河内

河内

 河内かない


 劉秀りゅうしゅうに河内を任された寇恂こうじゅんは、郡内に通達つうたつして、練兵をうなが射矢しゃしを習わせ、竹の産地淇園きえんで矢を作らせ、馬を養い、を収し、北軍に給じる。馮異ふうい李軼りいつが書を返すや、先ずは北の方、天井関てんじょうかんを攻めて上党じょうとう郡の二城を落とす。また偏将軍丁綝ていちんを遣って黄河の南、河南かなん郡の中央に位置する成皐せいこうから東の十三県及び諸々屯郷とんごうを下させれば、降る者は十余万。河南太守武勃ぶぼつが兵一万余りで、そむいた者を攻めると、馮異、軍を率いて河を渡って士郷しごうで戦い、大いに破って武勃を斬り、首を得ること五千級。されど李軼、門を閉ざしてこれを救わぬ。馮異、李軼が書に誓った事が確かと見れば、劉秀につまびらかに奏上した。


 賊を北に追い上げる最中の劉秀、馮異の報告と李軼の手紙を読み終えて、目を閉じて、指で鼻梁びりょうむ。如何いかにすべきか。考える前に、劉秀、李軼とのしがらみを思い出す。えんで、李軼には李通りつうと一度お会いすべきですと散々口説かれて、遂には策をろうされた。共に兵を挙げて兄劉縯りゅうえんのいる舂陵しょうりょうに戻って、新軍と戦った。昆陽こんようで分かれたのが、親しく話す最後となった。李軼は劉玄りゅうげんいて、兄の殺害に加担かたんした。劉秀、今一度李軼の書を読む。

 劉秀、口に出して曰く「生きるも死ぬも共にしようと約を結び、栄枯えいこの計を同じくす。ふん、はかりおって」

 約を破ったのは李軼、独り昆陽から宛に戻って、遂には、兄劉縯を害す。劉秀、筆をって馮異に返書して曰く「李軼、多くして信在らざれば、人はその本心を読めず。今、その書を回覧かいらんす」

 回覧すれば、高札こうさつを立てて、天下に知らせるようなもの。劉玄の将まで、李軼の書の内容が伝わるであろう。劉秀、その結果も分った上で、これを行う。


 劉秀の返書を受け取った馮異、これを読んで深く嘆息たんそくして、息を止める。李軼が内通ないつうすれば洛陽らくようは簡単に落とせたであろう。今、その機会を逃したのである。馮異、李軼によって洛陽がちた時を考えた。劉玄の将、例えば朱鮪しゅいを斬り、その首を持って劉秀らに功を誇る李軼、信義を大切に思う大王や馮異らには、うとましくうつるであろう。やがてちょうも薄れた、いや寵などはなから無い李軼は謀反むほんを起こす。場合によっては大王の寝首を掻くかも。怖気おじけを感じた馮異、大王が考えるように、劉玄の臣将によって李軼が処されるが良いのかもしれぬと思った。


 洛陽の守将、朱鮪、果たして李軼の書の中身を知るや烈火の如く怒り、人を遣って李軼を刺殺させる。これによって洛陽の城中、内紛を生じ、劉秀の軍に多く降る者有り。朱鮪、ついに劉秀と矛を交えるしかないと覚悟を決める。しかも、河内には劉秀本人は居らず、今を逃す手はない。そこで朱鮪は討難とうなん将軍蘇茂そぼ、副将賈彊かきょうに兵三万人を率いさせ、黄河を渡っておん県を攻めさせ、自らも、数万人を率いて撃って出る。


 その朱鮪、先ずは洛陽の真北、平陰へいいんを攻めて、馮異を足止めしようとする。ところで散々河南に侵攻し、洛陽の兵が否応でも河内に攻めようとうながしたのは他ならぬ馮異であり、朱鮪は見事に乗せられたのである。

