孤独な風ほど月を見る

十河半三

孤独な風ほど月を見る

 これは、今の日本とはまた違う世界の話。

 ある山の奥深くに、天狗の一族が住んでおりました。一族には、残虐非道な者もいれば、温厚で心優しい者もおりました。そのため、村では人間に関する争いが度々起こり、遂には二極化してしまったのです。

「おら、あっちがいいだ。父ちゃんには付いて行きたいけど、おらには殺しなんかできっこねえ」

 一人の天狗の子は父親を説得していました。しかしそれは通ることなど無く、天狗の子をひどく困らせていました。

「何度言ったらわかる! お前は俺の子だ! だからあちらには行かせん!」

 父親は村の中では一番血気盛んで、よく天狗の間で殺し合いをするほどでした。そんな父親ですから、昭和の親子を思い出させるかのように乱暴で自分勝手でした。

 天狗の子は、いくら説得しても無駄だと思い、思い切った発言を父親に向かって吐き出しました。

「父ちゃんなんか嫌いだ! おら、この山から出ていく!」

 その言葉は山の中で反響し、山にいた全ての天狗の耳に行き届きました。父親はそれを聞いた時、冷静に見えましたが、炎を纏ったかのような形相で天狗の子に言いました。

「だったら出ていくがいい。二度と戻ってくるな」

 父親はとんでもない量の殺気を天狗の子に向けました。天狗の子はすぐさま山を下り、村の方へ向かいました。

 山から村まではずいぶん遠く離れていて、天狗の子の足で移動すると一晩かかりました。

 夜が明け、天狗の子の目には村が見えました。明るくなっていたので、何人かの村人が外に出ていました。

「こんにちは。人間さん。あんたの所に泊めてくれねえか」

「あら、いいですよ。ささ、どうぞ上がって。今娘が朝ごはん作ってるから」

 天狗の子はお婆さんに連れられて家の中に入りました。その中は美味しそうな焼き魚の匂いが籠っていました。天狗の子は昨晩ご飯を食べていなかったものですから、お腹が空いて仕方がありませんでした。

「おかえり……って、何その子? 天狗?」

「わかるもんなのか。まあ、おらは人間を襲う気はないから、安心してほしいだ」

「まあそんなことはええから、ご飯にしましょうや」

 お婆さんと若い女性は優しく、ご飯を振舞ってくれました。急に来たから天狗の子の分の魚はありませんでしたが、お婆さんが心優しく譲ってくれました。

 天狗の子は、初めて味わった物ばかりで、自然と涙がこぼれていました。

「どうしたの、急に泣いて」

「いや、初めてこんなに美味しいもん食ったし、こんなに優しくしてもらうなんて嬉しくて……」

「あら、そんなに喜んでくれるなんて嬉しいねえ」

 食事が終わり、巳の刻になる頃、天狗の子はお婆さんと日向ぼっこをしていました。山の中では日光があまり与えられなかったので、こんなにも明るいのは初めてだったのです。

「あったけえなぁ……」

 女性は天狗の子にお茶を差し出しました。天狗の子は感謝を告げ、お茶を一口飲みました。お婆さんと喋ったり、遊んだりしているうちに、すっかり夜は更けていました。

 夕食も女性が作り、今度は三人分用意されていました。

 お肉に煮物、味噌汁と玄米。素朴に見えて、ありがたい物が食卓に並んでいました。

 天狗の子は美味しい料理を目いっぱい楽しみました。次第に眠くなっていき、天狗の子は眠りにつきました。


翌朝、目が覚めると大声が響き渡ってきました。

「た、大変だ! きよさんとこの婆ちゃんが死んでおる!」

 その一言は、瞬く間に村中に広がりました。村人たちはなだれ込むかのように、女性の家に行きました。

「ああ、お母さん、お母さん……」

 家の中にいる女性は、お婆さんの手をとって、泣きじゃくっていました。村人が女性を励ます中、天狗の子は一人、畳に座り込んで呆然としていました。

(なんだ、ありゃ。昨日の婆ちゃんが血を吹いて倒れておる。なんでだ。涙が止まらねぇ)

