第4話 失敗の絵

「今日は“好きな景色”を描いてみましょう」

五時間目の図工。矢野先生の声に、教室がいっせいにざわついた。


「やったー!」「海描こ!」「山にしようかな」

絵の具のふたがコトコト鳴って、パレットに色が落ちる音が気持ちいい。


ぼくは真っ白な画用紙を前に、深呼吸した。

(好きな景色……)


目を閉じると、浮かんできたのは——夢の中の雲の屋根。

そこにちょこんと座る白いネコ。

そして、奥の空には深い群青ぐんじょう


ポケットの中でえんぴつがじんわり温かい。

(……描いてみよう)


筆をとった瞬間、手は勝手に動き出した。

群青で空を塗り、白で雲を浮かべる。

その上に、金色の目をしたネコを描きこんだ。


(これが、ぼくの“好き”なんだ)


夢中で描いていたら、あっという間に時間が過ぎた。

「そろそろ片づけますよー。作品は机の上に出しておいて」

矢野先生の声で、はっとする。


「翔太、見せてよ!」

直樹がひょいと絵をのぞきこんだ。


「……ネコ?」

後ろから別の声。

「雲の上にネコ?」「しかも金色の目?」「変なの〜!」


どっと笑い声が広がった。

耳が熱くなり、顔がじりじりする。

(やっぱり……描かなきゃよかった)


手が震えて、絵を裏返そうとした。


「——変じゃない」


静かな声が教室に落ちた。

笑い声がぴたりと止まる。


立ち上がったのは美咲だった。

金色の目で、ぼくの絵をまっすぐ見ている。


「これは未来の絵。翔太くんの未来」


声は小さいのに、教室のすみまで届いた。

誰もしゃべらなくなった。


矢野先生が少し驚いた顔で、ゆっくりうなずいた。

「いい絵だね。自分の“好き”を描けるのは強いことだ」


休み時間。

絵は教室の後ろの掲示板に貼られた。

いろんな海や山の絵にまじって、ぼくの群青が静かに光っている。


直樹がぼくの横に来た。

「……おまえ、絵、好きだったんだな。知らなかった」


声は少し照れくさそうだった。

「うん。ぼくも、やっと知った」


ポケットの群青色をにぎると、指先がじんわり温かくなった。

(失敗じゃなかった。これが、ぼくの地図なんだ)


放課後、ひとりで掲示板の前に立った。

絵の群青はさっきより深く見える。

雲の端が光っていて、ネコの金色の目はどこか遠くを見ていた。


(ここへ行くんだな)


胸の奥で、カチリと音がした。

未来へ続く扉が、ひとつ開いた気がした。

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