第8話 穿つ雷光

 荒ぶる憤怒を剣先に落とし込んだ極上の剣技。さすがの男も驚愕の色を浮かべ、更に三歩、大きく後ろへ引き下がった。


「これほどか……」

「さっきまでのは飛車角落ちだ。クソジジイ」


 与助の全身から陽炎かげろうのような闘気が立つ。その圧倒的なまでに上がり続ける威圧力に、まだ自分が割って入るべきではないと仁慈は悟る。


「ならば、こちらも全霊で挑むが礼儀じゃな」


 男は不敵な笑みを浮かべると、刃こぼれした二振りを惜しげもなく闇に放り投げ、背負っていた二振り、新たに抜き放った。


 先程よりも遥かに濃く、禍々しい霊気が夜空に漂う。


「これなるはまことの霊剣。使い手の本領を引き出すもの。弱き者が持っていても価値は無い。故に、儂が使ってやるのだ」


 浅くはない頬の切り傷から出血が止まる。


「そうかよ。……じゃあ、大将は資格がなかったって言うのか。オレらの誇りをへし折っておきながら……テメエは」

「うぬも、あの道場の者か。ならば一度は命拾いしたというのに、無念じゃな」

「命拾いだ? それはテメエだろ。あの日オレがいればたかが辻斬り風情、晒し首にしてやったとこだ」

「辻斬り……。左様、儂は通り魔。魔の者也。あの道場の者であれば恨みもあるというもの。とんだなまくらを宝刀と祀りおって。腹いせに門弟共を斬ってみればあの体たらく。挙句の果てに、あのような貧弱侍が免許皆伝とは。怒りを通り越して呆れたわ」


 無言の与助の背を追い風が吹き、前へ進めと袖を引く。大地を蹴り、大きな一歩。一息に間合いを詰めた。


「テメエ、剣だけ欲しいなら殺さずとも倒せただろうが」

「左様。無駄な殺生じゃった。腹の足しにもならぬ」


 大上段に構えた与助は臨戦態勢。対する男は、霊剣二刀をだらりと下げたまま静かに佇んでいる。


「テメエを殺して、汚ねえ面に唾吐いてやるよ。何度も裂いてからなァッ――!!」


 ただの振り下ろし。だが紛れもなく、至極の一振り。桁違いの速さで空を駆けるも、男は蝶のように、しかして堅固な剣で難なくいなす。

 

 〝粉骨締め〟

 

 与助は立て続けに斬り掛かる。大剣よりも遥かに疾く鋭い技。斬っては払い、払っては斬る。一度の瞬きに十の斬撃。


 それでも男には届かない。止まらぬ攻防を男は悦楽に浸るかのように、薄笑いを浮かべて捌き続ける。

 

(さっきの一撃がまぐれみてえじゃねえかよ……!)

「あの時、儂の首まで断っておけばのう――」


 心を見透かすような声に、与助の背筋がぞくりと粟立つ。とはいえ、与助の磨いた技はこれだけではない。

 

 〝かんざし

 

 稲光が如く瞬刻の刺突。

 いくら速くとも突きは直線、故に軌道自体は単純。だからこそ、無数の薙ぎに織り交ぜることで敵の虚を衝く。一直線に飛ぶ強烈な剣先は、両雄がこれまで繰り出したどの技よりも速かった。


(喰らえ、オレの取って置きだ)


 だが、男は尋常ならざる膂力を持つ二刀流。与助の一刀が男の二刀より速くとも、技を繰り出せる手数でいえば男が上回る。そして、幾多の死線を越えてきた男の戦歴が、与助の織りなす剣技から〝簪〟の殺気を嗅ぎ分け、体勢を後ろへ崩しながらも、寸前でその切先を防いだ。


「うぬの本領は刺突であったか――」


 技は決まらなかった。

 がしかし、それは一太刀で終わりではない。二太刀、三太刀、無数の〝簪〟が男を襲う。薙ぎとは異なり、刺突は当たり幅が狭くとも、前へよく伸びる。不意を突けばたとえ防げたとしても、男は後ろに体勢を崩さざるを得なかった。故に、初撃はそれだけで意味がある。あとは体勢を立て直す前に〝粉骨〟に紛れた〝簪〟で攻め続け、息の根を止めるのみ。


 男の額に初めて一滴、汗が流れた。


 大剣であれば出せなかった刺突、与助の得意技。出せなかったがために敵は大振りのみ警戒しがちになる。仮に全てを注意していたとしても、今まで繰り出さなかった刺突がここまで伸び、ここまで疾いとは思わない。故に――。


「ぬかった……」


 攻防の最中、男は楽しげに反省をこぼす。死に際さえ余裕を見せる男に、感心と畏怖を込めて与助が更に畳み掛けた。


 白の閃光が雨となって降り注ぐ。体勢を崩したままの男と長身の与助とでは、高低差の有利も与助にあり、正に無数の稲妻と化した。


 疾い、疾い。

 これが決まり手、かに見えた。


「――仕方あるまい」


 男は霊剣を強く握り締めると、元より大きく開かれた目を更に見開いた。すると霊気に似た闘気が高まり、剣速が明らかに一段、上り出す。


(ジジイッ! まだ力を隠してやがった……!)