 天狗の子は座り込んで、すすり泣いていました。初めて見た、人の死。良く知るわけではないが、昨日話していた人が、急にいなくなることなど、今までなかったのですから。

 しかし、それを見た一人の男は、天狗の子に向かって大声で怒鳴りました。

「お前がやったんだろ! やはり、天狗は悪なんだ!」

 急に天狗の子に向けられた矛先は、天狗の子はおろか、そこにいた者全員の目を引きました。

「違うだ! おらなんもやってないだ!」

 天狗の子は戸惑いながらも、大きな声で言い返しました。しかし、周りの村人の目は鋭く、天狗の子を痛みつける視線をしていました。

「しょうもない嘘つくな! さっさと本当のことを話すんだ!」

 男はまた、天狗の子をこれでもかというほど怒鳴りつけました。天狗の子は、それを嫌がったのか、それとも本能的にそうしたのか、その場から逃げてしまったのです。

 周りの村人は、それを見て、「私もそう思っていた」だの「なんだか怪しいと思っていた」だの、散々な言葉が口から出続けていました。

「逃げやがったあの野郎……。まあいい、後で捕らえて、見せ物にでもしてやろう」

 天狗の子は、もうそれが聞こえないほど遠くにいました。やってもいないことを急に疑われた恐怖とどうすればいいか到底わからない困惑に、悩まされていました。

「おら、なんもやってないだ。なのになんで、疑われるだ」

 天狗の子は、先ほどより大粒の涙をぼろぼろと落としました。全員の目から発される威圧感と緊迫感に、耐えられなかったのです。

 天狗の子はこのことを経験して理解したことがありました。『人間は天狗を嫌っている』その事実を知ってしまっただけで、天狗の子は相当落ち込みました。なんせ天狗の子は、ただ人間と仲良くしたい。それだけで村に行ったのに、その村の人間に嫌われていたのですから。

「おら、これからどうすればいいだ。寝るところも、食べる物もねえ」

 天狗の子は、孤独という現状を、改めて強く鞭うたれました。まだ日差しの強い真昼間です。天狗の子には、生活する方法など、微塵しか知りませんでした。

 右往左往しながらも、なんとか野宿の準備を終え、その日はその場で眠りこけましたとさ。


 翌日、天狗の子が目を覚ますと、なにやら不思議な景色が広がっていました。目線がやけに低いのです。その小さな世界に、二人、迷い込んできました。

 そこには、勇敢そうな一人の男と、後ろ姿ではありますが、天狗が一人、対面していたのです。人間は

「やめろ、殺さないでくれ、頼む。頼むから……」

 と言いました。それに腹が立ったのか、あるいは元から怒っていたのか、頼みを無視してその人間を殺してしまいました。それをする前に何かぶつぶつ喋っていましたが、それは聞き取れることなく、去っていきました。

天狗の子は、なぜそんなにもひどいことをするのだ。と思いました。しかし、その天狗が振り向いた瞬間に、天狗の子の背筋は凍り付きました。

 人間を殺した者は、なんと天狗の子そのものだったのです。天狗の子は、そんなことするはずない。何かの間違いだ、と言い捨てました。

 天狗の子は、それが夢であることに気が付いていません。自分を責める気持ちでいっぱいだったのです。

「ああ、あぁぁぁ!」

 天狗の子は、夢から目が覚めました。当然、人の死体などもなく、寝る前の景色となんら変わらない物でした。

「ひでえ悪夢だった。神サマは、こんな夢を見せてくるだか」

 天狗の子は気持ちを戻して立ち上がりました。卯の刻あたり。周りは少し薄暗いですが、活動するには十分な程でした。

 天狗の子がいるのは村からも、天狗の山からも少し離れたところです。なので、周りには人影が一切なく、完全に孤立しておりました。

 天狗の子はふと、どうやったら人間に認められるかと考えました。中々答えが出ず、太陽が上がってきてしまいました。

「うーん、わからんなあ」

 天狗の子は考えることを諦めませんでした。そこでふと、一つの案が出てきたのです。しかし、それは非道で、残酷なものでした。それは、天狗を一人殺して、敵ではないと説得する考えでした。天狗の子はそれを頭にし、首をぶんぶん振りました。

