地獄タクシー第一部
渡夢太郎
第1話 双鬼
プロローグ
3年前、12月24日
赤坂見附の駅と駅前の通りは、色とりどりのイルミネーションに包まれていた。ホテル前の巨大なクリスマスツリーの足元から、親子が歩き出し、横断歩道の前に立つ。
「パパは、イブもお仕事?」
「年末は毎年忙しいんだから、しょうがないわね。でも、お正月は一緒にいられるわよ」
「やった!」
「今年は真美が、パパの好きなローストチキンを作ったから、喜ぶわよ」
「うん。一緒に食べられないけど、夜食になるから」
「さあ、ケーキを買ったらパパの会社へ行こう」
「うん」
真美はそう言いながら、背後で響いた異様な音に気づいて振り返った。そのとき、桜田通りから外堀通りへ曲がってきた黒塗りの車が、スピードを落とすことなく横断歩道へ突っ込んできた。
「真美、危ない!」
母親は娘を抱きしめる。次の瞬間、二人は弾き飛ばされ、宙へ跳ね上がる。飾り付けのケーブルが脚に絡み、二人の体は道路に叩きつけられた。鈍い衝突音だけが、ツリーのベルを黙らせる。黒塗りの車は止まることもなく、走り去った。
*******
「夜野さん!」
二十五時〈翌午前一時〉。正月番組の収録を終えた直後、報道局の人間が副調整室に飛び込んできた。
「奥さんとお子さんが、交通事故にあって——」
「どこにいる!」
「虎ノ門病院です!」
夜野礼司が病院に着いたとき、ベッドに横たわる二人の顔には白い布が掛けられていた。
「なんてことだ……!」
礼司は真美の顔布をそっと外し、冷たい手を握る。隣のベッドには妻の由美が、静かに眠るように横たわっていた。
「真美! 由美!」
普段は冷静で物静かな礼司が、声を上げて泣いた。二度と瞼を開けることのない二人を前に、彼の胸には絶望しか残らなかった。
「お悲しみのところ申し訳ありません」
交通課の警察官が、礼司に声を掛ける。興奮状態の礼司の耳に届いたのは、「赤坂見附」と「ひき逃げ」という言葉だけだった。
第一章 双鬼
3年後の5月
池袋駅西口から環七へ向かった。有楽町線要町駅の交差点から
山手通りを渋谷に向かって雨の中タクシーは走っていた。
昼の12時近くは相変わらず混雑して、
前を走るタクシーは次々に客を乗せて走り出す。
「ちくしょう、また拾われた」
タクシーの中でそう悪態をついた運転手は、
豊島区のタクシー会社に勤めて3ヶ月の夜野礼司。
運転手らしからぬ178センチのがっしりとした
タイプで、髪の毛は短く精悍な感じの男。
左車線を走り信号付近ではスピードを落とす
客の拾い方のノウハウをやっとマスターしてきたところだった。
西武新宿線中井駅の陸橋を越すと、その先に傘をささずに
雨に濡れた小柄な老女が手を上げていた。
その姿は真っ白な髪に、もう5月だというのにグレーの手編風のショール、
黒っぽいパンツをはいて、指先の切れた茶色の手袋をしていた。
真っ白な髪は雨に濡れて首元に張りつき、
グレーのショールはまるで霧のように身体を包んでいた。
黒いパンツの裾からは、土で濡れた古びたスニーカーが覗き、
指先の切れた茶色の手袋からは、カサついた紫色の指が覗いていた。
「いた!」
礼司はハザードランプをつけて車を左側につけ、後部ドアを開けた。
しかし、一向に座席に入ってくる様子がなかった。
「あれ? 気のせいか」
と思い、礼司が後ろを振り向くと、今まで見えていた老女の姿はどこにもなかった。
その間に後ろから来たタクシーが先で手を上げている男を乗せていた。
「ああ、また先を越された。ホント、今日はついていない」
礼司は後ろを確認して右にウインカーを上げ車を発進させた。
