カラオケルーム(雑談・日記)
茜﨑楓歌
カレーパンマンは今もカレーを吹くのか
こんばんは、時刻はまもなく深夜2時。茜﨑楓歌です。
これが気になったのは、Twitter上で「カレーパンマン、カレーを吹いてるのですか……?」という旨の、至って純粋無垢な質問を目にしたからだった。(私はTwitterの住人なので、この手の疑問の元を辿ると例に漏れなくTwitterだ。)
幼少期にアンパンマンを通ってきた者としては当たり前に思っていたが、言われて「当たり前なわけない」と初めて気づけた。
アンパンマンは顔を分け与えてもあんこを飛ばすことはないし、しょくぱんまんにはそもそも飛ばすものがない。
そりゃあ、カレーパンマンに出会わなければ「食べ物を口から飛ばす」が是とされる世界線などない。
これは育ち云々ではなく単なる「認識」の是非だから、知っていることが優れているわけでもその逆でもない。
しかし、カレーパンマンがカレーを吹くことが「疑問」として出るようになったのはいつ頃からなのか、それはそれで気になる。
昨今は何かと「コンプライアンス」という言葉を耳にする。
全ての人の権利を守り生きやすい世の中にするための制度であり、「度を超える」のラインを自らの基準で定めることのできない概念だ。
カレーパンマンがカレーを吹くのは、「コンプライアンス違反」に該当するのか?
調べたところ、アニメでそのシーンが放映されなくなった、というような内容の記事やソースを見つけることができなかった。
サーチが甘いのはあるが、ひとまずシュレーディンガーのカレーパンマンとして韻を踏みつつ(は?)(ラッパーに怒られろ)話を進めたい。
ただ、Twitterには「汚い」「子供が真似する」と言ったような声(超要約したけど)がちらほらと見られた。やはりこの手の話題はTwitterを探せば何かしら見つかる。
仮にカレーパンマンがカレーを吹かなくなったとしたら、こうした一部の「世の中の声」を踏襲したことになる。のだろうか。
テレビ、漫画、アニメ、動画配信サイトなど、「コンプライアンス」のラインを気にしていると感じるようになったものは年々増えているような気がする。
そして、その視聴者や読者にギャグをギャグとして捉えられない「可能性」が0%でない限り、それは「不適切なコンテンツ」として有無を言わさず抑制される世になったように思う。(じゃあ「ぬきたし」がなんでアニメ化できたんだって話にはなるが……。本当になんで?)
話が別作品に移るが、今の「クレヨンしんちゃん」はケツだけ星人も居ないしケツだけ歩きもしない。みさえも げ ん こ つ を飛ばすこともなく諭すだけと聞いた。
教訓アニメと変貌した「クレヨンしんちゃん」に、私たちは何を求めるというのか。ギャグ漫画だったから、あれほどまでに大ヒット作になったのではないだろうか。
これこそ、「ギャグ」の心を忘れた、あるいは初めから持ち合わせていない大人のエゴによって潰された子供心と言って良さそう。
コンプライアンスに触れる! 訴えるぞ! とか言われたらお手上げなんだけど、流石にこれくらいは言わせてほしい。
さて、それをカレーパンマンがカレーを吹くのか問題に当てはめてみるとどうだろう。
カレーを吹いてわるものをやっつけるヒーローなんてなかなかいない。
こうしてふとカレーパンマンから考えさせられたように、「面白さが均されていく」ことに、私は寧ろ危機感を覚えている。
それってギャグなの? 心から笑えるの?
それで言うと私は下ネタが苦手だし、冗談やギャグを言うのも「向いてない」。大喜利やるのとか一番向いてない。
その私でも、本っ当にしょうもなさすぎる下ネタが急に降ってくると笑っちゃうし、冗談やギャグを言うのは「好き」だし、大喜利も人のを見るのは大好き。漫才もコントも好き。
そのギャグ見ている最中に、この世の中に刷り込まれた「コンプライアンス」がよぎるたび、ジャンルは如何、何を観ていても表現の規制が頭にチラつくようになるのだろう。
笑う門には福来る。なら大損害じゃないの? とまあ、ここまで私が心配する必要などなかろう。と、他人事にしていいのか? 突っ込みすぎると危ないぞ? でもそれで傷つく人だっているんですよ? …………。
……このいたちごっここそ「コンプライアンス」に対する恐れだと思う。
「コンプライアンス」の後ろ盾に自信がつくと、発言者は権利を「守る」ためから権利を「主張する」ためへと用途を変更させる。
時として法にすら触れるそれは、わがままを通すにあまりにも振りかざしやすい道具だ。
「傷つける」は「不快にする」のニアリーイコールだが、合同じゃない。そのことが有耶無耶になっている(あるいは、主義主張を通すため意図的に一緒くたにする)人が、近頃やたらめったら増えた気がしてならない。
余計なことを言うと火に油を注ぎそうだが、これは「ハラスメント」にも似たようなことが言えると思う。
その本質って、不適切な行動を法の下で「罪」として定め、被害を抑えるための圧力として「在る(be)」ことなのではと。
自分が気に入らないことに対して「それハラスメントですよ」と利己的な手段として振りかざせる、つまり「する(do)」ことにすり替わったら、今度はその「ハラスメント」から守るためのルールが居る。
もちろん、被害者など居ない方がいいに決まっている。そうあってほしい。そのために機能してほしい。
だが、「被害者ヅラの加害者」によるソレが、本当にその盾を必要としている「被害者」の首を絞めていることに、「被害者ヅラの加害者」は気づかない。だって、自分さえ良ければいいから。
何が言いたいのかって、「コンプライアンス」も「ハラスメント」も使い手を選ぶ剣で、剣を振りたいなら剣に認められる人で在ろうと心がけなきゃってこと。
最大多数の最大幸福なんて言うつもりは無いし、それって誰かの悲しみを見ないことだから本当に嫌いな言葉。
なんだけど、ゼロ百にできるほど人間って単純な生き物じゃないぞ、たぶん。
結局、納得いかないこと、モヤモヤすることの中で「自分に適った環境」を求め続けるんだと思う。
人間は強欲だから、「常に安心、常にハッピー」はありえない。
こんなこととは露知らず、カレーパンマンにはカレーを吹いていてほしい。
君はヒーローなんだから。
茜﨑楓歌「カレーパンマンは今もカレーを吹くのか」(2025年8月30日)
※この記事は、あくまで「個人の感想」の範囲に留まる文章であり、明確な意図や主張を持つものではありません。
※この記事には、明確なソースがありません。信憑性に欠けるため、文献として不適切です。
カラオケルーム(雑談・日記) 茜﨑楓歌 @Fuuka_Akanezaki_Haiku
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