高邑(こうゆう)

高邑 その1

 高邑こうゆう


 漁陽ぎょよう郡を西に進む劉秀りゅうしゅうの諸将、県に戻れば、予想外にも劉秀その人が出迎えた。

 景丹けいたんらが、戦いの帰趨きすうを報じれば、劉秀曰く「良くぞ成し遂げた、これで河北に憂える物はない」

 更に劉秀、陳俊ちんしゅんに向かいて曰く「このりょを苦しませるは将軍の焦土しょうど策なり。我も諸将も忘れまじ」

 また劉秀曰く「我も諸将に告げることあり。河内かない洛陽らくようの兵に襲われた。始め、河内が破られたと聞き、我、急ぎ諸将を呼び戻そうとけいを出たが、寇子翼こうしよくげき、路県に届くに曰く、我孟津もうしん将軍と共に朱鮪しゅいの軍を破り、洛陽を孤城と為すなり、と。我は寇子翼のまさに任せるにあたうを知る」

 諸将、これをす。誰とも無しに「しょう王万歳」「子翼万歳」の声が上がる。

 この時、馬武ばぶが劉秀の前に出でてひざまずいて曰く「天下に主無し」

 途端とたんに場は静まり返る。しかし馬武は続けて曰く「し聖人有って疲弊ひへいし世に立つならば、孔子の如き名宰相めいさいしょうと為り、孫子の如き名将軍と為るといえども、それでも恐らく善くえき為す無からん。覆水ふくすいぼんに返らず、後悔するも及ぶこと無き。大王は謙遜けんそんされるとは雖も、祖先の宗廟そうびょう如何いかんせん、国家の安寧あんねいを如何せん。宜しく薊に還って尊き位にき、即ち征伐せいばつを議すべし。天下に主無きであれば、今、誰に対して賊と言ってこれを追うや」

 劉秀、驚いて曰く「いずれの将かこれを言い出せる。斬るべし」

 馬武、一瞬詰まるが慌てずこたえて曰く「諸将ことごとしかりと為す」

 劉秀、苦虫をつぶした顔をすれば、諸将に言って曰く「天下に主有り、これ今上帝なり。仮令たとい、天下に主無きと言われようが、それが故に我が立つ言われはない。我にさほどの徳在らず。それ天下に号してとがの及ばざる事無し。我これを望まず」

 劉秀、全軍に命じて薊に還る。

 薊に戻れば、賈復かふくの傷えて、真定しんていから追って来るを知る。劉秀、再び賈復を見ることが出来たと大いに喜ぶ。寇賊こうぞくを滅ぼせるが故、大いに士卒をもてなし、賈復を自分の席の前に座らせる。


 劉秀の臣下が主上に即位を促していた頃、司隷しれいの向こう、しょくでも似たようなことが進む。蜀の地は豊饒ほうじょうにして兵力は精強、騒乱が境で留まれば、遠方の士多くが往きてこれに帰する。西南のえびすの首長も来貢する。

 李熊りゆう公孫述こうそんじゅついて曰く「今、山東では飢饉により人は相食み、兵のほふり滅ぼした城邑は廃墟と為るとか。蜀の地は沃野千里、土壌は肥え、果実の生じる所では穀が無くとも飽食ほうしょくし、女工の業はあまねく天下に給す。矢の名材竹幹ちくかんを擁し、甲冑かっちゅう矛弓ぼうきゅうの豊かなる事、数え上げるときりが有りません。た魚塩銅銀を産し、浮かべさえすれば利便な水運有り。北方は漢中かんちゅうに拠って褒斜道ほうしゃどうけんを閉ざし、東方は郡を守って江関こうかんの口をふさげば、地は数千里四方を、戦兵は百万を下りません。臨機には即ち兵を出して地を攻略し、機が無ければ即ち堅く守って農に務めましょう。東方は漢水かんすいを下ってしんの故地をうかがい、南方は長江ちょうこうの流れに従ってけいよう州をふるわせましょう。天の時を計り、地の利を活かすは功を成すもといなり。今、王君の名声天下に聞こゆるも、天子の号未だ定まらず、志士は疑う所となれり」

 公孫述返して曰く「帝王には天命有り、吾何ぞこれに当たるに足ろうか」

 李熊曰く「天命は常に変わり行き、人民は能有る者に与すると。能者これに当たるなり。王、何をか疑われん」

 公孫述、しばし考えてみようとする。そのしるべとなるのは、図讖としんであった。若し皇帝になるのが天の思し召しであれば、必ず、何らかの瑞祥ずいしょう、或いは予言が有る筈。そうと信じて各種の図讖を目にする。数日中、公孫述の夢の中に人が出てきて曰く「はちししけい、じゅうにをきとなす」