しばらく車を走らせて中央線のガードをくぐると、
また左側にさっきの老女の姿が見えた。
今度はスピードを下げて左車線をゆっくり通ると、
頭をゆっくり下げていた老女の姿が、
助手席の窓から見えた瞬間に消えた。
「うん?」
と礼司は小さな声でつぶやき、すぐに納得した表情で言った。
「わかりました」
礼司は小さくつぶやいたあと、ふっと小さく息を吐いた。
「なるほど……まだこの世に未練があるのか」
そう呟くと、アクセルをゆっくり踏み込んだ。
この街は、生きている人間だけが手を挙げるとは限らないからな…
ただ、金にならないけど」
後部座席を観ると黒い石の付いたペンダントがおちていた。
「これがお礼ですか?じゃあ行きますよ」
礼司はタクシーのスピードを上げた。
しばらく走ると、中野坂上交差点の手前で、
真っ赤な傘をさして必死にタクシーを止める女性の姿が見えた。
前を走るタクシーはみんな客を乗せていて、
水しぶきを上げながら彼女の前を通り過ぎて行った。
「OK、今度は大丈夫だ」
礼司はハザードランプをつけ、タクシーを赤い傘の女性の前で止めた。
「ご乗車ありがとうございます。
どちらまでいらっしゃいますか?」
「ありがとうございます。あの、NHKまでお願いします」
後部座席に座り、髪をかきあげながら女性は言った。
「はい、NHKですね。かしこまりました」
頷きながら、タクシーを発進させた。
「よかった、タクシーがなかなか捕まらなくて」
「そうでしたか、それはよかったです。僕はお客さんが拾えなくて」
と言って礼司はバックミラー越しに女性と目を合わせた。
「出演ですか?」
「いいえ、朝ドラのオーディションなんです。一時からなんですが、間に合いますよね
「はい、大丈夫ですよ。まだ40分ありますから」
「すみません」
「なるほど……そういうことだったんですね」
礼司が静かに呟いた。
「えっ? 何か言いました?」
「いえ、こちらの話です」
そう言って女性は化粧を直し始めた。しばらく山手通りを走っていると、
礼司は女性に話しかけた。
「ちょっといいですか?」
「はい?」
女性はコンパクトの手を下ろした。
「北海道の方ですよね」
「えっ、どうして? なまっています?」
「いいえ、そんな事ないですよ。勘です。ただの勘です」
「すごいですね、そんなのわかりますか」
「あははっ、まあね」
礼司が照れくさそうにしていると、女性が話し始めた。
「私、女優になりたくて両親の反対を押し切って旭川から出てきたんです。
でもいつまで経ってもうまく行かなくて、プロダクションとの
契約も今日だめだったら切られてしまいそうなんです」
「大変ですね、芸能界」
「ええ。それに、去年私の事を応援してくれていた祖母も亡くなって……」
激しい雨が叩きつける窓を見ていた女性の瞳が潤み始めていた。
「なるほど」
と礼司は囁いた。
「はい? 何か言いました?」
「きっと、おばあ様が導いたんですよ」
「……え?」
「たまに、そういう“偶然”が起きるんです。この仕事をしてると」
「そうなんですね……。なんだか、涙が出そうです」
「あのー、よかったらこれを」
礼司は助手席にあった小石のペンダント渡した。
「あっ、懐かしい十勝石。黒曜石とも言うんですよね」
「黒曜石知っています。魔除けの石で有名ですけど、
自分の力を発揮できるパワーがあるそうです。
あなたならきっと合格します」
「詳しいんですね」
礼司は自分の頭に勝手に浮かぶ
言葉に首をかしげた。
女性は手のひらに乗せた瞬間に言った。
「十勝石。私いつもお守りにしていたの。ああ忘れていたこの感触」
