるって。

 やっぱり私の予想は的中してしまったんだ。

「黒橋くん、ストーップ!!」

 私はそう言って、黒橋くんを教室外へ追い出す。

 そして、睦月くんに向かって言う。

「ごめんね睦月くん。黒橋くん、最近探偵アニメにはまったみたいで……」

 え、そうなんだぁと教室にいる女子たちが別の意味でざわめく。

「気にするなよ。突然話しかけられて、ちょっとびっくりしただけだから」

 睦月くんは笑って許してくれる。まぁ私があやまるのも、変なんだけどね?

 それから、教室の外へ出る。

 そして、教室外で待っている黒橋くんにこっそり言う。

「あのね黒橋くん。悩みっていうのは、あんまり人に教えないものなの」

「そうなのか?」

「そもそも話したことがない人に、話す人の方が珍しいものなの」

「あー……」

 なんとなく、黒橋くんは分かってくれたみたい。

「だからいきなり、『悩みはあるか』とか聞いたって『ない』って言われるのが当たり前なんだよ」

「なるほど、それで教えてくれなかったってわけか」

 ……やっぱり。

 黒橋くんは私より先に教室に戻って。

 あんまり話したこともない睦月くんにいきなり、向かっていって。

 それでたずねたんだ。『悩みごとあるか』って。

 そして、『悩みがあるはず』『ないよ』と言いあいになってたんだ。

「あとね、他に人がいる前で、悩みがあるか大声で聞くのも、だめだよ」

「大声で聞いたつもりはねぇけど……。オレが話しかけたら女子たちが気にしてた」

「あー……」

 黒橋くんの言葉に、今度は私が納得する。

 そっか。黒橋くんは、白澤くんと同じく女子たちにとって、あこがれの存在。

 黒橋くんは今まで、自分から誰かに話しかけに行っているイメージはない。

 だから、余計に女子たちの注目の的になってしまったんだね。

 誰かに話しかけに行ったりしない黒橋くんが、誰かに話しかけに行った。

 どんな話をしに行ったのか、気にしないわけがない。

 これが多分、白澤くんだったらこうはなってないんだろうな。

 いつでも色んな人に声をかけて、自分から話しかけに行くような人だもん。

「黒橋くんは今まで、自分から誰かに話しかけに行ってないから……」

「急に行ったら、おかしいのか?」

「そうじゃなくって、女子たちが気にしちゃうってこと」

「さっぱり分からん」

 首をかしげる黒橋くん。

「黒橋くんはね、女子の注目の的なの。だから、黒橋くんがいつもと違う行動をしたら、気になって仕方がないっていうか……」

「そういうものなのか」

 黒橋くんがうなる。

「キツネ一族の中では黒橋くん、女子たちからちやほやされなかったの?」

 私の言葉に、黒橋くんはいやそうな顔をした。

「オレなんかが気にされるわけないじゃん」

「え、だって黒橋くん、顔がいいし……」

「あのな」

 黒橋くんがずずいっと私の目の前まで顔を寄せてくる。

 うわあああ、イケメンの顔が! すぐ近くに!

「キツネの一族は大体、女も男も美形ぞろいだ! 好かれる基準は、妖力が強いかどうか、それだけだ」

「そうなんだ……」

 黒橋くんがいやな顔をしたってことは、キツネ界では黒橋くん、あんまり女子に人気がなかったのかな……。

 朝のショートホームルーム開始のチャイムが鳴った。

 私たちはあわてて教室の中へと戻ったんだ。

♢♢

「さぁ今日は、予告していた小テストをやるぞ。筆箱以外、全部片づけろ」

「しまった、今日は小テスト三昧の日だった……」

 数学、英語、国語……。一日に三つも小テストが。

 一日にやる小テストの上限を誰か決めてくれないかな。

 じゃないとこうやって、一日にたくさんテストのある日が生まれちゃう。

 そして、友達がいない私は、小テストがあることすら、忘れることもある。

 ……いや、ちゃんとメモには書いてたんだけどね。そのメモを見るのを忘れたの。

「……あれ、睦月くんって、メガネつけてたっけ?」

 私のななめ前の席に座る睦月くん。その睦月くんの机の上にメガネがのっている。

 ひとりごとで言ったつもりだったんだけど。

 そのひとりごとが、どうやら睦月くんに聞こえちゃったみたい。

 睦月くんは振り返ると、ちょっと困った顔をした。

「え、あぁ……」

「睦月くんはね、そのメガネをかけると、いつもより集中できるんだって。彼にとってのジンクスみたいなものかな。メガネをかけてテストを受けるといい点が取れる、みたいな」

 後ろから声がした。振り返ると白澤くんだった。にこにこ笑っている。

 ジンクスかぁ。アレだよね、くつ下を左からはくといいことある、とか。

 人によってちがうけれど、その行動をすると、うまくいくみたいなおまじない。

 睦月くんも、そういうおまじないに、興味があったんだね。

 でも、小テストなんて今まで何度もあった。

 だけど睦月くん、今までメガネなんて持ってきてなかったような……?

 あ、メガネがないとずーっと順位が二位だから、一位になるために、持ってきたのかな。

「あぁ、なるほど……」

 私は睦月くんを見て、はげました。

「メガネをかけて今度こそ、如月くんに勝って、『万年二位くん』から卒業できるといいね」

「あ、あぁそうだな」

 睦月くんは、うなずく。

でもただうなずいたんじゃなくって。

何かを決めたようなそんな表情に私には見えたんだ……。

♢♢

 帰りのホームルーム。担任の先生が三教科分の小テストを持ってきた。

「それじゃあ、小テスト返却しまーす。……あ」

 先生はここで言葉を切ると、睦月くんを見た。

「ついにやったね睦月くん! 今日の小テスト、全部睦月くんが一位よ!」

「え、ほんとに!?」

 教室中にざわめきが広がる。

 でも教室中の誰よりも、睦月くん自身がおどろいているように見えた。

「よかったな睦月! 万年二位くんから脱出じゃん!」

 みんなから声をかけられて睦月くん、うれしそう。

「さすがオレのライバル! オレも負けてられないな!」

 如月くんまで睦月くんに声をかけている。

 でも睦月くんは、どこか浮かない顔を浮かべているように見えた。

 今までずーっと、『万年二位くん』って言われてた睦月くん。

 きっと、すっごい努力をしたんだろうと思う。

 そしてやっと、教室一位の座を手に入れた。

 うれしくないはずがない、最初は睦月くん、喜んでたんだもん。

 でも今は、なんとも言えない表情。

 じーっと、メガネを見つめて。

何かを考え込んでるみたいに見える。

 睦月くんにとって、『いい点がとれるジンクスがあるメガネ』。

 話を聞いてからずーっと思い出していた。

 睦月くんが今までにテストのときに、メガネを用意していたかどうか。

 でもやっぱり、私の思い違いじゃなければ、メガネを持ってきたのは今日が初めて。

 もしかしたら、学校では使ったことがなくって、塾とかで使ってた可能性はある。

 でもなんだろう、この気持ち。

 このまま彼が、小テストで一位を取り続けるのはよくないんじゃないか。

 そんなことを考えてしまう自分がいた。

♢♢

 放課後、私は荷物をまとめている睦月くんに声をかけた。

「睦月くん睦月くん」

「何だよ春永。お前から声をかけてくるなんてさ」

 そう言われて、はっとなる。

 そうだ。私、睦月くんと話したこと、多分一度もない。

 いやそもそもクラスメートの誰とも、親しく話してない。

 黒橋くんに、えらそうに人との話し方をアドバイスしてたけど。

 私だって人と話すの、得意じゃないんだった。

「レアキャラの黒橋や春永に話しかけてもらえて、明日はいいことあるかもしれねぇな」

 睦月くんが笑う。私と黒橋くんは、レアキャラなんだ……。

 確かに誰かに話しかけること自体、珍しいもんね。

「あ、いいことはないかもしれないけど……睦月くんのメガネ、ちょっと触らせてもらえないかな」

 私の言葉に、睦月くんが不思議そうな顔をする。

「メガネを? なんで?」

「私も、いい点、取ってみたいから……。触ったら、取れるかなって……」

 うん、これはウソじゃない。

 別に大してテスト勉強はしてないけれど。

 でもやっぱり、テストでいい点数はとってみたい。

 誰でも一度は、考えたことがあるんじゃないかな。

 私の言葉に、睦月くんが少しだけ笑う。

「何だよ。春永もそういうこと、気になるんだ」

「うん。おまじないとか、そういうの、どっちかっていうと信じるタイプだし」

「ちょっとだけだからなー」

 睦月くんは、メガネケースからメガネを取り出して、私にわたしてくれた。

「別に、かけてみてもいいぞー。本当にいい点とれるかは、知らんけど」

「えーでも、睦月くんはこれで、いい点数とれるんだよね?」

 私の言葉に、睦月くんが鼻を鳴らす。

「持ち主の点数は上がっても、別のヤツに貸したからって、そいつが点数が上がるとは限らないだろー」

 それはそうだ。私も納得する。

 睦月くんからメガネを受け取って私は言う。

「ありがとう」

 じゃあ、お言葉に甘えてっと……。

 私は睦月くんから借りたメガネをかけてみる。すると……。

 視力が合わない時に起こる、ぼんやりとした視界が広がる。

 まぁ私、視力いいからなと思っていると、視界がはっきりし始める。

 いやいや視力に合ってないメガネなら、ずーっと見えないままでしょうよ!?

