記憶の運び屋

紡月 巳希

第七章

奪われた光


「…見つけたぞ…」

その声が地下空間に響き渡ると同時に、奥の通路から複数の人影が現れた。漆黒のスーツに身を包んだ男たち。彼らは迷うことなく、私と、そして琥珀色のクリスタルが浮かぶガラスケースが並ぶ中心へと一直線に向かってくる。私は木箱を強く握りしめた。母が私に託した真実。カイトが私を守ってくれたこと。そして、この「盗まれた記憶」を悪用しようとする者たち。もう、逃げるだけではいられない。

「来ないで…!」

私は叫んだ。その声は、震えていたが、その奥には確固たる抵抗の意志が宿っていた。男たちは、そんな私の声など気にも留めず、淡々と距離を詰めてくる。リーダー格の男が、無機質な声で言った。

「その記憶を、こちらへ渡せ。貴様のようなガキには、過ぎたものだ。」

私は、母が私を守るために命を賭けた記憶を、彼らに渡すことなどできなかった。私の腕の中の木箱が、まるで私の心臓と共鳴するように、激しく脈動し始めた。木箱から放たれる微かな光の粒子が、私の周囲に「記憶の帳」を張っている。しかし、男たちはその帳を物ともせず、一歩一歩、確実に迫ってくる。

彼らの目的は、木箱の中の「核心の記憶」と、この空間にあるクリスタル群、つまり「盗まれた記憶」の全てだ。私は無我夢中で、木箱を構えた。すると、木箱から放たれる光が、これまでとは比較にならないほど強烈な輝きを放ち始めた。その光は、この地下空間全体に広がり、無数のクリスタルもまた、激しく明滅し始める。

男たちは、その光に一瞬怯んだように見えた。彼らの顔には、焦りの色が浮かび始める。光は、空間の記憶そのものを揺さぶるかのように、モニターに映し出された回路図を歪ませ、壁にひび割れを生じさせた。

「な…何をしている…!」男たちの声が、焦燥に満ちて響く。

私は、木箱が何をしているのか、なぜこんな現象が起きているのか分からなかった。ただ、体が勝手に動いた。光に包まれた私は、クリスタルが並ぶガラスケースの列へと飛び込んだ。この記憶の空間を、混乱させてやる。そうすれば、彼らは簡単に記憶を奪うことはできないはずだ。

私がクリスタルの一つに触れると、そのクリスタルから、まるで私自身の意識が流れ込むかのように、さらに強い光が放たれた。それは、私が感じていた「ノイズ」の源である、誰かの記憶だった。一瞬にして、無数の他人の記憶の断片が、私の意識を駆け巡る。苦しみ、悲しみ、怒り、喜び…様々な感情の奔流に、私は意識を保つのに必死だった。

その時、背後から鈍い衝撃を感じた。男の一人が、私に向かって何かを放ったのだ。木箱の「記憶の帳」が弾け飛び、衝撃が全身を襲う。私は地面に倒れ込み、木箱が手から滑り落ちた。

「捕らえろ!そして、その箱も確保しろ!」リーダーの男が叫んだ。

男たちが、私に駆け寄ってくる。その目には、冷たい勝利の色が宿っていた。私は必死に手を伸ばし、落ちた木箱を掴もうとした。しかし、私の指が触れる寸前、別の手が素早く木箱を掴んだ。

「その記憶は、私たちがいただく。」

冷たい声だった。顔を上げると、そこに立っていたのは、漆黒のスーツの男たちとは異なる、一際背の高い男だった。彼の瞳は、暗闇の中で妖しく光り、その顔には薄い笑みが浮かんでいる。彼の手には、私が必死に守ろうとした木箱が握られていた。

私が呆然と見上げる中、男は木箱を掲げた。木箱は、彼の手の中で、まるで魂を吸い取られるかのように、その輝きを失っていく。光が奪われ、クリスタルの紋様も色褪せていく。

「これで、貴様の記憶も、その核心にある真実も、二度と日の目を見ることはない。」

男はそう告げると、木箱を手に、影のように地下道の奥へと消えていった。残された男たちが、私を捕らえるために迫ってくる。私は絶望した。全てが終わってしまったのか。母が命を賭して守ろうとした真実が、私の手から、今、奪われてしまった。

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記憶の運び屋 紡月 巳希 @miki_novel

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