我國の妖怪30選《こがね入門百科シリーズ》⑱
小境震え
本書との出会い
数年前のある秋の午後、私は初めて訪れたとある地方都市の古書店街を歩いていた。
目当ての本があったわけではなく、ただ路地の奥へ奥へと引き寄せられるように進んでいった。表通りの大手古書店のきれいな看板を過ぎ、細い横道に入ると、急に空気が変わった。軒に並んだ看板は色あせ、埃っぽい紙とカビのにおいが鼻をついた。
ふと足が止まったのは、雑居ビルの谷間にひっそりと口を開けた小さな古書店だった。木の引き戸はわずかに歪み、戸袋の隙間から猫がするりと入っていく。店の奥からは、遠くで鳴るラジオの演歌がかすかに響いていた。
中に足を踏み入れると、棚と棚の狭い間に段ボール箱が積み上げられ、背表紙の褪せた雑誌や教科書が雑然と並んでいる。その中に、他とは明らかに違う色合いの数冊の本が目に留まった。鮮やかな色使いで、懐かしい昭和の児童書の体裁をしたハードカバー。その背には《こがね入門百科シリーズ》とあった。
妙にしっくりくる○の中にコガネムシのマークの『こがね書房』。
はて。こんな出版社、あったっけ。
手に取った一冊の表題は、『我國の妖怪30選』。表紙には奇妙な姿の妖怪が大きく描かれている。頁をめくると、中には今どき使われないはずの見慣れぬ地名や、聞いたことのない伝承ばかりが並んでいた。妖怪図鑑の類としては確かに児童向けだし、言語は日本語そのものなのだが、その内容は日本のようで“この日本”ではない、“ちょっとズレた世界線の日本”の児童書のような、なんとも不思議なものだった。発行年を見ると《光振41年発行》とある。やはり聞いたことのない年号だ。
不思議に思って店主に尋ねてみても、「うちにそんな本ありましたかね」と首を傾げるばかりで要領を得ない。結局、値札も付いていなかったその本と、同じシリーズの数冊をまとめて小銭で譲り受け、茶色い紙袋に包んでもらって持ち帰った。
——いま机の端に置いてある『我國の妖怪30選』の背表紙は、ところどころ破れかけ、ページの隅には子供が走り書きした鉛筆の跡が残っている。
それは確かに昔誰かが読んだ証でありながら、“この日本”で読まれたことはおそらく一度もない、これはそんな一冊なのではないかと想像している。
今日、ふと思い立って、この珍しい本の中身をここに書き起こしていくことにした。
というのも、不思議なことに、この『我國の妖怪30選』をデータ化して人に見せようとすると、決まってうまくいかないのだ。スマートフォンで写真を撮っても、スキャンしても、データがエラーを起こして壊れてしまう。どうやら「デジタル」なものに変換できないようなのだ。だから、いくら説明しても、「見せてくれ」と言われれば言われるほど困ってしまう。机の上に確かにあるのに、画面の中には存在しない——そんな奇妙な本だ。
だが、試してみたところ目にした内容を書き起こすことならできた。
ちょっと怖くてユーモラスなイラストをお見せできないのがすこぶる残念ではあるが、イラストに関しては説明書きを載せておくのでご容赦願いたい。
文章だけでもなかなかオモシロいので、ぜひご一読ください。
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