第2話 キツネの神様

「……封がとけたのか。おまえの“まじないの力”で」


 その言葉で光がすっと引いて、声の主の姿がはっきりと現れてね。

 切りそろえられた銀色の髪に、金色の瞳。

 それからやっぱり、あの尻尾も耳も、見間違いなんかじゃなかったの。


 光の中から突然現れた、不思議な気配がする少年──ううん、わたしと同じくらいの年に見える男の子。

 どこをどう見ても、人間じゃなくて。


「お……お、お化けええ!」


 わたしはお腹の底から声を出すように叫んで、思わず尻もちをついちゃった。

 お尻が痛いとか、洋服が汚れちゃうとか、そんなことを考える余裕なんてぜんぜんなくて。

 その子は微動だにせず、ただじっと、わたしを見下ろしてたの。


「あんな下等なものと一緒にするな」


 そう言ってため息をつくと、少しだけ目を細めてわたしをにらんだ。

 涼しげな目元と静かな声色に、びくりと体がふるえる。

 でもそれ以上にびっくりしたのは──わたしの言葉が通じているってこと。


「だって……! どう見たって……!」


 口ごもりながら、わたしはお化けを指をさした。

 尻尾は意思を持っているみたいにゆれて、耳はわたしの声に反応してぴくっ動いて。


(やっぱり……人間じゃない!)


 逃げなきゃって思ったのに、足がすくんでうまく立ち上がれない。


(どうしよう、どうしよう。おまじない……お化け退治のおまじない、あったっけ……)

 

 ぐるぐるといろんな考えが頭に浮かんでいると。


「立てるか?」


 すっと手が伸びてきた。

 目の前に差し出された手のひらは、わたしの手より少し大きくて、指先まできれいでね。


「え……えと……」


 手を取らずにいると、その子は苦笑いしながら前屈みになって、さらに手を近づけた。

 

「別に取って食ったりなんかしない、ほら」

「え……あ、うん……」


 戸惑いながらも、その手を取る。

 引っぱられると、思っていたよりも軽々と体が引き上げられた。


「あ、ありがと……」


 そう言いかけて、でもやっぱりまだちょっとこわくて視線をそらしてしまう。

 だけどその子は落ち着いた口調で、はっきりと名乗ったの。


「オレはお化けじゃない。この白嶺しらね稲荷神社の神。名前はそのまま、シラネだ」


 そう言い切った金色の目が、まっすぐわたしを見つめている。

 わたしはあたらめて、その子をちゃんと見たんだ。

 

 さらさらな銀色の髪。

 それと同じ色をしたフサフサな耳と尻尾。

 宝石みたいにキラキラした金色の瞳。

 なんだか、お化けとか神様ってより──。

 

「神様って、そんな白猫みたいな姿なのに?」


 わたしは思ったことを、そのまま口に出しちゃった。

 だって、ほんとうにそう見えたから。

 ぴょこんと立った大きな耳。

 雪みたいに真っ白なふさふさな尻尾。

 なんだか、おとぎ話の中に出てくる白猫みたいなんだもん。

 

「猫じゃない、狐だ。次また『猫みたい』って言ったら怒るぞ」


 さっきわたしが「お化け!」って叫んだときよりも、ぴんととがった耳がぴくぴく動いて、尻尾もぶんぶん大きくゆれた。

 

「ご、ごめんなさい」


 もうすでに少し怒っているような口調だったから、とりあえず謝ってみたけど。

 でも、ちょっとおかしかった。

 こんなふうに怒る神様なんて、ほんとうにいるのかな。


「……おまえ、まだオレが神って信じてないだろ」


 じとっとした目。

 たしかにその通りで、わたしはまだ信じきれていなかったかも。

 なんとなくのイメージだけど、神様って“髪の毛がなくて、モコモコの白いヒゲをたくわえたおじいちゃん”みたいなものだと思ってたから。


「証拠じゃないが、おまえの願いごとを言い当ててやる」


 唐突に言われた言葉に、わたしはきょとんとしてしまう。

 

「……願いごと?」

「そうだ。さっきしてただろう。『素直になれますように、友だちができますように』って」

「そうだけど……」


 声が自然と小さくなった。

 心の中を読んでるみたいな、きれいな瞳がわたしだけを見ている。

 それがなんだか恥ずかしい。

 

「オレには参拝者の願いがわかる。この神社の神だからな」


 シラネはふんっと、得意げに鼻で息を吐いたの。

 それと、「どうだ」って言いたそうな、絵に描いたようなドヤ顔。


 そんな顔をされたから、つい。


「……ふっ、あははは」


 声に出して笑っちゃった。


 怖かったはずなのに。

 さっきまで「お化け」って叫んでたのに。

 

 耳と尻尾のある、ふしぎな男の子。

 ほんとうに神様かどうかは、まだよくわからないけど。

 でもちょっぴり──信じてみてもいいのかも。


「おまえ、けっこう失礼なやつだな」


 白い尻尾をぴくりと動かしながら、シラネがわたしをじっと見る。

 ちょっとムッとしてるような、でもなんだかおもしろがってるような声。

 

「あ、ごめんなさい」


 あわててぺこりと頭を下げる。

 そうしたら、シラネが小さく笑った。

 

「まあ、そうやって笑ってるほうがいいんじゃないか」

「えっ……?」


 自分では気づかなかったけど、わたしはずっと笑っていたみたい。

 それに気づいて顔が熱くなる。

 だけど、なんだか少しだけ心が軽くなったかも。

 

「うん……そうだよね」


 笑ってたほうが楽しいに決まってる。

 でも、わたしはそれができなかったんだ。

 

 あたらしい季節を迎えるのが、イヤだったから。

 だからこの町に来てからずっと、しかめっつらばかりしてた気がする。


 すると、シラネがわたしをじっと見つめて言った。

 

「おまえ、名前は?」


 言葉はぶっきらぼうだったけど、声色はさっきよりちょっとだけやさしい。

 もしかしたら、ちゃんとわたしのことを知ろうとしてくれてるのかな。

 

「えと、神園まどか、です」


 ちょっと緊張したけど。

 今朝みんなの前で自己紹介をしたときよりも、自然に笑えてたと思う。

 胸もしゃんと張れてた。

 

 シラネは軽くうなずいて、さっきよりもっとやさしい声で言ったの。

 

「まどか、な」


 それだけなのに。


(……わ)


 春の心地よい風が流れていったみたいに、心の中がふわっとあたたかくなった。

 ふしぎ。たった一言なのに。

 名前を呼ばれるのって、こんなにあたたかかったっけ。


(どうしてだろう)

 

 さっきまで「白猫みたい」って思ってたのに。

 にこりとほほえんでいるシラネの顔が、ちょっとだけ──かっこいいな、なんて思っちゃった。

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