第13話 キツネさまの昔〜前編〜

「今から話すことは、ずっと秘密にしてきたことなんだ」


 シラネはそう言って、ゆっくりと白い尻尾をゆらした。


「だから……まどかには、ちゃんと聞いてほしい」


 シラネが、まっすぐな目でわたしを見る。

 きれいな金色の瞳。

 その目に見つめられて、背筋がしゃんと伸びた。

 

「うん、わかった。わたし、シラネのこと知りたいから。ちゃんと話聞くよ」


 はっきりとそう言うと、シラネは安心したみたいに、肩の力を抜いてほほえんだ。

 だけど、なんだかいつもとちがって。

 少しだけ、ピンと張り詰めたような空気が混ざっている気がしたの。

 それから、シラネが小さく息をはいて、ゆっくり口を開いた。


「オレ、神様になる前は……ただの狐の妖怪だったんだ」

「狐の……妖怪?」

「そう。妖狐ってやつ」


 心臓がドキンと、痛みをふくみながら大きく鳴った。

 その音はどんどん大きくなって、手で胸を押さえたくなるくらいドキドキしてる。


(え……神様じゃないの? 妖狐? 悪い妖怪なの?)


 頭の中で、いろんな考えがぐるぐると回った。

 そんなわたしの顔を見たシラネが、ぽつりと聞いてくる。


「怖くなったか?」


 そのときのシラネの顔は──今まで見たことのない顔だった。

 少しさみしくて、少し不安そうで。

 わたしの返事を、心細そうにじっと待っているみたい。

 

「……ううん、怖くない。ごめんね、ちょっとだけびっくりしちゃった」


 シラネの耳が、安心したようにぴくんと動いた。

 きっと勇気を出して話してくれたんだ。

 ずっと、ひとりでしまいこんでいた秘密。

 それをわたしに教えてくれるなんて、すごく特別なことだよね。

 

「わたし、ちゃんと聞くって約束したから」


 ちょっぴりこわい気持ちも残っていたけれど、それでも知りたい気持ちのほうが大きかった。

 だって、シラネはシラネだもん。

 神様でも、妖怪でも──わたしの知っているシラネに変わりはない。


「シラネのこと、教えて」


 葉っぱが、風にゆれてサラサラと音を立てる。

 その音に呼吸を合わせてから、シラネはゆっくりと語りはじめた。


「今から……五百年くらい前だな」


 シラネの声は、いつもより少しだけ低かった。

 予想外の言葉に、わたしはごくりとつばをのむ。

 

(ごっ、五百年前……!?)


 たしか、そのころって──歴史の授業で、「戦国時代」って習ったっけ。

 お城や、刀を持った武士たちが出てくるような、ずっとずっと昔のことだよね。

 わたしにとっては、教科書の中にしかない遠い世界。


 けれどシラネは、その昔を生きて、そして今もこうしてここにいる。

 そう思ったら、なんだか時間がぐるぐると回ってね。

 遠い昔と今がつながったような、不思議な気持ちになったの。


「当時のオレはまだ、生まれたばかりの妖狐だった」


 シラネは少し遠くを見るようにして、ぽつりと続きを話しはじめた。

 

「そのころは、一人でのらりくらりと暮らしていた。森で寝たり、山をうろうろしたり、人に化けて村に出てみたり……。気ままな狐だったな」


 わたしは、耳をぴくりと動かしながら話すシラネの横顔を見つめた。

 きっと、このあとに続くのは、想像もつかないおどろくような話。

 でも──どんな話だって、シラネが勇気を出して話してくれてる。

 だから、ちゃんと聞こう。

 シラネのこと、ぜんぶ知りたいから。


「そんな生活を続けていたある日、天狗に出くわしたんだ」

「天狗……?」


 天狗って、長い鼻で、黒い羽をはやして空を飛ぶっていう、あの妖怪だよね。


「まどかにはちょっと変に聞こえるかもしれないけど……あの時代は、まだ“あやかし“とか不思議なものたちが、人間に信じられて、恐れられていた時代だったんだ」


 わたしは、妖怪が出てくるマンガや本のページを思い出した。

 怖そうだったり、ちょっとおかしかったりする存在。


(物語の中だけのものだと思っていたのに……)


 昔の人にとっては、それがほんとうに身近にいて、ふつうに信じられていたんだ。

 そんなのウソみたいって、ちょっぴり思ったりしちゃったけど。

 