女性は手の平でなでて暖かさを感じていた。
「そうですか。どうぞ持っていってください」
「えっ、いいんですか?」
「はい、それ今からオーディションを受けるあなたにピッタリです」
車は井の頭通りを右に入り、NHKの入り口に着いた。
礼司は振り返って言った。
「2100円になります」
「ありがとうございます。おかげで間に合いました」
「ありがとうございました、合格をお祈りしています
礼司は軽く会釈しながら、心の中でつぶやいた。
(がんばれよ。きっと、誰かが見ている)
礼司がタクシーを走り出すと車寄せの隅に立っていた老女が深々と頭を下げていた。
タクシーを降りた女性は黒曜石のペンダントをしてオーディション会場で受付をした。
「北野千早です!」
千早の表情は明るかった。
朝ドラのヒロインになれば必ず国民的アイドルになれるオーディションを受ける女優たちは必死だった。
プロデューサー、監督、脚本家、制作スタッフたちが彼女たちを真剣に
見つめていた。
千早も最後のチャンスと必死で審査員たちに自分の演技力を見せていた。
1時間後最終選考に残った千早だったが結果は主役の女優は幼い感じの17歳の女優に決まり千早は肩を落として椅子座った。
「駄目だった・・・ごめんねおばあちゃん、運転手さん」
「北野千早さん」
目の前にオーディション会場の審査員の一人が立っていた。
「はい」
千早が立ち上がった。
「君、今回の主役のオーディションには通らなかったけど。
大河のお姫様役があるんだけど、やってみないか?」
「えっ!」
「瓜実顔の君は和服が映えそうなんだ」
「はい、やります!やらせて下さい」
「ところで英語は?」
「英文科です」
プロデューサーと千早はリハーサル室に入っていった。
礼司がつぶやいた(誰が見ている)言葉通りだった。
*********
5月の連休明の日曜日の夜23時50分、ディズニーランドからの
首都高速湾岸線の上りは渋滞をしていた。
ノロノロと動く車の中で、小百合は正樹の肩に頭をもたれた。
「今日は楽しかったわね」
「おい、あぶないだろ運転中に」
「大丈夫、この渋滞だもの」
正樹は、辰巳ジャンクションから首都高9号線に乗り換えて
箱崎方面に向かいながらうんざりした口調で言った。
「相変わらずこの道わかりにくいなあ」
湾岸線に比べれば渋滞も解消されていたが、
前方の車のテールランプはまだ見えていた。
しかし、24時を過ぎると突然靄がかかり、
分岐点を左に入った急なカーブを曲がると前には1台の車もいなくなっていた。
正樹は小百合に言った。
「あれ。ずいぶんすいているなあ」
「本当だ。スピード出せるじゃない」
小百合が笑った瞬間、正樹の背筋に冷たいものが走った。
(何か変だ・・・)
何回も辰巳ジャンクション通った事のある正樹はその変化に気づいた。
正樹は目いっぱいアクセルを踏むと突然高速道路のライトが消えた。
「あれ道路が見えないぞ」
正樹はあわててブレーキを踏んでも
高速道路の突き当たりは壁になって見えた。
その壁には川のような傷にライトが当たって光っていた。
正樹は左にハンドルを切るとそこも壁で、車は激しくぶつかり、
フロントのボンネットは持ち上がってラジエターから蒸気が吹き出していた。
正樹と小百合は額から血を流し大きく開いたエア・バックがしぼみ、
開いたドアから血がぽたぽたと道路に流れ、
遠くからカリカリと言う音が続いていた。
それからしばらくした夜の23時前、青山霊園脇の道路に
黒いボディのタクシーが止まっていた。
コンッコンッと助手席を叩く音に、
運転席のシートを倒して眠っていた夜野礼司が気づいた。