「これはいけねえ。やっちゃいけねえことがあるのぐらい、おらにもわかる。でも、人間たちに認めらるためなら……」

 天狗の子の気持ちは揺れていました。それはまるで、湖に浮かぶ小さな舟のように。

 天狗の子は、悩みながら天狗の山へ行きました。天狗の子の足は震え、今すぐに逃げ出したいという気持ちを悟ることが容易な程に。そりゃ、自分から出て、一族を裏切る真似をした場所です。怯えるのも仕方がありません。

 天狗の子はずっとブツブツ言いながら天狗の山の麓に着きました。出ていった時と変わらぬ外見。しかし、明らかに向けられた気配が違いました。殺気立っているのが嫌でもわかる山に、こちらを睨みつける鴉。どうなってもおかしくない場所でした。

「やっぱ、やめようか。でもやめちまったらここまで来た意味が……」

 天狗の子はいろいろ考えましたが、意を決して、山の中に入っていきました。すると、感じていた恐怖の象徴ともいえる気配が消えたように感じました。

「なんじゃあ。何が起こってるだ」

 天狗の子は安堵しながらも違和感を抱きました。本来であれば、外敵が入ってきたときは鴉がすぐさま敵に向かって飛ぶものです。しかし、それが無かった。それはチャンスであり、天狗の子の少しばかりの警戒をより強めるものでありました。

(なんじゃあ、この嫌な気配は。まさか、どっかから見られてるだ?)

 天狗の子の予想は、当たらずとも遠からずでした。天狗の子をじっと見つめる視線がどこかから発信されていたのです。

「あだっ」

 天狗の子は何かに引っ掛かり、転んでしまいました。天狗の子は躓いた物を見て、驚きと恐怖を隠すことが出来ませんでした。

「あ、あぁぁ」

 人の胴が一つ、転がっていたのです。それは天狗ではなく、間違いなく人間の物でした。それに、昨日怒鳴りつけてきた男と同じ羽織をしていたのですから。

 天狗の子の頭に、最もしたくないであろう予想がよぎりました。『天狗が人を殺した』天狗の子はまた知ってしまいました。人間が嫌っているのは、躊躇なく人を殺してくるからだと。その時天狗の子は、父が放った殺気を思い出しました。もしあの時すぐに逃げて無かったら、こうなっていたのではないかと。

 しかし、それだけではありませんでした。辺りを見渡すと、天狗の胴体も一つ、森の中に捨てられていたのです。こちらは頭がついておりましたが、体中に細かな傷がつけられており、血だらけで、見るも無残な光景でありました。

 天狗の子は、これまでに感じたことのないほどの憎悪を抱きました。殺した人間は誰だ。見つけたらすぐに殺してやる。と、先ほどとは大違いの気配を放っていました。

 その衝撃を受けた天狗の子は、すぐに村へ走っていきました。村とはずいぶん遠くにありましたが、今の天狗の子はそれを感じさせないほど速く移動しました。

 一方その頃、村では一人の男が村人たちにこう語っていました。

「一緒に行った男が殺された。天狗は俺が殺したが、男が戻ってくる訳ではない。天狗は悪だ! 殺すべき対象なのだ!」

 男は自分の体験したであろうことを村人たちの前でべらべらと話します。それを聞いた村人たちは、話していた男を天狗を退治した英雄と称えました。その時、男の口角は少し上に上がりました。

 天狗の子は恨みで満たされていました。裏切った身とはいえ、一族を殺された事実。自分が正義と勘違いし、正義なら悪を殺してもいいと思っている人間の性根。全てが憎かったのです。

