Ghost in the shelly

lager

Ghost in the shelly

「日枝神社、という神社がある」


 橙色の光が濃い影を作る黄昏時の教室で、切れ長の目をした女が居丈高な口調でそう語り出した。

 机の上にその長い足を組んで座り、血の色の濃い唇に薄っすらと笑みを浮かべながら。


「念の為言っておくが、山王祭で有名な都内のそれのことではない。というより、日枝神社という名前の神社は全国各地に点在しているんだが、今、私が言っているのは、K県K市に古くからある小さな神社のことだ」


 遠くから微かに聞こえていた、吹奏楽部の演奏の音が止んだ。

 学校の校舎というものは、たとえ自分の周りに人がいなくとも、常に人の気配が空気のそこかしこに満ち、震えている。それが下校時間が近づくほどに薄くなり、代わりに静寂が満ちていく。音が絶え、闇が増していく。

 その中で、その女の声はいやに玲々と響いた。


「その神社では毎年五月の半ばに祭りが行われるんだがね。何故か毎年必ず雨が降る。いや、何故かと言われれば、その祭りは元々雨乞いの祭りが起源だそうだから、別に不思議なことではない、と地元の人間はみな理解しているんだが、まあ当然、不思議なことなわけだ。少なくとも、記録が現存しているここ七十八年間は


 雨乞いの祭りの日に、雨が降る。

 不思議なことのようでもあり、当然のことのようでもある。いや、不思議なことであるはずなのに、その不思議を誰も深刻に考えない、ということなのだろう。


「この偶然を科学で解明することは当然不可能だ。だが、それと同じくらい、非科学で説明することもまた不可能なのだ。何故って、その神社は本当に小さく大した験力も持っていない。そもそも雨乞いの祭りなどそれこそ全国各地に無数に存在しているが、その祭りの度に毎年雨が降るなんていう記録は他に類を見ない。誰にも解明できない法則によって、その雨は降る」


 それと同じさ、と。

 その女は言った。赤い唇に薄っすらと笑みを浮かべて。

 教室の窓は開いている。吹き込む生温い風が、女の髪の匂いを含んで妖しく薫る。

 

「つまり、大事なのは法則なんだ。原理じゃない。誰だってリモコンの仕組みなんて理解しなくてもテレビは操作できるだろう。それと同じように、『この学校の一年生で出席番号二十八番の生徒は、総じて霊力が高い傾向にある』。理由はわからない。ただ純然たる統計上のデータだよ」


 なるほど、つまりそれが――。


「つまりそれが、君の大事なお友達を狙った理由というわけさ、小松崎博栄コマツザキヒロエくん」


 それさえ聞ければ、十分だった。

 もう、我慢の限界だった。

 俺は学ランの袖から仕込み刀を抜き放ち、夕闇に嗤う化生へと、その刃を向けた。


【奴ら】は、太古の昔より人の世に巣食う魔物だ。

【奴ら】の魅了の術は、自分の姿を相手の望むものに紛らわせる。そのものがもっとも求める姿を【奴ら】に重ね合わせるようにして、相手を己の虜にしてしまう。

 誰も【奴ら】を害することはできず、【奴ら】は悠々と食事を始める。【奴ら】に精気を食われた人間は生きる力を失くし、運命から見放され、ひっそりと死んでいく。

 不自然なほど事故に遭いやすくなるし、些細なきっかけで自ら命を絶ってしまうのだ。


『お前には特別な才能がある』


 俺はそう言われて、人知れず訓練を受けてきた。

【奴ら】には雌体と雄体がいて、それぞれ異性の人間を虜にする。それに抗うことは本能的に不可能で、【奴ら】を斃そうと思えば同性の個体に攻撃するしかない。だが、当然【奴ら】もそれは警戒しており、同性のハンターの前には決して姿を現さない。

 、俺は【奴ら】を攻撃できる。


  疾ッッ!!