 わたしの目の前には、神様のシラネがいる。

 金色の目で、ちゃんとわたしを見ている。

 だから──そういう不思議な存在も、見えないだけで、今もわたしたちの身近にいるのかな。


「その天狗は、山を荒らしたり、人に悪さをしたりする乱暴な天狗だった。大きな黒い羽をばさばさ広げて、空から影が落ちてくるみたいに、オレの前に降りてきた」


 シラネの言ったことを想像しただけで、背中がぞくっとした。


「オレはまだ若かったから、まともに戦える力もなくて。すぐに吹きとばされて、体中に傷を負った」

「なんで……シラネは狙われたの?」

「妖狐と天狗は、昔からあんまり仲がよくなかったんだ。だから、気まぐれでオレにちょっかいを出しただけなんだと思う」


 シラネの顔は、少ししょんぼりしているように見えた。

 耳も元気がないみたいで、少し下に倒れている。


「それから、シラネはどうなったの……?」

「オレは、森の中で倒れこんだ。そんなときだった。ひとりの女の子が、オレを助けてくれたんだ」

「女の子……」

「そう、近くの村に住んでいる子だった。歳は……まどかと同じくらいかな。傷の手当てから、『山菜取ってきたから』って、小さな手で食べものまで持ってきてくれてさ」


 昔話をするシラネの顔は、なんだかやさしくて、懐かしそうだった。


「耳も尻尾もある、人間とはちがった存在のオレを、その子は一生懸命に手当てしてくれた」

「そうだったんだ……。助かってよかったね」


 わたしは、心から安心したんだ。

 だって、その子がシラネを見つけなかったから、シラネは死んじゃってたかもしれない。

 その子じゃなくて他の人が見つけてたら、「妖怪だ」ってシラネをもっと傷つけてかもしれない。

 だから、やさしい子に出会ってよかったって思ったの。


「それから何度か森で会うようになった。いろいろ話すようになって数ヶ月経ったある日、『村で一緒に遊ぼう』ってさそわれたんだ。『オレは妖怪だから、村にはいけない』って言ったら、『あなたは、悪い妖怪じゃないでしょ』って」


 シラネの表情が、一気にゆるんだ。

 その子とすごした時間を、思い出しているのかな。


「じゃあ、一緒に村に行ったんだね」

「ああ。耳も尻尾もかくして……人間として、その子のいる村に遊びに行ってた」


 シラネの話しかたは、すごく落ち着いていてね。

 楽しかった思い出をひとつひとつ、宝物みたいに取り出しているみたい。


(シラネにも、そんな友だちがいたんだ)


 そう思ったら、胸があたたかくなったんだ。

 でも同時に──ちょっとだけ複雑な気持ちにもなったの。


 わたしの知らないシラネが、そこにいるみたいで。

 今までは、わたしだけがシラネのことを知っていたように思っていたけれど。

 ほんとうはそうじゃなかったんだ、って気づいたからかな。


「その子と……楽しくすごしてたんだね」

「ああ。だけど……」


 そう言ったところで、シラネはふっとだまりこんだ。

 シラネの、さらりとした銀色の髪の毛が、風にゆれている。


(だけど……どうしたんだろう)


 話の続きが気になった、そのとき。


 ──ピロリン♪


 静かな境内に、いきなりスマホの音が響いて、わたしはびくっとした。

 画面をのぞくと「お母さん」の文字。


《何時に帰ってくるの?》


 って、短いメールだった。


「まどかのお母さん、今日は帰りが遅いって心配してるかもな」


 シラネが少し笑って言った。

 気づけば、空はもういつもより暗くなっている。


「そうかも……」


 お母さんに心配はかけたくないけど、ほんとうは、まだシラネと話していたい。

 そんなわたしの気持ちを察したみたいに、シラネはやさしくほほえんでくれた。

 

「オレは、ずっとここにいる。まどかが会いに来てくれるの、待ってるから」


 それは、わたしだけを見ててくれてるような言葉に聞こえてね。

 胸の中の不安が、すっと消えていくような気がしたの。


「……うん。明日、また来るね」


 そう約束して、わたしは石段を下りはじめた。

 ふりかえると、シラネが小さく手をふってくれたんだ。

 うれしくて、わたしも大きく手をふりかえした。

 

 暗くなった帰り道を歩く足どりは、とっても軽くて。


(明日も、またシラネに会える)

 

 そう思うだけで、心がぽかぽかしたんだ。

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