密教沙門の迷子探し

まらはる

第1話

本当に助けるべき存在は、助けたくなるような姿をしていない。

社会福祉における格言であり命題である。

例えば、貧困にあえぎ明日食べる物もない人間が、庇護欲そそられる幼い無垢な子供とは限らない。

長く風呂入ってないとか服がボロボロとか、見た目が不潔なだけならば、まだ分かりやすい。

ここでいう「姿」とは態度も含まれており、支援団体を信用していなかったり、精神状態に問題があったり、粗暴だったりして、差し伸べられた手を振り払ったり傷つけてしまうケースもあるという。



先日摘発された人身売買にて、取引されるはずだった一人の少女が逃げ出し、行方不明となっていた。

捜索の依頼を受けた俺は面倒極まりない地道な調査の末、街中の薄暗い路地裏で少女を見つけた。

偶然のような出会いから数秒後、何かを察したのか、少女は俺に襲い掛かってきた。

少女は自分の体の倍くらい体積のある巨大な白い鈍器を振り回し、ビルの壁ごと俺の骨を砕こうとしてきた。

無差別に振るわれる暴力の大盤振る舞いは、短時間で周囲の建物の壁から部屋から瓦礫の山を量産してくれた。

鈍器は陶器のような素材に見えるが、真上から振り下ろせば人間をぺしゃんこにできる程度には頑丈で重たいらしい。

「花瓶か壷にしちゃ、変な形してやがるな。なんだアレ」

一方の俺はここまでのぼんやりした雰囲気から察せられる通り、無事である。

動きは単純で避けるのは難しくない。

もっともまともに当たれば全身複雑骨折は当然なので、適当に牽制しつつ距離を取る。

ビルの屋上から屋上へ、路地裏から路地裏へ、壁面から壁面へ、ひょいひょいと逃げて五体満足であった。

お山での修行の方が100倍はダルかった。

「■■■■■─────ッ!!!」

後方から、少女のものとは思えぬ咆哮が響き渡る。

テレビの動物特集で見た、ライオンの縄張り争いで聞いたものと似ている。

ついでに建設業の英知の結晶が景気よくボロボロにされる音も合わさって斬新なロックかメタルさながらだ。

「どうしたもんかね」

なるべく傷つけずに、彼女を捕まえるにはどうすればいいのやら。

逃げ回りつつ、ある程度の算段を付ける。

振り返ればいまだにこちらを見失わず追いかけてくる少女がいた。

しめしめと、改めて手近なビルを外壁から駆け上り、屋上に着いたなら、今度はさらに別の少し高いビルへ、もう少し高いビルへと移っていく。

わざと規則めいた単調な移動を繰り返し、ひときわ高いビルへたどり着いたら、そのまま変わらぬ勢いとテンポで飛び降りる。

「――ッ!?」

獣のような少女はこちらを何も疑わず、釣られて追いかけて飛び降りて、ようやく自身の失策に気づく。

彼女の身体能力は優れているものの、中空を駆けるほどの異能は持ち合わせていないらしい。

「――オン・ガルダヤ・ソワカ」

一方のこちらは迦楼羅天真言がある。

空を自由に飛ぶではないが、手印と真言を重ねれば神鳥の力を借り曲芸じみて空にとどまるくらいは叶う。

自由の効かず勢いのまま落下する少女に対し、俺は夜空に浮かんで待ち構えられる。

「あぁ?」

策がハマってハタと気づく。

ここから不動金縛りでも投げようかと思ったが、少女の持つ鈍器の形にようやく気付いたのだ。

ゆえに次の力を借入先に選んだのは、悪鬼を縛る不動明王ではなく、

「オン・シュリマリママリ・マリシュシュリ・ソワカ」

烏枢沙摩明王。

すなわち不浄を焼き清める明王。

そして何より、厠の守護神。

真言を唱えれば、手に結んだ印より炎が噴き出て、少女を包む。

それは彼女の「力」――異能と狂暴性のみを焼き尽くすと踏んだのだ。


振り回していた巨大な鈍器は、乳白色の西洋式便器。

憑依悪魔は十中八九ベルフェゴール。

怠惰を司り、人類の婚姻に呆れ、便器に座る大罪の悪魔である。

「■■■■■ォオオオオ─────ッ!!!」

推測は的中したのだろう。

肌も服も僅かたりとも焦げていないが、少女は――少女に憑いているモノは苦しみだした。

「効果覿面、か。万事こう上手くいけば良いんだがね……」

