第6話




澄んだ空気に、澄んだ声が落とされる。



重たそうな鞄を持った星野が、玄関から正門へ向かうためにこちらへ歩みを進める。



僕に近付くためではないと理解していても、彼女との空間が徐々に縮められることに少しの嬉しさと悲しさを同時に覚える。



きっと星野は「気をつけて帰ってね」と言い残してスッと僕の横を通り過ぎて行くのだろう。



誰にでも見せる綺麗な笑顔をこんな僕にも向けて、平等な優しさを、当たり障りのない言葉をくれるのだろう。



きっと、たぶん、恐らく。



どうして僕が帰らずにここに居るのか、その理由に気付いていながらも、彼女はそうするのが当然かのように、横を通り過ぎて遠ざかるのだろう。



「空、綺麗だね。」



そんな僕の予想は裏切られた。



星野は、僕の横を通り過ぎることをしなかった。



それどころか、僕の目の前のベンチに腰を下ろして、僕がずっとしていたように、同じように、天を仰ぎ感想を口にした。



空、と。



対象は自分ではないのに、自分の名前を呼ばれたと錯覚しそうになる。




「……なんで、帰らないの。」



「それは私の台詞だよ。月野くん、どうして帰ってないの?」



「コーヒー飲みたかったから買いに来ただけ。」



「…そっか。」



「お前はなんで座ったの。なんで、帰らないの。」



「月野くんに、言い忘れてたことがあって。」



「なに。」



「お誕生日、おめでとう。」




星野が空を見上げることをやめて僕の方へと顔を向ける。



僕がずっと彼女を見ていたから、視線はすぐに交差した。



ふわりと穏やかな風が肌を撫で、それと同時に図書室で気付いた僕と同じ香りが鼻を掠める。



星野は笑みを浮かべて、なんのリアクションも返さない僕に同じ言葉をもう一度吐き出す。



「おめでとう、空。」



あぁ、もう、いやになる。



星野、お前って本当に、最悪だ。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星野が泣いた 椎名 透子 @417105

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