第七話:鉄鱗熊<アイアンクロウ>
森の深部へと足を踏み入れてから、既に六体の守護者を屠ってきた。正嗣の身体には、それぞれから継承した力が宿っている。重力操作、隠密と感知、空間把握、俊敏性、突破力、そして空間認識と飛行能力。
これまでの戦いで学んだことがある。守護者たちは一切の言葉を発さない。ただ殺意のみを向けてくる存在だ。そして彼らを倒すことでしか、この森の試練は進まない。
六体の守護者を倒した今、正嗣の肉体は確実に変化していた。筋肉の密度が増し、反射神経も格段に向上している。傷の治りも以前より早くなっていた。しかし、それと引き換えに失っているものがあることも、漠然と感じ取っていた。
ヴァルグレイヴとの戦いで重力操作を習得した時の記憶が蘇る。あの時は確かに、巨大な狼を倒したことに対する複雑な感情があった。敵とはいえ、一つの命を奪ったのだという実感が。
しかし今は違う。ミストラルを倒した時も、スパイラヴォームを倒した時も、そうした感情は薄れていた。レピッドハウンド、グラビトンボア、そして前回のウィンドレイヴン。回を重ねるごとに、正嗣の心は何かを削り取られているような感覚があった。
だが、それが何なのかは分からない。そして今は、それを詳しく考える余裕もない。
森の様相が再び変わり始めていた。木々の幹が太くなり、樹皮は鉄錆色に変色している。地面には金属片のような破片が散らばり、足音が鈍い金属音を立てる。空気中にも金属特有の匂いが漂っていた。
正嗣は足を止め、周囲を警戒する。これまでの経験から、森の様相が変わる時は新たな守護者の領域に入った証拠だった。
風が止んだ。鳥の鳴き声も虫の音も、一切聞こえない。まるで森全体が息を潜めているかのような静寂だった。
その静寂を破って、重い足音が響いてくる。
ドス、ドス、ドス。
規則正しく、しかし威圧的な足音。正嗣は身構える。継承した感知能力が、巨大な何かの接近を告げていた。
そして現れた。
体長三メートルを超える巨大な熊が、木の陰からゆっくりと姿を現す。その全身は鉄色の鱗に覆われ、陽光を反射して鈍い光を放っていた。鋭い爪は文字通り鉄製のようで、地面を引っ掻くたびに火花が散る。
アイアンクロウ。正嗣は直感的にその名前を理解した。
巨大な熊は正嗣を見据えると、低い唸り声を上げた。威嚇でも警告でもない。ただの殺意だった。その目には知性の光は宿っておらず、ただ侵入者を排除するという本能だけが残っているようだった。
正嗣は既に戦闘態勢に入っている。右手にはナイフを握っていた。決して十分な武装とは言えないが、これまでの経験で武器以上に重要なものがあることを知っていた。
継承した能力の活用だ。
アイアンクロウがゆっくりと歩み寄ってくる。その一歩一歩が地面を震わせ、正嗣の足元にも振動が伝わってくる。巨体に似合わぬ静かな動きだったが、それがかえって不気味さを増していた。
正嗣は空間認識能力を発動し、周囲の地形を把握する。木々の配置、岩の位置、地面の起伏。戦闘において地の利を得ることは重要だった。
アイアンクロウが突然動いた。
その巨体からは想像できない速度で突進してくる。地面が削れ、土煙が舞い上がった。正嗣は既に空間認識能力で相手の軌道を把握していたが、それでもその速さに驚愕する。
横に跳躍し、同時に重力操作で自分の体重を軽くする。着地と同時に隠密能力を発動し、気配を消した。
だが、アイアンクロウは迷わず正嗣の方向を向く。鋭敏な嗅覚で位置を特定されたようだ。これまでの守護者の中でも、特に優秀な追跡能力を持っているらしい。
巨大な前足が振り下ろされる。正嗣は間一髪で回避するが、その爪が地面を引き裂いた跡を見て戦慄する。鉄製の爪が石を切り裂き、深い溝を刻んでいた。まともに食らえば、人間の身体など一撃で粉砕されるだろう。