 思わず心の中でツッコミを入れる。

 でもまぁ今は、そんなことより見えている景色に集中しよう。

 見えてきたのは、教室の様子。

でも、クラスメートみんながいるから、放課後の今じゃないことは分かる。

『今日もまた、睦月くんがすべてのテストで一位です』

 担任の先生がそう言っているのが見える。

 今日と同じように周りから声をかけられる睦月くん。

でも明らかにうれしそうじゃない。

 場面が移り変わって、テストを受けているときの様子に変わる。

 メガネをかけてテストに取り組む睦月くん。

 でもペンを動かす速度が、問題文を読んで解いてるスピードじゃない。

 まるで、答えを知っているかのようにすらすらと、解答欄に答えを書いている。

 また日にちが変わって、別の日も、担任の先生が小テスト一位が睦月くんだという。

 如月くんのテストの点数を見ると、98点。一問間違い。

 こぶしをにぎる如月くん。

『あんなに夜遅くまで勉強しても、勝てないのか。何かやり方間違ってんのかな』

 苦笑する如月くんの目は、くまができていて、元気がない。

 次の日、如月くんが欠席だと担任の先生が言う。

『親御さんが言うには、毎日夜遅くまで勉強していて体調を崩してしまったそうです。みんなも勉強は大切だけれど、無理はしない程度にね』

 その言葉に、睦月くんがうつむく。

『オレのせいで、如月がたおれたんだ。……オレ、何やってるんだろ』

 そう悲しそうな表情をしている睦月くんのそばには、メガネが相変わらずおかれていた。

♢♢

「春永、おい春永っ」

 睦月くんの声で、現実に引き戻される。

「あ、え、あ、ごめん」

「あんまり長い間、視力に合わないメガネはかけない方がいいぞ」

 そう言って、睦月くんが私からメガネを取り外す。

 私は確信した。睦月くんが持っているこのメガネこそが、妖具なんだって……。

 だとしたら、この妖具を壊すことが、私の仕事。

 でもどうやって……?

 その時、何かに気づいたらしい睦月くんが私に言う。

「おい春永、なんかお前の持ち物、光ってるぜ」

「え……」

「桜守としてのお前の出番だ」

 突然、、教室とろうかをつなぐドアが開いて、黒橋くんが教室に入ってくる。

「黒橋くん!?」

「黒橋!? お前、帰ったんじゃなかったのかよ」

 黒橋くんが、私の机の上からノートをとって近づいてくる。

 あ、あれは、今朝もらった桜守の証のノート!

 黒橋くんは、私たちのいるところまで来ると、睦月くんの席にノートを置いた。

 その表紙の桜の木のイラストの桜の花びらが、光っている。

 そして光っている花びらが一枚、表紙イラストの中で地面に落ちた。

 すると、まるで風でめくれたかのように、ページが勝手に開く。

 そして、ページの間から、桜色をしたペンが現れた。

 上に桜の花びらの形をしたかざりがついている。

「ここに何か書けってことなんじゃねぇの?」

 勝手に開いたノートのページを指さして、黒橋くんが言う。

 私は現れたペンに手を伸ばす。

「すげぇなこれ! まるで魔法みたいじゃん」

「お前のメガネもな」

 黒橋くんの言葉に、睦月くんが振り返る。

「オレのメガネ? 普通のメガネだけど」

「いや、違うな。オレにはそのメガネがどす黒いもやがかかって見える。……それは、誰かの願いによって作られた魔法の道具だ」

 その言葉に、ぎくっとした様子の睦月くん。

 ペンをにぎり、ノートの前に立つと、私の手が勝手に文字をノートに書きつづり始める。

 それは、物語だった。

 頭の中に、映像が浮かび上がっては消える。

 見た映像を忘れないうちに、ひたすらに文字にしていく。

私の頭の中にある物語が、勝手にどんどん形になっていく。

 それは、魔法のメガネを手に入れた、ある男の子の話だった。

♢♢

 男の子には、ライバルがいた。

 その男の子とライバルは、いつもテストの点数を競い合っていた。

 でもどんなにがんばってみても、どうしてもライバルに勝てない。

 男の子は、くやしくてくやしくて、仕方がない。

 ある日、魔法使いが彼の目の前に現れて言う。

『このメガネをかければ、あなたは問題の答えが分かるでしょう』

 男の子は、半信半疑でテストを受ける。

 最初は、自分で解いてみて、最後メガネをかけてみた。

 すると、自分では分からなかった問題の答えが分かった。

 分からなかった問題の答えをメガネによって手に入れた男の子。

 男の子は、空らんをメガネで見つけた答えで埋めた。

 メガネで知った問題の答えは、正解だった。

彼はついに、ライバルを超えて一位の座になる。

 でも、自分の力だけじゃないから素直に喜べない。

 とはいえ、これでもう、勉強しなくても一位は取れる。

 男の子は勉強することをやめ、メガネに頼るようになった。

 彼はいつでも一位を取ることができるようになったけれど、心は満たされない。

 そんな中、ライバルが体調不良で学校を休みがちになった。

 ライバルは、なんとか男の子の点数に勝とうとして、夜遅くまで勉強した。

 けれども、魔法のメガネの力を借りた男の子に勝つことはない。

 勉強しすぎて、ライバルは体調をくずしてしまったのだ。

 ライバルのいないテストで100点をとっても意味がない。

 そもそも、自分の力じゃないからうれしくもない。

 ある日、ライバルもいたテストで男の子は、メガネを外してみた。

 すると、自分の力では、まったく問題が解けなくなっていることに気づく。

 それはそうだ、メガネに任せすぎて、自分はまったく勉強しなくなっていたから。

 自分は勉強しなくても、メガネに任せておけば大丈夫。

 そう思ったら、勉強をするやる気が失われてしまったのだ。

 メガネを外した彼は、急におそろしくなった。

 男の子はメガネを外し、空白だらけのテストを提出した。

 そのテストでの一位はもちろん、ライバルだった。

「もうメガネには頼らない。今度からは、自分のがんばれる点数をとろう」

 そう思って、男の子はライバルに声をかけ、一緒に勉強するようになったとさ。

♢♢

「「「……」」」

 しばらく誰も、何も言わなかった。

「……こうなったら、いやだな」

 ぽつりと睦月くんが言った。

「如月に勝ちたい、その気持ちでがんばってきたけどさ。一回も勝てたことがないんだよな」

「でもまだ、一学期が始まって一か月くらいだよ?」

「それはそうなんだけどさ」

 睦月くんが頭をかく。

「こう……、なんていうのかな、アイツには絶対勝てないって思うんだよな」

「がんばって勉強してたら、勝てるかも……」

「でもそれってさ、絶対じゃないじゃん?」

 睦月くんの言葉に、私は言葉を返せない。

「これだけがんばれば、絶対にアイツに勝てるって分かってたら、もちろん努力する。でも、どこまでがんばればいいか、誰にも分からないじゃん」

 睦月くんの言いたいことは分かる。

 どこまでがんばれば相手に勝てるのか。

 それも分からないのに、がんばらないと絶対に勝てない。

 でもがんばって勉強したからって、勝てるわけでもない。

 睦月くんは、不安だったんだ。

「いつも『万年二位くん』ってみんなにからかわれて、くやしかった」

「うん」

 でもさ、と睦月くんは私の顔をまっすぐ見た。

「でも如月が体調くずしたり、あいつとテストで張り合えなくなるのは、もっといやだ」

「そうだね」

「オレ、どうしたらいい?」

 睦月くんの言葉に、黒橋くんが答える。

「妖具を持っている者は、ずーっと自分の心に抱いた感情を、その道具に吸われ続ける。そしてその吸われたエネルギーは、よくないことに使われる。この物語は、睦月が、妖具を使い続けた先の、未来の話だ」

「じゃあそうならないようにするためには……」

「もう妖具なんて必要ない、そう持ち主が思う必要がある」

 黒橋くんの言葉に、睦月くんがメガネを持ち上げて言う。

「必要ないって、胸を張って言えるぜ」

「それなら……」

「必要ないって思えたなら?」

 私の言葉に、黒橋くんは続けた。

「それを壊すことだ」

 黒橋くんの言葉に、睦月くんはじっとメガネを見つめる。

「簡単に決められることじゃないよ」

 私は睦月くんに言う。

「このメガネがあれば、どんなテストだって満点が取れるんでしょ。だとしたら今だけじゃなくって、これからの人生で起きる、どんなテストでも満点がとれちゃう。それを捨てるなんて、簡単なことじゃない」

このメガネがあれば睦月くんは、テストにおいては無敵だ。

 生まれてから死ぬまでに人間は、数えきれないほどのテストを受ける。

 これから先の高校受験、大学受験、就職活動。

 これからの人生のあらゆるときに、テストが立ちはだかる。

自分では見つけられない答えも、このメガネなら見つけてくれるかもしれない。

自分の進みたい道を切り開いてくれるかもしれない。

このメガネがなければ、進みたい道に進めない可能性だってある。

 そんなすごい道具を、そんな簡単に捨てるなんて、選択できない。

 けれども、睦月くんは大きく息を吸って、言った。

「そうだよな。誰だってこんな魔法みたいな道具、欲しいはずさ。でも持ってない」

 睦月くんは言って、メガネを地面に落とした。いとも簡単に割れるメガネ。

「オレだけこんなすっげぇ道具使って戦うのは、フェアじゃねぇ。オレは、自分自身の力できっと、如月に勝ってみせる!」

「すごい、すごいよ睦月くん!」

 もし私が睦月くんの立場だったら。

 魔法の道具をもらって、自分が悩んでいたことが解決して。

 喜んでいたら、それは魔法の道具だから捨てろって言われて。

 すぐに私は手放せるだろうか。

 これからの人生がもっと楽しくなるかもしれない、そんな夢のような道具を。

 大して仲良くもない人から、危ないからって言われて、壊せるだろうか。

「睦月、お前はすごいヤツだと思うよ」

 黒橋くんが言う。

「魔法の道具を使わないことを決めて、破壊した。それは誰にでもできることじゃない」

「そうかな。誰でもそうすると思うけど」

「そんなことないよ」

 私も思わず否定する。すると、睦月くんは照れくさそうに笑った。

「そう言ってもらえるとうれしいな」

「睦月くんは今回、妖具をもらって、使ってみて大切なことを学んだんだよ。だからこれは睦月くんにとって必要な経験だったんだと思う。あんなすごい妖具を手放す選択をした睦月くん、本当にすごいと思うよ」

