第1話 神園まどか……です

 春。

 あたらしい学年。

 あたらしいクラス。

 そして、あたらしい友だち。

 

 春は、あたらしい物語のはじまりの季節。

 そんなはじまりの季節に、きっとみんなワクワクしてるんだろうなって思う。


 だけど、わたしの心はまだ雪が降ってるみたいに冷たかった。

 だって、あたらしい季節なんて迎えたくなかったんだから。


 *

 

「はじめまして……神園かみぞのまどか、です。よろしく……お願いします」


 教室の前に立つわたしの声は、自分で思っていたよりずっと小さかった。

 目の前には、知らない顔、知らない名前、知らない子たち。

 

 しんとした空気が流れてて。

 みんなわたしのあいさつの続きを待っているような気がして、目のやり場に困ってしまう。

 

 そんな空気をなんとかしようとしたのか、となりに立つ先生が、ちょっとだけ気まずそうに笑ったの。


「神園さんは、ご両親の仕事の関係でこの町に引っ越してきました。みんな、仲よくしてあげてくださいね」


 先生の声に、教室のあちこちからパチパチと控えめな拍手が起こる。

 窓の外でパラパラと散っている桜の花びらよりも軽く聞こえる音。

 感情なんてこもってなくて、だれの目も笑ってない気がしてね。


 それでも拍手に応えるように、わたしはぎこちなくぺこりと頭を下げる。

 肩下まで伸びた髪の毛が視界にかかって、目の前がちょっとだけ暗くなった。


(前の学校じゃ、こんなことなかったのに)


 はじめての引っ越し。

 大好きだった友だちとお別れして、わたしはほんとうにたくさん泣いたんだ。

 それはもう、一生分くらい泣いたかもってくらい。


 だから、泣いたぶん笑えるかなって思ってたのに。

 やっぱり、笑えなかったみたい。

 

 わたしは十一年間過ごした東京を離れて、この小さな町に来たんだ。

 ここがどこなのか、実はまだあまりよくわかってなくて。

 

 東京みたいに、背の高い建物はぜんぜんないの。

 代わりに、見上げると山がそびえて、道のわきには川が流れてて。

 それで、夜はびっくりするくらい静かで、虫の音がよく聞こえるんだ。

 星空と空気だけは──東京よりずっときれいだなって、ちょっとだけ思った。


(だけど……)

 

 ほんとうは、転校なんてしたくなかった。

 できることなら卒業までの一年だけでも、あの学校にいたかったのに。


(小学六年生で転校なんて……)


 教室の空気は、東京の街中みたいによそよそしく感じる。

 でも、ちがったかも。

 わたしのほうが先に、みんなから目をそらしてたから。


(上手くやっていける自信なんて、ないよ)


 それでも、何人かの子がちらちらとわたしを見ていたのはわかったんだ。

 中には、話しかけようとしてくれた子もいた。

 たぶん、いちばん前の席にいたポニーテールのあの子。


 でも目が合いそうになった瞬間、わたしはそっけなく窓の外に視線をそらしちゃった。


(わたしの友だちは、東京にいるんだもん……)


 口に出さなくても、顔に出てたと思う。

 “話しかけないで”って、自分から壁を作っちゃったから。


 そんなの、ダメだよね。

 東京から来たばっかりで、この町のことも、学校のことも、みんなのこともなにも知らないくせに。

 なのに、「田舎って、こういう感じでしょ」って、心のどこかで勝手に決めつけてたの。


 ほんとうは、不安でいっぱいなのに。

 自分から話しかければいいって、そんなの頭ではわかってるのに。

 でも、こういうときにどうすればいいのか、わたしにはわからなかった。


(なんか転校初日から泣きそう……)


 知らない場所、知らない風景、知らない人たち。

 だけど、素直になれない自分が一番イヤだった。


(おまじない、してきたのに……)


 案内された席に座ったわたしは、ランドセルの中に手を入れて、ノートの角を指先でなぞった。

 なぞったのは、おばさんにもらった黒い表紙の古びたノート。

 

 それは、まじない帳だった。

 

 この町へ引っ越す日の朝、「困ったらこれを見て」って、おばさんがこっそり手渡してくれたものなんだ。


「まどかちゃんにはね、力があるの。ちゃんと“信じられる子”だから。まじないも、きっと届くよ」


 おばさんは、そう言ってた。

 やさしくて、ちょっと変わってるおばさん。

 占い師じゃないけど、困ったときには、いろいろなおまじないを教えてくれたんだ。


 ノートには、おまじないがたくさん書いてあってね。

 なくしたものが見つかるおまじない。

 好きな人と話せるようになるおまじない。

 友だちができるっていうのも、たしか五ページ目にあったはず。


 だから、昨日の夜。

 そのページを開いて、ちゃんとおまじないをしてきたのに──。


(やっぱり、効かなかったのかな……)