 馮異、皇帝劉玄と戦うことを考えていた。道義上、劉秀自身は自分の主上である皇帝とは戦えないが、何れは正面から戦わなければならない、と言う相矛盾した立場に在った。馮異と関中に入った鄧禹は、その意を汲んで、自らの裁量として、劉玄と緒戦を開くことにした。馮異の場合、攻められた故に戦うなら、皇帝軍と戦ってもまだ非難されることは無いと、洛陽の主将朱鮪が否が応でも兵を発すように、また洛陽城を攻めるよりも、城から出てくる兵を待ちかまえて撃つのが良策である故に、今まで挑発してきたのである。

 馮異、既に朱鮪らがどの様に河内郡を攻めるかを検討していれば、平陰攻めは幾つかの想定の一つに過ぎぬ。よって、馮異は配下の校尉こうい護軍ごぐんを遣り、かねての手筈てはず通りに逆に朱鮪を踏み留めさせ、自らは温県へ向う。

 一方、朱鮪の布告文が届けば、寇恂、撃って出るにわざわざ布告文を出すは、河内郡を揺さぶろうと欲するからで、実戦力は三万を割っていようと、直ちに軍を整えせ出、属県に通告して兵を発し温県に会させる。軍吏ぐんりみないさめて曰く「今、洛陽の兵は河を渡り、軍に切れ目は御座りません。宜しく衆軍のことごとく集まるを待って即ち出るべきなり」

 寇恂曰く「温県は河内郡の外郭がいかくなり。温を失えば、郡は守るにあたわず」

 寇恂、遂に馳せてこれにおもむく。朝からこれと合戦すれば、孟津もうしん将軍馮異が援軍と為り、偶々たまたま諸県の兵が集まり城東に至れば、幟旗のぼりばたは野をおおう。寇恂、一計を思いつけば、士卒を城壁に集めさせ、太鼓たいこを叩いて大いに喧騒けんそうさせ、大声でしょう王の兵軍来れりと叫ばせる。

 さあ、如何ならんと寇恂が斥候せっこううかがわせれば、蘇茂は劉秀の軍と聞いて東方に軍を転じ、そちらに進撃しようとする。

 今だと、寇恂、篭城ろうじょうの態勢から全兵士を繰り出し、これを率い、走り出て側面を向ける蘇茂の軍を撃てば、その横に延びた軍の中央を破る。

 蘇茂の軍、前後を分かたれ、北は寇恂の軍、東は河内郡諸県の兵、西は馮異の軍となれば、破れた兵は南、黄河を渡って逃げるしかない。立て直すいとまもなければ、蘇茂の兵自ら水に身を投げる者数千、降伏をいて投降とうこうする者一万余人。寇恂・馮異、黄河を渡って更に追い、敗兵に動揺した朱鮪の軍も更に破れば、朱鮪、蘇茂共に洛陽へ逃げる。

 追討軍の追う事急であれば、ついに賈彊をとらえてこれを斬る。尚も寇恂・馮異、洛陽に至れば、兵は城に逃げ込み、追う両将は洛陽城を悠々と一巡した。これより洛陽の守将らふるおそれ、以後は城門を昼にも閉ざす有様。至る所に降兵あれば、馮異・寇恂、これを集めて、共に河を渡って帰還する。黄河を振り返って、懸念けねんした朱鮪を完全に封じ込める結果と為るに安堵した両将、何れとなく笑い声を上げる。

 寇恂、馮異に曰く「これで主上が、逆賊呼ばわりされることは有りませぬな」

 馮異、首を振ると返して曰く「主上の留守に洛陽が襲いしが、太守殿が懸命に守られた。我の功はその助力のみ」

 寇恂、その言に笑い、つられて馮異もまた笑う。


 男は目を見開くと、ぽつり独言して曰く「虎を調あしらって山から離す計なり」

 しかし、それから黙って幾つか史書を開いては巻き、開いては巻き。子細に見る。男は嘆息して曰く「時の権勢の至る故か、何れも悪し様に書かれることは無い。果たして、我が思った通り、臣下が君主の立場を汲んで事に及んだか、それとも、この君主が密命してそうさせたか」

 しばらくじっと机を見ていた男は、笑って曰く「史家を調って名目から離す計であるな」と、筆を執ると、墨を含ませ、二文字をいつもの竹簡に書き加える。

 男は筆を置いて曰く「山、確かに山である」と、瞑目して復た思いに耽る。

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