「サンキュー。……あ、やべ、オレ、部活行かないと! それじゃあな!」

 そう言うと、睦月くんはあわてて教室から出て行った。

 後には、私と黒橋くんだけが残される。

「よしそれじゃ、オレたちも行くか」

 睦月くんを見送ったあと、黒橋くんが言う。

「睦月くんの木の修復、だね」

「そう。ここからはオレの仕事だ」

 床を見ると、さっきまで残っていた割れたメガネのかけらは消えていた。

 きっとこれで、妖具を作った本人にも伝わったんだろう。

 睦月くんが妖具を壊したってことが。

 なんとなく、そう感じた。

♢♢

「とりあえず、うまく行ってよかった」

 実りの木の方へと向かいながら、黒橋くんが言う。

「そうだね。毎回こんな感じだったら、いいんだけど……」

 私の言葉に、黒橋くんもうなずく。

「……でもこれは、お前がいたからだぞ?」

 黒橋くんは私の顔をのぞきこんで言う。

「え……?」

「オレ一人じゃ、多分解決できずに、変なヤツだって思われて終わってた。だからその……」

 黒橋くんは、頭をかきながらうつむく。

「お前がいてくれて、よかったと思ってる……。サンキュ、な」

 それだけ言うと、黒橋くんは全速力で走りだしてしまった。

「わっ、ちょっと待ってよ黒橋くん!」

 私もあわてて黒橋くんを追いかけたんだ。

♢♢

 私が黒橋くんに追いつくと、彼はすでに睦月くんの木の前に立っていた。

 黒橋くんは、私が追いついてきたのを確認すると、言った。

「多分前と同じで、力を使ったらオレ、キツネに戻ると思うからよろしくな」

「うん、分かった」

 そう答えたけれど、具体的にどう『よろしく』なのかはよく分かってない。

 私の言葉を聞き届けると、黒橋くんはしゃがんで、睦月くんの木に触れる。

 睦月くんの木は、朝よりも枯れかかっているような、そんな風に見えた。

「このまま妖具を使い続けていたら、この木は完全に根が腐って枯れてしまう。そうなると、木の持ち主も、自分自身を失ってしまうんだよな」

 黒橋くんが独り言のように言う。それから、言葉を続ける。

「桜の木よ、我に力を与えたまえ。そして、この力を失いし木に力を戻したまえ」

 黒橋くんは何度も同じ言葉をくり返す。

 そうしていると少しずつ、睦月くんの木が光に包まれ始める。

 桜の木を見ると、やっぱり前の時と同じく、満開の桜が咲き誇っていた。

 睦月くんの木から光が消えた時、彼の木は私の時と同じく、元気を取り戻していた。

 そのとたん、黒橋くんの体が今度は光に包まれる。

 そして光が収まると、そこにはやっぱり、キツネ黒橋くんがいた。

 キツネ黒橋くんは、大しておどろきもせず言った。

「さてと、弱ってる木がないか、調べるか」

 とことこと歩き始めると、においをかぎ始める。

 ふと気になったことがあって、キツネ黒橋くんに声をかける。

「黒橋くんは、特に人間に恩があるわけじゃないよね?」

 私の言葉に、キツネ黒橋くんは首をかしげる。

「恩……?」

「人間に昔助けてもらった、とか一緒に遊んだ、とか」

 私がそう答えると、キツネ黒橋くんはうなずいた。

「いや? 人間界に来たのは今回が初めてだからな、そういうことはねぇな」

「だとしたら……ありがとう」

 私の言葉に、またキツネ黒橋くんは首をひねる。

「だって、黒橋くん自身は人間に助けてもらったことがないのに、こうやって選ばれたからって、人間を助けてくれてる。だから、ありがとう」

 私の言葉に、キツネ黒橋くんはだまってしまう。

 あれ、私、変なこと、言ったかな……?

 そう思っていると、黒橋くんが笑う。

「お前、変わってるよな」

「えー、それって今日、睦月くんが黒橋くんに持った印象と同じってことー?」

「オレは睦月に変なヤツだなんて思われてない」

「いやいや思われたでしょうよ、急に『悩みはないか』なんて聞いたら」

「分かりやすいやつだなって思ってくれたかもしれないだろ」

「いやいや絶対ないって」

「そんなことはない」

「絶対そうだよ」

「ま、どうでもいいけど」

 キツネ黒橋くんは話を切った。

 そしてさっさと弱った木探しに戻っていった。

♢♢

 私は、満開の桜の木の下に立っていた。

 これは、学校にある桜の木……?

 今と違うのは、桜の花が満開に咲いているってこと。

 その木の下に、黒いキツネと白いキツネが一匹ずついた。

 まるで、あの白いキツネと黒いキツネが出てくる伝説の一部分みたい。

 二匹のキツネは、桜の木の周りで追いかけっこをしたりして、遊んでいる。

『オレ、絶対に九尾のキツネになって、みんなから尊敬されるキツネになるんだ!』

『させるかよ! オレが絶対お前より先に、九尾のキツネになるんだからな!』

 二匹の会話を聞いていて分かる。とっても仲がいい友達なんだなって。

ちょっと……、いや、だいぶ、うらやましい。

 そう思っていると、桜の木の前に一人の少女がやってきた。

 キツネ二匹は、追いかけっこに夢中で人間の存在に気づいてない。

 黒いキツネの方が、少女の足元にげきとつした。

 そこでようやく人間の存在に気づいた二匹は、あわてて逃げようとする。

 走って少女から数メートルはなれて振り返った二匹のキツネに、少女は言った。

「待ってキツネさん! お願いしたいことがあるの!!」

♢♢

「もっふもふが二匹!」

 そう叫んで目が覚めたことは記憶している。

 でも残念ながら、今日見た夢の内容はあまり覚えてない。

 机の上にある桜の木が描かれたノートを見て、思い出す。

「そうだ私、黒橋くんと一緒に、睦月くんを助けたんだっけ」

 なんだか昨日のことが、だいぶ遠い昔のことのように思える。

 狐塚校長や黒橋くんの予想通りなら。

 九尾のキツネの使者は、今日も学校の誰かに妖具を渡すはず。

 妖具を手に入れた人は、力を手に入れる代わりに、エネルギーが奪われる。

 そして奪われたエネルギーは、九尾のキツネ復活を手助けしてしまう。

 九尾のキツネが復活してしまったら。

 この学校にいる人たちだけじゃなくて、この地域に住む人たちみんなに迷惑がかかる。

 絶対それだけは、さけなくちゃ!

 私は桜の木の絵が描かれたノートをかばんに入れると、学校へ行く準備に取りかかる。

 そして、学校へと向かったんだ。

♢♢

 学校へ着くと、いつも通り、自分の木が植えられている場所へと向かう。

 黒橋くんは、すでに自分の木に水をやっている。

「おはよう、黒橋くん」

「ああ。おはよう、春永」

 黒橋くんは顔を上げると、ある一点をあごでしゃくった。

「春永、お前、『藤岡愛良』って知ってるか?」

 私は、また黒橋くんに呆れてしまった。

「……黒橋くん」

「ん?」

「藤岡愛良ちゃんも、同じクラスの女の子だよ」

「……」

「……」

 お互い、顔を見合わせてだまってしまう。

「……なんか、ごめん」

 別に、私にあやまらなくてもいいんだけどな……。

 そう思いながら私は、はげますように黒橋くんに言う。

「いや、これから一緒に覚えていこうね、クラスメートの顔と名前」

 私もクラスメートの子たちと話したこと自体は少ないけど、名前と顔は分かる。

 私と黒橋くんは、二人で一つのチームだ。

 黒橋くんが分からなくたって、私が分かっていれば問題はない。

 だけど、せっかくキツネの黒橋くんが、人間を助けてくれるんだから。

 人間のことももっと知ってほしいな、なんて思うんだよね。

 友達がいない私が言うのも、どうかとは思うけれど。

「ちなみに、藤岡はどんなヤツだ?」

「アイラちゃんは、いっつも恋愛小説を読んでる女の子だよ」

「あー、あの、休み時間になると本を読んでるヤツか」

 黒橋くん、誰のことか顔が分かったみたい。

「昨日、キツネに戻った時に見つけておいたんだ。今回は多分、こいつがターゲットだ」

 黒橋くんに言われて、アイラちゃんの植えた木を見る。

 すると、枝は下がって確かに弱ってる感じがする。

 それに、黒いもやがかかっている気もする。これは、確かに悪い予感。

「でもアイツ、睦月みたいには、悩みなさそうだけどな」

 黒橋くんの言葉に、私は首を横にふる。

「あのね、黒橋くん。人間は大体どんな人でも、悩みは持ってるよ」

 人によって、悩みの大きさはさまざまだと思う。

 思い切って自分の悩みを打ち明けたとしても。

 そんなの、悩みなんかじゃない、そう言う人もいるかもしれない。

 でもどんな小さな悩みに見えたって、その人が真剣にそれを気にしているのなら。

 それは立派な悩みだと思うんだよね。

「そういうもんなんだな」

 黒橋くんがうなずく。

「それじゃ、藤岡の悩みを見つけて解決を目指しますか」

 黒橋くんの言葉に、私は自分の木と、アイラちゃんの木に水をあげて立ち上がる。

「そうだね。……行こう、教室に」

♢♢

「もう、今日も小テストがあるなんて聞いてないよぉ……」

 昨日、三つも小テストがあったのに。今日も小テストがあるなんて!