 ため息をついて、窓の外に視線を向けたの。

 すると、森の中に、小さな鳥居のようなものがふと見えてね。

 

(なんだろ、あれ)

 

 なんだか目が離せなくて、しばらくその辺りだけをながめてたんだ。


 *


 下校の時間になっても、だれともまともに話せなかった。

 とぼとぼ歩く帰り道は、先生に教えてもらったはずの道からいつのまにか外れてて。

 わざとじゃないけど──たぶん、無意識に遠回りしていたんだと思う。

 

 学校から見えていた森のほうへ、ゆるやかな坂道を歩いていく。

 しばらくして、ぽっかりと空いた木々のあいだから古びた鳥居が現れた。

 それは、教室の窓からうっすらと見えていた鳥居でね。


(神社……?)


 木の柱には、かすれた字で「白嶺稲荷神社」って書かれてた。


(しろ……? なんて読むんだろう)


 難しい漢字がいっぱい。

 だけど、神社だっていうのはわかった。

 首をかしげらながら、わたしは視線を前へと向けた。

 細い参道の先にはところどころに苔の生えた石段と、こぢんまりした社が見える。


(だれもいない……)

 

 なんてことない古びた神社なのに、人気がないせいか変に緊張感しちゃう。

 春なのにここで吹く風は涼しくて、少しだけ肩がふるえた。

 

 でも、こわくはなかった。

 どちらかというと──落ちつく、かもしれない。

 誰にも聞かれないように、静かにお参りができそうだなって思ったから。


(神社、かあ)

 

 まじない帳のどこかに書いてあった言葉が、勝手に頭に浮かんできた。


《神社に行くこと自体が、まじないである。思い込めた足取りは、たしかに天へ届く》


 おばさんの達筆な字で書かれた言葉。

 初めて見たときはよくわからなかったけど。

 今なら、ちょっとだけ意味がわかる気がする。


(とどくかな……)


 心の中でつぶやいて、小さく息をはく。

 そしてわたしは一歩、鳥居の中へと足を踏み出した。

 

 くぐった瞬間、なにかが変わったような気がしたの。

 さっきまで吹いていた風が止んで、空気がしんと静かになってね。

 まるで、知らない世界に入ったみたい。

 

 わたしは賽銭箱の上から垂れているしめ縄を両手でつかんで、小さくゆらした。

 ガランガランと、にぶい音が境内に響く。

 けど、その鈴の音は空気に吸い込まれるように、あっという間に消えていった。


(ええと、お参りの作法は……)


 おばさんに言われたことを思い出していく。

 二回ていねいにおじぎをして、両手を二回ぱん、ぱんと打ち鳴らす。

 そしてもう一度、最後に深くおじぎをする。


 二礼二拍手一礼。

 神園家のお墓参りの作法と一緒だと教えてもらった。


 わたしは二回手を叩いたあと目を閉じて、心の中で言葉を並べる。


(素直になれますように。友だちができますように。それから……)


 最後のお願いだけ、ほんのちょっとだけ時間をかけた。


(わたしの声が、だれかにとどきますように……)


 そう願ったとたん、風が背中のほうからびゅうっと吹き上がった。


「わっ……! なに!?」


 びっくりして目を開いて、風の吹いてきたほうへ振り返る。

 願いごとの途中だったって、すっかり頭から抜け落ちちゃった。

 だって──桜の花びらが映画のワンシーンみたいに、空に向かってふわりと舞い上っているんだもん。


(すごい……)


 感動していると、その中心にちらりと人影みたいなものが映って見えた。

 わたしはよく目を凝らしてみる。

 白くて、きれいな光が、ゆらゆらとゆれていた。


(だれか、いる……)


 ふわっと浮かび上がったのは、真っ白な服をまとった、だれかの姿。

 神主さんの衣装みたいだけど──よく見ると、背中からはふさふさした一本の尻尾がのびていて、頭の上にはネコみたいな耳がぴょこんと生えている。


「……ひさしぶりに、人が来た」


 光の中から、声が聞こえてね。

 その声と一緒に、風がぴたりと止んだの。

 

 そして、白い影は少しだけ首をかしげながら、わたしのほうにふり返った。

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