『地味な僕の頭上にキャッチコピーが浮かぶ件について』

志乃原七海

第1話:降ってきた女神と400戦無敗のキャッチコピー


俺、田中誠(たなかまこと)、30歳。中小企業の営業職。

趣味はコンビニの新商品をチェックすること。特技は、会議で気配を消すこと。

そんな俺の人生は、純白の絹豆腐みたいに、淡白で、平坦で、特筆すべきことなど何もない。今日もそうであるはずだった。


「ふぅ……」


仕事帰りの公園。ベンチに腰掛け、俺は今日の戦利品を恭しく取り出した。

黄金に輝くパッケージ。『プレミアム濃厚とろーりプリン』。一週間、このために頑張ってきたと言っても過言ではない。


プラスチックの蓋を剥がし、キャラメルソースの甘い香りが鼻腔をくすぐる。さあ、一口――。


その瞬間だった。


「プリン発見ですわーっ!」


空から声がした。いや、正確には、金髪の少女が、俺のプリンめがけて降ってきた。


「えっ」


少女はまるで猫のように軽やかに着地し、俺の手からプリンをひったくった。そして、付属のスプーンで、俺の、俺の一週間の結晶を、その小さな口に幸せそうに放り込む。


「んー!濃厚ですわー!」


あまりの出来事に思考が停止する。天使?いや、プリン強盗だ。


「リズ様!お待ちください!」


今度は、銀髪の眼鏡をかけた美女が、空からふわりと舞い降りた。スーツ姿が妙に様になっている。


「レイヤ!追いつけるものなら追いついてみなさいですわ!」

「最高神様のプリンを盗み食いした上、まだ食べるおつもりですか!」

「これは田中さんのプリンですわ!別腹ですの!」


どうやら俺の名前は田中らしい。いや、そうだけど。


金髪の少女――リズが走り出し、銀髪の美女――レイヤが追いかける。公園の噴水を飛び越え、滑り台の上を駆け抜け、ブランコを蹴り飛ばす。まるでアニメのような光景に、俺はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


結局、紆余曲折の末、俺はなぜか二人をボロアパートの自室に匿うことになった。

神様だの天界だの、にわかには信じがたい話を、リズはプリン(俺がストックしていた分)片手に語り、レイヤは深々と頭を下げて謝罪した。


「田中様、この度の無礼、誠に申し訳ございません。つきましては、ささやかではございますが、姫に代わりわたくしからお礼を」


翌朝。レイヤは居住まいを正し、そう切り出した。


「いえ、別に……部屋も狭いですし、お気になさらず」

「いいえ、そういうわけにはまいりません。わたくし、天界では『キャッチコピーのレイヤ』と呼ばれておりまして。手がけたプロモーションは**400戦無敗**なのです!」


レイヤはどこからか取り出した扇子をバッと広げ、自信満々に胸を張る。


「はあ」

「田中様のお悩み、リズ様から伺いました。『存在感が空気』『地味』『平凡』……お任せください。このわたくしが、貴方様の隠れたる価値を世界に知らしめる、素晴らしい【祝福】を授けましょう!」


彼女が指をパチンと鳴らすと、俺の身体が淡い光に包まれた。温かいような、くすぐったいような、不思議な感覚。


「これでよし、と。さあ、行ってらっしゃいませ、田中様。今日から貴方様の人生は、映画の主役のように輝き始めますわ」


半信半疑のままアパートを出て、会社へと向かう。いつもと同じ退屈な通勤路。何も変わった様子はない。やっぱり気のせいか。

そう思いながら近道の路地裏に入った、その時だった。


「よぉ、兄ちゃん。ちょっとツラ貸せや」


壁にもたれた男たちが、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて道を塞ぐ。漫画でしか見たことのない、テンプレのようなヤンキーだった。


まずい。めちゃくちゃまずい。

財布には七千円。腕時計は安物。カツアゲしたところで割に合わないぞ、と心の中でプレゼンするが、口から出るのは「ひっ」という情けない声だけだ。


俺は恐怖でブルブルと震えた。その瞬間、背後がふわりと発光した気がした。


ヤンキーの一人が、俺の背後を指さして目を見開く。

「……おい、なんだありゃ」

「は?……うおっ、マジかよ」


リーダー格の男が、面白そうに口の端を吊り上げた。


「へぇ……『震える子鹿にあらず。嵐の前の静けさなり』、だぁ?」


は?何を言っているんだ、こいつら。俺はただ震えているだけの子鹿以下のサラリーマンだぞ。


混乱する俺の肩を、男がガシッと掴もうと手を伸ばす。俺はビクッと体をすくめた。

その刹那、今度は頭上がカッと輝いた。


「うわっ!」


男は電撃でも食らったかのように手を引っ込める。


「なんだテメェ!『触れるな危険。内に秘めしは伝説の闘気(オーラ)』だと!?ふざけてんのか!」


伝説?闘気?ダメだ、話がまったく見えない。

だが、わかったことが一つだけある。これはレイヤさんの祝福のせいだ!あの400戦無敗の!


「に、逃げろぉぉぉっ!」


俺は理性をかなぐり捨て、ヤンキーたちの脇をすり抜けて全力で駆け出した。

背後から怒声が飛んでくる。


「待ちやがれコラァッ!」

「伝説ってなんだよ!説明しやがれ!」


振り返る余裕はない。ただひたすら、大通りを目指して走る。

ヤンキーたちの驚愕の声が、追い風に乗って耳に届いた。


「おい、見ろ!あいつの頭の上!」

「『その疾走は、風か光か。いや、”伝説”の序章だ』……!?」

「やべぇ……あいつ、マジでやべぇ奴だ!」

「ぜってぇ逃がすな!追えぇぇぇぇっ!」


ヤンキーたちが、なぜか目を輝かせながら、大群で俺を追いかけてくる。


勘弁してくれ!俺はただの地味なサラリーマンなんだ!

いらない!こんな力、ぜんぜんいらないんですけどぉぉぉっ!


俺の悲痛な叫びは、キラキラと輝く迷惑なキャッチコピーと共に、朝のオフィス街に虚しく響き渡った。

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