30〈富田〉旅の仲間


富田の運転するトラックの助手席で揺られて、ノルはいつの間にか眠ってしまっていた。


またどこのトンネルにバルログのような怪物が居るとも限らない為、トラックはあくまでゆっくり、慎重に走る。自分の隣で寝息を立てる若い女の子が富田には大事な用心棒だった。


助手席で両膝を三角に曲げ、首元までスッポリと毛布を掛けたノルの顔を高く登った陽の光が照らすようになった頃、眩しさと暖かさで彼女は目を覚ました。ノルは一つ、大きな欠伸あくびをして両腕を上にうんと伸ばした。眩しさがまだほんの少し、ノルの瞳孔には刺さる。

「んん~っ、寝てた」

「疲れてんだよ、まだ寝ててええよ、何かあったら起こすから」富田が汚い笑顔で言う。

「んぁ~、ありがと、何もなかった?」

「あったらすぐ起こすよ、おっかねえもん」

それもそうかとノルは笑った。

「甲斐から北杜に向かってるとこだよ」

ノルが眠っている間に山梨を抜けていた。

「山梨市街はどうだった?」

「あっちこっちに煙が見えたけどね、上は割と走りやすいね」

明らかにとんでも無い火の海になっている場所も見たが、それを言ったところで何にもならない。

「岡谷で降りたらすぐだから」

富田の家族の居る岡谷市神明町まで一緒に行くと彼女は言ってくれた。


放置された車両、何故か大量のカラスの死骸、アスファルトの焦げあと等を躱しながら富田のトラックは進んで行く。


その人間離れした超能力に似合わず、彼女はずっと接しやすい人物だった。富田はこんな若い女の子なのに話易く、強さを鼻に掛けてもいない彼女に、尊敬の気持ちを抱きつつあった。

「ノルちゃんは、やっぱあれかい?」

思い切ってずっと気になっていた事を聞けるかも知れない。

「あの~、やっぱあれかい?」

「いや、何だよ」笑いながらノルがツッコむ。

「あの~、さ、ノルちゃんもあの、元の名前が分かんないクチかい」

「元の名前?」

「前に死んじまった鬼っ子もよ、本名がトシヤなのに自分の名前は機動要塞マルウィヤだって言っててさ、もう自分の名前が分かんねぇんだよね」

ノルは不思議そうな顔をしている。

「だって、苗字も無い何ておかしいだろ?」


富田の言葉を聞いて、ノルはフッと表情を変えた。

「確かに…本当だね」

「鬼っ子はさ、怪物達みたいにどこからか急に出てきたんじゃなくてさ、トシヤの事があるから元々普通の人だった筈なんだよ」

富田は薄汚い顎をワシワシっと擦りながら続ける。

「でもあのトシヤの親父さんが言うにはさ、トシヤは段々自分の事を忘れていって自分を機動要塞だーって、言うようになったらしいんだよね」

助手席に目を遣ると、ノルは毛布に半分顔を埋めながら真剣に自分の過去を思い出そうとしているようだった。

「元の仕事とか、学生さんだったとか、分かるかい?」

ノルはしばらく毛布に顔を埋めると、そのまま

「分かんない、色んな事がゴチャゴチャになってる」とため息をついた。

「世田谷のさ、王都バレーフィオンに住んでたんだよ、街を囲う城壁のすぐ外の街道脇の小さい家にね」

「おうと?バレーフィオン?マンションの名前かい?」

彼女の言う事が分からない。

「さあね、とにかくそこに住んでたんだよ、ずっと。家の前には牛がいたなぁ」

「牛??東京で家の前に牛が居るのかい?」

「…うるさいなぁ、そうだ、近くに小麦農場もあったよ」

「それで〈日陰の深き森〉に狩りに出掛けるのが日課でさぁ、馬でも結構遠いんだけどね」

富田はますます混乱した。

「毎日森に狩りに行く?馬に乗って??」

「ちゃんと前見て、あっ、そうだ、馬!どうして思い出さなかったんだろう、馬に乗れば良かったのにずっと歩いてたよ~最近」ノルは良い事を思い付いた顔で嬉しそうにしている。

「いや、馬ったってどこかに置いてるんだろ?」

「馬笛ですぐ呼び出せるから大丈夫だよ」

ノルの言う事は相当ぶっ飛んでいるが、今までの超能力を見れば理解できない事も受け入れるしかなさそうだ。

「会社も馬で行ってたのかい?」

「まさか、電車だよ、小田急線、会社や学校に馬で行く人いないでしょ」ノルは笑っている。

「あれ?でも大学に通ってた時は馬で通ってたかも」

「馬術部だった、とかじゃ無くてかい?」

「バレーフィオン王立記念魔術大学には馬術部なんてないよ」ノルは当たり前の様に言う。

「魔術大学??」富田はどんどん混乱していく。

もうメチャクチャだがそれが今の彼女なのだろう。

「そう!馬がきっかけで大学で仲良くなった子が居るんだよね。専攻は違ったけど同じ高位魔女アルタウィチモでさ、グリンダってすごくかわいい子。方向量魔術の天才だよ」其処でノルは懐かしそうな顔を見せた。

「それで、やっぱ元の名前はわかんないかい」

〈ふぅ~っ〉と息を吐きノルは空を見た。

「わかんないね、言われて初めて気付いたよ、何か二人の人間の記憶がゴチャゴチャになってるっぽい」

「それで古い記憶?なのかな、そっちがどんどん薄くなってる気がする」

その薄くなっている記憶こそが本当の記憶だと思うのだが富田には言い出せなかった。

「それでノルちゃんはどうして長野に行くんだい?」

「由依を…探しに行かないと」ノルは急に真面目な表情になった。

「ゆいさん?家族かい」

「……分からない、由依が長野に居るから探しに行くって事だけしか」


ノルは元の記憶を相当失っているように見えた。

〈記憶を全部無くしちまったら?〉富田は自分がそうなったらと考えて背中に冷たいものが流れるのを感じた。

それはもう違う人物になってしまったって事なのだろう。そうなったのならもう富田としての自分は死んだのと同じでは無いか。ハンドルを握る富田の手の平が、そんな〈もしも〉を想像して汗ばんだ。どうしてノルやトシヤ達にそれが起こって自分には起こらなかったのか見当も付かないが、それが超能力の代償なのだとしたら考えるだけで怖ろしい。

〈自分は真っ平ごめんだ〉富田はかぶりを振った。


「どうかした?」不思議そうな表情のノルに富田は

「ああ、もうすぐ高速を降りるよ」と誤魔化すのが精一杯だった。

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