「危険な相手だ」
正嗣は呟きながら、反撃の機会を窺う。アイアンクロウの動きを観察し、攻撃パターンを分析する必要があった。
アイアンクロウは再び突進してくる。今度は正嗣も動いた。俊敏性を発動し、相手の突進を横から回避する。そのまま流れるような動きで、アイアンクロウの側面に回り込んだ。
反撃に移る。ナイフで首筋を狙うが、刃は鉄鱗に弾かれた。金属同士がぶつかり合う甲高い音が響く。
「硬い」
正嗣は距離を取りながら状況を分析する。通常の攻撃では鱗を貫けない。ナイフの刃先を確認すると、僅かに欠けていた。相手の防御力は想像以上だ。
もう一度攻撃を試みる。今度は重力操作でナイフの重量を増し、全力で振り下ろした。刃が鱗に食い込み、僅かな傷をつけることができる。
しかし次の瞬間、正嗣は驚愕した。
先ほどつけた傷が、見る間に塞がっていく。数十秒もかからずに完全に修復された。まるで最初から傷などなかったかのように。
「再生能力まで持っているのか」
これは厄介だった。どれだけ攻撃を当てても、すぐに回復されてしまう。しかも相手の防御力は異常に高く、まともな傷をつけることすら困難だ。
アイアンクロウは正嗣の困惑など意に介さず、再び攻撃を仕掛けてくる。後ろ足で立ち上がり、前足で叩き潰そうとした。
正嗣は空間把握能力で攻撃範囲を予測し、ギリギリで回避する。巨大な前足が地面に激突し、周囲の木々が振動で揺れた。
「このままでは埒が明かない」
正嗣は戦術の変更を考える。通常の攻撃では効果が薄い。ならば、別の方法を模索する必要があった。
アイアンクロウが再び突進してくる。今度は正嗣も真正面から迎え撃った。俊敏性と突破力を同時に発動し、相手の懐に飛び込む。
ナイフを相手の目に向けて突き出すが、アイアンクロウは巧みに顔を逸らした。代わりに口を大きく開け、正嗣を噛み砕こうとする。鋭い牙が陽光を反射し、凶悪に光った。
間一髪で空間認識能力を使い、相手の攻撃範囲から脱出する。しかし着地に失敗し、地面に転がった。
アイアンクロウの爪が正嗣の左肩を掠める。軍服が裂け、皮膚に三本の深い傷が刻まれた。血が流れ出し、軍服を赤く染める。
「くっ」
痛みに顔をしかめながらも、正嗣は立ち上がる。傷は深いが、まだ戦える。これまでの戦いで培った耐久力が、彼を支えていた。
しかし状況は芳しくない。相手の防御力は想像以上で、再生能力まで持っている。このナイフでは致命傷を与えることは困難だ。
正嗣は周囲を見回し、何か利用できるものがないか探した。木の枝、石ころ、金属片。しかし、どれもアイアンクロウの鱗を貫けるようには見えない。
その時、アイアンクロウが再び動いた。
今度は両前足を振り上げ、正嗣を叩き潰そうとする。正嗣は重力操作で身体を軽くし、後方に飛び退いた。
巨大な前足が地面に激突し、土煙が舞い上がる。その衝撃で近くの木が倒れ、轟音を立てて地面に横たわった。
正嗣は冷や汗を流す。まともに食らっていれば、確実に即死していた。
アイアンクロウは容赦なく攻撃を続けてくる。爪、牙、体当たり。様々な攻撃が正嗣に向かって放たれる。
正嗣は持てる能力を全て使い、必死に回避し続けた。重力操作で身体を軽くし、俊敏性で反応速度を上げ、空間認識で攻撃を予測する。
しかし、回避に専念するあまり、反撃の機会を失っていた。このままでは体力の消耗戦になり、最終的には力尽きてしまう。
そんな時、アイアンクロウの攻撃が正嗣を捉えた。
後ろ足で蹴りを放ち、正嗣は腹部に直撃を受けた。
「がっ」
内臓に鈍い衝撃が走る。口の中に血の味が広がった。これまでの戦いで正嗣の肉体は確実に強化されているが、それでもこの攻撃は堪える。
身体が後方に吹き飛ばされ、木の幹に背中を打ちつけた。激痛が走り、一瞬意識が朦朧とする。
