『日本人ファースト:現代日本のコモン・センス』——依存の時代を終わらせる国民の常識。

雪風

日本人ファーストは何処から


昔々、その遥か昔の世、

神々と人が交じりあう時代。


――いまから3000年前。


古代の中国大陸にて古代王朝”殷”と”周”の争いが繰り広げられていくなか、古代日本の九州にて、私たち日本人の片割れである弥生人と、もう一つ片割れである縄文人は出会いました。


 縄文人は半定住半狩猟採取の生活をしている人々でした。

彼らには国家という概念なく、人口も少なかったため、土地や水、食べ物を巡って戦争をすることはなく、少数の社会を築き、豊な自然の中で平和に暮らしていました。


 弥生人は水稲農耕を中心とした生活をしている人々でした。

彼らは故郷である中国大陸では国家を築いていましたが、日本に移住してからは縄文人たちと共に”ムラ”をつくり、それがやがて、より複雑な社会機構を持つ”クニ”へ発展していきました。


 弥生人は縄文人よりも優れた技術を持っていましたが、縄文人の社会を侵略し、支配するようなことはしませんでした。なぜなら、弥生人は中国大陸にて、漢民族国家である周王朝により、故郷を奪われた人々だったからです。


彼らはただ平和と安寧だけを望んでいました。


自らの故郷を漢民族に不当に奪われ、虐げられてきたからこそ、彼らは縄文人に対して同じことはしませんでした。


 弥生時代初期の時代の遺跡からは、水稲農耕の痕跡と、少数の弥生人と多数の縄文人の遺骨が発見されています。縄文人は早い段階から弥生人の技術と文化を取り入れており、縄文人と弥生人の共存社会が作られていきました。


 それから1000年かけて、弥生時代はゆっくりと進んでいきます。

そのなかでゆっくりと、日本人が産まれていきました。

弥生時代の終わりごろ、ある一人の偉大な女性の指導者が日本の邪馬台ヤマト国に現れました。名を卑弥呼と呼びます。


 卑弥呼は太陽神からの神託を受けながら日本の国々をまとめていきます。しかし彼女の死後、国々は分裂し、争いが起きてしまいました。


それが3世紀から5世紀まで続く空白の150年間です。


この時代は稲作による人口増加と、寒冷化の時代でした。


この時代は日本だけでなく、中国大陸やヨーロッパでも戦乱の時代となり、中国では晋王朝が滅び、ヨーロッパではローマ帝国が滅びるほど、世界的に戦乱の続いた時代でありました。


例にもれず、卑弥呼亡き後の日本もこの戦乱の流れに突入していきます。


 この中で当時の日本で一番稲作が盛んだった関西と中部地方を治めていた大和ヤマト王朝が台頭していきます。


圧倒的な武力と婚姻政策により、日本各地の豪族と王朝を次々と平定していく大和王朝でしたが、大和王朝が率いる当時の日本人たちは、現在の私たちと似た社会問題を抱えていたのです。


それが移民・難民問題でした。


 中国と朝鮮半島で戦乱が激化するさなか、多くの東アジア人たちが渡来人として日本に逃れてきました。渡来人は優れた技術を持っている反面、日本で反乱や窃盗、密貿易や海賊行為をするなどの問題行動を繰り広げていました。


このような渡来人問題に対し、大和王朝は日本に有益かつ、友好的な渡来人は”帰化”を許し、反乱や窃盗、密貿易や海賊行為をする渡来人は本国へ強制送還していきました。また同じ土地に沢山の渡来人が定住することを禁止にし、各地にバラバラに移住させました。


それ以降、渡来人と古代日本人は緩やかに混血していき、現代のわれわれ日本人へと繋がっていきます。


またその渡来人受け入れ政策も、飛鳥時代には停止しています。


つまり渡来人が日本人の社会に同化していき、日本人と渡来人同士で憎しみ合うことなく、日本が平和的に発展できたのは、大和朝廷が渡来人問題を解決するために、様々な政治的努力を怠らなかったからなのです。


大陸の争いに関与せず、当時の外国人問題も解決させた大和朝廷でしたが、大陸のほかの国々は違いました。


大陸は当然ですが陸続きです。


 農業が始まってから今日に至るまでの5000年の間——。

人口増加や寒冷化による食糧不足が起きるたびに、ユーラシア大陸では土地や水をめぐって、外から外国人が民族丸ごと移住するような大移動が続いていました。


そのたびに、元から住んでいた人々と移民側の争いは激化していき、多くの国や民族が滅んでいきました。


いまユーラシア大陸にいる主要な国家と民族は、5000年間におよぶその過酷な生存競争バトルロワイヤルを生き抜いてきた猛者たちなのです。大和朝廷による国内平定と渡来人問題を解決して以降、外国人との過酷な生存競争に晒されて来なかった日本人と、そうでない外国人とでは、根本的に”大きな違い”が存在します。


