16〈勇者〉初台商店街へ


勇者パロミデスはビルの屋上に居た。

鎧の隙間から下半身をまさぐると見たことも無い白い液体が手に付いた。両腿には未だ快感の残滓が残っている。


「これは何だ…?」

経験から先程の強烈な快感が何だったのかは分からない、しかしあの瞬間、はっきりと『自己成長レベルアップ』と云う強烈な感覚があった。私はずっと自由意志の民から

「このパロミデスはレベル55だ」と言われ続けてきた。それが何を意味するのかは分からない。しかしどの自由意志の民も口を揃えて私を見てはレベル55だ、と言っていた。

それならば今の私はレベル56なのだろうか?この異常な高度の建造物が並ぶ街も何なのか分からない。しかしここで怪物を倒せば『自由意志の民』の様に自己成長レベルアップ出来る事は間違いない。そしてそれは、とても気持ちのいい事なのだ。『自由意志の民』がレベルアップだ、レベルアップだと喜ぶ姿を何度か目にした。何をそんなに嬉しいのかとずっと疑問だったが今分かった、心の底から理解した。この快感か!

そうだ、レベルアップ!もっともっとコレを出したい!

怪物を探さなくては…。


勇者パロミデスはビルの屋上から夜景を見下ろす。


「美しい場所だ」

息を呑む程に美しく、見た事もない巨大な建物の数々、自分が知る王都より遥かに栄えた都市のようだ。眼下には鉄の乗り物が光を放ちながら幾つもいくつも走って行く。

先刻さっき怪物を倒した広場は数え切れない程の赤い光が点滅し、多くの人が怪物の死体の処理をしているようだった。後始末は彼ら市民に任せよう。それぞれがやるべき事をやるのだ。私は皆を守る為、怪物や魔物を退治する。

「ここが何処かは知らないが、ここでも市民が怪物に脅かされている」

私は勇者、市民の命と生活を脅かす邪悪を一掃する存在。『自由意志の民』を導く者。ここがどこであれ、私は『そうあれ』と存在するのだから。


パロミデスは自分が果たすべき責務を探し、ビルからビルへと跳び移る。北に向かった彼が初台駅南口へ続く初台商店街に辿り着いた時、幾つもの大きな悲鳴を聞いた。


〈市民が襲われている!小悪鬼コボルトだ〉

賑わう商店街を小悪鬼コボルト達がククリナイフを持って暴れている。市民達は髪を掴まれ喉を切られ、背後から背中を切られ、既に幾人もの罪なき民が犠牲になっている様だった。

パロミデスの立つベージュ色のレンガ調の外壁を持った商業施設と住居が一体となった『シャトー初台』の下では今まさに一階テナントの大衆中華食堂の前で一匹の小悪鬼コボルトが若い女性の腕を切り、のしかかって胸を刺そうとしている。

「危ないっ!」パロミデスは躊躇する事無く四階建てビルの屋上から飛び降り、《ビュオオオッ》と風を切り裂いて聖剣クロスクレッシェンドラムを小悪鬼コボルトの脳天に突き刺した。着地の衝撃で足元のタイルに《ピキッ》とヒビが入る。頭骨の《ゴリ》とした手応えを僅かに感じたが聖剣は斬れ味凄まじく、小悪鬼コボルトの頭蓋を後頭部から貫き、顎を砕いて突き抜けた剣先は、倒された女性の胸の前で《ピタ》と止まり、噴き出した魔物の脳と血飛沫が《ビシャッ》と彼女の上半身を染めた。

「ぎやぁあっ!」と若い女性は叫び声を上げ、脚をジタバタさせながらシャトー初台のオレンジ色の床タイルを蹴って逃げる。パロミデスは其の後ろ姿を見送りながら

「礼は結構」と笑った。


中華食堂の換気扇からはパロミデスが嗅いだ事の無い良い薫りが《ふわ》と漂い、彼を包んだ。


さあ、ここからが本番だ。小悪鬼コボルト共を一匹残らず始末しよう。


剣の煌めきと残像だけを残して、凄まじい速度でパロミデスは次々と小悪鬼コボルトを切り裂いていく。そして其の度にパロミデスの肉体に快感の波がほとばしる。五体、十体、初台商店街の路上に悪臭とともに小悪鬼コボルトの死体がバラ撒かれていく。周囲の人々は突如現れた救世主の活躍に、ある者は呆然と立ち尽くし、ある者は走って逃げ、又ある者は建物の陰からスマートフォンで撮影している。

