第12話 終わらないBGM



生徒会室。

机の上に並んだ紙の束に、最後の判を押す音がした。


〈校内放送 運用基準(改稿)〉

— 原則、無音禁止。

— ただし安全確保のための技術的ブレイクを認める。

— 合図、操作、再開の手順を明記。

— 可視化のため、ブレイクカードを使用可。

— 参考資料:手順動画/点検ノート抄本。


西園寺が眼鏡を押し上げ、短く言う。

「体裁は守られました。現場も守れます。……よくやりました」


榊颯真が口笛を飲み込み、肩で笑う。

「じゃ、これで正式に“止めるための一拍”が技術になったわけだ」

「必要だと思ってる」

ぼくは一言で返す。

「点検ノートも、抄本として資料に入れます」


「……まあ、それが一番早い」

言ってから、キャップを閉める音に意識を預けた。

“……まあ”は、今日で十分一回だ。


南條ほのかが台本を胸に抱え、息を整える。

「動画、最新版に差し替え済みです。——やってみます。次の昼から」


西園寺は頷き、紙を掲示板へ運んだ。

赤いピンが打たれ、規定は“校内のことば”になる。

颯真がぼくの肩を軽く叩く。

「引退前にもう一回だけ言っとく。——マイク、譲る」

彼は笑って、ほんの少しだけ視線を下げた。

「間も含めて、完璧だ」



放送室。

蛍光灯の唸り。ヘッドホンの布擦れ。ケーブルのビニールの匂い。

ホワイトボードの右端に、新しい枠が増える。


〈技術的ブレイク:手順(確定)〉


症状の把握(ノイズ/遅延/読めない気配)


合図=目線→三・二→——一拍


操作=BGM下げ/ミュート確認/再立ち上げ


再開=頭子音→一語目


記録=時刻・症状・対処


その下に、もう一行。

〈点検ノート:正式資料(抄)〉


伊達実がスイッチをカチ、と鳴らす。

「歴代の走り書きが、公文書になる日が来るとはな。理屈抜きで正しい気がしてたけど、理屈が後から付いてきた」

「必要だと思ってる」


ほのかがマイク前に立ち、窓の代わりに時計を見る。

目だけがこちらに先に走る。

——三、二。

——一。

ぼくはうなずき、フェーダーに触れず置く。

合図は、もう共有だ。



正午のチャイム。

ON AIRの赤が点る。BGMが薄く広がる。


「本日のお昼の放送を始めます。——放送部より、学園祭終了と運用基準改稿のお知らせです」


ほのかの声は、最初の一語からまっすぐ立っている。

句読点の内側で、呼吸が揺れずに棲む。

“止めるための一拍”は必要ない。

けれど、言葉の前の余白は、たしかにある。


告知、連絡、紛失物。

最後の「以上、放送部でした」の手前、ほのかが一瞬だけ視線を寄越した。

“今日はAで閉じる”。

ぼくは目で返す。

ジングルは鳴り切り、赤は落ちる。


放送室の温度が一度下がった。

ほのかは台本を胸に抱え、静かに言う。

「これからも、一拍置いて入ります」

ぼくはうなずく。

「無言は呼吸。仕様にしただけ」


颯真がドアをノックして顔を出す。

「引継ぎ、完了。俺は片付けに回る。——頼んだよ」

「任せる」

短く返す。視線が合う。

——三、二。

——一。

彼は笑って、どこか少し寂しそうに去っていった。


伊達が赤札のケースを棚にしまう。

「札は“使わなかったら最高”、でも“見せられる場所にある”で正解」

「うん」


ぼくは机の引き出しから点検ノートを取り出し、表紙を撫でた。

走り書きの上に、今日の日付を重ねる。

『運用基準(改稿)反映/手順・動画・札、正式化。余白=技術として共有』


ほのかが窓の外を見て、こちらに視線を戻した。

「——やってみます。明日も」

「明日も」



片付けのあと、屋上。

風が制服の裾を揺らし、フェンスが小さく鳴る。

街の音は、いつもの速さで流れていた。


イヤホンは出さない。

今日は、何もいらない。

目が合う。

言葉はいらない。


——三、二。

——一。


沈黙は欠落じゃない。

呼吸であり、合図であり、余白だ。

それがある限り、言葉は何度でも始められる。



翌日。

正午のチャイム。

ON AIRの赤が点る。BGMが薄く広がる。

フェーダーに指を置く前に、一拍だけ止める。

手順という名の、安心の止まり木。


「本日のお昼の放送を始めます」


声が、いつもどおり部屋の四角に合う。

ジングルは鳴り切り、赤が落ちる。

蛍光灯の唸り、ヘッドホンの布擦れ、ケーブルの匂い。

その前に置くものは、もう決まっている。


終わらないBGMは、今日も静かに続いている。

ぼくらはそこに、一拍を置くだけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きみと黙る放送室 @SilentDean

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