「ん、何だ?」
「乗せてくれる?」
窓越しに立っていたのは高校生くらいの少女で礼司は
パワーウインドウのボタンで助手席の窓を開けて話しかけた。
「どこに行きたいんだ?」
「首都高一周。いくらくらい?」
少女は笑顔で言った。
礼司は少し考えると、少女に向かって言った。
「走った事無いからな想像もつかん」
「なんだ、10000円しか無いんだけど」
「いいよ。どうせ暇だから貸切で」
「もう23時よ。そろそろ忙しくなるでしょ」
「そうなんだけど、最近お客さんがいなくてな」
「大丈夫? 会社に怒られるよ」
「お前に言われたくねえよ」
「あはは、ごめんなさい。それでおじ様、
どうするの? 乗せてくれるの?」
「いいよ、行ってやるよ」
礼司は運転席の右にあるボタンを押しても後部座席のドアを開けた。
「ああ、前がいいなあ。車に酔うから」
「まってくれ」
礼司は釣り銭箱推しを片付けて助手席を開けた。
「前は狭いぞ、シートベルトつけろよ」
「はい」
少女は前に乗ると微笑んだ
「よろしくね」
にっこり笑いお辞儀をした。
少女はコスプレで人気のメイド風の
黒いミニワンピースと白いブラウスと白いハイソックスを着ていた。
「首都高一周でいいんだな」
少女はうなずきながら、金色に光る鬼の顔の形をしたノブをポシェットから
取り出した。
「はい、じゃあこのシフトノブつけてくれる」
「何だこれ?」
「何も聞かないで」
少女は真剣な目つきで礼司の目を見つめ返した。
「ま、しょうがない」
少女の目つきに少々恐縮した礼司はシート脇にある
コラムシフトのノブに、鬼の顔をしたノブを被せた。
すると、一瞬車が光ったように礼司は感じた。
「ん? 何か変だな?」
「大丈夫よ。きっと。ふふふ」
「じゃあ行くか、シートベルトしろよ」
「うん」
礼司がエンジンをかけると、キーンと言う音がした。
「ん?」
礼司が変な声を出して、料金メーターの貸切ボタンを
押してタクシーを走らせた。
「後ろを見て」
少女に言われて礼司が車を止めて振り返ると、
さっきまで乗っていたタクシーがあった。
「な、何だ! おい、どう言う事だ」
「あっちはね、魂が抜けた車なの。夜野さん」
「車に魂があるんかい」
「もちろんすべての物に魂がある
だから魂が抜けた物は・・・」
礼司が振り返って魂が抜けたタクシー見つめている間に、
その車の窓ガラスがヒビ割れ、ゆっくりと霧のように消えていった。
「何? それにどうして俺の名前知ってる」
「乗務員票に書いてある。私、魔美、よろしく」
「何があった」
「まあいいでしょ。お金払うから」
「金かぁ、それは大事だ」
魔美にせっつかれ、礼司は頭の中の整理が
つかないままお金のためにしぶしぶ車を走らせた。
自分達の姿やタクシーは他の人達にも認識されていた。
「おい、このタクシー」
「うん、運転しやすいでしょ」
「ああ、なんか思い通りっていうか」
タクシーは青山霊園を抜け、青山通りに出て右に曲がり、
霞ヶ関のランプに向った。
礼司は前方を見ながら魔美を問いただした。
「さあ、説明してくれ。ここから首都高だ」
「話せば長いけど、要するに鬼退治」
「鬼退治? どんなに長くても話を聞かせてくれ。それと高速代」
「うん」
礼司は魔美から受け取った1320円を売り上げ袋に入れると
ETCカードを確認してゲートを抜けた。
「最近、首都高で事故が増えているでしょ」
少女は突然話かけた。
「ああ、毎日人が死んでる、俺も通るのが怖いくらいだ」
「それが、ここ一週間の死亡事故は全部カップルだって知ってる?」
「そういえば、そうだな」
