折れた翼は唐揚げにして
山﨑ナツ
第1話
さくっ。じゅわ。軽やかな衣の食感と、これでもかというほど溢れる肉汁。ざくざくっ。お行儀は悪いけれど、こういうのは手で食べた方がおいしいのだ。もっとジャンキーにしちゃおうかな。マヨネーズを召喚して、かけてみる。ああ、なんて罪深い味なんだろう。
深夜2時。私は、唐揚げを食している。
何でもない1日、のはずだった。その晩、私は不思議な体験をした。
「んん、いま何時…?」
無機質な光に、目を凝らす。液晶に表示された5時59分の文字にため息をついた。
「あと1分寝られたのに…、私の1分を返せ…」
こういうとき、なんだか損した気持ちになる。あと1時間は寝られる!と二度寝するのが最高なのに。夏の姿がちらりと見えるこの頃、朝6時はすでに明るい。お気に入りのタオルケットと泣く泣くお別れして、洗面台へ向かった。
鏡を見ると、頬に涙の跡が2本、残っていた。もういい大人なのに、昨夜は泣いてしまっていたらしい。どんな夢だったっけ。怖い夢でも見たっけ。その輪郭は、掴めそうで掴めない。なんだか、すごく奇妙な夢を見たような…。ダメだ、全く思い出せない。きっと、こういうのは無理に思い出さない方がいい。諦めて、支度することにした。そう言い聞かせながらも、どこかモヤモヤしたまま、家を出た。
私の最寄り駅は、学生が多い。そこそこ大きい駅なので、乗り入れる電車も多い。前髪を気にする女子高生たちを見て、自分の前髪も、一応気にしてみる。人混みと湿気でうねったそれは、彼女らに言わせれば、ビジュ最悪、状態だ。もう今日はピンで留めよう。諦めた。
あの溢れんばかりのエネルギーは、いつ無くしてしまったのだろう。
高校生の私はバスケ命だった。苦手な勉強も頑張って、バスケの強豪校に入学した。憧れの高校で、憧れの先輩たちとバスケができる。この上ない幸せだった。毎日毎日、バスケに明け暮れた。どんなにきつい練習だって、このチームメイトとなら乗り越えていける。全国で戦うんだ。恥ずかしいくらい、本気でそう思っていた。
高2の春。捧げるはずの青春は、一瞬で壊れた。試合中の大怪我だった。手術のあと、懸命のリハビリも虚しく、目の前に突きつけられた"引退"という選択。そうするしかなかった。それでも、仲間たちは優しくて、辞めてからも変わらずに仲良くしてくれたことが唯一の救いだった。でも、夢も、目標も、心から好きだと言えたバスケそのものを失った穴は、何にも埋められなかった。大き過ぎる喪失感を抱えたまま、大人になってしまった。
気がつけば、電車が会社の最寄りに停まっていた。色々思い出していたせいで、ぼんやりしていたみたいだ。人の流れに乗って、慌てて降りる。こんな暗い顔のままでは、周囲の人に心配かけてしまう。力を込めて、くっと口角を上げ、なるべく上を向いて歩いた。
「おはよう」
「おはようございます!」
浅田くん。隣のデスクの後輩だ。彼は毎朝、元気いっぱいの挨拶を返してくれる。高校時代、ラグビーをやっていたらしく、その声量にいつもパワーをもらっている。
「なんか、体調悪いっすか?」
どきり。
「え?全然!元気だよ」
ほら、と力こぶをつくって、笑う。
「ならいいんすけど、ちょっと元気ないのかなー、なんて。すみません、お節介でした」
彼は苦笑いして、
「元気出したかったら、今日の弁当の唐揚げ、お裾分けするんで、言ってください。唐揚げが1番元気出るんすよ!」
なんて冗談をこぼし、PCに戻った。
そんな元気ない顔だったかな。気を遣わせてしまった。機嫌悪そうな上司とか最悪だ、気をつけなければ。そんな反省をして、私も仕事に取り掛かった。
「ただいまあ」
ああ。疲れた。誰もいない玄関で、ほとんどため息みたいなただいまが出た。脱いだパンプスを揃える力もない。おばあちゃん、ごめんなさい。惰性で手を洗って、部屋着に着替えた。高校時代のジャージだ。着心地もいい。夕飯は、コンビニの唐揚げ弁当だ。そう、浅田くんの影響で、無性に食べたくなってしまったのだ。昔は手作りのあったかいご飯が待っていたのになあ、と少し切なくなる。最後に残してひとつを頬張り、ひとりぼっちの夕飯を終えた。
それから、ダラダラとテレビを見て、お風呂に入って、寝る準備は整った。しかし、最近は寝つきが悪く、布団に入ってもスマホを見てばかりだ。特に今日は、嫌なことを思い出してしまったし。ずっと起きているよりはマシだろうと、瞼を閉じようとしたその時だった。顔面に何かが落ちてきて、視界が遮られた。
「わっ、なに!?」
白い紙だった。なにか書類でも放置していたっけ。明かりをつけると、それは全く見覚えのない「レシピ」だった。
「え、『唐揚げの作り方』?」
知らない知らない、こんなの知らない。コンビニでもらったチラシ?いや、唐揚げのレシピ、しかも手書きのものなんてコンビニが配るだろうか。
⚫︎材料
油
片栗粉
折れた翼
以上。唐揚げって、こんなに簡単に作れるものなのか?普段、自炊しない私は、唐揚げ作りの経験などなかった。それより気になるのは、翼という文字。鳥の、ってこと?なんだか恐怖を覚えながらも、体は自然とキッチンに向かっていた。
「何これ!?」
思わず声をあげてしまった。材料と調理器具が、完璧に準備されていたのだ。誰かが侵入してきたのか、それとも全て夢なのか。疲れているんだ。早く寝なくては。いつもの私ならすぐに寝床へ戻っていたと思う。しかし、今日の私はおかしかった。
「ちょっとやってみようかな。夢の中くらい、何してもいいじゃんね。」
なんと、人生初の唐揚げ作りに挑戦することにしたのである。
棚から、買ったはいいが未使用のままのエプロンを身につけ、もう一度レシピを読み直す。すると、先ほどまではなかった文が追加されていた。
『折れた翼は、あなたの諦めたもの」
「諦めたもの、か。」
昨日見た夢の内容。今朝の前髪。予想より高かったワンピース。抜群のスタイル。たぶん、諦めたものなんてたくさんある。でも、いちばんに思い浮かんだのは、バスケのことだった。
誰かに愚痴ろうにも、吐き出せなかった。仲間の前でも、無理に明るく振る舞っていた。それを他人に慰められるのも、言葉をかけてもらうのも違う気がして、ずっと心の奥に閉じ込めていたこと。
部員でいられる最後の日。ミーティングで時間をもらい、同期に簡単な挨拶だけさせてもらった。
「練習頑張って!45期イチの応援隊長だから!」
できるだけ笑顔で、手を振って、
「じゃねーん」
当時、私たちの間で流行っていた変な挨拶をした。
そう、いつも通りに。でも、体育館の重い扉を閉めた瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。気持ちいいほどの笛、バッシュのスキール音、大好きな仲間たちの掛け声。そして、もう戻れない現実。全てが波のように、襲いかかってきた。駅までの道を、唇を噛んで歩いた。その日の夕飯は、いつもよりしょっぱい味がした。
翌日、ちゃんと学校に行った。切り替えよう。勉強に打ち込もう。何度も自分に言い聞かせ、部活のことなんて忘れたふりをして、今日まで過ごしてきた。
それでも。時間が経った今でも、まだそこにいられたかもしれない自分を想像してしまう。あんな怪我がなければ。いや、全部自分のせいだったんじゃないか。他に選択肢はなかったか。マネージャーとしての道は?辞めたのは自分の選択なのに、悲劇のヒロインぶってるのか?自分で自分を責めるようなこともした。
考えても、現実は変わらない。
そうだ、昨晩の夢は、バスケしている自分の夢だった。急に思い出した。ぽたぽたと、キッチンの天板に涙が落ちていった。それと同時に、例の翼のようなものが現れた。
ああ、これが。不思議なくらい、すぐに理解できた。でも、はっきりと姿形は見えない。夢らしいところだ。折れた翼とは、諦めた夢、みたいなことなのだろう。
涙を拭いて、レシピ通りに調理してみる。高温の油を用意して、衣をつけたそれを投入する。
じゅー。心地よい音を立てながら揚げられていくそれを見ていた。ずっと、こうして、どうにかしてしまいたかった。熱い何かで、もう溶かしたかった。今の自分が何をしているのか、よくわかっていない。でも、なんだか消化されはじめているような、されていないような、奇妙な感覚だった。
唐揚げは、いい黄金色に変化した。お皿にあけ、ふーと冷まして、一口め。
「いただきます」
さくっさくっ。味も、食感も、普通の唐揚げだった。翼なんてものはなくて、ただ唐揚げを作っただけなのかもしれない。
でも、私は泣いていた。表現しきれなかった感情が、少し形になった気がした。唐揚げは、おいしかった。本当に、おいしかった。ざくっ。噛み砕いて噛み砕いて、今までの悔しさも、悲しみも、どこか諦めた気持ちも、全部、噛み砕いた。
ひとつを食べ終えると、急激な眠気に襲われ、目の前が真っ暗になった。
ピピピピ。6時。
「あれ?」
朝になっていた。変な夢を見ていたみたいだ。鏡を見ると、浮腫んだ顔の自分がいた。でも、表情はいつもより明るかった。
キッチンは、何も変わっていない。じゃあ、やはり夢だったのだ、あれは。朝食を適当に作り、支度をして、家を出た。
高校生たちが、前を歩いていく。私の夢は消えない。これから先も。もう飛べない私が歩くのは、泥臭い地面だから。でも、いつか、唐揚げでもなんでもいいから、少しずつ消化していけたら。どうにもならない気持ちと、どうにか付き合っていきたい。
今晩は美味しい唐揚げが食べたい。教えてくれそうな人をよく知っている。
折れた翼は唐揚げにして 山﨑ナツ @Fuji23
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