 ほんと、毎日のようにテストがある。

 こんなにテストして、一体何が変わるんだろう。そう思わずにはいられない。

「何だよ春永、テスト勉強したいなら、手伝うぜ」

 睦月くんが、ななめ前の席から私の方を振り返る。

 担任の先生の数学の小テストが、この休み時間が終わったら始まっちゃう。

「え、いいの!?」

「多分この辺から出ると思うぜ」

 睦月くんの言葉に、近くを通りがかった如月くんもまた、立ち止まる。

「なーに言ってるんだよ睦月。この辺全体テスト範囲だよ。ウソ教えんな」

「いやいやこの辺に山をかけときゃ、当たるだろ!?」

「そうやって一か所だけ目星をつけて勉強してるから、オレを超えられねぇんだろ」

「うるさい、昨日は勝った!」

「昨日は、たまたまだ!」

 ガミガミ言い合ってるけれど、二人とも、本当に仲がよさそう。

 もしあのまま睦月くんがメガネを持ったままだったら、どうなっていたんだろう。

もしかしたら、この二人のこんな姿が見られなくなっていたかもしれない……。

 そう考えると、恐ろしい。

「あれ、睦月くん、今日はメガネをかけないのかい?」

 自分の席に戻ろうとしている白澤くんが不思議そうな顔で、睦月くんを見る。

「あ、えっと……」

 睦月くんはどう返そうか迷っているみたい。

 昨日、『かけるといい点数を取れるジンクスがある』って説明していたメガネ。

それを急にかけなくなるのも確かに、ちょっと不自然かもね。

「も、モノに頼るのはっ、やめようかなって、思ったんだよね!?」

 思わず睦月くんに言葉をかけてから、はっとする。

 しまった、こういうのって、迷惑だったかな。

 私はよかれと思って言ったけれども、人によったら、余計なお世話って思うかも。

 そう考えてしまって、ちょっと不安になった。でも……。

「あ、そうそう、それそれ! メガネに頼ってたらさ、次もしメガネを家に忘れたりした時に、そればっかり気になって、本来の力が出せなさそうかなーって思ってさ!」

 睦月くんがそう言ってくれて救われる。

 よかった、ジャマにはならなかったみたい。

「そうなんだ。おまじないに頼るのをやめたんだね。すごい」

 白澤くんはそうにこやかに言うと、自分の席へと戻っていった。

 そういえば……。

「そういえば、睦月くん」

 私は気になっていたことを睦月くんに聞いてみた。

 如月くんはもう席に戻ってしまっていていない。

「睦月くんは、誰にあのメガネをもらったの?」

 もし睦月くんがあの妖具だったメガネを誰にもらったか覚えていたら。

 その人がきっと、九尾のキツネの使者だってこと。

 誰かさえ分かれば、妖具を渡せないよう阻止することができるかもしれない。

 そう思ったんだけど……。

「それがさ、全然思い出せないんだよな」

 睦月くんがくやしそうに顔をしかめる。

「お前らの役に立ちたいって思って、オレも思い出そうとはしたんだぜ? でも、その時のことを思い出そうとすると、そこだけぽっかり穴が開いたみたいに記憶がないんだ」

「多分、九尾のキツネの使者の仕業だ」

 そばに来ていた黒橋くんが言う。

「妖具を受け取ったヤツらから、オレたちが情報を聞き出そうとするのは、向こうも分かってるはずだからな」

「その時の記憶を、消したってこと……?」

「そういう力を持ってるってことだろうな」

 黒橋くんがうなずく。

「ま、とにかく次に誰が狙われるかは予測がついてるんだ、今はただ、その人を助けることだけを考えようぜ」

「そうだね」

 そう答えて、アイラちゃんの席の方を振り返る。

 そこでふと、違和感を覚えた。

 なんか、いつもと彼女と違う。……でも、何が違うのかが、分からない……。

 自然と首をひねっている私に、睦月くんが声をかけてくる。

「おい春永、テスト勉強はいいのかよー?」

「いや、よくはないけど……、気になって」

「誰がー?」

「アイラちゃん。……何かいつもと違う気がするんだけど何かが分からないの」

 私の言葉に、睦月くんもアイラちゃんの方を見る。

 しばらくして、睦月くんが小声で言った。

「お前、それは、あれだろ。……今日は恋愛小説を読んでないってところじゃん」

「え!?」

 私はアイラちゃんが読んでいる本の表紙を見つめる。

 いつもは、いかにも恋愛小説って感じのタイトルの本を読んでたアイラちゃん。

 でも、確かに今日は違った。

 彼女が読んでいたのは、恋愛小説じゃなくって、野球のルールの本。

 そして、耳にはイヤホン。何か音楽でも聴いているのかな。

 それにいつもなら本に集中してるのに、今日はなんだかそわそわしてる。

 一体、アイラちゃん、どうしちゃったんだろ……。

「そういえば藤岡、玉垣のことが気になってるって聞いたことがあるな」

 睦月くんが思い出したように言う。

「この前、女子の話が聞こえてきたんだけどさ。女子ってホント、恋愛話、好きだよなー」

 そう言ってにやにやして私を見る。

「わ、私は別にっ、好きな人なんて、いないもん!」

「何だよ急にー。オレ別に、春永の好きな人なんて興味ねーし、聞いてねー」

 失礼なヤツ!!! だけどそんなことより……。

 睦月くんが言った、『藤岡さんが玉垣くんのことが気になってるらしい』ってことの方が大事だ。

「玉垣くんって確か、野球部だったよね?」

「そ。野球部の期待の星。一年生なのに、もうレギュラー入りしてんだよ。すげーよな!」

 玉垣草太くんは、いかにも野球部って感じの男の子。

 いつも礼儀正しくって、部活を休んだことがないってハナシ。

 朝練でも放課後練習でも、いつも一番に来て、準備してるんだって。

「それじゃ今日、アイラちゃんが野球の本を読んでるのは……」

「少しでも玉垣に近づきたいからに決まってんじゃん」

 睦月くんが得意げに言う。

 そっか、共通の話題で話をしようとしてるんだ!

 そのために、玉垣くんが好きな野球の勉強をしてるんだね!

「好きな人のことをもっと知りたいから、自分から相手の好きなものを知ろうって考えてるんだ。すごい……」

 私、そこまで誰かを好きになったことがないから、まだ分からないんだけど。

 誰かのことを好きになったら、その人のことをきっと、知りたくなって。

 その人と話ができて、その人がうれしそうにしてくれたら、自分もうれしくなって。

 もっともっと相手のことを知ろう、そう思うのかな。

 なんだかアイラちゃんがすっごく輝いて見える。

 その時、チャイムが鳴った。

あ、テスト勉強、できてない……。終わった……。

♢♢

 次の休み時間、アイラちゃんはあわてた様子で教室を出て行った。

 そしてすぐに戻ってきた。うでに抱えていたのは、一冊の本。

 あれは、人気アニメのノベライズ本だ。

 図書室のバーコードシールがついているから今、借りてきたんだね。

 でも急に、どうして……?

 そう思っていると、黒橋くんが私に耳打ちしてくる。

「さっき玉垣が他の男子たちと話しているのが聞こえたんだけどな、どうやら玉垣、あのアニメが好きらしい。あれと同じタイトルのアニメの話、してたんだよ」

「そうなの!?」

 それじゃあアイラちゃんは、玉垣くんがそのアニメが好きだと知って。

アニメのことを知るために、本を借りてきたんだ。

 恋する乙女の行動力、おそるべし。

 その時だった。白澤くんが自分を取り囲んでいる女子たちの輪から抜け出した。

 そして、友達と話している玉垣くんに向かっていく。

「玉垣くんもあのアニメ、好きなのかい?」

 そう話しかけられて、きょとんとした顔をする玉垣くん。

「突然ごめん。君たちの話が面白そうだったから、ついね」

 白澤くんの言葉に、玉垣くんたちが笑って、そうだと答える。

「あのアニメの本、ちょうど藤岡さんも読んでるから、きっと彼女も好きなんじゃないかな」

 白澤くんのその言葉で、アイラちゃんの肩がぴくりとはねあがるのが見えた。

「あ、ホントだ」

 玉垣くんたちは、アイラちゃんの本を見て、彼女の方に近づいていく。

「藤岡、それ、あのアニメ映画のノベライズの本じゃん!」

「オレ、まだ映画観てないからネタバレになりそうで読んでないんだよなー」

「えー、お前、まだ観てないの!? 早く観に行かないと、公開期間終わっちまうぞ」

 アイラちゃんは、玉垣くんたちに囲まれて、楽しそう。

 よかったね、アイラちゃん。

「玉垣くん、まだ映画、観てないなら、一緒に……」

 そう言いかけたアイラちゃん。でもチャイムが鳴っちゃって、みんな席に戻っちゃった。

 あー、なんて時に鳴るの、チャイム! 今いいところだったのに!!!

 後にはさみしそうなアイラちゃんだけが残されていた。

♢♢

 次の休み時間。玉垣くんたちは、楽しそうにおしゃべりしながら教室を出て行った。

 アイラちゃんは玉垣くんたちを追いかけずに、イヤホンを指で押して耳に当てている。

「春永、お前さっき、先生に何か頼まれてたんじゃね?」

 黒橋くんにそう言われて、はっとする。

「そうだった! 先生に集めたノート、職員室に運ぶように頼まれてた!」

 アイラちゃんのことを気にしすぎて、忘れてた!

 まずい、休み時間が終わっちゃう!!!

 立ち上がって、教卓にあるノートの束を持とうとする。

 抱えてみて思わず文句をいいかけた。

 いやいや先生、これ、女子一人に持たせる量じゃないでしょ!?

 一回じゃムリだよ、教室から職員室まで二往復しないと!

「仕方ねぇな、手伝ってやるよ」

 横から声が聞こえてきて、もう一つのノートの束が持ち上がった。

 黒橋くんがめんどくさそうにノートの束を抱えてくれている。

「ありがとう、黒橋くん」

「別に、大したことしてねぇし」

 二人で教室を出ようとした時、アイラちゃんの後ろを通りかかった。

 その時、イヤホンからもれ出た音が私の耳に入った。

『野球部のマネージャー、早く決まるといいよな』

『かわいい子がいいなー』

『玉垣は、どんな女子がいい?』

『オレは今、恋愛とか、興味ないから』

 玉垣くん!?