「あれは殺されたのよ」
「だ、誰に」
「鬼、双鬼という鬼」
「双鬼というと二匹いるのか」
「ううん。人間の恨みを喰って首都高を走ってる。
カップルの愛情を裂くのが目的みたい」
「だから双鬼か、ずいぶん嫉妬深い奴だな」
「首都高ができてからもう50年も経っていてるでしょ、
そこで死んだ人がたくさんいて、その霊が地縛霊と
なっていたるところにいるのよ」
「ほう、怖い話だ」
「信じてないでしょ」
「まあな」
タクシーは霞ヶ関料金所に入って首都高速に合流すると
目の前は赤いテールランプが光り、渋滞していた。
「おお、夜間工事かい」
礼司が横を向くと口をとんがらせた魔美はだまって前方を見ていた。
沈黙が流れる時間に耐えられなくなった礼司は、
魔美の機嫌をなだめるように言った。
「鬼がいたら、もっと騒ぎになっているだろう」
「見えればね。まあいいや。
ね、そのライトを一番下まで回して」
「うん、あれ? こんなのあったかな」
礼司はワイパーのレバーについているライトのダイヤルを回した。
すると道路の両車線の路側帯に数メートルおきに
白い銅像のようなものが浮かび上がってきた。
それは一つ一つ人の顔をして動かなかった。
「何だ、コリャ」
「地縛霊よ」
「こんなにいるのか?」
「うん。交通事故は突然だから死んだ本人もわかっていないし、
この世に未練がたっぷりあるのだから地縛霊になった」
「こんなのがいったい、何人いるんだ」
「300体くらい」
「そんなに?」
「だって50年よ」
「そうか、成仏させりゃいいだろう」
「誰が信じる? 誰がやるの?」
「なるほど。そういえば、さっき鬼退治と言ったのは?」
「ちょっとそこに停めて、大丈夫だから」
いつの間にか、周りの車はなく、神田橋の路側帯に
礼司が車を停めても一台も車は来なかった。
「車が来ない……」
「心霊ライトを点けると車はこっちの世界に移動するの」
「ほほー、こっちとは?」
「鬼のいる世界よ」
魔美はカーナビの画面を指差しながら礼司に言った。
「ここの白いのがこの車ね」
「うん」
「それで、こっちで動いている赤色の点が、鬼なの」
「鬼?」
「ほら、こっちへ向かっているわ」
鬼が箱崎のほうからやって来るのがわかった。
その姿は、茶色い毛で覆われたライオンくらいの大きさで、
人間の顔をベースに口が大きく裂け、牙が伸びていて、
頭の両側に角を生やしていた。
「おい、まるで人間の顔をしたライオンじゃないか。こっちに向かってくるぞ」
「大丈夫、手出しはできないわ」
鬼は20メートルくらい近づくと立ち止まり、
2本足で立ち上がると3メートル近くの大きさになった。
鬼は20メートル手前でピタリと止まり、
ゆっくりと前脚を持ち上げ、背筋を伸ばすようにして立ち上がった。
その姿は、街灯の影を背にしてまるでビルのようだった。
「でけぇ……!」
「やつも危険を感じたようね」
「おい、じゃあどうやって退治をするんだ」
「轢き殺すの」
「何? 逃げたらどうするんだよ」
「大丈夫、首都高から出ることはできないわ、あとは夜野さんの腕しだいね」
「ほかに武器はないのかよ。マシンガンとかミサイルとか」
「あるよ」
「おお、早く言え」
「鬼に向かってライトをハイビームにしてあてると、
10秒間だけ動く速さが半分になるの。その時に轢き殺して」
「やっぱりそれかよ」
「さあ、バトル開始よ。それとハイビームであてるのは3回だけね」
「俺はシューティングが苦手なんだよね。
できたらロールプレイングがいいんだけど」
魔美は手を伸ばして礼司の前のクラクションを鳴らした。
すると鬼は4つん這いになって方向転換をして箱崎のほうへ逃げた。