立て続けに攻撃が襲いかかる。アイアンクロウが突進し、爪の一撃が正嗣の右肩を直撃した。関節が外れる音がする。
「ぐあっ!」
右腕が使い物にならなくなる。ナイフを握っていた手から力が抜け、刃が地面に落下した。
慌てて左手で拾おうとするが、アイアンクロウの牙が迫る。間一髪で回避するものの、落下したナイフを踏み潰された。金属の破片が飛び散り、鋭い音を立てる。
武器を失った。
アイアンクロウの爪が正嗣の胸を薙ぎ払う。軍服が裂け、皮膚に深い傷が刻まれた。血が噴き出し、地面を赤く染める。
「くそっ」
このままでは一方的にやられる。正嗣は隠密能力を発動し、気配を消した。しかしアイアンクロウは嗅覚で追跡してくる。血の匂いが、正嗣の位置を教えているのだ。
逃げるしかない。
正嗣はその判断を下すと、森の奥へ向かって駆け出した。右肩の激痛に顔を歪めながらも、必死に足を動かす。後方からアイアンクロウの重い足音が追いかけてくる。
ドス、ドス、ドス。
規則正しい足音が、正嗣の背中に迫ってくる。振り返ると、アイアンクロウの巨体が木々の間を縫って追跡していた。その目には、獲物を逃がすまいとする執念が宿っている。
絶望的な状況だった。武器もない。右腕も使えない。相手は化け物のような防御力と再生能力を持つ。どう足掻いても勝ち目が見えない。
正嗣の頭に、様々な考えが駆け巡る。
このまま逃げ続けることは可能だろうか。しかし、この森から出ることはできない。最終的には追い詰められる。
戦うとしても、武器がない。素手でアイアンクロウに挑むなど、自殺行為に等しい。
諦めるという選択肢も頭をよぎった。しかし、それは即座に否定される。
生きなくてはならない。
その思いだけが、彼を前に進ませていた。まだ諦めるわけにはいかない。まだ方法があるはずだ。
木々の間を縫って逃走を続けるうち、正嗣の目に奇妙な光景が映った。
小さな空き地の中央に、巨大な岩がそびえ立っている。その岩に、一本の剣が深々と突き刺さっていた。
剣は美しい光沢を放ち、刀身に錆は見当たらない。柄も頑丈そうで、まるで誰かがそこに封印したかのような神々しさがあった。
「あれなら」
正嗣は希望の光を見出した。あの剣があれば、アイアンクロウと戦える。いや、戦わなければならない。
正嗣は岩に向かって駆け寄った。アイアンクロウの足音は確実に近づいているが、構わない。
岩に到達すると、正嗣は剣の柄を左手で掴んだ。触れた瞬間、不思議な温もりを感じる。この剣は、ただの武器ではないようだった。
全力で引き抜こうとするが、びくともしない。岩に深く食い込んでいるようだ。
「抜けろ」
正嗣は歯を食いしばり、力を込める。しかし剣は動かない。まるで岩と一体化しているかのようだった。
その時、背後から巨大な影が迫る。
振り返ると、アイアンクロウが空き地に現れていた。その目は正嗣を捉え、殺意を放っている。
アイアンクロウが正嗣に向かって飛び掛かってきた。巨大な前足が横薙ぎに振り抜かれる。
咄嗟に身を屈めるが間に合わない。巨大な前足が正嗣の脇腹を薙ぎ払った。
「ぐはっ」
身体が宙に舞い、近くの大木に激突する。背中に激痛が走り、口から血が噴き出した。
しかし、その衝撃で奇跡が起きた。外れていた右肩の関節が、元の位置に戻ったのだ。鈍い音と共に、右腕に感覚が戻る。
「これで両手が使える」
正嗣は立ち上がると、再び剣に向かった。アイアンクロウがゆっくりと近づいてくるが、もう逃げ場はない。
ここで決着をつけるしかない。
正嗣は両手で剣の柄を握った。先ほどより確実に力を込めることができる。
「頼む、抜けてくれ」
全身の力を込めて引き上げる。継承した力の全てを使い、重力操作で剣の重量を軽くし、突破力で一気に引き抜こうとする。
石が軋む音が響く。剣が僅かに動いた。
「いける」
