海に捨てる

鐸木

海に捨てる

つまらない駄文をインターネットに投稿していたら、右の顳顬がちりちりと痛みだした。不吉な痛みだった。私は度々原因不明の偏頭痛に襲われる。どうやら緊張性の頭痛らしい。精神からくるものらしく、抗鬱剤と共に頭痛薬を飲んでいる。宛ら芥川の歯車のような心持ちだ。気狂いだと部屋の壁に言われている気がする。ろくでなしと言われている気がする。登校拒否をしている私をろくでなし、本ばかり読んでもどうにもならない、死ね、と誰かが言っている。受験、将来、大学、就職、バイト。頭のなかでちらちら浮いては消えてゆく生活の足跡。煩い、黙れ。そっちこそ喧しい、脛齧りめ。友人は皆バイトに学業に、しっかりと生きているぞ。死ね。

低レベルな応酬を繰り返していたら本格的に痛みが広がり始めた。私は死ぬかも知れない、と思った。死ぬ。常々頭の中で自殺未遂を繰り返しているのに、莫大な死を目の前にすると恐怖に慄いて逃げ出したくなる。愚かしい。赦してください、と虚空に向って土下座する自分を天井から眺めている。ロミオとジュリエットは喜劇だと思った。イヤフォンでは人生は努力次第で変わるとストリーミング一位のアーティストが歌っている。確かにそうかも知れない。でも、今は黙ってくれ。金を持ってるくせに、セックスをしているくせに、名声があるくせに、健全な家庭で育ったくせに。黙れ、黙れ。私は頑張るべきではない。さっさと死ぬべきである。罵倒と蹂躙と陵辱が欲しい。愈愈頭が痛み出した。右の顳顬から左の顳顬へ貫通するような痛みだ。自然と涙が溢れる。だめだ。死を受け容れないといけない。今死ななくたって万物は何れ死ぬのだから。恐怖を消せ。どうにかしろ。死を受け入れろ。生きることに意味はない。カミュは言った。なんと言ったか。痛みが邪魔をする。ノイズから漸く拾い上げたのは、不条理という一単語だけだった。あんなに救われてきた本の内容すら思い出せない。絶望という二文字が脳裏をちらついた。

ベッドで横になった。幾分かはマシになる。スマホを取り出した。待ち受け画面に映る02:00という数字と、学友のメッセージに苛々しつつもカメラロールを開く。一面に広がる海の写真が私の荒んだ心を出迎えた。海。確か丁度一年前、精神病棟を退院した際のお祝いとして、通常なら不機嫌な両親が珍しく寛容に、なんでも聞いてやる、と言ったのだ。私は海に行きたいと言った。小学生の時に両親とも健全な仲だった頃に、久慈浜まで車を走らせ度々海を見た。水平線がきらきらと輝き、素足にべとつく砂の感触が奇妙に心地よかった。母も父も私も笑っていた。美しい思い出だった。ただただ美しかった。そういう人生が続くと思ってた。

私の要望は聞き入れられ、遠出して海を見に行った。あの頃のように和気藹々とはしていなかったし、道中で母と父はバカみたいな夫婦喧嘩を始めたが、矢張り海は美しかった。ただただ美しく、何度も何度も写真を撮った。海の家に行く両親を尻目に、私は砂浜に蹲り号泣した。感受性が鈍い自分が理由なく泣いたのは、始めてだった。ただただ美しかった。勿体ないくらいに優しい海だった。私の両親は存在しない。この海が私を産んだのだ。そう錯覚した。

カメラロールの海を眺め、暫し回想した。涙が一筋ながれ、枕を濡らした。

頭痛は海に捨てた。両親も海に捨てた。厭世観も憎悪も妬みも音楽も薬も文学も生活も基盤も大学も高校も受験も就職も同級生も自殺も自我さえも海に捨てた。私は海になりたい。ただただ美しい海になって彷徨いたい。

その願望さえも海に捨てた。

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海に捨てる 鐸木 @mimizukukawaii

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