第4話 勇者、戸惑う
「………あなたたちは、勇者。」
――――――――――――――――――
昔の夢をみた気分だ
掃除が終わった後、ダウンしてたみたいだ。
夕方の光がリビングを淡く照らしていた。
床はピカピカに磨かれ、窓際には薄い埃ひとつない。
俺はぐったり畳の上に大の字で寝ていた。
「……本当に、殺さないんだな。」
「勇者一人ぐらいどうとでもなるからの……」
「おじさんやっと起きたの?」
遠くの方で声が聞こえる。
「それより、部屋が見違えるようになったのう。我が玉座の間としても申し分ない」
魔王は赤い髪をゆったりとなびかせながら、豪華な椅子に座っている。もちろんこの家は魔王の家ではなく、おそらく凛の家だ。それでも態度は完全に王者だった。
「おじさん、お疲れさま〜」
凛は小さく拍手をしながら、テーブルにお茶を置いてくれる。
「……おう……」
勇者であるはずの俺が、掃除でここまで疲弊するとは。
いや、この家が広すぎるのが問題だ。掃除を終えるころには、まるで一日中ダンジョンを攻略した気分だった。
「よし、次じゃな」
「……なにがだよ……」
嫌な予感しかしない俺をよそに、魔王は当然のように言い放つ。
「買い物じゃ」
「……今度は何の修行だ」
「修行ではない。そなた、晩飯の材料が無ければ作れまい?」
魔王の視線が冷蔵庫に向く。その中は見事に空っぽで、卵一つ残っていない。
「……そりゃそうだが……」
「ならば行くぞ。そなたが作る夕餉、我も凛も楽しみにしておるのじゃ」
「勝手に決めんな!」
「僕、エコバッグ持ってくるね!」
凛が元気に部屋を出ていく。
……いや、待て。エコバッグってなんだ。
「勇者よ、支度せよ。我が腹は既に限界じゃ」
魔王は赤い髪をかきあげながら、立ち上がる。
魔王の命令には逆らえない。勇者である俺は、また何かを諦めた。
――――――――――――
玄関の扉が開くと、夕暮れの風が頬を撫でた。
魔王は赤い髪を一つにまとめ、凛は軽快にエコバッグをぶら下げて先頭を歩く。
俺はというと、掃除の疲労を引きずったまま、ぐったりした顔でその後ろをついていく。
「……なあ、本当に俺も行かなきゃダメなのか」
「当然じゃ。我の従者たる勇者よ、荷物持ちはそなたの役目ぞ」
「……勇者だぞ俺」
「承知しておる。だが今は家政夫ぞ」
「誰が家政夫だ!!」
俺の抗議をよそに、魔王は悠然と歩を進める。その赤髪は夕焼けの中で輝き、道行く人々がつい振り返るほど目立っていた。
……魔王、存在感が強すぎる。
「ところで……スーパーってなんだ?」
「……」
凛が足を止めてこちらを見た。
「おじさん……もしかしてスーパー知らないの?」
「知らん。何かの城か?」
「ちがうよ!!」
凛が吹き出し、魔王も「ふははっ」と愉快そうに笑う。
「勇者よ、そなた本当に世間知らずじゃな。スーパーとは現代人の戦場よ」
「戦場!?」
「如何に安く、如何に効率よく食材を得るか――まさに知恵比べの場ぞ」
「……なんだそれ」
凛の呆れ顔と笑い声が響く。
魔王はそんなやりとりを楽しそうに見守りながら、優雅に道を進んでいく。
「そなたら、早くせぬか。我が腹が鳴っておるぞ」
「……いや、あんた本当に魔王か?」
「無論。我が魔王じゃ。――そして今は、腹ぺこ魔王じゃ」
こうして俺たち三人は、魔王を先頭に“戦場”――スーパーへと向かった。
――――――――――――――――――
「ほらおじさん、あそこ安いよ!」
スーパーのチラシを掲げながら、元気いっぱいに先頭を歩いている。
「……勇者が人間界のスーパーに買い出しとか、完全に勇者の威厳ゼロだな」
「ふん、我が威厳は変わらぬぞ。我は魔王じゃからな!」
「お前も人間界のスーパーに来てんだろうが!!」
俺のツッコミも魔王には全く響かない。彼女は堂々と「本日特売」と書かれた旗をくぐり、店内に足を踏み入れた。
――しかし、スーパーという場所は……想像以上に戦場だな。
通路は客で溢れ、カートが行き交い、ポップには「激安!」「タイムセール!」の文字が踊っている。
「む……何だこの品揃えは。異界の宝庫か?」
「おばちゃんたちの戦場だよ。勇者も油断すると命取られるぞ」
「何を言う。腐っても俺は勇者だぞ」
「凛よ、勇者はこう見えても小心者みたいじゃ」
「身長と、無精髭が取り柄だもんね」
隣で凛がにやにやしながら言った。
---
「おじさんさー、スーパー初めて?」
「う……まぁ……、行く機会がなかっただけだ……」
俺は棚に並んだ無数の商品を見回し、わけもわからず立ち尽くしていた。
「教会によれば、衣食住は提供してもらえるからな。」
「教会…宗教かな?」
凛は不思議そうに呟いた。
その後も俺は、カートを押しながら終始パニックに陥っていた。
「この金属の箱……勝手に動く……!」
「動かしておるのはおぬしじゃ」
「なんで袋の中にさらに袋があるんだ!? 何重に守っとんだ!」
「清潔さじゃよ、清潔さ!」
俺の混乱をよそに、魔王は手際よく肉や野菜を選び、凛は調味料コーナーでお気に入りのソースを手に取り――
完全に俺だけが時代に取り残されている感じだった。
――――――――――――――――――
「ほれ、勇者。これを取れ」
「え、何だ?」
「小麦粉じゃ。上段の棚にある」
一番上にあるものだと!?
「こんな高い位置に……よっ……おおっ!? お、おおおおおおっ!!」
俺が必死に手を伸ばすと、隣で凛がスマホを構え、にやにや笑いながら動画を撮っている。
「勇者、小麦粉に敗北の図」
「やめろぉぉぉ!!!」
結局、買い物袋を抱えた帰り道、俺はずっしりとした疲労感を背負い、ふらふらになっていた。
「これ……ほんとに勇者の仕事か……?」
「勇者とは世界を救う者。そして今、おぬしは我の胃袋を救ったのじゃ」
魔王はカゴに入った肉のパックを見て、満足そうに微笑んだ。
「……どこの世界にこんな魔王討伐の旅があるんだよ」
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