婚約者に初恋の話を聞かせてみた結果

夕山晴

婚約者に初恋の話を聞かせてみた結果

 

「あ、それ、俺だわ」

「嘘でしょ!?」


 真顔で自身の顔を指差したセストに向かって、ルアーナは小さく叫ぶように声を上げた。


 社交の場で出会ったセストと婚約を結んだのは一年前。

 家のためにと心無い結婚が多い貴族とはいえ、互いに惹かれ合って交わした婚約だった。もちろん家格に差がなかったことも大きく、両親も後押ししてくれた。

 デートや手紙のやり取りを重ね、恋心を育てつつ、婚約期間は順調に過ぎていたのだが。


「私の初恋の話よ!?」

「うん」

「六歳くらいの時の話よ!!?」

「知ってるって。さっきも聞いたし。迷子になって、履いてたお気に入りの靴も壊れて、困って泣いてたルアーナを助けたんだろ?」


 街の道沿いに据え付けられたカフェのテーブル席で、会話を楽しんでいた時だった。

 ちょっとした出来心で——セストが少し嫉妬してくれたらいいなと思って、初恋の話をしたところセストが自分の顔を指差したのだ。


「いやいや、あなたの髪、黒いじゃない! 私の初恋は金髪の男の子だったし」

「あー、うん、あの頃は金髪が流行ってたみたいでさ、母親が金髪になる魔法薬を飲ませてたんだ」

「え! あんな高級な薬を??」

「ああ、あの頃は今よりも金回りが良かったみたい。使ったことない?」


 しれっと頷くセストだが、ルアーナは信じられない。面影だって一つもなければ、途中までは明らかに動揺していたのだ。嫉妬する姿を見られたと内心喜んでいたほどに。


「でも、あの子は、もっと丸かったし……」

「ふはっ、案外、君も失礼だな。子供なんだから多少太ってたって構わないだろ? あの頃は見た目なんて気にならなかったし、体を動かすのも好きじゃなくてさ。魔法薬の副作用で太りやすくなってたってのもあるし」

