第8話

 屋敷には大きなお風呂があります。

 全面タイル張りで、贅を尽くした豪華なお風呂ですが、アクマリーゼはこれを「悪趣味だわ」と断じています。

 さて、ここには麗らかな乙女たちが集まっていました。

 お仕事で普段以上に疲れたであろう三人に、主人であるアクマリーゼご本人がお風呂に入れたのです。


 「サフィー、頭を洗ってあげるわ」

 「い、いえ結構ですアクマリーゼ様」

 「あら、昔は洗ってあげたのに」


 サフィーは顔をにします。

 まだ右も左も分からないほど、奴隷として死を待つだけの頃を思い出したのです。

 今思えばなんと愚か、羞恥心で茹でダコみたいです。

 アクマリーゼはサフィーを無理矢理捕まえると、青い髪を優しく撫でました。


 「角に触られるのは嫌い?」


 サフィーは一瞬震えます。

 小さいながら、サフィーの頭には悪魔の象徴たる禍々しい角があります。

 今朝修道女が酷い罵声を浴びせたのが、嫌でも思い出します。


 「アクマリーゼ様、サフィーは悪魔だから、攻撃されるのですか?」

 「……サフィー、それは怒り、それとも悲しみ?」

 「わかり、ません。サフィーは悲しいんでしょうか、怒っているんでしょうか?」

 「ん、んー」


 突然横からサフィーを押しのけ、ルビアがアクマリーゼの手に頭を押し付けます。

 竜の鱗が所々生えるルビアは、今もマイペースです。


 「あらルビア、貴方も洗ってほしい?」

 「ん♪」


 唯我独尊のルビアもアクマリーゼには素直ですね。

 ただ……サフィー前でそれをするのは。


 「ルビア……アクマリーゼ様に馴れ馴れしいわよ」


 それはもうゾッとするような、彼女が悪魔なのだと分かる嫉妬心がぶつけられます。

 アクマリーゼはこんな二人を見て、クスリと微笑みました。


 「ふたりとも、順番ね」


 先ずはサフィーから、アクマリーゼは優しく手で洗剤を溶かすと、サフィーの頭をワシャワシャ撫でます。

 泡だらけになると、サフィーは目を閉じました。

 アクマリーゼ様にされると幸せそうに、サフィーは自然と鼻歌を歌いました。


 「フフッ、いい歌ね」

 「ッ!?!?!?」


  サフィーは目を収縮させると、背筋をぐ伸ばします。

 無意識に心地良くなったことに彼女が気づくと、耳まで真っ赤にしました。

 ザパァンと、頭からお湯を被ると、アクマリーゼはサフィーの肩を叩きます。


 「はい終了、ちゃんと肩まで浸かるのよ?」

 「は、はいいいぃぃぃ」


 素早くサフィーは浴槽に向かうと、肩まで浸かって縮こまります。

 先に浸かっていたエメットは、そんなサフィーの横に来ました。


 「いい歌ね♡ だってさ☆」

 「わ、忘れなさい」

 「アクマリーゼ様とイチャイチャ出来て気持ちよくなったでしょう?」

 「忘れなさい!」


 エメットはケラケラと笑います。

 サフィーはからかい甲斐があるのか、彼女に対しては気安いようです。

 血は繋がっていませんが、同じ日に引き取られ、同じ日に命名された三人は、姉妹のようなものです。

 だから……エメットも少しだけ調子に乗っちゃうのでした。


 「あぁ良いな良いなー☆ 私ならテンションアゲアゲ△△△なんだけどなー♡」

 「……破廉恥な」

 「破廉恥って♤ 女ばかりじゃない♢」


 そう言ってアクマリーゼに視線を送ります。

 ルビアは大人しくアクマリーゼに身体を寄せて、されるがまま洗われていました。


 「あらルビア、身長もだけど、胸も大きくなったかしら?」

 「ん?」


 サフィーは無言で俯くと、自身の胸にそっと触れました。

 エメットは「うわあ」と哀れにサフィーの胸を見ます。

 既に成熟した大人らしさを兼ね備えるアクマリーゼは勿論のこと、三人娘は齢推定十五歳、ルビアにも女らしさが出てきたようです。

 次いでエメットも、少しだけ大人の階段を登っている最中で、サフィーは三人の中で一番身長もなく、子供のままでした。


 「大丈夫だって☆ 悪魔っていえば大体ボン・キュッ・ボンでしょ♥」


 テンプレートの女性悪魔といえば、サキュバスのようなイメージでしょう。

 けれどその血が二割強の少女に慰めになるのでしょうか?