しばらく明王の浄化の火に炙られ苦しんだ少女は、ふっと意識が途切れ力が抜ける。

そして、火が止むと同時に落下を再開した。

「っと」

密教僧たる俺はひとまずの解決を確信しつつ、身元不明にして行方不明の悪魔憑きの少女を、地面に落とさぬように受け止めて抱えた。



寺に生まれて仏門に入ってはいるが、本分は学生である。

そのため厳密には世俗を断ち切れておらず、少々肩身が狭い。

さらに言えば、無事学業を修め終えた後も、待っているのは公僕の身。

つまるところ近年増加傾向にある特殊な怪異事件に対抗すべく日本国において公的に設立された対策課「アタバク機関」の正規所属員……の候補、アルバイトである。

他に同年代の陰陽師やら巫女やら道士やらヨーギーやら、西洋の魔女やカバリスト、錬金術師といった胡散臭い肩書の連中が学生と兼業で所属している。

俺も含めて割とだいたいが野良の悪霊程度は素手で殴って成仏させれる一線級の「"見習い"魔法使い」なのだが、若いうえに「国家公務員」としての適性はピンキリなので、そちらを鍛える意味合いが強い。

あるいは、例えば古代ギリシャ語を読めない陰陽師もいるし、祝詞を知らない魔女もいる。そのために最低限の平均化も図る意図があるのだろう。

呪いの人形の正体が、米大陸先住民のとある部族で崇めていたトーテムだったとしても「知りません分かりません」で逃げられないのがプロである。

そしてここからが本題。

今回の依頼は学園長直々に承った。

俺の実力がこの学園で上から数えたほうが早いのと、個人的に付き合いのある人なので、学生の身分ながらたまに本格的な仕事を任される。

主な報酬は日本銀行券と卒業までの単位である。

「悪魔憑きの少女の人身売買、ですか」

「取引の現場は抑えたんですがねぇ」

物静かながらやけに威圧感のある、年齢不詳の学園長。

話によると大元帥明王の転生体とのウワサ。

アタバク機関の創設にも関わってるとかなんとか。

「保護しようとした、1人の少女が突然の大暴れして逃げ出したらしく捜査員が負傷して、ちょっと使えなくなったんですよ」

「で、その捜査を拙僧が引き継ぎつつ、少女を探して保護しろ、と?」

「その通りです」

話が早くて助かる、と言わんばかりのニコニコ……ニヤニヤ顔である。

まだ承諾はしてない、が拒否権もない。

言外に、圧力。

「その悪魔憑きの少女たちについては、調査したので?」

「保護した子たちに関しては、症状はありふれたものでした。言語不明瞭、精神不安定。つながりの分からない単語や文章を、日本語だけでなくラテン語や古代ギリシャ語なんかで叫んだりブツブツ言ったりしてます。こちらからの問いかけには、反応だけはしますが人間らしい応答はできませんね。ですから、身元とかの事情聴取はサッパリです」

 悪魔憑きの症例というのもピンキリである。

 分かりやすいのは、本人らしからぬ言動をとること。

 さっき言ったように知らぬはずの言語や知識を語ったり、信じられない怪力で大暴れなんてところか。

 また悪魔の力を使う、なんてのも現象としては起こりうる。

 水やら炎やら念動やらの、ちょっとした超能力みたいなことができたりする。

 ともあれピンでもキリでも基本的に「あなたのおうちはどこですか」と聞いてもまともな回答は得られまい。

 我らが退魔組織は警察ともいい感じのつながりはあるため、関東を中心とした行方不明者リストとの照合も進んでいるのだろうが、この様子だと好ましい成果は無いらしい。

 少女らの出どころ自体も、気になるところだが……まさか人造人間(ホムンクルス)ではあるまい。

 アレは錬金術として実現はしているものの、ちゃんと人間大のものを作ろうとするとコストがかかりすぎる。

 都合の良い話相手が欲しければ、今時人形に合成音声とチャットAIでも載せたほうが遥かに手っ取り早い。

 なので仮に数を揃えれても、単なる「人身売買」で雑に売りさばく商品としては見合わない。

 とはいえ、何人ものうら若き女性をどこぞから連れ去ったとして、足がつかない方法はあるだろうか?

