第2話 春のベンチ外

 桜の花びらが校庭を舞っていた。新学期を迎えた帝都高校の野球部は、春季大会に向けて最終調整の真っ只中だった。三年にとっては、甲子園へつながる最後の夏への大切なステップ。だが――俺の名前は、その舞台に刻まれなかった。


 「――ベンチ入りメンバー、以上だ」


 監督の一言が部室に響き渡る。緊張の糸が切れたように、仲間たちの間から安堵の息や笑い声がもれた。

 俺は下を向いたまま、膝の上で握りしめた拳を緩めることができなかった。名前は呼ばれなかった。冬の練習試合では背番号18をもらった。ほんの少しは期待していた。だが、春にその番号すら剥がされた。これが現実だ。


 ロッカーの隅で黙り込んでいると、幼馴染の声が届いた。

 「……唯」


 振り返ると、マネージャーの安岡はるかが立っていた。小柄な体にマネージャー用のジャージを着込み、手にはメンバー表を持っている。その視線はまっすぐで、優しいのに痛いほど刺さった。


 「ごめん、俺……」

 自分でも何を謝ってるのかわからない。悔しさか、不甲斐なさか、それとも彼女に気を遣わせてしまったことへの負い目か。


 「謝ることなんてないよ」

 はるかは小さく首を振った。「春はまだ通過点でしょ。最後にマウンドに立てば、それでいいんだから」


 その言葉に少しだけ救われる。けど、心の奥底では同期との距離が開いていく感覚を拭えなかった。


 ◇


 春の大会。俺は背番号もユニフォームも持たず、スタンドからチームを見つめるしかなかった。

 青い空の下、グラウンドに響く打球音や掛け声は、どれも俺の届かない場所のものだった。


 帝都のエースは三年の篠田先輩。重いストレートで初戦を抑え込み、チームは快勝した。スタンドで応援しながら、誇らしさと同じくらい悔しさがこみ上げる。


 次の試合、相手は強豪・聖央学院。マウンドに立つ影山一の姿を見た瞬間、胸が締めつけられた。

 小学校の頃からずっとライバルだった。あいつはいつもエースで四番。試合を決めるたび、俺はベンチで拍手するしかなかった。あの頃から背中を追いかけてきたのに、気づけば差は広がるばかり。


 影山のストレートは相変わらず速く、力強く、そして試合を支配していた。帝都の打線が沈黙するたび、俺の中で何かが燃え上がる。

 「……俺も、あのマウンドに立ちたい」

 心の中で何度もつぶやいた。


 結果は敗戦。聖央の前に完敗した。ベンチの仲間たちの悔し涙を、俺はスタンドからただ見届けるしかなかった。


 ◇


 夕暮れの校庭。部室に戻った仲間たちの声は沈んでいた。監督は短く「夏にすべてを懸けろ」とだけ言った。

 俺はグラウンドの隅で一人、握った拳を地面に押しつけていた。

 春のベンチ外。試合に立てなかった無力感。スタンドで感じた焦りと羨望。全部まとめて、夏への燃料にするしかない。


 「絶対に、夏は……」

 声に出すと、胸の奥の熱が少しだけ形を持った気がした。


 桜の花びらが散り、季節は夏へと向かっていく。

 俺に残された最後の夏――唯一の場所を掴み取るために。

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唯一のマウンド 藍澤 駿 @shun_aizawa

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