宜陽(ぎよう)

宜陽 その1

 宜陽ぎよう


 建武けんぶ三年、正月六日甲子かっし親征しんせい中の皇帝劉秀りゅうしゅうは年始の叙勲じょくんとして、偏将軍馮異ふうい征西せいせい大将軍と為し、杜茂とぼ驃騎ひょうき大将軍と為し、執金吾しっきんご賈復かふくを左将軍と為す。

 弘農こうのう郡に入った劉秀、洛陽らくように戻った伏隆ふくりゅうげきに喜び、伏隆を光禄こうろく大夫たいふと為す。伏隆は再び張歩ちょうほつかいし、新たにじょせられたせい州のぼくしゅ及び都尉といと共に東行とうこうする。劉秀、伏隆にみことのりして県令以下をはいさせる。伏隆、豪族・群盗をまねなつやすんじやわらげれば、多くは来たり降った。皇帝劉秀、その功をよみし、伏隆を高祖こうその臣れきなぞらえ、直ちに張歩をして東莱とうらい太守と為す。また青州を固めるため偏将軍劉嘉りゅうか平原へいげん郡の東、千乗せんじょう郡の太守と為す。劉嘉、かつては王として漢中かんちゅうを治めていた。いざとなれば兵もあつかえる。よって劉秀はそれを期待した。

 征西大将軍馮異は進軍して、黄河こうがの中流、渭水いすいと別れる辺りである華陰かいん県まで来た所で、赤眉せきび出遭であい、相防あいふせぐこと六十余日、戦うこと数十回にして、赤眉の将の劉始りゅうし王宣おうせん等五千余人を下した。

 その間、劉秀から放たれた左将軍賈復、赤眉の前衛ぜんえい陸渾関りくこんかん近くの新城しんじょうから、函谷関かんこくかんの西の澠池べんちの間に撃ち、しきりにこれを破る。大司馬だいしば呉漢ごかん銅馬どうば五幡ごはんを澠池の東、新安しんあんに攻めてこれを破る。皇帝劉秀、函谷関は関都尉かんとい陰識いんしきのみに任せ、破姦はかん将軍侯進こうしんを西に進ませ新安に駐屯ちゅうとんさせ、建威けんい大将軍耿弇こうえんを陸渾関の西の宜陽に駐屯させる。

 劉秀、諸将にちょくして曰く「賊がしそのまま東に走らば、宜陽の兵を引いて新安にかいすべし。賊が若し南に走らば、新安の兵を引いて宜陽に会すべし」

 つまり、赤眉が函谷関を目指すなら新安で、陸渾関を目指すなら宜陽に、全軍を集めて阻止しようとする戦略である。


 他方、大司徒鄧禹だいしととうう車騎しゃき将軍鄧弘とうこう等をひきい、黄河の北から渡って赤眉の背中を追う様に東へ向う途中、偶々たまたま、馮異の軍勢に出遭う。鄧禹・鄧弘、敗績はいせきしておめおめ洛陽にかえるのかと思っていた所に、兵糧ひょうろう枯渇こかつせず、意気いき軒昂けんこうな友軍と会せば、これで勝てると思い、馮異に共に赤眉を攻めることをさかんに求める。馮異、劉秀が七尺のぎょく剣を授けた理由をかいする。常なら大司徒の命は聞かねばならぬが、今、専断権せんだんけんは馮異に預けられている。

 馮異曰く「異は賊と相防ぐことまさに数十日になろうとし、しばしば雄将を捕えるといえども、余衆よしゅうお多し。時を掛けて恩情信義を以て懐かせるべきも、にわかに兵を用いて破ることはかたきなり。今上は諸将をして澠池に駐屯し、赤眉の東をさえぎらせる。そして、異が赤眉の西をたば、一挙いっきょにこれを取らん。これ万全ばんぜんの計なり」

 二十万とはいえ、兵糧のほとんど無い大軍、行き場を無くせば最早もはや降らざるを得ない。馮異、孫子そんし通暁つうぎょうすれば、戦わずして勝つが最上と知る。その最上策を皇帝劉秀が用いる以上、馮異は只それを実現するのみ。

 しかし、鄧禹・鄧弘の思いはそうでは無い。敗戦続きの不名誉を返上したければ、馮異の言にはがえんじえない。劉秀、一つ想定そうていし忘れていたことは、馮異の優しさである。道で他将の車と出遭えば必ずゆずたちである。人に無理強いしないのである。玉具剣をかざし、一言、皇帝の策である、これにたがうのかと詰問きつもんすれば、鄧禹・鄧弘はしたがわざるを得なかった。だが、馮異にはそれが出来なかった。