 思わずアイラちゃんの方を振り返る。

 玉垣くんたちは今、教室にはいない。それなのに、なんで玉垣くんたちの声が!?

「おい、春永。早くしねぇと授業始まるぞ」

 そう黒橋くんに声をかけられて、我に返る。

 そうだ。今はとにかく、先生に頼まれた仕事をこなさないと!

 教室を出るには、白澤くんと白澤くんに集まる女子たちの間を抜けなきゃならない。

「ご、ごめんなさい、通りまーす」

 できるだけ大きな声で、そう言うけれど、女子たちの山は動かない。

「おいジャマだ! どけ!」

 黒橋くんの大声で、女子たちがびっくりして振り返る。

 女子たちの視線が一気に私と、黒橋くんに注がれる。

「あ……、ごめん、これ、ノート、職員室に……届けたくて……」

 女子たちの視線が、痛い。

 『なんでアンタが黒橋くんと……』って言う声が聞こえてきそう。

 気のせい、気のせいだよ私!!!

 そもそもこれは、雑用を私に頼んだ先生が悪いんだよ!!

 重い空気を破ったのは、白澤くんだった。

「あ、ごめんね。通路、ふさいでたね」

 女子たちの間から顔を出した白澤くんは女子たちに声をかける。

「もう少しこっちで話そうか」

 そう言って、白澤くんが移動してくれたから、女子たちもついていく。

 よかった、何も起こらなくって。

「ありがとう、白澤くん」

「どういたしまして」

 私の言葉に、白澤くんがさわやかに笑う。

 教室から出た後、黒橋くんがぼそっと言った。

「……やっぱりアイツ、気に入らねぇ」

「え、何が? 白澤くんは、いい人だよ」

 私の言葉に、黒橋くんがじとっとした目で私を見る。

「お前もあれか、白澤が好きなのか」

「いやいやいや、人としては好きだけど、別に好きな人ってわけじゃないよ」

 ラブじゃなくって、ライク、みたいな?

 少しでも話をそらしたくって、私はあわてて言った。

「そうそう! アイラちゃんだけど、イヤホンが怪しいと思う」

「何か分かったのか!?」

 持っていたノートを落としそうな勢いで、私によって来る黒橋くん。

「さっきね、玉垣くんの声が……」

 そう言いかけた時、ちょうど玉垣くんたちが教室へ戻ってくるのとすれ違う。

「玉垣は今、教室に戻ってきたな」

「そう。教室にいなかった玉垣くんたちの話し声が、藤岡さんのイヤホンから聞こえたの」

「おわ、ストーカーか?」

「盗聴器か何かってこと? 黒橋くん、そういうのって結構高いんだよ」

 それに、と付け足す。

「もしそういう何かだったら、他の雑音も拾うと思うんだよね」

 周りの人の話し声とか、物音とか。

 でも、さっきアイラちゃんのイヤホンからはそういう音はしなくって。

 ただ、玉垣くんたちの話し声、それだけが聞こえてきていたんだ。

 あれはよほど、いい性能の盗聴器か、それとも……。

「それじゃ放課後、藤岡に話を聞こう」

「そうだね」

 睦月くんの時みたいに、うまくいくといいけれど……。

♢♢

 放課後。イヤホンをしたまま、帰り支度を始めるアイラちゃんに声をかける。

「アイラちゃん」

 でも、アイラちゃんには聞こえてない。

 イヤホンの音が大きすぎるみたい。

「アイラちゃん!!!」

 もう一度、今度は大きな声で話しかけると、ようやくアイラちゃんが振り向いた。

「え、あ、すみません」

 仕方なさそうに、アイラちゃんはイヤホンを片耳だけ外す。

「藤岡、お前、玉垣のことが……もがっ」

 言いかけた黒橋くんをあわてて止める。

 黒橋くん、それ、いきなり仲良くない人間が聞いていい話じゃない。

「そのイヤホン、すごくかわいいね。どこで買ったの?」

「ああ、これですか? えっと……あれ……?」

 首をひねるアイラちゃん。

 これだけ大事に使っているイヤホンをどこで買ったか覚えてないのは、おかしい。

 睦月くんも、メガネを誰からもらったかを覚えていなかった。

 アイラちゃんも覚えてないってことはきっと、あれが妖具……!

「ちょっと見せてもらえないかな。あ、耳には入れないから!」

 耳に入れちゃったら、何を聞いているバレちゃうから、アイラちゃんも嫌かなって。

 だって前の休み時間と聞いてる内容が同じなら。

イヤホンから聞こえるのは、玉垣くんたちの話し声のはず。

 そんなの聞かれたら、どうして玉垣くんの声がってたずねられる。

 だから、耳には入れないって言った方がいいと思ったんだ。

 その作戦がうまくいって、アイラちゃんがイヤホンの片方を差し出してくれた。

「ありがとう」

 そう言って、イヤホンを手に取った瞬間、私の中にイメージが広がっていく。

好きな人の話している言葉を聞き取れるイヤホン。

学校にいても、どこにいても、玉垣くんの話している内容を聞き取れるアイラちゃん。

「春永、出番だぞ」

 そう言って黒橋くんが私に、桜守の証であるノートを渡してくれる。

 ノートの表紙の桜の木の花びらが光り、花びらが地面に落ちる。

 ノートのページが開き、ペンが一本現れる。

 そのペンをにぎれば、あら不思議!

 私の頭の中に浮かぶイメージが、文章になってノートにすらすら書かれ始めた。

 それは、好きな人のことを、耳でしか、情報でしか知らない女の子のお話。

♢♢

 ある女の子がいました。その子は、ある男の子のことが好きでした。

 女の子は知っていました。

その男の子が誰よりも努力し、一生懸命に頑張っているものがあることを。

女の子は、もっとその男の子のことを知りたいと思いました。

でも、女の子には、男の子に話しかける勇気がありません。

そんな時、女の子は魔法使いに出会いました。

魔法使いは言いました。

『話しかけられないのなら、相手の話を聞けるものをあげよう』

魔法使いが取り出したのは、かわいらしい形をしたイヤホンでした。

それを耳にはめれば、女の子は男の子が話している内容を聞くことができました。

 どんなにはなれていても、男の子の話していることが分かります。

 それで、女の子は男の子が好きなものを知りました。

 そして、男の子が好きな本を読み、男の子が好きなもので自分をかためました。

 そうすればきっと、男の子が声をかけてくれると思ったからです。

 けれど、男の子は声をかけてきてくれません。

 女の子はますます、イヤホンが手放せず、いつもどんな時もイヤホンをつけたまま。

 男の子のどんな情報も聞き逃すまい。

 そう思って、女の子はイヤホンの音量を上げました。

 そのせいで、誰かが女の子に話しかけても、女の子は無視しました。

 ボリュームを上げすぎて、自分に声をかけてくれていることに気づかなかったのです。

 気づいた時でも、女の子は気づかないふりをするときがありました。

 もしかしたら、イヤホンを外している間に、大切な情報を聞き逃してしまうかも。

 そうしたら、一生男の子が話しかけてくれるチャンスはこないかもしれない。

 そう考えてしまって、一言も逃すまい、と男の子の話を聞くのです。

 でもどれだけ男の子の好きなものでかざっても、男の子は話しかけてくれませんでした。

 女の子は、とほうにくれてしまいました。

 男の子に好きな子ができました。その話も、もちろん女の子には聞こえています。

 自分ではない女の子の話なんて聞きたくない。

女の子はついに、自分の耳からイヤホンを外しました。

♢♢

「「「……」」」

 ノートに書きつづられた言葉を、私たちは見つめる。

「アイラちゃん」

 私はアイラちゃんに向かって言う。

「この女の子がこの先、どうなっていったかは、分からない。でも」

 ここで言葉を切って、私はアイラちゃんの目を見つめて続けた。

「やっぱり、自分で話しかけて、自分で動いて知ることが大事だと思う」

「……」

 アイラちゃんは何も言わない。

「私、まだ人をちゃんと好きになったことがない。だから、誰かを好きって思えるアイラちゃんのことが、まぶしく見える。すごいって思える」

「そんなの、別にすごくないです……」

 アイラちゃんが目をふせる。

「誰かのことを想って、その人のことを知りたいと思ったり、その人に好かれたいって思う。それって素敵な感情だと思うよ。でもやっぱり、自分で動かなきゃ。相手のことを知りたいって気持ちは、相手と話してみないと伝わらないと思うから」

 どんなに好きな人の好きなものを集めてみても。

 その人と話したわけではないから、相手は自分のことを見てくれない。

 その人と話して、同じ時間を過ごして、同じ景色を見る。

 そうしている中で、相手も自分のことを意識し始めてくれるかもしれない。

 それは、自分が動いてみて、話してみて相手に伝えていくしかない。

「でも私、話しかける勇気がないんです……」

「それなら、私が一緒について行ってあげる」

 私の言葉に、アイラちゃんが顔を上げる。

「一緒に玉垣くんたちに話しかけに行こう。必要なら、私も一緒に玉垣くんたちと映画観に行ってもいいよ。あの映画、私も気になってたし」

「いいんですか!?」

「ここだけの話なんだけど……」

 私は声を落として、アイラちゃんに言う。

「私、友達がいないから……その、友達になってほしいなって」

「も、もちろんです! よろしくお願いします!」

 アイラちゃんがうれしそうに言ってくれる。私もとってもうれしい。

 桜守を始めたおかげで、友達までできちゃった。

「もし、私が友達になることで、アイラちゃんの悩みが解決できたなって思ったら」

「はい」

「イヤホンはもう必要ないって念じて、地面に落とせ」

 黒橋くんが言う。

 アイラちゃんは、はめたままだったもう片方のイヤホンも外す。

 そして、私が持っていたイヤホンを手元に持つと、二つのイヤホンをゆっくり落とした。

 普通ならそれくらいで壊れるはずのないイヤホンが、がしゃんと大きな音をさせる。

 そして大小さまざまな大きさの破片になって散らばった。

「明日、早速一緒に玉垣くんに話しかけに行こう」

「よろしくお願いします!」

 アイラちゃんは何度もうなずいた。

♢♢

 そして私たちは今、アイラちゃんの木の前にいる。

「桜の木よ、我に力を与えたまえ。そして、この力を失いし木に力を戻したまえ」

 黒橋くんが木の前にかがんで、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。

 元気を失っていたアイラちゃんの木。それが少しずつ元気を取り戻していく。

 すっかり元気を取り戻した木の横には、やっぱりキツネ黒橋くん。

「無事に解決できてよかったな」

「本当に。このままこれからもうまくいくといいよね」

「ホントにな。……オレは、明日狙われそうなヤツの目星をつけとくから、先に帰ってていいぞ」

「分かった。それじゃ、また明日ね」

「ああ、また明日」

 そう言って、私たちは別れた。

 くつ箱を通り過ぎて、家へと向かおうとした時、声をかけられた。

「おや春永さん、今帰りかい?」

「白澤くん……」

 そこに立っていたのは、白澤くんだった。

「うん、今から帰るところ」

「よかったら一緒に帰らないかい?」

「え、私と……?」

 いつもいっぱいいる女子たちの誰かとじゃなくって……?

