第2話 俺は東京で一人暮らしがしたい(後編)
夕飯を終えて片づけが一段落したころ、時計の針はもう9時を回っていた。
新品の二人掛けソファに腰を下ろし、俺はようやく一息つく。
その隣には、当たり前みたいな顔をしてあかりがぴたりと寄り添ってきていた。
「……なぁ、ちょっと近くないか」
「えへへ、二人掛けなんだから、くっついたほうが癒されるでしょ?」
彼女はそう言って肩をすり寄せ、俺の腕に頭を乗せてくる。
浪人時代、予備校の寮で過ごした夜の寂しさが脳裏によみがえった。
あの頃は、人の温もりが恋しくて仕方なかった。
だからこそ今、この距離感は危険すぎる。
(年下の幼なじみなのに……なんで、こんなに安心感があるんだ)
心臓が、勝手に早鐘を打つ。
俺は咄嗟に立ち上がった。
「……あー、ちょっとシャワー浴びてくるわ」
「うん。バスマット、敷いてあるからね」
にこっと笑って送り出す顔に、妙に胸を突かれる。
少し気持ちを落ち着けたくて、俺は浴室へと逃げ込んだ。
熱いシャワーを浴び、タオルで髪を拭きながらソファに戻る。
次はあかりの番だ。
「お兄ちゃん、ゆっくりどうぞって言ったのに、もう上がってきたんだ」
「い、いや……別に」
照れ隠しの返事をしていると、あかりはシャワーに向かった。
◇
数十分後——。
「……お兄ちゃん」
声に振り向いた俺は、思わず息を呑んだ。
そこに立っていたのは、湯気をまとったパジャマ姿のあかりだった。
長い黒髪がしっとり濡れて、肩から水滴を伝わせている。
胸を包む薄手のパジャマは、大きな胸を隠しきれず柔らかいラインを描き、ショートパンツからは白い太ももがあらわになっていた。
湯上がりでほんのり赤みを帯びた肌に滴る水滴が、照明を反射して艶やかにきらめく。
「……な、なんでそんな格好で出てくるんだよ!」
「あれ、お兄ちゃん。私の胸が大きくなったから、動揺してるの?」
「……そ、そんなんじゃねぇよ」
「ふふっ、お兄ちゃんの好みはリサーチ済みだよ」
タオルで髪を押さえながら、彼女は俺の隣に腰を下ろす。
ソファのクッションが沈み、肩が触れる。
湿った髪先が頬をかすめ、そのたびに甘い香りが鼻腔をくすぐった。
さっきまでの夕飯の匂いはもう消えて、今は彼女の香りだけが際立っている。
甘い、けど不思議と落ち着く匂い。
耳まで熱くなるのを、どうしても隠せなかった。
「……近いって」
「同じ家に住むんだもん。1年間も会えなくて寂しかったし。」
そう言ってさらに体を預けてくる。
柔らかい感触が腕に押し当てられ、思考が真っ白になる。
「お兄ちゃん……いい匂い」
「なっ……!」
耳元で囁かれ、背筋が震えた。
反射的に肩を引こうとしたが、彼女の小さな手が俺の手をぎゅっと掴んで離さない。
「逃げちゃだめ」
瞳を見上げてくる。
眼鏡をしていないせいか、昔よりも強く、真っ直ぐな光がそこに宿っていた。
「お兄ちゃんも“大人”になったけど、私も“大人”になったんだよ」
湯上がりで火照った頬と潤んだ瞳。
年下の妹のような幼なじみだったはずなのに、今の彼女は、全然違う存在感を放っていた。
俺は息を詰めたまま、何も返せなかった。
ソファの上で肩を寄せ合ったまま、時計の針は静かに進む。
リビングの柔らかい照明に照らされるあかりの横顔は、まるで俺の隣にいるのがあたりまえのように穏やかだった。
俺の「東京で一人暮らしをする」という計画は、初日から大きく揺らぎ始めていた。
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