 これを暗黙の了承と見て取った鄧弘、幾日も赤眉と大いに戦う。赤眉の兵、最早せる兵糧も無い輺重しちょうてましょうと将に進言すれば、渠帥きょすい樊崇はんすうらこれを利用しようと思い立つ。すなわち、車に土を乗せ、表層のみ豆でおおい、如何にも兵糧の乗っている輺重に見せかける。鄧弘が襲えば、赤眉、これを置いて逃げる。鄧弘の兵、赤眉の兵同様にえていれば争って奪い合う。鄧弘は鄧禹が錬達れんたつの将軍を失えばこそ立てた故、兵事を知らぬ、わなを見抜けぬ。そこを引き返してきた赤眉が襲えばたまったものではない。鄧弘の軍は壊滅かいめつし、馮異は鄧禹と共に兵を合して、これを救えば、赤眉はわずかに兵を退く。馮異、士卒が餓えつかれたれば、しばらいこわすべしと言うも、今度は鄧禹が聞かずして、また大いに戦って敗れる所と為り、死傷する者三千余人。鄧禹は戦場を脱出し、宜陽に逃げる。馮異もまた敗れる。日頃、兵士を懐けさせた故に、兵は大樹たいじゅ将軍逃げたまえ、とたてになり、馮異はまぬと騎兵・歩兵を棄てて逃れて回谿かいけいはんに上り、ようよう麾下きか僅か数人と共に陣営じんえいに戻った。


 部下の将兵にしたわれるが馮異なら、部下の将兵を教えさとすのが征虜せいりょ将軍祭遵さいじゅんである。新城の僅か南、蛮中ばんちゅうの賊張満ちょうまんを囲んで一年、じっと敵陣の兵糧が潰えるのを待っていた祭遵、その間に兵に何故なぜ戦うかを教える。世の中が安泰あんたいであればそれで良いが、今はそんな世ではなく争い事は起る。人の心が思いやりで満ちれば、少ない糧食りょうしょくを分け合ってどうにかやっていけるが、人はそれを奪い合う。人を助けるのが立派な行為であれば、人はそれを正しいとして尊ぶが、自分のえきにならないと思えば、人はそれをやり過ごす。思いやりが通ず、正義が見過ごされれば、人と人は互いに相手との距離を取って争いを避ける工夫がる。まるところ、それが「礼」である。兵は争いを治めるためにらねばならぬ。兵は国の民のすこやかに生きる守り手でなければならぬ。よって兵は「礼」の顕現けんげんでなければ意味が無い。ゆえに兵は「礼」以て、乱世であれば、英主の下で安泰の世を作るために働かなければならぬ。祭遵は、今上きんじょう帝のなされることを見よ、まさに英主えいしゅではないか、と問い掛ける。また祭遵、身はつつまましく一見穏当おんとうであるが、唇の傷跡を見れば、どういう戦いをしてきたか兵士はみな思い出さずにおれない。

 そういう祭遵が独り投壷とうこをし、見ていた副将らにやって見るかと言えば、最初儒者じゅしゃれ事と辞退じたいしていた者の中から、やって見る者が出る。つぼに短い矢を投げ入れ合い、負けた方が酒杯しゅはいける遊びである。じっと包囲網を敷けば、退屈をまぎらわすために、投壷を行う兵士も出てきた。祭遵、『詩経しきょう』の小雅しょうが大雅たいがを歌い、兵士もそれに感化される。

 その祭遵の陣にも、皇帝劉秀が新城を抜けて弘農に入ったと知らせが届けば、同道すべしと声が上がる。祭遵とて同じであるが、張満を残す訳には行かない、かといって無理に攻めるのは、得策ではない。考えれば、張満の兵士数と陣の規模では既に兵糧は切れている筈、そこで斥候せっこうを放つ。戻ってきた斥候は、果たして飢餓きがが張満の陣をおおっております、また油断し見張りも手を抜いておれば、これぞ撃つ機会きかいと存じます、とほうじる。

 祭遵、うむとうなずくと、こしを上げる。祭遵が一度、兵に出立しゅったつを告げるとすみやかに準備がととのう。教化された兵、既に祭遵の思うところまで自ら予測するようになっていた。一方、張満は祭遵が持久戦じきゅうせんのままと思い込んでいたため、短兵急たんぺいきゅうに攻め込まれてまともに防戦することも出来ずに、たちまち敗れる。張満、立った時に、天地を祭祀さいしし、みずかまさに王たるべしと言った。よって祭遵の前にしばられて出れば、我が身をたんじて曰く「讖文しんぶん、我を誤てり」

 祭遵、これをらせ、妻子をも斬らせる。祭遵、普段は静謐せいひつなれど動けばこくとも言えるほど苛烈かれつである。今、蛮中を平らげれば、祭遵は即座に軍を率いて陸渾関より弘農郡に入り宜陽を目指す。


 同じく宜陽へと向う途中であった劉秀、夜半、夕餉ゆうげを取りにいん貴人きじん営舎えいしゃおもむけば、陰貴人、この前のお話は分かりましたが、分からないことが御座いますと言う。

 劉秀、王莽おうもうに廃絶された劉氏の王侯を元に戻そうとした話かと気づけば、何が分からないと問う。

 陰貴人答えて、陛下へいかは王侯の上に立たれます。劉氏であり王侯をはいされた者を、先祖をまつらせるために王侯にふくすのなら、陛下は何故祖先そせんを祀られないのですか、と言う。劉秀、もっともであるなと莞爾かんじと笑う。

 翌、二十三日辛巳しんし、劉秀、皇考こうこう南頓なんとん君から四代の祖先、即ち、父南頓令なんとんれい劉欽りゅうきん、祖父鉅鹿きょろく都尉とい劉回りゅうかい曾祖父そうそふ鬱林うつりん太守劉外りゅうがい曾々祖父そうそうそふ舂陵しょうりょうせつ劉買りゅうばいびょうを立てる。また、翌日に大赦たいしゃを行う。

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