 そう思って周りを見回したけれど、女子たちの姿はない。

「みんな、部活動があるからね、いないよ」

「ああ、なるほど。……白澤くんは、何か部活には入らないの?」

「僕にはその予定はないかな。部活動に迷惑がかかりそうだし」

「それはそうかも……」

 白澤くんがどこかの部活に入部したら、きっと女子たちがだまってない。

 部活動の様子を見に来て部活動に集中できなくって、他の部員に迷惑がかかるかも。

 それに、白澤くん目当てで同じ部活動に入りたいって思う人も多そうだしね。

「白澤くんも、色々考えなきゃいけなくて、大変だね……」

「そんなことはないよ。あくまで部活動に入らないのは、他にやらなきゃいけないことがあるからだしね」

 白澤君の言葉に、少し違和感を覚える。

「やらなきゃいけないこと……?」

「そう。大事な大事な仕事なんだ」

 そう言って、白澤くんはウインク。

 こんなの、イケメンしかやっちゃいけないやつだ。

 その後は、宿題が多すぎるとかそういう、大したことのない話をした。

 いつの間にか、私の家までたどりついてしまっていた。

「よかったら、明日の朝も一緒に学校に行ってくれないかな」

 白澤くんに誘われて、私はうれしくなって、うなずいた。

 なんだか、もう一人友達ができたみたいな気持ち。

 私なんかがそんなこと考えて、おこがましいかもしれないけど。

 でもそんなことを考えてしまったんだ。

♢♢

私はまた、満開の桜の木の下に立っていた。

 黒いキツネが一匹、走ってきた。

 後ろからは、何人もの人間。

「黒いキツネはめずらしいからきっと、高く売れる! 絶対に逃がすなっ」

 このままじゃあのキツネ、つかまっちゃう!

 そう思っていたら、私のそばを強い風が吹きぬけていった。

「ちょっと! そのキツネに手を出したら許さないからね!!!」

 そこに現れたのは、一人の少女。年齢は、私と同じくらいに見える。

 昨日の夢に出てきた少女だ。

 その後ろには、白いキツネも一匹。

「うわ、巫女さんとこのキツネか! それじゃ、あきらめるしかねぇ!」

 大人たちがおとなしく帰って行くのを見届けると、少女は言った。

「もう。気をつけなきゃだめでしょ!」

 黒いキツネを抱き上げて、乱暴になでまわす少女。

 その様子を、白いキツネはうらやましそうに眺めていた。……

♢♢

「おい春永、大丈夫か」

 黒橋くんの声で、一気に周りの雑音が戻る。

 あれ、私、どうやって学校に来たんだっけ……?

 朝、学校に来た記憶がない。

「朝、木に水やりに来ねぇから、休みかと思ったぞ」

 黒橋くんにそう言われて、さらにびっくり。

「私、水やりに行ってないの……?」

「お前、本当に大丈夫か? 熱でもあるんじゃねぇーか?」

 黒橋くんが心配そうに私を見る。

「いや、大丈夫……だと思う」

 そう答えてから、目の前にあるマスクに気づく。

 ん? 私、風邪でもひいたのかな。マスクがある。

 風邪なんてひいた覚えないな。

 それじゃ、予防のためとか? 私、そんなに準備よかったっけ……?

 そう思っていると、視線を感じた。

 振り向くと、何人もの女の子がこっちを見ている。

 うわあ、きっと黒橋くんと一緒にいるのが気に入らないんだ。

 あれ……? そういえば私、黒橋くんと水やりの時以外で、会話してたっけ。

 なんで黒橋くんはこんなに親しげに、私に話しかけてきたんだろ。

 でもそんなことより私、何か忘れてる気がする……。

「は、春永さん……!」

 声をかけてきたのは、アイラちゃん。

 思い出した! アイラちゃんとした約束のことだ!!!

「ごめん、アイラちゃん。ぼーっとしてた」

 アイラちゃんに謝ると、彼女は手を振って笑った。

「気にしないでください。私一人だったら、ずーっと話しかけられないままでしたから。休み時間なんて、これから何度も来ます」

「ありがとう」

 それにしても、なんで朝の記憶がすっぽり抜け落ちてるんだろう。

 それに、私が自分の木に水やりに行くのすら、忘れるなんて……。

「きっとつかれてるんだよ」

 後ろから声がした。白澤くんだった。

「最近、ずっと頑張ってきたの、僕は知ってるよ」

 白澤くんの言葉に、私はうれしくなる。

 確かに、そうかもしれない。

「そういう時は、そのマスクをつけてみるといいよ。そうすれば、何も考えなくても誰とでも仲良くできるようになるから」

 それだけ言うと、白澤くんは女子たちの方へと優雅に歩いて行った。

♢♢

 次の休み時間。今度こそと思って、アイラちゃんを連れて玉垣くんのところへ。

 でもアイラちゃんとの約束は覚えてるんだけど、どうやってアイラちゃんと仲良くなったのか、それもまた思い出せないんだ。

 手には、あのマスク。なんだか、持っていると安心するんだよね。

「た、玉垣くん……!」

 私が話しかけると、友達とお話していた玉垣くんが振り返る。

「あ、あのさ……。昨日、あの、えっと……」

 うまく言葉がつながらない。

「うん?」

 もちろん、アイラちゃんも話す勇気がないから、会話を続けるのは難しい。

 その時、うつむいた先にマスクが目に入った。

 白澤くん、言ってたよね。

『何も考えなくても、誰とでも仲良くできるようになる』。

 そんな魔法みたいな道具、あるんだとしたら。

 今こそそれを使う時だ!

 マスクを鼻と口をおおうようにしてつける。

 急に私がマスクをしだしたから、玉垣くんたちも、アイラちゃんもびっくりする。

 だけど、マスクをつけてみた私本人が多分、一番おどろいていたと思う。

「あのさ、昨日アイラちゃんと話してたアニメの映画、一緒に観に行かない?」

「え?」

「玉垣くん、まだ観に行ってないんだよね。アイラちゃんと私も観に行きたいなって思ってて……よかったら、一緒に行かない?」

「あ、ああ……、それだったら行ってもいいけど……、このグループだと観てないの、オレだけなんだ」

 玉垣くんが友達を見回して言う。すると、後ろから声がした。

「オレも見てねぇから、一緒に行っていいかな」

 黒橋くんだった。

「もちろん。たくさんで観に行った方が楽しいよね!」

 そう勝手に言葉が出てくる。

「じゃ、決まりだね! 玉垣くんの部活のスケジュール教えてくれる? 部活がない日で調整しよう」

「助かる」

アイラちゃんとの約束通り、アイラちゃんと玉垣くんが話せるきっかけを作った。

 おまけに映画を一緒に観に行く約束つき。

 こうしておけば、映画に行く日の段取りとか言って、話す機会増えるし。

 私の作戦、大成功! でも……。

 私は黒橋くんを見る。ほんとに私、いつ黒橋くんと仲良くなったんだっけ……。

♢♢

 次の休み時間。いつも白澤くんのところにいる女子の何人かがやってきた。

「ねぇねぇ春永さん、最近、白澤くんと、仲がいいよね」

 うわあ、出た。いつかはこうなるって思ってたんだよね。

「聞いたよ、昨日白澤くんと一緒に帰ったんだってね」

「それに今朝は、白澤くんと一緒に登校してきたし」

 あ、朝は白澤くんと一緒に来たんだ。記憶にはないけれど。

「白澤くんは、みんなの王子様なんだよ」

「それなのに黒橋くんにまで手を出して。どういうつもり?」

 女子たちの圧がすごい。ひるみそうになる。

 でも今のマスクをしている私は、いつもの私よりなぜか落ち着いていた。

「それって、白澤くんがそう言ったの?」

「え?」

「白澤くんが、『僕はみんなの王子様なんだ。一人だけは、愛せない。もう近づかないでくれ』って私に伝えてほしいって言ったの?」

 そう言うと、女の子たちはだまる。

「白澤くんも、黒橋くんも、自分から私に話しかけてくれてるよ。それって、彼らの意志なわけだから、手を出すっていうのとは違うと思う。私は私で、二人と会話するのは楽しいけれど、それを他の人にじゃまされるのはいやかな」

 そう言ってから女子たちに笑いかける。

「だけど、情報共有ならしてあげられるよ」

「情報共有?」

「私が黒橋くんや白澤くんと話していて、彼らの好きなこととか、みんなが白澤くんたちと会話するときに話題にできそうな何かを聞いたら、それを教えてあげられるってこと。それなら、私が二人と話していても、みんな、気にならないんじゃない?」

「そういうこと、お、教えてくれるなら、まぁ……」

「いいよいいよ! そういうことなら協力する! だってみんな同じクラスになった友達じゃん!」

 そう言った自分に、自分が一番びっくりする。

 え、私今、友達って言った? 白澤くんに近づくな女子たちのことを?

