かごめかごめ

みつなつ

かごめかごめ

 終電を逃し、歩いて帰るはめになった。

 社員寮のアパートまで、街灯もない田舎のあぜ道をとぼとぼ歩く。


 深夜二時。スマホは電池切れ。月は雲に隠れて真っ暗だ。

 こんな夜更けに明かりが灯っている民家もない。

 足を踏み外して田んぼに落ちないよう慎重に歩を進める。

 足元で草が擦れてカサカサ音がする。

 風もないのに首の後ろがゾクッとした。

 誰かに見られてるような気がする。

 薄気味悪い。


 アパートまであと十分くらいというところで、小さな歌声が聞こえてきた。


『か……め、かご…………なか……とり……』


 子どもの声だ。

 甲高く、掠れていて、古いラジオみたいに途切れ途切れに聞こえる。

 こんな時間に子ども?

 両側は田んぼと雑木林、民家は一キロ以上先だ。

 背中に冷や汗が滲む。


「風の音、だろ……」


 自分を落ち着かせようと呟く声が震える。


『いつ…………出やる……夜明け……ばんに……』


 その声は頭の中で響いてるみたいに聞こえる。

 足が重い。振り返りたいが首が動かない。


 しかし、何かが『見ろ』と囁く。


 首の骨が軋むような感覚に耐え、何とか振り返る。

 田んぼの真ん中に白い影が見えた。

 子どもが七人。

 ぼんやり光る白い服を着て手をつなぎ、円になっている。

 月もないのに、子どもたちの輪だけが青白く浮かぶ。


『鶴と亀がすべった……』


 子どもたちの声が重なり、空気が締め付けてくるようで息苦しい。

 足が地面に縫い付けられたように動けない。

 目を凝らすと子どもたちの顔が見えた。

 いや、顔がない。目も鼻も口もない、ただの白い平面。

 なのに歌っている。

 歌声が俺の頭蓋骨を直接震わせる。

 ふいに歌が止まった。


『後ろの正面だぁれ?』


 子どもたちの首がギギギッと金属が軋むような音を立て、こちらを向いた。

 目がないのに視線が突き刺さる。

 喉から心臓が飛び出しそうだ。


『見つけた』


 それは子どもの声じゃなかった。

 低く濁り、井戸の底から響いてくるような声。


『おまえ、鳥だろ?』


 輪が動き出す。子どもたちが手をつないだままジリジリと近づいてくる。

 俺を中心に円が縮まる。

 足が動かない。叫びたいのに声が出ない。


「やめろ、俺は関係ないっ!!」


 やっと絞り出した声は虚しく闇に吸い込まれる。

 輪がすぐそこまで迫る。

 小さな冷たい手が首に、腕に、足に触れた。

 氷のように冷たく、焼けるように熱い。


『かごめ、かごめ……』


 ふたたび闇夜に歌声が響き出す。今は俺の口からその声が出ている。

 俺が歌っている。自分の意志じゃない。しかし舌が勝手に動く。

 喉が締め付けられ、息ができない。


 視界が揺れた。子どもたちの白い服が赤く染まっていく。

 突然、地面が崩れた。いや崩れたんじゃない。黒い穴が開いた。底の見えない闇。


 子どもたちが俺を引きずり込む。


『かごの中へ……お前も……』


 穴の奥から無数の手が伸びてくる。細い、骨だけの手。

 俺の体をつかんで引っ張る。皮膚が裂けるような痛み。血の臭い。

 俺の悲鳴は『かごめ、かごめ』に掻き消えた。




 目覚めると寮の自室だった。カーテンのすき間から朝日が差し込んでいる。

 時計は六時。汗で全身びしょ濡れだ。まだ心臓がバクバクしている。


「……ゆ、め?」


 重い体を無理に動かし、顔を洗おうと洗面所へ向かう。

 鏡を見ると首に赤黒い手形がくっきりついていた。腕にも、足にも。爪で抉られたような傷が無数に走っている。

 よく見ればシャツは泥と血でぐちゃぐちゃに汚れている。

 泥がこびりついた靴が床に転がっていた。


 スマホを充電し、軽くシャワーを浴びた。湯が傷にしみて辛かった。

 朝食を摂る気にはなれず、ネットで「かごめかごめ 都市伝説」で検索した。


「深夜、田舎道で『かごめかごめ』が聞こえると、顔のない子どもたちに囲まれる。彼らは『鳥』を捕らえ、魂を籠の中――闇の穴に引きずり込む」




 それから俺は夜道を歩けない。

 残業があってもタクシーで帰る。

 だが、毎夜、夢の中で歌が聞こえる。


『かごめ、かごめ……』


 目を開けると部屋の隅に白い影。

 顔のない子どもが立っている。

 毎夜、数が増えていく。昨夜は三人、今夜は四人。

 輪が近づいてくる。

 俺の体の傷も増えていく。

 血が滲む。


 鏡を見ると、顔が少し……ぼやけてる気がする。

 もうすぐ、俺もあの輪の一部になるのかもしれない。



◆◇◆◇◆◇◆



 佐々木はそこまで話してから自嘲ぎみに「どうかしてる」と呟き、空になっていた僕のグラスにビールを注いでくれた。


 仕事帰りにふらりと寄った居酒屋。偶然再会した友人、佐々木は別人のようにげっそりと痩せていた。

 仕事疲れのノイローゼから妄想にでも悩まされているのだろう。


「大丈夫。佐々木の顔、なんともない。疲れてるんだよ。今日は早めに帰ってゆっくり休んだ方がいいんじゃないか?」


 上手い励ましの言葉が見つからず、当たり障りのない言葉を投げる。

 佐々木は力なく笑って席を立った。


「そうだな、帰るよ」


 店を出ていく佐々木を見送り、唐揚げを頬張る。

 大学時代の佐々木はスポーツが得意で明るい性格だった。

 お互い歳を取り、見た目も性格もずいぶん変わって……。

 そこまで考えて箸が止まる。


 あれ? あいつの顔……どんなだったっけ……。

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かごめかごめ みつなつ @mitunatu

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