 天狗の子は村に近づきました。しかしここで、天狗の子は正気を取り戻しました。もし人間をまた殺したら、天狗が襲われる、自分のせいで、また犠牲が出るのではないかと。

 天狗の子は、村の前であるのに、立ち止まって、悩み、考えてしまいました。

 そこへ、一人の男が近づいています。男と天狗の子、どちらもお互いのことを認識したとき、男は大きく叫びました。

「天狗だぁぁぁ! 天狗が出たぞぉぉぉ!」

 それを聞いた他の村人たちは、農具や包丁といった、武器になるような物を手に取り、天狗の子に向かって走り出しました。

 天狗の子は、それに怯えたのか、すぐさま逃げ出しました。もう村人に何を言っても無駄だと感じたからです。

 勘違いから始まった鬼ごっこは、夜になるまでずっと続きました。日が暮れると、村人たちは夜も更けたと村にとぼとぼ帰っていくのです。

 天狗の子は、それにすぐには気づかず、自分が走れなくなるまで走り続けました。

「もう無理だあ。乱暴にはしないでくれえ。て、あれ?」

 天狗の子が振り返った時にはもう村人どもはおりませんでした。天狗の子は、疲れ果ててしまったのでしょう。その場に倒れこんでしまいました。

 辺りは暗いけれど、一面緑なので、天狗の子が来ている赤い羽織は目立つったらありゃしません。それが人間に見つからないと良いのですが。

「あー助かった。当分村には行けんな」

 天狗の子はしょんぼりとした表情をしてそれを呟きました。追われたとはいえ、やはり人間とは仲良くしたいようで、人間に忌み嫌われたのは、相当悲しかったでしょう。

 天狗の子は、眠ることが出来ずに夜空を見上げていました。山の中では木が邪魔で、ほとんど夜空が見えなかったものですから、夢中になれる物を見つけた赤ん坊のように、まじまじとそれを見続けました。

「いいなあ、お月サマは。のんびりしてて。おらもお月サマになりたいな」

 天狗の子は、天に浮かぶ月に話しかけるように言いました。それが月に届くことなど無いと知りながら。

 しかし、やはり中は子供のようで、目をぱちぱちさせて、夜空を見ながら、そこで眠ってしまいました。


 翌朝、天狗の子が目を覚ます一刻前、村では騒動が起きておりました。食べ物が一斉に無くなったのです。倉庫に入れている物から、家畜まで。食料という食料が一晩のうちに無くなったのです。

「天狗よ。きっと、天狗の仕業だわ! 昨日天狗を一匹逃したから。ああ、英雄様よ。天狗を退治し、この村を救ってくれはしませんか」

「お任せください。我が命に代えても、忌々しい天狗共を皆殺にしてみせましょう!」

「さすが英雄様だわ!」

 そんなことが起こっているとも知らない天狗の子は、今ようやく目を覚ましました。

「ふぁ、あ。ここは……そうだった。昨日村の人に追われて……って、なんだお前」

 天狗の子は、目の前の幼子に気が付きました。六、七歳ほどの子で、周りを見ても、親と思われる者はおりませんでした。

「迷子、か? 参ったな。おら一人でも手一杯だっていうのに……」

 幼子は目をぱちぱちさせて天狗の子をじっと見つめます。天狗の子は、顔になんか付いてるか? と聞きましたが、幼子は何も喋りません。

「おら、天狗なんだ。だからその……人の子といると面倒というか、またなんか疑われちまうんだ。だから悪りぃけど、誰かに拾ってもらえないか?」

 幼子はそれに納得したのか、理解できなかったのか、首を少し傾けて、ゆっくりと口を開きました。

「あなた、天狗さんなの? じゃあなんで、お鼻が長くないの?」

 天狗の子は、幼子の言葉に少々呆れました。だって、生まれてこの方、鼻の長い天狗など見たこともなかったんですもの。天狗の子は優しく、こう返しました。

「何言ってるだ? 天狗の鼻は長くないだ。……まあいい。おらはもう行くだ」

 天狗の子が歩み始めようとしたその時、幼子は服の裾を引っ張りました。天狗の子は振り返り、幼子の手を払いました。しかし幼子は何度も何度も裾を掴み、やがて天狗の子をその気にさせました。

「わかっただ。じゃあ、ついて来い」

 幼子はこくりと頷き、天狗の子の後を追いました。短い脚を忙しく動かし、追いつくのに必死です。

「そんなに辛そうな顔されるとこっちも堪えるだ。ほれ、背中に乗れ」

 天狗の子は腰を下げ、おんぶをする態勢をとりました。幼子はそれに目を輝かせ、ぼふんと音を立てて背中に張り付きました。

 天狗の子達が目を覚ました場所は、村から随分離れた場所にあったらしく、歩いて、かつ幼子を背負って行くには長い時間が必要でした。村が見えたころには深夜も深夜。明かりが一切点いておらず、家の形だけがぼんやりと見えるだけでした。