 うなされて目が覚めれば、傍に心配した妻がいるゆえ言いて曰く「夢を見た。人が出てきて八ム子系、十二を期と為すという」

 公孫述、妻の手を取り、掌に指で字を書いて曰く「つまり公孫、十二年という。とうとしといえども年は短し。如何いかに思う」

 妻は答えて曰く「あしたに道を聞けば、夕べに死すともなお可なり。いわんや十二年をや」

 偶々たまたま、龍が出て殿中に現れて夜に光り輝いたと噂される。公孫述、これを瑞祥と為した。

 四月、公孫述、遂に自ら立って天子と為り、国の名をせいと号する。色は白を尊び、すなわち新の土徳の後を継ぐ金徳の王朝を名乗る。その年号を龍興りゅうこう元年と言う。李熊を以て大司徒と為し、弟公孫光こうそんこうを以て大司馬と為し、更に弟公孫恢こうそんかいを大司空と為す。えき州を改め司隷しれいと為し、蜀郡を成都尹せいといんと為した。復た公孫述、賢者聖者を招こうとする。なびく者も在ったが、博士にと召された隠者李業りぎょう固疾こしつ故と称して断ったように、名儒と称される者は、これにくことをいさぎよしとせず、或る者は家に留まり、或る者は隠れた。


 ゆう州の劉秀は軍を邯鄲かんたんまで率いようと、南下する。范陽はんようを過ぎれば、今だ野晒のざらしにされる兵卒へいそつらの亡骸なきがらを集めほうむらせる。

 州、中山ちゅうざん郡に戻れば諸将復た上奏じょうそうして曰く「かん王莽おうもうに遭い、宗廟は途絶え、豪傑は憤怒し、万億の民塗炭とたんせり。大王は、兄伯升はくしょう様と共に先駆けて義兵をぐれり。皇帝りゅう聖公せいこうは、其の血筋ゆえ帝位にる。しかるに、大統を奉承ほうしょうすこと能わず、綱紀こうきを乱し、盗賊は日ごとに多く、衆民は危機に逼迫ひっぱくされる。大王、最初に昆陽こんようせいして王莽自らついえ、後には邯鄲をおとして北州安んじ定まり、天下を分けてその一隅を得て、州にまたがって地に拠れば甲兵は百万なり。武力を言えば即ちこれにあらがう者無く、文徳を論じれば即ち共に比する者無し。臣聞くならく、帝王は以て久しく空とすることなく、天命はへりくだってこれをこばむべからずと。思うに大王、国家を計の基と為し、万民を心のいしずえと為せ」

 されど劉秀、復た許さずに曰く「我に天子の徳なし、天子の能なし。我をして天を恥ずかしむなかれ」


 これは危うしと見た一人は呉漢ごかん、如何なる手段を以ても劉秀を皇帝に立てようと思う。そこで独り朱祐しゅゆうに尋ねて曰く「大王の心を動かすには何を以てすれば良い。昔からの馴染なじみの卿なら存じておろう」

 朱祐、呉漢が何を考えたかさとって曰く「女や酒で、ましてや金銭で動く方なら、我ら帝位にたまえと望まず。大王、昔、我と『尚書しょうしょ』を習う時、古の書の言おうとすることを好む。大王、とう前将軍を好む一つは古の書に言いし事をくゆえ。されば前将軍に大王を天子と為す書は如何にとげきを送るべし」

 呉漢いぶかしげに問いて曰く「大王、王莽の如く図讖を好まれるか」

 朱祐笑いて曰く「図讖を判じるのを楽しむ。故に、図讖とあれば、それが何を言おうが、それを怒らず。その図讖をもたらす者も怒らず。またその言いし事必ずしも信じず。かつて挙兵する前、南陽の大姓次元じげん、大王に向いて、讖文しんぶんに曰く劉氏復たおこり、李氏はすけと成らん、そう言えど、大王我に当たらずと返すと聞く」

 そこで、朱祐にこりと笑って呉漢に曰く「我復た昔、今の常山じょうざん太守とう偉卿いけいに聞くに、えんで或る図讖に遭遇す、曰く、劉秀まさに天子と為るべし」

 これには呉漢も驚いて問いて曰く「真なりや」

 朱祐笑いをこらえて曰く「時に、その名は改名後の国師こくし劉歆りゅうきんであろうと或る者が言えば、大王曰く、大王曰く、何を以て僕に非ざると知るや、と」。朱祐は肩を震わせる。

 朱祐が笑ってしまえば、呉漢にはさほど面白いとは思えぬ。寧ろ、馬鹿にしていた図讖が真かも知れないと背筋が寒くなった程である。それを感じて朱祐、咳をして顔をいつもの仏頂面ぶっちょうづらに戻して曰く「大将軍は、劉歆がなぜ劉秀と名を変えたかご存知か」

 呉漢答えて「知らぬが、我に聞かせたき事なるか」

 朱祐うなずいて曰く「劉歆は、劉秀という人物が天下を治めるという図讖を見つけ、改名した。されば劉歆は本当にそのような図讖を見つけたのであろうか」

 呉漢、血の巡り良ければ、朱祐が何を言おうとするか理解して、曰く「劉歆、大王の名の載る図讖を作って、素知らぬ振りで、後で改名せるか」

 朱祐答えて曰く「今となっては知り得るべからず。然るに、大王の名の載る図讖は数多く残らん。祐が前将軍に檄を送ろう。大王を帝と為す讖文を知らんか、と」

 呉漢も頷いて曰く「我らも手分けして探させるべし。大王を怒らせず、天子に上るべしと訴える手立てとして」

 朱祐も黙って頷くのみ。

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