 普段の私なら、多分何も言えないか、ごめんなさいって言うしかない私が?

 そんな私が女子たち相手に、友達って言った?

 私の表情には気づかずに、女子たちは白澤くんたちのところへ戻っていった。

 白澤くんが私に笑いかけてくる。私も笑い返す。

 このマスクがあれば、本当に誰とでも仲良くできるんだ。すごい!

 視線を感じて振り向く。

 黒橋くんがじっと私のことを見つめていた。

♢♢

「おい春永」

 放課後。黒橋くんが私を呼び止める。

「何?」

 誰とでも仲良くなれるマスクのはずなのに。

なぜか黒橋くんには冷たい態度になっちゃう。なんでだろう。

「お前、何か忘れてねぇか?」

「忘れる? 何を?」

「オレたちの役目のことだよ」

「黒橋くんと何か頼まれごと? そんなのあったっけ」

 先生に何か一緒に頼まれごとしたっけ? 覚えてないや……。

「お前、藤岡とどうやって仲良くなったか、覚えてるか?」

「それがね、記憶にないの」

「じゃ、自分の木が一度、元気がなくなったことは覚えてるか?」

「そうだっけ」

 私の言葉に、黒橋くんは大きく息をはく。

「……ついて来い」

 短い言葉だけど、強い言葉に、私はただ彼の後をついていくしかなかった。

♢♢

「私の木が……」

 入学式の日に植えた、私の名前が書かれたプレートを横にさしている木。

 それが、今にも枯れそうな状態になっている。

「一昨日、一度オレがお前の木を修復してる。だけど今、また弱ってきてる」

「一昨日、修復した……?」

「やっぱり記憶なし、か」

 黒橋くんが、ため息をつく。

「お前は一昨日の朝、この場所で桜守に選ばれた」

「桜守……」

 聞いたことがないはずだけど、なんだかなつかしい響き。

「そしてオレと、弱った木とその持ち主を九尾のキツネの使者から救う役割を与えられた」

 どうしよう、全然記憶にない。

「なんでお前がその記憶をなくしたのか分からねぇ。でも忘れちまったなら、何度でも言う」

 黒橋くんは、私の目を見て言った。

「この仕事は、お前以外には任せられねぇ。お前だけがオレの相棒だ」

「やっぱり。ここにいたんだね、春永さん」

 白澤くんだった。

「一緒に帰ろうと思って誘いに来たよ」

「白澤……」

 黒橋くんが私と白澤くんの前に立つ。

「お前、このところやたら、春永に話しかけてたよな」

「それが、何? キミと同じく、春永さんのことが気になってるからじゃないの?」

 白澤君の言葉に、黒橋くんが言葉につまる。

「べ、別にオレは春永のことが気になってるわけじゃ……」

「そう。それじゃ、別に僕が彼女と一緒にいたって、気にならないよね?」

 それだけ言うと、白澤くんは黒橋くんの横を通り過ぎて私にほほえむ。

「それじゃ、帰ろうか」

「うん」

 黒橋くんを置いて行くのはなんだか気が引けたけど、私たちはその場をはなれたんだ。

 振り返らなくてもわかる、黒橋くんの視線を感じながら。

♢♢

『アイツが、九尾のキツネになっちまった!』

 黒いキツネが、あの時の少女に向かって走っていく。

『よかったじゃない。ずっと九尾のキツネになりたがってたんだから』

 少女は別に、おどろいていない。

『いろんな人の願いを聞いて、叶えて。……それで私は巫女と呼ばれるようになって、クロとシロは、九尾のキツネに近づいて、シロが九尾のキツネになった。いいことじゃない』

『アイツは、人間に復讐しようとしてる』

 黒いキツネの言葉に、少女が動きを止める。

「え……?」

『アイツも……、アイツもお前のことが好きだったんだ! でもオレが、アイツからお前を盗んだ。それでアイツは……、オレから尻尾を一本盗んで、九尾になっちまった!』

 だから、と黒いキツネは言う。

『オレとお前で、アイツを止めなきゃならねぇ』

「止めるって……」

『オレとお前の力で、アイツを封印する。じゃないとこの町全体が、危ない』

 周りを見回すと、空には黒い雲がかかり、雷鳴が響いている。

 そして遠くに、大きな白い生き物の姿と、咆哮が聞こえてきた。

『それが、今のオレたちにできる、精一杯だ』

 黒いキツネの言葉に、少女が決意したようにうなずいた。

♢♢

 目が覚めると、朝になっていた。

 まくらもとには、一冊のノートとマスク。

 ノートの表紙には、桜の木のイラストが描かれている。

 マスクか、ノートか。

 どちらかを選ばなければいけない、そんな気がした。

 さっきの夢の続きのよう。

 ノートが黒いキツネ、マスクが白いキツネと重なる。

 一瞬、マスクに手をのばしかける。でも、思いとどまる。

 そして、今度は迷いなくノートを手に取った。

 ノートの表紙が淡く光り、桜の木の桜が、満開になる。

 そしてその花びらが一枚落ち、ノートのページが勝手に開く。

 そして現れたペンをにぎったら、それは、ノートに勝手に物語を作り始めた。

 それは、自分に自信のない女の子の話だった。

♢♢

 ある女の子がいました。女の子は、自分に自信がなく、人と話すのが苦手です。

 人にどう思われるのかばかり気にしてしまいます。

うまく会話できた、とその時は思っていても、後から後から、

『あの時は、こう話した方がよかったんじゃないか』

などと一人反省会ばかり。

そんな彼女でしたがある日、彼女はすてきなお仕事をもらいました。

それは、人と関わり、人を助ける仕事でした。

 人と話すのが苦手な彼女でしたが、同じく人と話すのが苦手な相棒ができました。

 一人では難しいことも、二人なら、その人がいるから、とがんばれました。

 そんな時、魔法使いが現れ、彼女に言いました。

『キミの相棒は、キミを利用しているよ』

 彼が言うには、彼女の相棒は、自分の手柄のために、彼女を利用しているというのです。

 相棒はもともと、選ばれた人などではありませんでした。

 彼女たちの仕事、桜守という仕事を任されるキツネは、一族の中で一番力の弱いキツネ。

 なぜかといえば、人間を助けることは、キツネにとっては最優先事項じゃないからです。

 確かに、人間を襲う九尾のキツネを作り出したのは、キツネたちです。

 けれども、そのキツネが生まれた理由は、一人の人間と一匹のキツネが原因です。

 ですから人間とキツネ、どちらにも責任があります。

 だから、キツネも協力するにはしますが、でも一番力の強いキツネなんて、派遣しません。

 桜守になったキツネは、そのことをよく知っています。

 だから、桜守としてしっかり仕事をこなし、キツネ一族に自分の力を認めてもらおうと思っていました。

 人間のことはどうでもいい。けれど仕事をこなして認めてもらいたい。

 ただ、キツネが思っていたのはそれだけでした。

 それを聞いて、女の子は桜守をやめようと思いました。

 すると、魔法使いは言いました。

『キミにぴったりのものをあげよう。誰とでもうまく話すことのできるマスクだ。これがあれば誰とでも、仲良くなることができるよ』

 女の子はマスクを受け取り、それを身に着けてしまいました。

 女の子は、自分の言いたいことを言い、誰とでもうまく話すことのできる力を手に入れました。けれどもなんだか、うれしくありません。

 女の子は、気づきました。

 全員に好かれることなんて、無理なのだと。

 そして、どんなに難しくても、自分の言葉で相手に伝えなければ自分の心は、伝わらないのだと。

 女の子はマスクを外すと、桜の木を目指して走り始めました。

♢♢

 学校にある唯一の桜の木。その前に、私はやってきた。

 木の前にはすでに、人がいた。狐塚校長だった。

「そろそろ来る頃じゃと思っておった」

 狐塚校長は笑う。

「最近、夢を見るんです。黒いキツネと白いキツネの」

「ああそれはきっと、桜守になったお前さんに、この桜の木が、自分の記憶の一部を見せて

おるのじゃろう」

 夢の中ではいつも、桜の木が中心にあった。

 今目の前にあるこの桜の木が、あの夢の中の桜の木だったんだね。

「白い九尾のキツネが誕生したのは、わしと一人の人間の責任じゃ。だからわしらの血を継ぐ者が、桜守のキツネとして派遣される仕組みなのじゃ」

 しかし、と狐塚校長は苦笑する。

「わしは九尾のキツネを封印する際に、残っておった七つの尾を差し出してしまって、ほとんど妖力はない。そして、生まれてきた子どもたちは、完全なキツネではない。いわゆる、半妖、半狐じゃ。母親が人間だからの」

「それじゃ、あの黒いキツネが……」

「そうじゃ。お前さんが見た夢に出てくる黒いキツネがわし、白いキツネは、わしの大親友じゃった。けれど、わしとアイツは同じ人間を好きになり、結果的に人間はわしのことを選んだ。それが、七凪の祖母じゃ」

 あの夢の続きはなんとなく、予想できる。

 九尾のキツネを封印した黒いキツネと巫女と呼ばれた少女、二人が結ばれたんだ。

 それで、黒橋くんのお父さんたちが生まれて、黒橋くんが生まれた。

「半分人間の父の血を引く七凪は、本来のキツネほど力を持たん。けれど、この桜のある場所でなら、一日一度ではあるが、力を使える。他のキツネと比べてばかりじゃったアイツにとってもよい経験になるじゃろうとわしが選んだ」