「ちなみに霊的チェックもしましたよ。憑いてるのはソロモンの悪魔の爵位持ちやら、フランスのヤン=ガン=イ=タンとか欧州メインですが、色々ですね」

「そんなフランスの一地方のマイナーな悪魔なんて誰が知ってるんですか」

 なんだったか、火のついたろうそくを持ってるいかにも悪魔って感じの見た目で不吉の象徴とか言われてるやつだったか。

「ただ特殊な術式をかませているのか……ちょっと祓うのに手間取ってます」

 悪魔憑きと言えばエクソシスト、祓魔師であるが、それ以外でもなんとかなったりならなかったりする。

 単純に精神がちょっとフレて付け込まれただけの場合……いわゆる魔が差しただけならば、オカルト知識もないお医者さんや先生や親御さんが懸命に付き合えば何とかなることもある。

 ちょっとマズいケースでも、知識と経験があれば聖句唱えて殴って悪霊退散!なんてのも可能ではある。仏僧のお経でも代替できちゃう。

 が、今回は国家機関たるアタバク様なので更にもうちょっとマシな専門手段を用意できたはずだが、それでダメ、ということか。

「どこでどうやって憑かせたのか、黒幕が分かれば祓うのが楽だし身元も逆算できる、ですか?」

「話が早くて賢い学生は好きですよ」

 キャッキャといい大人がはしゃいでいる。

 本当に国家鎮護の要たる大元帥明王と1ミリでも関係のある人間なのかは、怪しく見える。

「というわけでですね。さっきも言った行方をくらました少女1名と、主犯組織を見つけ出してください。頼みましたよ」

 簡単に済む仕事には思えないが、やはり拒否権は無い。

 学園長から発される無言の圧力だけは、確かに人外じみていて、明王と言っても差し支えないレベルなのだ。



「ん、んん……」

 自分の仕事内容を思い返していたら、横に寝かせていた少女が呻きながら目を覚ます。

「起きたか。自分の名前を思い出せるか? 俺の言葉が分かるか?」

 俺の言葉が耳に届いてるかわからないが、少女はぼんやりと焦点の合わない目をしばらくさまよわせる。

 少なくとも、先ほどまでの狂暴性は抑えられてるように見える。

 しかし、まだ知性や理性が悪魔のものか、人間のものかは分からない。

「もう一度聞くぞ。自分のことが分かるか?」

「私は……えっと」

 意識はあいまいだろうが、リアクションは人間らしいものだ。

 徐々に焦点も合ってきて、状況を把握し始めた顔をしている。

「私は……マリス?」

「マリス。名前か?」

「うん、たぶん……」

「ほかに、分かることは?」

「え、っと……分からない、何なのここ? あなたは誰?」

 これは悪魔憑きとしては、とてつもなくマシな状態だ。

 払いきったわけではないはずだが、意思疎通のための会話は問題なさそうだ。

「良いだろう。ここはどこぞの団地の隙間の隅っこの公園だ。時間は深夜。俺はヨリミチと呼べ。学生だがついでに仏僧なんで、悪魔だの妖怪だのを退治する仕事もアルバイトよりちょっとマシな義務感でやってる」