 生温い空気を切り裂いた俺の刃の軌跡に、数条の黒髪が舞った。


「おいおい、ご挨拶だな。全く、ハンターという連中はどうしてこうも不躾なんだ」

「黙れ、化け物」


 俺の刺突を余裕をもって躱した魔物が、机の上に立ち上がり、学園中の男を魅了する艶やかな肢体を西日に晒した。


「八つ当たりは止したまえよ、君」

「違う。これは俺の仕事だ」

「自分を騙すのも止したまえ。そりゃあ気に障るだろうさ。君のお友達を私がということは、君の望みは永劫叶わないということなのだから」

「黙れと言っただろ!!」


 右手の銀刀の切っ先を向けたまま、左手で掌印を結ぶ。

 ――許々太久ここだくの罪は御前みまえ不在あらじ


「斬り祓え! 『九薙鈨くなぎはばき』!!」


 一振りにて四縦五横の斬撃が空間を埋め尽くす。

 並みの魔物ならこれで細切れだ。だが――。


「老いよ、『硯樹すずりいつき』」


 夕陽が形作る濃い暗影が形を変え、立ち上り、大樹となって立ち塞がった。


 づ。

 づづづ。


 深々と切れ込みの入った闇色の樹が倒れ、机と椅子が散乱する。

 血の色に染まった瞳と、光を飲み込む艶なしの黒髪が、その向こうに現れる。

 その頬に、銀色の傷痕。

 それをたおやかな掌で撫で擦りながら、魔物は嗤った。


「なかなかやるじゃあないか」

「いい加減正体を現したらどうだ?」

「くふっ」


 ふす。ぶす。


 闇の煙が傷口から漏れ、切れ長の目を覆い隠す。

 見事な凹凸を形作る長身がぐにゃりと形を変え、頭一つ分、小さくなった。

 忌々しい胸部の膨らみはそのままに、童顔の少女が姿を現した。


「酷いなあ、小松崎君」


 声が、僅かに高くなる――。


 一年C組、出席番号二十八番――高城水穂子。

 それが、この魔物の名前だ。


「おっぱいの大きなお姉さんは嫌い?」

「反吐が出る」

「あはっ」



 ……。

 …………。



 油断していたんだ。


 この学校の出席番号二十八番の生徒に不審死が相次いでいる――。

 そんな情報と共に指令を受け、俺はこの学校に進学した。

 一年生たちの間に広まる放課後の幽霊の話を聞いて、これはだと思った。

 二十八番の生徒が狙われているのだから、二十八番の生徒は被害者候補なのだと思ったし、まさにその番号だった中学からの同級生には注意を促そうとも思った。


『お前がいてくれてよかったぜ、ヒロ』


 屈託のない、子供っぽい笑み。

 真っ直ぐな目。

 陽の光のような声。

 いつからだろう。彼を構成する一つ一つに、胸を締め付けられるような痛みを感じるようになったのは。

 彼の隣を歩くたびに、頬が熱くなるのを感じたのは。

 彼の顔を、真っ直ぐ見れなくなったのは。


 そう。油断していたんだ。


『C組の高城水穂子が、放課後の幽霊に遭遇したらしい』


 ついに今年も被害者が出てしまうかもしれない。

 だが、女生徒が狙われたというのなら、相手は雄体の【奴ら】のはずだ。情報が違っていたのか? それとも複数の【奴ら】がここを狩場にしているのか?

 なんにせよ、相手が【雄体】だというのなら、男の俺がハンターとして迫れば退治は出来なくとも退散はさせられるはず。被害を未然に防ぐためにも、ここは――。


 そう思って、高城水穂子が呼び出されたという早朝の屋上に向かってみれば、ただ怠惰で横柄な上級生がいただけだった。自分の宿題を下級生に押し付けていたのだという。

 拍子抜けしそうになった、その時だった。


『キミに数学の問題を解くよう話しかけた記憶はないが? なにかの間違いじゃないかね?』

『いい加減にして、お姉ちゃん』


 おかしくないか?

 たった数日前だぞ?

 忘れっぽい人間だというならそれでもいい。だが、それならどうしてそこまできっぱりと否定できる?

 妹も妹だ。

 

『出やがったな、この幽霊ヤロー! タカギさんをたぶらかして呪い殺すつもりか!』

 そんなことを突然叫ばれて、

『タカハシくん、うちのお姉ちゃんと知り合いなの?』

 どうして咄嗟にそんな返答ができる?

 まるで、――。


 俺は組織の伝手を頼って洗いざらい情報を探った。

 難儀はしたが、結果は出た。ふざけた話だ。

 三年C組、高城紫絵里シエリ

 放課後、校内を徘徊して後輩を脅しつけ、自身の宿題を押し付ける女子高生。

 



「あはは。いい隠れ蓑だと思ったんだけどねえ。見つかっちゃったらしょうがないね」

 はた迷惑な悪癖を持った女生徒に成りすまし、放課後に自分の餌となりそうな霊力の高い人間を探す。昼間は彼女の妹のふりをしてのうのうと学園生活を送り、さらには自分が被害者候補となることで追及の目を誤魔化そうとしたのだ。