正嗣は更に力を込める。今度は空間把握能力も使い、剣と岩の接触面を正確に把握した。どの角度で、どの方向に力を加えれば効果的かを計算する。
アイアンクロウが迫ってくる。巨大な影が正嗣の頭上に覆い被さった。
その時、石が砕ける音と共に、剣が岩から抜け出た。
振り返ると、アイアンクロウが目前まで迫っている。口を大きく開け、正嗣を噛み砕こうとしていた。鋭い牙が、正嗣の顔を狙っている。
時間が止まったような感覚だった。
正嗣は剣を横に薙いだ。
突破力と重力操作を同時に発動し、剣に全ての力を込める。刀身が空気を裂き、一条の光となってアイアンクロウの首筋を走った。
一閃。
剣はアイアンクロウの首を一刀両断した。突破力が鉄鱗の防御を貫き、重力操作が切断の威力を倍増させる。鉄鱗も、筋肉も、骨も、全てを切り裂いて。まるで熱したナイフでバターを切るかのように、滑らかに切断された。
巨大な頭部が地面に転がり落ち、胴体も崩れるように倒れた。血が地面に広がり、土を赤く染める。
「終わった」
正嗣は剣を握ったまま、その場に膝をついた。全身から力が抜け、激しい疲労感に襲われる。
しかし次の瞬間、正嗣の身体に新たな力が流れ込んできた。これまでとは違う、重厚で持続的なエネルギーだった。
耐久力と再生能力を継承したのだ。
正嗣は自分の傷を見下ろした。胸の深い傷が、ゆっくりと塞がっていくのが見える。右肩の痛みも和らいでいる。完全に治るまでには時間がかかりそうだが、確実に再生している。
立ち上がると、手に握る剣を見つめた。岩に突き刺さっていた謎の剣は、今や正嗣の武器となっている。刀身は美しく輝き、柄の握り心地も申し分ない。まるで正嗣のために作られたかのようだった。
これで七体目の守護者を倒した。残るは八体。
アイアンクロウの死体を一瞥する。鉄鱗に覆われた巨大な身体は、もう二度と動くことはない。首から流れ出た血が、地面に大きな池を作っていた。
そこで正嗣は気づいた。自分が死体を見ても、何も感じていないことに。
以前なら、たとえ敵であっても生き物を殺すことに対して何らかの感情を抱いていたような気がする。罪悪感とまではいかなくても、少なくとも複雑な思いは残っていたはずだ。
しかし今は違う。アイアンクロウの死は、単なる事実としてしか認識されない。必要なプロセスが完了しただけだ。
この変化に正嗣自身も薄々気づいていた。何かが変わったような気もしていた。しかし、それが何なのかは分からない。
重要なことなのだろうか。そんな疑問も湧いたが、やはり答えは見つからない。
「次に進もう」
正嗣は踵を返し、森の更なる深部へと向かった。背後では、アイアンクロウの死体が鉄錆色の地面に横たわっている。
歩きながら、正嗣は自分の心境を分析しようとする。確かに以前とは違う自分になりつつある。感情の動きが鈍くなっているような気がした。
最初の守護者、ヴァルグレイヴを倒した時のことを思い出す。あの時はまだ、巨大な狼を殺したことに対する複雑な感情があった。敵とはいえ、一つの命を奪ったのだという実感が。
二体目のミストラルを倒した時も、多少の感情は残っていた。しかし、それも薄れていく感覚があった。
三体目のスパイラヴォーム。四体目のレピッドハウンド。五体目のグラビトンボア。六体目のウィンドレイヴン。そして今回のアイアンクロウ。
回を重ねるごとに、正嗣の心は何かを削り取られているような感覚があった。しかし、それが問題なのかどうかは判断がつかない。
この森で生き残るためには、感情に左右されない冷静さが必要だ。むしろ良い変化かもしれない。
そう自分に言い聞かせながら、正嗣は歩き続ける。
しかし、心の奥底で小さな警鐘が鳴っていることも確かだった。自分が何か大切なものを失いつつあるのではないか、という漠然とした不安が。