「追って」
「はいよ」
鬼のスピードは速く、見る見る離れて行った。
「何やってるのよ!」
「もう100キロだ。タクシーじゃきついぞパワーもハンドリングも」
「ああ、ギアが違うわ」
「何?」
「ボタンを押して1番奥へシフトを入れると6速に入るのよ。
とにかくアクセルを思い切り踏んで」
礼司がアクセルを踏むとタクシーはジェット戦闘機のように加速した。
「何じゃこの加速は?F35か」
「うふふ、凄いでしょ」
タクシーは木場へ近づく頃には、鬼に追いついた。
「あれだ」
「うん、そうそう言い忘れていた」
「またかよ」
「殺すのは24時までにね」
「ん?」
「24時を過ぎると鬼は表の世界へ行ってしまうから、また人を食うのよ」
「そうすると……、おい、のこり20分しかないじゃないか。もし失敗したら?」
「鬼の世界に閉じ込められて永遠に脱出できなくなる」
「お、おい冗談じゃないぞ。こんな事で命がけなんて」
「そうね、頑張って。万が一鬼はあなたの事を覚えているからね」
「ああ、わかった。しかし、右へ行ったり左へ行ったり困ったな」
鬼はジグザグに走ってレインボーブリッジへ向かって行った。
「おお射程圏内に入ったぞ」
礼司はライトをハイビームにすると、白く焼かれた鬼の動きが鈍った
鬼は目を細めて顔を背け、唸り声をあげて後ずさった。
「やった。10・9・8それでも時速100キロか……」
距離はどんどん縮まり、車は双鬼の尻に当たって橋の欄干まで跳ね飛ばした。
「やった」
「だめよ、弱すぎるわ。生きいてる」
鬼のちぎれた肉の塊が、赤黒い煙のようなものをまとって膨らみ、
ゆっくりと元の姿へと“ねじれながら”戻っていく。
その間、鬼の顔が笑って見えた。
鬼はぶるぶると首を振って立ち上がった。
「元に戻った!」
「うん、核がある限り再生しちゃうから」
「最初からやり直しか」
「遠慮したらだめよ。相手は鬼だからね」
「わかっているけど、人を轢いた経験が無いもんでね。
一瞬スピードを緩めてしまった」
「うふふ・・・追って!」
「はいよ」
礼司がハンドルを握り直す瞬間、隣の魔美がいつもの笑顔を消していた。
「この1戦に……母の命がかかってるの」
魔美は真剣な表情になった礼司の顔を見つめながら微笑んだ。礼司は再度アクセルを深く踏み込むと
「のこり2回か」
「のこり6分ね」
逃げ出した双鬼を追いかけながら、礼司は薄笑いを浮かべた。
「おい、この鬼ってバカだな」
「どうして?」
「ジグザグが3拍子、ワルツだ」
「1・2・3、1・2・3……、本当だ」
「逃げ足だけは立派だな……でもな、3拍子のリズムはもうバレてんだよ」
「次の一拍目で、お前の終わりだ」
礼司はタクシーの方向を鬼に向けてからハイビームをあて、
動きが遅くなった鬼の脇を通りすぎ、
橋の端まで行ってスピンターンした。
そして、アクセルを思い切り踏んだ。
「うまい、夜野さん」
「行け行け行けー」
車は加速してスピードが180キロになった。
「次の1回で終わりだ」
ライトをハイビームにして双鬼にあてると、鬼は右の欄干沿いに走った。
「魔美、そっちはこするかも知れないから俺のほうに寄れ」
「どうして? 車の右側を走っているのに」
「今にわかる。7・6・5」
礼司がカウントダウンすると、鬼は左側に飛んだ。
「ほらやっぱり。4・3・2」
礼司はそう言って思いっきりハンドルを左にきり、
車で鬼を欄干の間に挟んで100メートルほど引きずった。
24時までのこり3分。鬼の動きが急に速くなった。
「やばい、あいつも“終電”ってのを分かってるみたいだな」