「お前たちのどこが姉妹なんだ。そのふざけた胸以外なんにも似てないだろ」

「【私たち】のこと、お勉強したんじゃないの、新米ハンターさん?」


 その欺瞞も、【奴ら】が人界に溶け込むための術の一つというわけだ。周囲の認識を歪め、不自然を自然に見せる。似ても似つかない姉妹に、誰も疑問を挟まない。

 だが――。


「ま、勉強不足はお互い様かな。術なんて、私も聞いたことなかったよ。おかげですっかり騙されちゃった」

「お前たちが徘徊しているような学校で、なんの備えもなしに健也を一人にするわけないだろ」


 俺は前もって、学年全クラスの二十八番の男子生徒に接触し、一時的に霊力を抑える術を施していた。この魔物が見せる『問題』とは、対象の霊力の高低によって見え方が変わる試験紙のようなものなのだろう。

 健也が既に接触されていたことはショックだったが、同時に俺が施した術も効果を発揮していたのだ。


「健気~」

「黙れ……!」


 机が吹っ飛ぶ。

 嘲笑が頭上を舞う。

 禍々しい西日が作る濃い影が、触手となって這い廻る。


「うふふ。私は良いと思うよ。ワンコ系男子と韓流イケメン男子」

「うるさい」

「今は多様性の時代だもんねえ。【私たち】にも意識改革が必要かも」

「うるさい!!」


 銀刀を握る手から、軋むような音がした。

 多様性? 性的マイノリティ?

 そんな言葉で俺を型に嵌めようとするな。

 そんな記号で説明しようとするな。

 俺は、俺の心は――。


 ずぶ。


 右足が、呑まれた。


 ごぽりと泡立つ闇の沼が、俺の右足首を捉えている。

 怖気が背筋を這い上がり、心臓を冷やす。


「ほ~ら、油断した。青いねえ、少年」


 ぐねぐねと形を変える闇の触手に腰かけ、魔物が嗤う。


「いっただっきま~す」


 俺の、心は――。


『一緒に帰ろうぜ、ヒロ』

『こないだの中間どうだった?』

『いいよなあ、お前はモテて』

『なあ』

『ヒロ――』


 ざん!!!


 鈍く光を放つ銀刀が、俺の制服を切り裂いた。

 血飛沫が舞う。

 拘束が緩む。

 さあ、握り直せ。

 痛みに意識が持っていかれそうになる。

 視界が狭くなってくる。

 それでも!


――三世一切阻むものなし。


「唯一人前を征け。『勇一嘴いさみひとつばし』」


 きゅごっっ。


 光の柱を、真一文字に振るった。


「ひゃあああ」


 情けない悲鳴と共に教室中に蔓延っていた闇の触手が霧消し、衣服が半分消し飛んだ魔物が尻もちをついた。


「わあ~。わかったわかった、降参降参。もう出てくよぅ。この学校からは手を引きます」

「それで済むと思うのか?」


 輝きを失った銀刀を構え直す。

 膝が震えそうになるのを気合で留める。


「それで済ませてあげる、って言ってるの。わかる?」

 悔しいが、分からざるを得ない。これ以上やりあったところで、逃げに徹されたらもう追うだけの力は残っていなかった。

「とっとと失せろ……!」

「はいはい、じゃあね。せいぜい頑張って」


 風が吹き。

 闇が翻り。

 茜色の空の中に、魔物は消えて行った。


 ……。

 …………。



「おーい、高橋、もう帰るぞー」


 教室の机に突っ伏して居眠りを決め込んでいた健也の背中をはたき、起こした。


「うおっ。え。ヒロ? あれ、俺いつの間に寝てた?」


 いつの間に、というなら、放課後になって間もなく、だ。

 俺が施した術に気づいた魔物は、改めて健也を餌にしようと委員会を口実にして接触しようとしていた。

 俺はそれを防ぐため、教室に結界を張って健也を閉じ込めていたのだ。


「げ、またノートによだれ垂らしてんじゃん。小学生かっての」

「……うーん。俺、なんでこんなとこで寝てたんだ? ていうか、やべー。図書委員サボっちまった。うわー。高城さん、怒ってるよなあ」

「おー。怒ってたぞ。カンカンだった」

「なんだよ! なんでもっと早く起こしてくんなかったんだよ!」

「俺はお前の彼女じゃねえ」

「うげえ。気持ち悪いこと言うなよ」


 ……ああ。そうだよな。分かってる。

 でもさ――。


「いや。寝っこけてたのは俺だもんな。お前に当たってもしょうがねえや。悪い」

「ふん。わかりゃいいんだよ」

「あれ、お前なんか怪我してる?」

「ん? ああ、ちょっと転んだだけ」

「おいおい、大丈夫かよ」

「大したことねえって。それより、ほら――」


 もう、日が沈む。

 バスの時間、過ぎてるだろ。

 

「一緒に帰ろうぜ」


 そのくらい、いいだろ。

 俺たち、友達だもんな。

 



 

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