 それは遺伝子の多様性です。

当時、戦争するのは男性がほとんでした。

民族の成り立ちは父系の遺伝子を調べればおおよその成り立ちがわかります。

日本人の父系遺伝子は縄文人と弥生人が1対1ずつと対等であり、つぎに渡来人の遺伝子が続きます。また渡来人の遺伝子はさらに細かく枝分かれしています。


日本人の父系遺伝子は多様なのです。

これはなによりも、日本人が平和を大切にしてきた民族であることの証明であります。


 それに対し、ユーラシア大陸に住む民族の遺伝子はひどく多様性に欠けています。中国では漢民族の父系遺伝子の六割は同一の父系集団に由来します。これは特定の漢民族の集団が、中国各地を侵略し、その土地にいた男性たちを殺すか奴隷とし、彼らから奪った女性たちに、むりやり子供を産ませ続けてきた証拠なのです。


 古代中国の漢王朝の時代、漢民族の人口は6000万人を誇りましたが、漢王朝が滅び、戦乱の世となった三国時代には、漢民族の人口は600万人にまで減少した言われています。


人口が10分の1に減少するような過酷な環境でした。

この環境を生き延びれた600万人の漢民族の先祖は、果たしてどんな性質を抱えた漢民族だったのでしょうか。それは今の中国人のモラルを見れば、おおよその見当は尽きます。


すくなくとも、横入りせずに列を守り、怒鳴り散らしたりせず、人を騙したりせず、正直者であり、平和を愛するような人たちではなかったでしょう。そのような人々では、今日明日の食べ物がない日々を生き残るのは難しいからです。いつ隣人が襲ってくるか分からない、だから襲われる前に襲う、裏切ってでも、騙してでも――。そのような人々しか生き残れなかったのではないでしょうか。


これは中国大陸と同様に、遺伝子の多様性に欠けている、他のアジア地域やヨーロッパ、アメリカ大陸も同じような人々が生き残ってきたのだと思います。


それは今の中東人の気質や、世界中を侵略し、先住民族を虐殺していった白人たちの歴史を見れば明らかです。


 このような過酷な5000年間におよぶ生存競争バトルロワイヤルを生き延びてきたユーラシア大陸の外国人と、数千年以上にわたって平和に生きてきた日本人が共存社会を築くことは非常に難しいでしょう。


 少なくとも、現代の渡来人たる外国人をやみくもに受け入れ続ければ、後悔するは日本人の方です。ユーラシア大陸の過酷な生存競争に耐えきれず、3000年前にドロップアウトした日本人の社会に、外国人をむやみやたらに移住させる行為は、日本列島を”小さなユーラシア大陸”にさせることを意味します。


その環境下で、人口減少の止まらない我々日本人が果たして生き残れるでしょうか。日本人と外国人の共存——これが実現できるのなら、そもそも日本人という民族は存在していなかったでしょう。


なぜなら、日本人とは、古代の外国人たちと共存できなかった人々が、この列島に集い、平和的に混血し、まとまっていった民族だからです。


 大陸の外国人と共存できなかった日本人の祖先が、自分たちが平和に、そして幸せに暮らしていくため、血と汗水を流しながら、森を切り開き、土地を開墾し、家族を養い、築いていったのが日本という島であり、国家なのです。


 つまり日本人の先祖がこの列島にて、日本という国家を築いた原動力こそが、

”日本人ファースト”という精神でした。


 日本人ファーストとは現代に産まれた政治イデオロギーではありません。それは形を変え、言葉を変え、日本人の先祖から私たちへ、ずっと、ずっと、ずっと、はるか古より伝えられてきた、日本人わたしたち常識コモンセンスなのです。


ともすれば、現代に生きる日本人である私たちが、日本人の社会を守り抜くために、渡来人問題の解決に尽力した先祖のよう、外国人問題の解決に尽力することは、もはや当然の常識コモンセンスであるわけです。


 日本人ファーストという常識コモンセンスはどこから来たのか、それは私たち日本人にどのように受け継がれ、またどのように継承していけばいいのか――。この話を読んだ多くの日本人に届きますように。

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『日本人ファースト:現代日本のコモン・センス』——依存の時代を終わらせる国民の常識。 雪風 @katouzyunsan

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