 幼子はもうぐっすりです。

 天狗の子は、少し休憩を取った後、村に向かって進みました。村の中も、少しの明かりもなく、少々不気味な物でした。

 しかしどこからか、話し声が聞こえてきました。天狗の子が耳を澄まして聞くと、それは衝撃の数々でありました。

「やっぱり村の奴らはちょろいなあ。天狗は襲い掛かっても、悪事も何もしてないのに、でたらめを少し話すだけで信じる。奇襲を見ていた男も俺が殺したっていうのに、『天狗が殺した』の一言だけで信じやがった!」

 天狗の子は目をギョロっとさせました。それと同時に、固まりました。だって、殺人を働いた悪人が薄い壁の向こう側にいたんですもの。それを知らずに、男はまだべらべらと話し続けます。

「村の食料を奪ったのだって俺さ。最後は村の奴全員を殺してやるよ。手始めに婆を殺したのに、それすら天狗のせいにした!」

 その大声に反応して目を覚ましたのか、幼子は言葉を発してしまいました。さほど大きな声ではありませんでしたが、真夜中で、周囲の音が全く無い状態です。男はそれに気づき、天狗の子達の前に現れました。

「てめえら、聞いてたんだな……ただじゃおかさねえから覚悟しろ!」

 男は天狗の子に、勢いよく襲い掛かりました。避けられたからよかったですが、もし当たっていたら、それは子供諸共殺していたことでしょう。

 天狗の子はまたしても逃げ出しました。しかし、今度は状況が違います。幼子を抱えたまま逃げているのです。そのまま男に追いつかれてしまいました。

「これで終ぇだ!」

 男は先ほどとは桁違いの速度で攻撃を繰り出しました。その攻撃は簡単には避けきれず、天狗の子に傷を与えました。

「痛っ……」

 その声は天狗の子ではなく、後ろの方から聞こえてきました。そして、天狗の子は、自分の背中に生暖かい液体の感触がありました。

 天狗の子は背負っていた幼子を茂みの中に置きました。幼子の腕には、溢れんばかりの血がありました。天狗の子は自分が着ていた上着を脱ぎ、幼子の止血に使用しました。

「これで大丈夫だ。ちょっと待っててくれ」

 天狗の子は父親に負けないほどの殺気を放ちました。しかしその殺気は、父親の物とはまた違う、妙な気配でした。

 天狗の子は懐にしまっていた団扇を手に取りました。そのまま男に向かってそれを思いっきり扇ぎ、その発生した風は男の体に深い傷をつけました。

「」

「痛ってぇ!」

 天狗の子は間髪入れず、何発もの攻撃を男に与えました。それを食らうたびに、男は言葉にならない声をあげました。ついには腰を落とし、天狗の子の前に跪きました。

「やめろ、殺さないでくれ。頼む、頼むから……」

 英雄と呼ばれた悪人は、腰を落として天狗の子の放つ気配に圧倒されています。天狗の子は、殺気を放ちながら、ゆっくりと口を開きました。

「天狗を殺し、ましてや人間まで殺す奴を、おらは絶対ゆるさねえ」

 男の首は、天を舞いました。男の血は、天狗の子の羽織よりも、どす黒い赤色でした。

周りには、天狗の子と幼子が一人。様子を見ていた幼子は、恐怖で逃げ出してしまいました。

「最初からこうすればよかっただか。子供に見せたくないもん見せちまったなあ」

 天狗の子は後悔しながらも、自分のやったことは間違いではないと深く胸に刻みました。

 そして、しばらく突っ立った後、天狗の子はぼそりとこう言いました。

「おらにはお月サマなんかにゃなれねえ。だったらおらは、太陽になってやる」

 天狗の子は、人間に向けていた慈愛の心を捨て、殺気に包まれました。

 今では、人間と仲良くしようなど考えません。もしかしたら、父親に似てしまったのかもしれませんね。

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