未来人幽霊

ヒロナ

第一章 見えるひと、見えないひと

ヒヨリは、夕暮れの街を漂っていた。

千年後の未来から過去に送られた観測者として。人々の生活を見守り、記録するために。


だが――彼女の存在を知る者は、誰もいない。


足音を立てることもなく、石畳を歩いているようで歩いていない。子どもが駆け抜けても、ぶつかることもなくすり抜けてしまう。声をかけても届かず、影さえ地面に落ちない。


「……今日も、孤独な観測ね」

彼女は小さく呟いた。


未来の世界では、孤独に慣れているつもりだった。人と人との距離は合理的に管理され、心をぶつけ合う関係は珍しかった。

だからこそ過去の人々の営みを研究する使命を与えられたとき、ヒヨリは胸を高鳴らせていた。


――けれど。

実際にこの時代に来てみれば、自分は「幽霊」と変わらない。人に触れられず、声も届かない。温度も重みもない存在。


心の奥底で、ほんの少しずつ、自分という存在が薄れていくような恐怖さえ感じ始めていた。


そのときだった。


「……あなた、誰?」


澄んだ声が、確かにヒヨリの耳に届いた。


驚いて振り返ると、そこにひとりの少女が立っていた。

制服の襟を風になびかせ、長い黒髪を背に流し、澄んだ瞳でヒヨリを見つめている。

年の頃は十七。まだあどけなさを残しながらも、芯の強そうな表情をしていた。


「……わたしが、見えてるの?」

ヒヨリは思わず問いかけた。


少女は首を傾げるように笑みを浮かべた。

「見えてるよ。銀髪の、綺麗な人がそこに立ってる」


その言葉があまりにも自然で、ヒヨリは息を呑んだ。

今まで誰ひとりとして自分を認識できなかったのに。

この少女だけは、当たり前のように自分の姿を見て、声を聞き取っている。


「わ、わたしは……ヒヨリ。未来から来た研究者なの。普通は誰にも見えないはずなのに……」

「未来?」

少女は目を丸くして、次の瞬間、楽しそうに笑った。

「へえ、すごい。私、未来人に会っちゃったんだ」


その軽やかな受け止め方に、ヒヨリは一層困惑する。


「あなたは?」

「アイリ。十七歳。普通の高校生だよ」


アイリと名乗ったその少女は、まるで旧友に話しかけるかのように距離を縮めてくる。

普通なら怯えるはずだ。幽霊のような存在を目にしてしまったのだから。

けれど彼女は笑みを絶やさず、ヒヨリに興味を抱くように話しかけ続けた。


「ヒヨリは、ずっと一人で過ごしてたの?」

「……そう。観測者だから、人と関わっちゃいけないって決まってて。でも、そもそも誰にも見えないから……」

「ふうん。じゃあ、私だけが特別なんだ」


アイリの瞳が、ほんの少し誇らしげに輝いた。

ヒヨリの胸に、じわりと熱が広がる。


特別。

未来の世界では聞いたことのない響きだった。

合理的な社会で、誰かが誰かにとって特別になることは、もう稀だったのだ。


「……本当に、私が見えてるのね」

「うん。はっきりと。声も、ちゃんと聞こえるよ」


ヒヨリは唇を噛みしめた。

孤独に慣れきっていた心に、初めて差し込んだ光。

もし、この少女が本当に自分を認識できるのなら――。


「……じゃあ、少しだけ。一緒に歩いてみてもいい?」

「もちろん」


アイリは笑顔を見せ、夕暮れの通学路を歩き出した。

その横に、幽霊のように人には見えない銀髪の女性が並んで歩く。


誰にも気づかれない二人だけの散歩。

それが、ヒヨリとアイリの始まりだった。

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