最後の小悪鬼コボルトの首を撥ねた時、パロミデスは先程から感じていた奇妙な違和感が無視出来なくなった。

〈おかしい…〉小悪鬼コボルトを殺して確かに快感の波を感じるのだが、先刻さっきのスケルトンやゾンビの様な魔物を切った時程の強烈な快感では無いのだ。何と云うか、この程度の快感の波では先刻さっき味わった様な快感の頂点に導かれるとはとても思えない。これでは何時まで経ってもレベルアップ出来ない。アレを出せないではないか。


小悪鬼コボルトを殲滅したパロミデスを《カシャッ、カシャッ》スマートフォンのカメラのシャッター音と共にフラッシュが照らす。

「おい、マジかアイツ」

「え?あれってスーパーヒーローって奴?」

集まって来た群衆から戸惑いと、悪意と、敬意が入り混じった声が聞こえる。

〈何をやっている…?〉あんな事をする市民を見た事が無い。皆が一様に手に小さな板状の物をこちらに構えている。あれは何だ?

パロミデスは《ブン》と剣先を振り血を払うと、彼を遠巻きに囲う人々に近付いた。

「やっべ、コッチ来た」何処かでそんな声が聞こえる。何人かは後退りして距離を取るのが分かる。

《カシャッ、カシャッ、カシャッ》その間にもシャッター音はどんどん増えていく。盛んに焚かれるフラッシュがパロミデスの瞳孔を何度も不快に刺した。

「それを止めてくれないか」眼の前の18歳程の若い男にパロミデスは丁寧に頼んだ。

「いや、凄いっすね、バズりますよ絶対」男はスマートフォンをパロミデスに向けたまま言う。顔をまともに見ずに話す其の姿勢にパロミデスは少しの苛立ちを覚える。

「一緒に撮って良いっすか!?」男はそう言ってパロミデスと肩を組み、スマートフォンのインカメラで撮影しようとした。

「!!」若い男の手の中の物体に自分の像が映っている。自由意志の民が話すのを聞いた事がある、コレは魂を呑み込む呪物、『バシャーの魔鏡』では無いか!

パロミデスは素早く若い男の腕をすり抜けると、男が何かを言う間も無く聖剣クロスクレッシェンドラムの一撃で其の身体を両断した。《ズバンッ!》まるで後から音が聞こえるかの速度で横薙ぎに放たれた一撃は余りに早く、切り離された筈の胴体は少しの間、男の下半身に載ったままだった。

「あ、あ、あれ?」

やがてゆっくりと若い男の上半身が《ずずずっ》と滑り始め、其のまま地面に《ドン》と落ち、胴体からこぼれ落ちた臓腑がアスファルトに丸く染みを作り、地面に広がった内臓の内容物と血が《ムワッ》とした臭気を辺りに放った。

「うわぁぁああああっ!」

「きゃぁぁあああああっ!」人々は口々に叫び声を上げて逃げ惑う。

「うぉぉぉお!?」其の時同時にパロミデスが叫んだのは、男を斬った瞬間小悪鬼コボルトを殺した時の何倍もの快感が彼を襲ったからだった。

「こっ、こいつら、魔物なのかぁ!?」一見して市民に見えるが人間に擬態する魔物も居ると聞いた事がある。いや、むしろ、それよりも、そんな事どうでも良く無いか?こいつらが市民だとしても魔物だとしても、今分かった事はこいつらを殺せばメッチャ気持ちイイって事だ!こいつらも魔物も関係無い!とにかく殺せばレベルアップ!あの快感の頂点が待っているのだ!


「すぅううう~」心を落ち着かせるように大きく息を吸い込んだパロミデスの顔に勇者の面影は最早無かった。

其処に居るのは性的快楽に取り憑かれた、悪意の無い悪、単純な利己主義の権化だった。


クロスクレッシェンドラムの剣先から滴る血の雫が初台商店街のアスファルトに《ぽたり》と垂れる。


《ダンッ!》炸裂音を立てて地面を蹴ったパロミデスは、満面の笑みを浮かべて逃げて行った人々目掛けて猛烈な速度で駆けて行った。

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