「時間切れ寸前になると、全力で逃げるの。最後のあがきよ」
「よし」
礼司はハンドルを右にきって10メートルほど前に出すと、
「とどめだ」
と言ってギアをバックに入れ、さらにバックで押し切る
双鬼は「ギャァー」と悲鳴を上げた。
すると、鬼の体から血が飛び散り、その血が路側帯にいる地縛霊に付き、
鬼の血を浴びた10の地縛霊は一つまた一つ白く光り
満月の空へゆっくりあがって行った。
「どうなった?」
「10人、上がった。鬼の血は“送り火”。浴びた霊は還る」
「おお、そう言う事になるわけね。23時58分、任務完了」
「急がないと・・・表の世界に戻るから走って」
「おお」
礼司はすぐに発信した。
「今日は10人の魂がよみがえった」
「……え? どういうことだ?」
「でも、今日の10人は生まれ変わって幸せになってほしい」
魔美がふと、窓の外を見ながらそう呟いた。
礼司が車を走り出して1分後24時になると、車の騒音と共に目の前に車が現れ、
いつもの首都高に戻った。
「さあ、青山に帰ろう。これで10000円か。安い仕事だった」
「大丈夫よ本体は動いていないんだからメーターは動いていないわ。
だからそのお金はあなたの物それにきっといい事あるわよ」
「でも鬼ってどうして現れたんだ?」
「うん、地縛霊が人間の血を吸った後鬼になるの。
まあ他にも色々な条件があるけどね」
「その鬼は何が目的なんだ?」
「人を殺して食べて仲間を増やしてその霊はまた
地縛霊となって霊障を起こしていくの」
「やつらのメリットは?」
「敵のいない鬼は人間を家畜にしていく。
その中に鬼の中の王大鬼なろうとする鬼がいるはず」
「そうか怖いなあ、ところで君は?」
礼司は魔美をあまり信じていなかった。
「私は使命が有って動いている」
「誰が命令しているのか?」
「そうよ」
「そうか仲間がいるんだな」
礼司は仲間がいると知って安心していたが
横目で魔美をうかがいつつ尋ねた。
「つまり、無念の死で地縛霊になったやつの所で
また人間が血を流したら、鬼が現れると言うわけだろ。
なら、首都高だけじゃないだろ」
「そうよ」
「あらら、じゃあ頑張ってな」
「何を言っているの、これからもやるのよ」
「やだね。俺はシューティンゲームは苦手なんだって」
「もう手遅れ。あなたは鬼に狙われるから」
「何で?」
「鬼に顔を見られたでしょ。もう、
あなたは鬼達の敵と見なされている」
「そんな……、何で俺を選んだんだよ」
「あなたには霊能力があるからよ。私の姿見えたでしょ」
「他の人には見えないのか?」
礼司はビックリして、まじまじと魔美を見つめた。
「そうよ。それに今まで色々な霊体験しているでしょ」
「あはは、それはそうだけど」
「おねがい。これからも手伝って」
「何か、お前にそう言われると嫌と言えないなあ」
「ありがとう」
青山霊園に着いた礼司は、駐車しているタクシーと合体した。
「またね、おつりはいいわ」
魔美は10000円を渡した。
「おお、ありがとう」
礼司は取り外したシフトノブを魔美に渡した。
その時、会社から電話が入った。
「夜野さん、現在位置は?」
「青山です」
「指名です、中野の善然寺へ向かってください」
「了解」
無線機をもとに戻しながら、
礼司は魔美の方を向いて言った。
「これかいい事って」
「そうよ、ふふふ」
それからというもの、礼司はあちこちの寺からの指名が増え、
通夜や葬儀の送迎で名を知られるようになる。人はひっそりと噂した——
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