第12話 終わらないBGM
生徒会室。
机の上に並んだ紙の束に、最後の判を押す音がした。
〈校内放送 運用基準(改稿)〉
— 原則、無音禁止。
— ただし安全確保のための技術的ブレイクを認める。
— 合図、操作、再開の手順を明記。
— 可視化のため、ブレイクカードを使用可。
— 参考資料:手順動画/点検ノート抄本。
西園寺が眼鏡を押し上げ、短く言う。
「体裁は守られました。現場も守れます。……よくやりました」
榊颯真が口笛を飲み込み、肩で笑う。
「じゃ、これで正式に“止めるための一拍”が技術になったわけだ」
「必要だと思ってる」
ぼくは一言で返す。
「点検ノートも、抄本として資料に入れます」
「……まあ、それが一番早い」
言ってから、キャップを閉める音に意識を預けた。
“……まあ”は、今日で十分一回だ。
南條ほのかが台本を胸に抱え、息を整える。
「動画、最新版に差し替え済みです。——やってみます。次の昼から」
西園寺は頷き、紙を掲示板へ運んだ。
赤いピンが打たれ、規定は“校内のことば”になる。
颯真がぼくの肩を軽く叩く。
「引退前にもう一回だけ言っとく。——マイク、譲る」
彼は笑って、ほんの少しだけ視線を下げた。
「間も含めて、完璧だ」
*
放送室。
蛍光灯の唸り。ヘッドホンの布擦れ。ケーブルのビニールの匂い。
ホワイトボードの右端に、新しい枠が増える。
〈技術的ブレイク:手順(確定)〉
症状の把握(ノイズ/遅延/読めない気配)
合図=目線→三・二→——一拍
操作=BGM下げ/ミュート確認/再立ち上げ
再開=頭子音→一語目
記録=時刻・症状・対処
その下に、もう一行。
〈点検ノート:正式資料(抄)〉
伊達実がスイッチをカチ、と鳴らす。
「歴代の走り書きが、公文書になる日が来るとはな。理屈抜きで正しい気がしてたけど、理屈が後から付いてきた」
「必要だと思ってる」
ほのかがマイク前に立ち、窓の代わりに時計を見る。
目だけがこちらに先に走る。
——三、二。
——一。
ぼくはうなずき、フェーダーに触れず置く。
合図は、もう共有だ。
*
正午のチャイム。
ON AIRの赤が点る。BGMが薄く広がる。
「本日のお昼の放送を始めます。——放送部より、学園祭終了と運用基準改稿のお知らせです」
ほのかの声は、最初の一語からまっすぐ立っている。
句読点の内側で、呼吸が揺れずに棲む。
“止めるための一拍”は必要ない。
けれど、言葉の前の余白は、たしかにある。
告知、連絡、紛失物。
最後の「以上、放送部でした」の手前、ほのかが一瞬だけ視線を寄越した。
“今日はAで閉じる”。
ぼくは目で返す。
ジングルは鳴り切り、赤は落ちる。
放送室の温度が一度下がった。
ほのかは台本を胸に抱え、静かに言う。
「これからも、一拍置いて入ります」
ぼくはうなずく。
「無言は呼吸。仕様にしただけ」
颯真がドアをノックして顔を出す。
「引継ぎ、完了。俺は片付けに回る。——頼んだよ」
「任せる」
短く返す。視線が合う。
——三、二。
——一。
彼は笑って、どこか少し寂しそうに去っていった。
伊達が赤札のケースを棚にしまう。
「札は“使わなかったら最高”、でも“見せられる場所にある”で正解」
「うん」
ぼくは机の引き出しから点検ノートを取り出し、表紙を撫でた。
走り書きの上に、今日の日付を重ねる。
『運用基準(改稿)反映/手順・動画・札、正式化。余白=技術として共有』
ほのかが窓の外を見て、こちらに視線を戻した。
「——やってみます。明日も」
「明日も」
*
片付けのあと、屋上。
風が制服の裾を揺らし、フェンスが小さく鳴る。
街の音は、いつもの速さで流れていた。
イヤホンは出さない。
今日は、何もいらない。
目が合う。
言葉はいらない。
——三、二。
——一。
沈黙は欠落じゃない。
呼吸であり、合図であり、余白だ。
それがある限り、言葉は何度でも始められる。
*
翌日。
正午のチャイム。
ON AIRの赤が点る。BGMが薄く広がる。
フェーダーに指を置く前に、一拍だけ止める。
手順という名の、安心の止まり木。
「本日のお昼の放送を始めます」
声が、いつもどおり部屋の四角に合う。
ジングルは鳴り切り、赤が落ちる。
蛍光灯の唸り、ヘッドホンの布擦れ、ケーブルの匂い。
その前に置くものは、もう決まっている。
終わらないBGMは、今日も静かに続いている。
ぼくらはそこに、一拍を置くだけだ。
きみと黙る放送室 @SilentDean
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