「黒橋くんを、桜守に、ですか」

「そうじゃ。まぁこれは、アイツは知らない事情だがの。そして桜の木は、お前さんを選んだのじゃ」

「私でよかったんでしょうか……」

 私は桜の木の下に、マスクを置く。

「桜守に選ばれた私自身が、妖具の持ち主になってしまいました。人として、弱い人間なのに、もっと別な人を選び直してもらうべきじゃないかって思うんです」

 今、マスクはどす黒いもやを発生させている。

「なーに、人間もキツネも、失敗してこそ成長するものじゃ。失敗なしの人生なんてつまらんし、失敗をしないようにしようと生きると、何も得られんよ」

 狐塚校長は、私の頭をなでた。

「失敗は悪ではない。失敗から何を得るのかが重要なのじゃ」

 狐塚校長は言葉を続ける。

「それに、お前さんだから、よかったのじゃ。お前さんが選ばれたからこそ、七凪もまた、成長した。わしはお前さんに感謝はするけれども、怒ったりはせん」

「え……」

「その証拠にほら、アイツはお前さんを元に戻そうと頑張っておったようじゃ」

 黒橋くんが、白澤くんを引っ張って、こちらに向かってくるのが見えた。

「おいジジィ、新しい妖具を作って誰かに渡す前に、九尾のキツネの使者を連れてきたぞ。使者が誰かさえ分かれば、これくらい朝飯前……」

 そう言いかけて、黒橋くんが私を見る。

「春永」

「黒橋くん、迷惑かけてごめん!」

 私はとりあえず、謝る。

「私、自分に自信がなくって、そこを白澤くんに指摘されたの」

 マスクを手放して、私は完全に思い出した。

 記憶をなくした朝の記憶の内容を。

昨日の朝、白澤くんに色々悩みを聞いてもらったんだ。

 私が先生に頼まれごとをしても、断れない性格だってこと。

 自分に自信がないから、人と話すのが怖いんだってこと。 

 白澤くんは、私の悩みを聞くだけじゃなくって、黒橋くんの悩みを教えてくれたんだ。

 黒橋くんが本当は、選ばれた人なんかじゃなくって、一番力の弱いキツネだったこと。

 黒橋くん自身も、そういう仕事だって分かってるから、あんまり乗り気じゃなかったこと。

 でもここで手柄をあげれば、他のキツネに認められる。

 そう思ってがんばろうとしてただけだってこと。

「黒橋くんが本当は、桜守の仕事をあんまりやりたくなかったっていうのも聞いた」

「そりゃ、一番立場の弱くて力の弱いキツネが派遣される仕事だからな」

 黒橋くんがぼそっと言う。

「だからここに派遣された時点で、オレは役立たず認定されたって思ってた。役立たずの名前にふさわしく、仕事しないでいてやろうとか、思ってた」

 でも、と黒橋くんは言葉を続ける。

「お前と出会って、桜守の仕事を始めて変わった。春永はオレのことを選ばれた人だと思ってくれてたし、仕事をしているうちに、オレはここにいていいんだって思えた」

「役立たずなのにか」

 黙っていた白澤くんがはきすてるように言った。

「そう。人間でもキツネでも、誰でもいい。オレを必要としてくれていて、オレが力を貸せる場所がある。それだけで十分だって思えたんだ」

「人間なんて、ろくな生き物じゃない。何度救ったってまた、悪い感情がわきあがってくる」

 その木だって、と私の木を指さす白澤くん。

「数日前にお前が救った木だってまた、枯れかかってる。何度救っても同じ。また同じような過ちを犯して、また枯れかかるんだぞ。ちょっと力を入れたらすぐ折れる、人間はもろい生き物だ」

「別に、いいんじゃね?」

 黒橋くんが白澤くんにさらりと言う。

「弱くっていいんじゃね? 間違っても、春永みたいにそれに気づいてやり直そうとするやつが一人でもいれば、オレは力ある限りは救い続けようと思う」

「お人よしか、お前は」

「だってオレ、どうせ桜の木がなけりゃ、力を使えねぇ役立たずだからな。ここで人助けするくらいしか、やることねぇし」

「ヒマ人か」

「人の願いを叶えて回るお前ほどじゃねぇし」

 黒橋くんの言葉に、白澤くんが鼻をならす。

「僕は人の願いを叶えて回ってるわけじゃない。九尾のキツネを復活させて、自分も九尾の力を手に入れるために、悪い感情を集めてただけだ」

「でもそれが一時的にでも、人を幸せにしたんだよね」

 私の言葉に、白澤くんが私の方を見る。

「『答えが見えるメガネ』、『好きな人の声が聞こえるイヤホン』、『言いたいことが言えて誰とでも仲良くなれるマスク』。どれも、持ち主が望んだ願いを形にしたものだよね」

「ただ、使い続けられると力が暴走する予感しかなかったけどな」

「うるさい。人間は弱すぎて、妖具の力を使いこなせないだけだっ」

 白澤くんがそっぽを向く。

 確かに、魔法の力を信じて使いすぎると、よくないことが起こっていたかもしれない。

 だけど、魔法のアイテムそのものは、持ち主の悩みや願いを叶えるためのもの。

 それを作り出した白澤くんは、相手の悩みや願いを見抜いたり聞き出す天才だ。

 その力は、私や黒橋くんの持っていない、彼独自の才能だと思えるんだ。

「だから白澤くんだって力の使い方さえ考えれば、桜守になれるし、九尾のキツネ以上の力を持てるんじゃないかなって私は思ってる」

「おいおいコイツを桜守の仕事に引き入れるつもりかよ……」

 コイツのせいで、仕事させられてたんだぜ、と黒橋くんがあきれている。

「僕だってこんな仕事、頼まれたって手伝ってやらないよ」

 白澤くんもあきれている。

「でも、まぁ……。本気で頼まれたら、手伝ってやらなくもないよ。黒橋と同じで、誰かに頼られることは、きらいじゃない」

「そんな簡単に、使者やめるのかい!」

 黒橋くんがツッコミを入れると、白澤くんは笑う。

「別に契約したわけでもなんでもないしね。ただ、力が欲しかっただけ。でも力を手に入れても何にどう使うか、考えてたわけじゃない。それなら、キミたちと遊んでいる間に、人間のことを知って、力の使い方を考えてもいいかなって思っただけだよ」

「私としては、人を困らせる妖具じゃなくって、人を助ける妖具を作ってくれれば、百人力だと思うんだよね」

「ま、僕が使者をやめたら、また別の使者が来るだけだと思うけど?」

 白澤くんが言う。黒橋くんが大きなため息をつく。

「そしたらまた、使者探しが始まるのかよ」

「でも、三人なら、なんとかできる気がしない?」

「コイツを数に入れていいのかねぇ……」

 黒橋くんが顔をしかめる。白澤くんは肩をすくめる。

「協力するとも言ってないし、しないとも言ってないよ」

「……やっぱコイツ、気に入らねぇ」

「それは、僕も同じだよ」

 二人のやりとりが面白くって、思わず私は笑ってしまう。

「それじゃ、これはもう、いらないね?」

 白澤くんがマスクを手に取る。

「うん。面白かったけど、いらない。やっぱり言葉は、自分の言葉で語らないといけないって分かったから。道具に頼ってばかりじゃなくって、自分でなんとかしなきゃって思った」

「ま、それが分かったんなら、よかったんじゃない?」

 そう言うと、白澤くんが私にマスクを手渡す。

「それじゃ、ちゃんと持ち主がこれはもう必要ないって心から思って、壊さないとね」

 私は、決して人と話すことが得意じゃない。

 だけど、だからって何かに頼って話すことをやめるわけにはいかない。

 へたくそでも、なかなか言葉が出てこなくてもいい。

 私は、私なりの言葉で、誰かに伝えていくんだ。

 地面に落としたマスクは、マスクじゃなかったかのように粉々に割れて、消えた。

「桜の木よ、我に力を与えたまえ。そして、この力を失いし木に力を戻したまえ」

 黒橋くんの言葉で、私の木が元通り元気になる。

 木を直したせいでキツネになってしまったキツネ黒橋くんを、抱き上げてみる。

「おい、何するんだよ。はなせ! 恥ずかしいだろっ」

 じたばたと暴れるキツネ黒橋くん。

「おやそれなら、僕が代わりに抱かれようかな」

 そんなことを言いながら、白澤くんも、白いキツネになってしまう。

「僕も、妖具を破壊されると一時的に、キツネに戻っちゃうんだよねぇ」

「ぜーったい、お前は抱かせねえ!」

「えー、今、はなせって言ってたのにぃー?」

「うるせぇ」

 いつの間にか、狐塚校長はいなくなっていた。

 きっと私たちはもう大丈夫って思ったからかな。

「あ、今日は絶対、妖具を作るなよ。オレたち壊せねぇんだから」

「あー、そんなこと言われると、作りたくなっちゃうなぁ?」

「ぜーったい許さねぇからな!」

「あ、でも、本当に人に役立つものならいいんじゃないの?」

 私の提案に、キツネ黒橋くんが、ぎゃうぎゃと歯をむきだす。

「バカッ! それが今まで悪い妖具になってたことを忘れんな!」

「んー? でももしかしたら次は、違うかもしれないよー?」

「そんなの信じられるか! そもそも魔法で解決しようとするのが間違いなんだよ!」

 私のうでから脱出したキツネ黒橋くんが、キツネ白澤くんを追いかけまわす。

 それを見ながら、考える。

 まだまだ私たちの桜守としての旅は始まったばかり。

 九尾のキツネも封印されたまま。

 いつまた九尾のキツネの使者が現れて、九尾のキツネが復活するかも分からない。

 今回の九尾の使者の白澤くんは、私たちの仲間になってくれたけれど。

 次の使者も、そうだとは限らない。

 だけど今は、この瞬間を精一杯楽しみたいと思う。

 二人と同じ時をたくさん過ごしたら、なんだか九尾のキツネにも勝てる気がするから。

 だから、どうか、しばらくはこのままで。

 そう思って桜の木を見上げた。

 今日は黒橋くんが妖力を使ったあとなのに、まだ桜の花が咲いていた。

 それはまるで、桜の木が私たちを祝福してくれているような、そんな気がしたんだ。

(完)

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桜守の約束 工藤 流優空 @ruku_sousaku

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