 どの道サフィーは暗い顔をすると、角にそっと触れます。

 その表情は今も、自殺を仄めかすような陰鬱な顔でした。




 お風呂に四人でゆっくり浸かったら、ようやく就寝です。

 と言ってもサフィーは自主的に、屋敷内を巡回するのが、日課なのですが。

 今回の襲撃の件で、アクマリーゼ様の周りは安全とはいえないと判明したのはせめてもの幸運だったでしょうか。

 ですが……そんなサフィーの表情は浮きません。

 彼女の胸中には、皮肉にも悪魔の血がいけないのかと、ずっと自戒の念が渦巻くのです。

 悪魔は悪の象徴、死して当然であり、険悪され、憎悪され続ける。

 サフィーは両親を知りません、母親か父親か、どちらかに魔族の血が混じっていたのでしょうが、今のサフィーは少しだけ両親を恨んでしまいます。


 「サフィーは奴隷で構いません、でも」


 ふと、二階の窓に自分の顔が映りました。

 窓の奥には広大な庭園と、大きな丸い月が見えます。

 丸い月はまるで因果応報と、指摘するように、サフィーを見つめています。

 彼女の顔は今真っ青、ただ震える手で彼女は短刀を手にしました。


 「角、角こそが悪魔の証明……ならサフィーは」


 短刀を角に当てます。

 サフィーは震えながら、大粒の涙をポロポロと落としてしまいます。

 角には神経が通っている、それを二つも。

 きっと痛いでしょう、もしかしたら痛みでショック死してまうかも知れません。

 けれどここまで追い込んだのは紛れもなく血の原罪、悪魔は滅びるべきなのだから。


 「待ちなさいサフィー!」


 ビクリッ、サフィー愛するアクマリーゼ様に振り向きました。

 こんな夜更けに、いつもなら朝までぐっすり眠るご主人さまが、サフィーを真剣な眼差しで見ています。


 「サフィー、貴方が自分を傷つけることをわたくしは認めません」

 「ぐすっ、ごめんなさいアクマリーゼ様ぁ、けれどサフィーは悪魔が嫌いです!」


 迷わずアクマリーゼはサフィーを抱きしめました。

 サフィーはえんえんと泣きじゃくり、悪魔の血に呪詛を吐きました。


 「サフィーが悪魔だから、アクマリーゼ様も傷つけてしまう! それならいっそサフィーは死んだほうがマシです!」

 「サフィー……」


 アクマリーゼはサフィーを抱擁しながら、その頭を、角を優しく叩きました。

 ポンポン、まるで赤ちゃんをあやすように、母親のような優しさでアクマリーゼはサフィーに微笑みます。


 「サフィー、わたくしはサフィーが大好きよ、貴方の角だって、愛おしいわ」

 「あ、アクマリーゼ様、でもそれがアクマリーゼ様を」

 「違うでしょ、貴方はなに? 傲慢にも神にでもなったつもり?」

 「さ、サフィーはアクマリーゼ様の奴隷です!」


 サフィーにとって奴隷はネガティブな意味はありません。

 むしろ誇らしく、こんな素晴らしい主人に仕えれて、無常の喜びさえあります。

 そんなサフィーを充分に支えられなかったのは主人であるアクマリーゼの責任でしょう。

 アクマリーゼはそれを軽んじるつもりはありません。


 「使用人にはいくらでも替えが効きます、ですがサフィーに替わりは存在しませんわ」

 「アクマリーゼ様?」


 サフィーは涙で目を腫らしながら、アクマリーゼを見つめます。

 アクマリーゼは主人として、姉として、母親として、サフィーに愛を注ぎました。

 その愛が、いつサフィーを傷つけたのでしょう。


 「サフィー、貴方はわたくしだけのものでしょう?」

 「はい、サフィーはアクマリーゼ様だけのものです」

 「ならサフィーを傷つけたものは、わたくしに泥を塗ったわね?」


 アクマリーゼは悪辣に、そしてあまりにも妖艶に微笑みました。

 それは殆ど見せたことがない怒りの感情、アクマリーゼはサフィーをとてもで、美しいとさえ思っています。

 その美を汚されれば、アクマリーゼとて怒るのでしょう。

 その矛先がどこに向かうのか、それを神はきっととても恐れましょう。


 「サフィー、貴方を傷つけていいのはわたくしだけ、たとえ貴方自身でも、傷つけることは認めません」

 「ち、誓いますサフィーはアクマリーゼ様の言いつけは守ると」

 「サフィー、愛しているわ」

 「サフィーも愛しています、アクマリーゼ様」


 今だけ、優しい母親のようでいてくれる愛しのアクマリーゼ様。

 アクマリーゼはサフィーが安心するまで、抱擁してあげました。

 しかし悪そのものを目指す彼女が、一体なにをしうるのか。

 ただ月はそれを「因果応報」と呟くのでした。

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