 与助の剣には及ばぬ速度だが、極めて速い。加えて、二刀ある分、剣撃の回数は男の方が常に一手先を行く。このまま男の剣速が上がり続ければ、与助の強靭な両手の速さに片手で追いついてしまう。男は老体でありながら、剣技はもはや妖怪の域であった。


 体勢を徐々に立て直される中、与助は考える。


(仕切り直されたら、〝簪〟はもう通用しなくなる)

「ほれ、どうした。あと一手ぞ」


 与助は最高速度を保つので精一杯だった。それでも間違いなく王手から巻き戻されている。もう、むしろ既に部が悪いのは――。


「ほれ……」

(大将を殺したテメェにだけは、絶対に負けられねぇ……!)


 与助の気合いが限界を塗り替える。僅かに速さが増す。けれどそれと同じように男もまた、加速する。


(テメェ如きが、よくもオレの居場所を――)


 男の姿勢が正常な構えになるにつれて、与助の剣は容易くいなされる。速くともただの直線の突きでは、軌道を読まれて先回りされてしまう。


(唯一、オレに声を掛けてくれた大将を――ッ!)


 与助には息つく暇なく、言葉すら吐けない。


 そして遂に、男の完成した体勢によって斬り返される。その切先は布を裂き、与助の上半身を露わにした。そこから落雷に似た枝分かれする赤い痣が覗く。あと一寸近ければ肉が刻まれていただろう。


 次の一手でもう――。


「これまでか、うぬの剣は」


 勝ちを確信した男、その微々たる驕りを与助は見過ごさなかった。

 繰り出すは、相も変わらず鋭い刺突。鬼をも穿つ絶技。されど、既に見切った男にしてみれば、左剣で受けながら右剣でがら空きの首を斬り落とすだけの、悪手に過ぎなかった。


 ――先程までと同じ技であれば。


「何ッ!」


 左剣で外に軌道を逸らしたはずの直線が、ありえない角度で急激に内側へ曲がった。

 

 ――〝嘴(くちばし) 〟

 

 起死回生の一手。

 剣先の軌道を歪曲させる妙技。鉄の剣さえ穂先の軌道を変えてしまう、刺突を極めし与助の真骨頂である。剣先が曲がる瞬間までの軌道は〝簪〟と酷似しており、混ぜることで敵の虚を衝く初見殺し。〝簪〟の派生技であるため見分ける事は困難を極め、いなした後に本性を現す。


 敵は刺突の軌道さえ逸らせば、注意を解いて反撃に転じる。だが外へ逸らされたはずの剣が再び牙を剥き、その軌跡は急旋回する鷹の如し。


残心ざんしんを軽んじた、テメェの負けだ――)


 ――心臓捕えし彎曲わんきょくくちばし也。

 

 男は直感で後ろへ跳ね退き、人間離れした瞬発力で剣先から逃れようとする。が、与助は片手持ちに切り替えることで、更に剣を前へ押し出す。長身と並外れた体幹を駆使し、大股で踏み込み、腰をねじ切れるほど捻り、右肩から指先まで最大限に伸ばす。


 そして遂に、切先が肉に届く。


(まだ浅ェ。もっと深く――ッ!)


 それでも皮膚が石のように硬く、思うように刃が進まない。


 ようやく骨に食い込むも、男の跳躍で剣が離れていく。骨から皮膚へと外に追いやられる。逃げられる。この一撃を逃せば二度目はない。


 与助は決死の覚悟で、前のめりのまま剣を投げた。


「届けェエエエッ――!!」


 日々大剣を高速で振り回してきた与助の膂力は、片手かつ崩れた体勢といえど圧倒的な破壊力を保つ。剣は風を吹き荒らすほどの余波を起こしながら飛翔し、心臓の位置に再び深く突き刺さり、体ごと吹き飛ばした。


 与助もその場で膝から崩れ落ち、両手を地面につく。


「かましてやったぜ……。見てたか、大将……」


 仁慈は息も絶え絶えな与助に近寄って、倒れ込んだ敵に目を向ける。男は胸に剣が突き刺さったまま、死んだように動かない。

 軍配は与助に上がった。

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