「瞳の色だって紫じゃなかったわよ」

「ルアーナったら、髪の色を変えられるんだから瞳の色を変えることだってできるに決まってるだろう」


 魔法薬の効き目は期限付き。もしそれが本当なら、あの姿を保つために一体いくらの金額をかけたと言うのか。想像して身震いしたが、それはそれ。


 セストはきっと、途中で気づいたのだろう。

 愛されているのか確信が欲しくてセストを試そうとしたルアーナの浅ましい心を。


「そうかもしれないけど……私の話に合わせるためにわざわざそんな嘘つかなくたって!」

「君が六歳なら、俺は九歳。俺の方がよく覚えてるさ」

「じゃあ何色の瞳だったか、言ってごらんなさいよ」


 セストがいつも身につけているウエストバッグをぽんぽんと叩く。何か言いにくいことがある時、彼はよくそんな仕草をする。


「えー? 何だったかなあ。いろんな色に変えさせられたんだよ。赤か青かオレンジ、緑だと思うけどなあ」


 あの男の子の瞳は青だった。金髪に青い瞳が印象的で、心にずっと残っている。一人で泣いていた時に助けてくれた、まるで王子様のようだと、大切にしてきた思い出だ。


「そんなにたくさんの色を言えば当たったっておかしくないでしょ」

「あ、合ってた?」


 悪気なく笑うセストが——いつもは大好きなその姿が今は憎らしい。

 嘘を吐くくらいなら、正面から嗜めてほしかった。


「合ってた! 青! でもそんな風に私の思い出で遊ばなくたっていいじゃない……! 大事な初恋なのよ」


 少し遠い街に馬車で旅行へ行った時の話だ。

 滞在したのも二週間ほど。その間に偶然出会った男の子が、目の前にいるセストだとは到底思えなかった。


「ちょっとした出来心だったのに……初恋の話なんてしたら、セストが嫉妬してくれたりしないかなってちょっと思っただけだったのに……」


 試すようなことをしたのは悪かったとは思うけれど。

 まさか、平気な顔で嘘をつく姿を見せられるとは思いもしなかった。しかもよりによって大切な思い出を茶化すような。


「もう知らない!」


 結婚を目の前にして、セストのこんな一面を知りたくなんてなかったのに。


 残っていた、砂糖とミルクで甘くしたコーヒーを飲み干して。

 席を立ったルアーナは、呆然としたセストを尻目に、足早に立ち去ったのだった。




 ◇




「え……何それ。かわいい……」


 走り去るルアーナの背中を見つめながらセストは思わずそう口走った。

 幸せすぎて理解が追いつかず、ルアーナを引き留めることもせず呆然と眺めてしまったのは失態だろうが。いや、しかし。


 突然始まったルアーナの初恋の話。何だ何だと思っていたら、まさか。


「俺に嫉妬させたいからって……そんなのかわいすぎる……」


 旅先で出会ったという、迷子になったルアーナの手を引いた初恋の男。

 子供の頃の話だとはいえ、簡単にルアーナと手を繋ぐなんて、とチリリと胸を傷ませながら聞いていた。

 見事ルアーナの作戦に引っかかったというわけだ。


「俺の婚約者がかわいい……」


 悦に浸りながら呟いて。

 手で覆った頬は赤くなっているかもしれない。


「じゃない! 早く追いかけないと」


 我に返ってセストは立つ。ウエストバッグを引っ掛け倒した椅子を戻しながらルアーナの背を目指した。




 辺りを見回しながら少し走ると、広場の噴水の前に見慣れた姿を見つけた。

 ベンチに座る彼女は間違いなくルアーナだ。俯く彼女の表情は窺い知れない。

 近づくと、セストの影が下を向くルアーナを覆い、彼女は気付いたようだった。


「ルアーナ」

「なあに」


 声をかければ返事がある。それにほっとした。


「怒ってる?」

「怒ってないわ」

「怒ってるじゃん。それとも泣いてる?」

「泣いてない!」


 見えない顔が寂しくて、どうにか視界に入れないかと腰を屈めて覗き込んだ。


「本当だよ? あの時、手を繋いだ男——ちゃんと俺だよ」

「まだそんなこと!」

「嘘じゃないって。ルアーナが泣いてたのは、迷っただけじゃなかっただろ。靴も壊れたって言ってた。その時も、こんな噴水の前じゃなかった? 可愛い赤い靴についてた花の飾りが取れて泣いてたんだよな。今みたいに座り込んでた」


 ルアーナがセストを見た。まんまるになった目にようやく自分が映って、それがいつもよりも嬉しい。

 大切にしているウエストバッグに手を入れて、目当てのものを取り出した。手のひらほどの大きさの木箱には美しい幾何学模様が彫られている。


「魔法鞄……!? そんな高価なもの……!?」

「あ、わかった? でも持ってることは秘密なんだ。それより見て」


 箱の中身は、花の飾りだ。

 まだ幼い頃、泣いていた女の子からもらった靴の飾り。


「これ、あの時の……!」


 迷子になって不安な上に、お気に入りの靴まで壊れてしまう——泣きべそをかく女の子が可哀想で、思わず手を差し伸べた。花売りから一輪買って、目の前にそっと差し出したのだ。

 驚きつつもすごく喜んでくれた女の子は、代わりにとお気に入りの花を譲ってくれた。


「俺にとっても、随分と、心に残ってる思い出なんだよ」


 王子様みたいだと言われたのは、後にも先にもその一度きり。


「うそ……」


 信じられないとばかりに小さく口を開けたルアーナに笑いかけた。

 セストもまたカフェで同じことを思ったばかりだ。再会するなんて誰が想像するだろう。


 驚くルアーナの耳元にそっと近づく。


「結婚したらさ、言おうと思ってたんだけど。ああ、これは極秘だからね、利用価値が高くて国から守秘義務を言い渡されてる。……実は俺の家、魔法使いの一族でさ」

「……え? 魔法使い!?」


 ぽんぽんとウエストバッグを叩く。


「だからさ、この鞄も、髪の色を変える魔法薬も、家業の一環というか……だから俺の家ではそこまで高価なものでもないわけ。……これで信じてもらえるか?」


 噴水の前、大きな緑の瞳から溢れる涙を見るのは今日で二回目だ。

 流れ落ちないように指を伸ばした。


「泣かないでよ」

「……ただの出来心だったのに……あの男の子が、まさか本当にセストだったなんて思わないじゃない……びっくりしたの。あと、疑ったりしてごめん」

「いいんだそんなこと。俺も言葉が足りてなかった。初恋の男が俺だなんて、嬉しすぎて」

「ほんとに?」

「本当さ。ルアーナのかわいい作戦は大成功だったよ。思惑どおりルアーナを助けた少年に嫉妬したんだから。自分に嫉妬するなんておかしな話だけど」


 そっと手を引けば、立ち上がってくれる。ルアーナも、記憶にある幼いルアーナも全部腕の中に抱きしめた。

 ルアーナの髪についた小さな水滴が光り輝いていた。


「…………本人に初恋だって話すなんて、なんて馬鹿なことをしちゃったのかしら」

「そんなこと言うなよ。昔の俺にも恋してくれたならこんなに嬉しいことはないさ。だって君は二回、俺に恋してくれたってことだろう」


 大きな目にうっすら涙を浮かべて、こくこくと頷く彼女は世界でいちばんかわいい。


「俺のことだけ見てくれよ……これからも。絶対に幸せにすると誓うから」


 噴水の水しぶきの中に虹が見えた。眩しいのはそれが原因か、それとも。


「私だってセストを幸せにするわ」


 簡単に幸せを分けてくれようとするルアーナに、お気に入りの花を譲ってくれた少女の面影を見た。

 王子様みたいだと言った少女が、姫になって腕の中にいる。この噴水もまた忘れられない思い出になるだろう。

 ——結婚式は一ヶ月後だ。


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