「何その――」

「おっと、言ってる俺だって胡散臭いことは分かってる。でも悪魔憑きとして暴れてた嬢ちゃんを、なるべく傷つけず保護してやったんだ。ある程度信用してくれや」

 いわゆる我々「魔法使い」は一般人にあまり知られてはならない生業だ。

 しかし行きがかり上、被害者には最低限説明しないといけない場面はよくある。

 ベラベラ喋らず、しかし状況は把握してもらい、速やかに誘導に従ってもらう。

 俺は毎度面倒だと思っているのだが、他の連中はどうしているのだろうか。

 この辺りは政府主導なんだし、現場裁量でなくマニュアル化してほしいところだ。

「悪魔憑き……そう、私に悪魔が……暴れて……」

「その辺は、覚えてるっていうか、心当たり有りそうだな」

「ハッキリとは……でも、ずっと現実感のある悪夢みたいな、そんなのを見ていた気がする」

「オッケー。重畳重畳。とりあえず水でも飲んどきな」

 未開封のペットボトルを渡す。

 少女マリスは開封し、数口ほど飲んだ。

 心拍数は多少上がっているが、安定している様子だ。

 しかしこれでもまだ悪魔は憑いている。それはわかる。

 正確な測定はできないが、何も知らぬ一般人とはちょっと存在感が違う。

 ここでいう存在感と言うのは魔力とか霊力とか妖力とかいうヤツだ。

 身長やら体格や体調と同じく、俺くらいなら外から見てわかる。

 それでもここまでの小康状態というのは悪魔憑きとしてレアな方だ。

「嬢ちゃん……マリスちゃんにはまだ悪魔が憑いてる。危険な状態だ。頭の中も、体も。わかるだろ?」

「え、あ、うん……」

 悪魔憑きは不安定かつ邪悪な霊体が、既に魂ある肉体に入り込むことだ。

 無茶に暴れて体にケガを負うだけでなく、魂は傷つくし、精神ひいては脳にも影響がある。

「ついでに言うと、実は似たような子が他にも何人かいて、これからも増える可能性が高い。それを俺はなんとかしたいと思ってる。仕事なんでな」

 俺はせっかちな方なので本来事情聴取は苦手なのだが、何事も慣れというやつだ。

 時間があるなら急かさない。

 ゆっくり簡潔にこちらの事情を伝えつつ、適宜ひと呼吸置くことを忘れない。

「で、マリスちゃんは、暴れる前とか、自分のこととか、何か覚えてることとかないか?」

 マリスは飲み込み切れてない様子ながら、記憶を引っ張りだしている、

「あれは……確か、森か山の中の病院?工場……?ベッドもあったし変な機械もあって……」

「良いねぇ、そういうのだよ。その場所はわかるかい?」

「場所は……あれは、住所とかは分からないけど、そうだ、病院でも工場でもない……教室とか体育館とか……学校?」

「オッケー、助かる」

 とりあえず即座に今の話まとめて、専用のチャットアプリで捜査部に送る。

 対象を絞れれば無尽蔵のデータから探すよりだいぶ楽になるだろう。

「それで、自分のことは?マリスって名前以外で」

「思い出せない……苦しかったこと、しか……とても嫌だった……」

「そうか、大変だったな」

 無愛想にならない程度に、同情の姿勢を作っておく。

「違うの……私よりも、家族が、家族がバラバラになって、戻ってこないの……」

「それは、つまり君自身の、悪魔憑きになる前の話ってコトか?」

「そう。きっと……死んだとかじゃない、けど私だけ置いて行かれて……ツラくって、それで、そしたら、気づいたら……」

 悩める十代の少女、ってところだろうか。

 家庭環境なんて千差万別だ。

 本人の記憶もあいまいな以上は、大きいとも小さいとも言えない悩みだ。

 死別じゃなきゃマシ、とも限らない。

 ちなみに俺の実家である寺だが、吹き飛んで半壊して今も放置してある。

 なので現在は寮生活である。その辺も話すと文庫本一冊くらいになりそうだが省略。

「オッケー。覚えることがあるなら、それでいい。ホントの詳しいことはまた後で、今はいったん忘れとけ」

「何を……」

「悪魔を祓いきらなきゃ、どっちにしろぐちゃぐちゃのままだ。イヤなことにも正面から向き合いきれない。だから、今はそっちが先だ。いいな?」

「う、うん……」

 平均的な、俺より年下と思しき少女。

 そんな身に、自己もうまく判別できぬ中、苦しい記憶だけ残っているというのは、想像が難しいがそれでも大変なのはわかる。

 なので、俺にできるのは別の、直近で分かりやすい問題に目を向けさせることだけだ。

 連絡もしたし、じきに捜査部のだれかしらがやってきてこの子を引き渡すことになるだろう。

 それまでの面倒を見るくらいの情が、俺にもある。

「っと、候補地が出たな。かつてあった、って情報自体が表向き抹消済みの廃校ね」

 チャットの返信が来ていた。どこぞの企業が買って、ごっそり登記記録とか書き換えてカモフラージュされていたらしい。

「保護のための捜査部員も、もうすぐ来るってか。おいマリスちゃん、俺の組織の奴が来るから、後の面倒はソイツに見てもらえ」

「……」

「マリスちゃん?」

 少女を慮りつつ、顔を見る。

 さっきまでは苦悩の重くのしかかった顔をしていたが、今は少し違った。

「えっと、ヨリミチさん、でしたよね」

「ん、ああ。どうした?」

 実は似たような話は何度か経験済みだ。

 前も後ろも分からぬ魔道の被害者となった当事者が、その表情を変える瞬間。

「私も、その、廃校に連れて行ってください」

 事の終わりを見届ける、といった責任感を持った顔だった。

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