だが、その不安も薄れつつあった。感情そのものが鈍くなっているのだから、当然の結果かもしれない。
正嗣は独り言のように呟いた。
「次の領域まで、どれくらいの距離だろうか」
答える者はいない。リュティアは夢の中でしか現れない。自分で判断するしかない。
会話もまた、必要最小限になっていた。無駄な言葉を交わす相手もいない。
効率的だが、果たしてそれで良いのだろうか。
正嗣は首を振って雑念を払った。今は生き残ることだけを考えるべきだ。グラディア・ノクスとの最終決戦まで、まだ長い道のりが残っている。
森の木々が再び変化し始める。鉄錆色から緑色に戻り、代わりに風の音が強くなってきた。上空では何かが旋回しているような気配がある。
雲の間に大きな影が見えた。翼を持つ何かが、円を描いて飛んでいる。次の守護者だろう。
次の守護者の縄張りに近づいているようだ。今度は空中戦になりそうだった。
正嗣は自分の身体を確認する。傷はまだ完全には治っていないが、戦闘に支障はない。新たに得た再生能力のおかげで、体力も徐々に回復してきている。
耐久力も向上している。これまでなら既に限界を迎えていたであろう消耗状態でも、まだ余力を感じられた。
「良い能力だ」
呟いた言葉に感情はない。ただの事実を述べただけだ。
手に握る剣の重さを確認する。バランスも良く、扱いやすい。これまでのナイフとは比較にならない性能を持っているようだった。
風が強くなり、木の葉が激しく揺れ始める。上空の気配も濃くなってきた。間もなく次の守護者の縄張りに入るだろう。
「今度は空中戦か」
正嗣は飛行能力を意識的に発動してみる。身体が軽くなり、地面から数センチ浮上した。まだ完全にコントロールできているとは言えないが、使える程度にはなっている。
アイアンクロウとの戦いで負った傷の痛みも、もはや気にならない。痛みは単なる情報として処理され、戦闘に影響を与えることはない。
この変化もまた、正嗣にとって有益だった。感情的になって判断を誤ることがなくなれば、生存率は向上する。
だが、同時に疑問も湧く。自分はまだ人間なのだろうか。
その疑問もまた、重要ではないと判断される。人間であるかどうかよりも、この試練を完遂することの方が重要だ。
上空の影が大きくなってくる。次の守護者が降下してきているようだ。
正嗣は剣を構え、戦闘態勢に入る。七体目の守護者との戦いが終わり、八体目との戦いが始まろうとしていた。
彼の心から人間らしい感情が少しずつ失われていく一方で、戦士としての能力は確実に向上している。
この交換が正しいものなのか、正嗣自身にも分からない。ただ、引き返すことは不可能だった。
前に進むしかない。グラディア・ノクスとの邂逅まで、あと七体の守護者が待っている。
風の音が一層強くなり、上空から鳥の鳴き声が響き渡った。次の戦いの始まりを告げる合図のように。
正嗣は空を見上げたまま、静かに呟いた。
「来い」
その声には、もはや人間らしい感情の起伏は残っていなかった。ただ冷静な戦士の意志があるだけだった。
そして、それが正常なことなのかどうかを判断する感覚も、既に彼の中から失われ始めていた。
アイアンクロウとの戦いは終わった。しかし、正嗣の試練はまだ始まったばかりだった。残る八体の守護者との戦いが、彼の人間性を更に削り取っていくことになるだろう。
だが正嗣は、そのことにすら無関心になりつつあった。重要なのは生き残ることだけ。そして最終的にグラディア・ノクスと対峙すること。
それ以外は、どうでも良いことのように思えていた。
そんな正嗣の心境の変化を知る者は、この森には存在しない。彼は完全に孤独の中で、自らの人間性を削り取りながら戦い続けるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます