第16話 出立

 秋晴れの空の下、都に繋がる街道は多くの人が行きかっている。

 峠に立って見上げれば、鳶が風に乗って飛んでいた。


「澪、どうしたんだ?」

「……しばらくは屋敷も見納めになるかと思うと、なんだか……寂しいような心持ちになってしまって」


 馬車から下りて、一休みをしたところである。

 北嶺の前に広がる玄安の地は、ようやく稲が実ったところだった。黄金色に染まる土地を眺めれば、やはり感傷的になってしまう。

 煌貴も下馬して澪に並んだ。


「……都に行くのは怖いか?」

「いえ、大丈夫です」


 涼と銀子は先に都に護送されている。

 澪と煌貴は追うようにして都に出立をしたのだった。


「主上に結婚の報告をしないといけない。しないとあの方は拗ねる……じゃなかった。お怒りになる可能性が高い」

「は、はい」


 澪は血の気が引く思いでうなずく。

 扶桑国の帝は御年二十歳の若さだ。眉目秀麗という噂は聞いたことがあるが、それ以外の情報は澪の頭にない。


「わたしがお会いして大丈夫なのでしょうか」

「きっと喜ぶぞ。玄安の地に本物の氷姫が生まれたわけだから」


 煌貴にそう言われ、澪はうつむいて手を見つめる。


「でも、今は、氷雪の網を出せません……」


 北嶺では二度も出せた氷雪の網。

 玄安の屋敷に帰ってから放とうとしたが、蜘蛛の糸のように細い糸が生まれただけで、編むことができなかった。


「奥方の呪いがまだ解けきっていないんだ。無理をしなくていい」

 

 銀子の鍼の呪術は、澪の身体の奥深くに刺さっているらしい。

 そのせいで、澪は氷雪の網を編めなくなっているというのだ。


「力を安定させるには、時間が必要なんだろう。あせらずに、のんびりやればいい」

「ありがとうございます。でも……」


 澪は唇を噛む。

 煌貴は慰めてくれるし、励ましてくれる。

 けれど、彼の妻になるというのに、役に立てないのがつらいのだ。

――煌貴は努力しているのに。

 妖魔を食らってさえ灼刀を保持しようとする彼に比べたら、澪は何もできていない。

 煌貴が澪の頬を両手で包んだ。


「澪、俺はおまえに会えて本当にうれしいんだ。澪は俺を救ってくれる。俺が灼刀を振るえるのは、澪のおかげなんだから」


 彼の右肩を澪が織った水衣で覆っている。

 水衣の効果は永久に保たれるわけでなく、何度か使えば煌貴を冷やす力は失せてしまう。


「わたし、お役に立てていますか?」

「ああ……いや、役に立てるか立てないかじゃない。俺は澪にそばにいてほしい。そばにいてくれないと困るんだ。澪が見つめてくれるなら、俺はいくらでも戦える」


 澪の額に己の額を押しつけて、煌貴はそんなことを言う。

 うれしくて、涙がこぼれそうになるのをこらえた。


「わたしのこと、いくらでも利用してください」

「ああ、そうじゃなくてだな……」


 煌貴は澪を抱きしめ、澪の頭の上でつぶやく。


「澪がそばにいてくれるなら、俺はもっと強くなれそうな気がするんだ」


 その言葉に胸がいっぱいになる。


「わたしも、煌貴に抱きしめてもらうと勇気が出ます」


 前みたいに小さく縮こまらなくていいのだと思わせてくれる。

 煌貴には感謝しかない。


「氷姫さま!」


 峠道を駆けのぼってくるのは、桐人だ。

 澪は顔を輝かせた。


「桐人、妹さんは?」

「だいぶ元気になったよ」


 桐人は明るく答える。

 そもそも、桐人が北嶺にいたのは、銀子に脅されたためだった。

妹を医師に診てもらいたいなら、澪や煌貴を定められた刻限に氷姫の廟に連れてこいと言われていたらしい。

そのせいで、桐人は妖魔に襲われる羽目になったのだから、銀子はとんでもなく残酷な人間だと思わずにはいられない。


「……氷姫さまはもう帰ってこないの?」


 桐人に問われ、澪は煌貴と顔を見合わせたあと答えた。


「帰ってくるわ。結界を張らないといけないし」


 氷姫の廟を中心に、澪はなけなしの力を振り絞って結界を構築した。

 もっとも、護国四家の当主が張る結界としては物足りないものらしい。

 つまり、力を取り戻して、きちんとした結界をつくりあげる必要があるのだ。 


「澪はもう少し治療が必要だ。そのためには、都に赴く必要がある」


 都の特別な医師に診てもらえば、平常に戻るまでの時間が早まるかもしれない。


「……そう」

 

 桐人は寂しげにうつむいてから、澪を見上げた。


「氷姫さま、気をつけて」

「ありがとう。わたしは大丈夫よ」

 

 はたと気づいて、澪は髪をまとめていた組紐をほどいた。青と白の糸で編んだ爽やかな色合いの紐は、氷姫を想定して澪が手ずから編んだものだった。

 それを桐人の手にのせる。


「妹さんにあげて。お守りの代わりに」

「ありがとう。氷姫さまのご加護があるなら、きっと治りそうだよ」


 桐人は紐をぎゅっと握り、こんどは峠道を駆けくだる。

 何度も振り返っては手を振る姿に、図らずも目頭が熱くなった。


「いいのか?」

「紐などいくらでも編めますもの」

「いや、その……」


 煌貴は己の高い鼻梁に指を這わせてから言った。


「俺と一緒に行くことをだ」


 うれしさのあまり、笑みがこぼれる。煌貴がためらうのは、澪の心を慮ってくれているからだ。


「都に行くのが楽しみです」


 どんな人と会い、何が起こるのか。

 怖いような胸が躍るような、ふたつの気持ちが胸の内で渦を巻く。

 煌貴はそんな澪を励ますように手をしっかりと握ってくれた。

 澪は煌貴を見上げ、決意を示すようにうなずいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

氷姫の契約婚 虐げられた令嬢は炎の腕に抱かれる ななみ沙和 @SAWANANAMI

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