後半 罪人の非日常

「神宮寺先輩…あの、これいつまで続けるんですか?」

部活終わり、最近は毎日神宮寺先輩と歩きで帰っていた。

「うーん。犯人が捕まるまで、かな?」

手を繋ぎながら先輩はケラケラと笑った。

そんなふうに笑われたら、断れないじゃないですかっ!

事の発端は一週間前。先生から不法侵入事件の知らせが朝の会にあったあの日。

あの日の夜。なんと先輩の家の警報器が鳴ったらしい。

警報が作動したのは家の中であり、防犯カメラは特に作動した様子も何かが写った様子もなかった。

丁度その頃、ストーカー対策で先輩はなるべく一人にならない様にわたしや友達とかと一緒に帰ったり行動したりしていた。その対策が功を奏してか、ストーカーからの視線を感じる事は随分と減ったらしいと先輩は言った。

「なんだか怖いですね。そんな次々と先輩の身の回りで事件が起こるなんて」

一連の話を聞いたわたしが疑問を口にすると、先輩は閃いた様子で言った。

「もしかして、同一犯だったりして。ストーカーの目的は僕ではなく僕の家だとしたら、最近ストーカーの視線が減ったのも腑に落ちる」

確かに、辻褄自体は合わない事もないか。

だとすれば…でも、もしこれを利用すれば…。

わたしは口元に笑みを浮かべた。

「確かに同一犯かもしれませんね」

「そうだろ?きっと犯人は僕の後をつけて僕の家を特定したに違いない」

「ですが、一つ不思議な事があるんですよ。動機が謎なんです」

「動機?」

「はい。犯人はこの学園の生徒、つまりお金持ちの家を狙っている事は確かなんですが、お金や物を盗んだ形跡が見つからないんです」

「そうだね」

「動機が分からないという事は、相手が何を考えているのか分からないという事です。ましてや相手がストーカーと同一人物なら先輩が危ない可能性だってあります!」

そういう訳で、わたしは神宮寺先輩の安全をなんとしてでも守るという名目の元、この事件を捜査することになった。

もちろん神宮寺先輩からは危ないとひつこく止められたが、ストーカーを追い払うまで気が済まないと譲らなかった結果、こうやって毎日一緒に帰ることになったのである。

「夜桜さんと一緒に帰れて嬉しいよ。本当はこの時間に歩きなんて危ないし、家まで送りたいところなんだけど…」

「大丈夫です!!!」

ここ一週間これで何とか切り抜けてきたが、そろそろ色々とバレそうな気がしている。

「そういえば、捜査は順調?」

先輩の質問にハッとする。

「謎は多いですが、今日結構いろんな事を聞き出せたんです。今すぐにでも情報共有したい所なんですが…話が長くて」

「あぁ、じゃあうち来る?」

ん…?

「神宮寺先輩、今なんて言いました?」

「うち来る?」

えええええええええ!!

先輩の、家…

「わたしなんかが行っていい場所じゃないですよっ!」

「別に大丈夫だって。基本的に家には誰も居ないんだ」

「それは…珍しいですね」

先輩はちょっと哀しそうに目線を下へ下ろした。

「僕の父は、いつも忙しくてあまり会えないんだ。元から厳しい人って事もあって、どんなに良い成績を取って、優等生でいても褒めてくれた記憶がない」

先輩はわたしに視線を合わせて言った。

「たまにくらい、誰かと一緒に過ごしたって良いだろう?」

その視線を受けて断れるはずもなく…気づいたら豪邸の前まで来ていた。


数時間前のこと。

休み時間、ざわざわと飛び交う話し声の間を潜り抜けてわたしは三年生の教室へと辿り着いた。

廊下を歩くたびに先輩達からの視線が痛い。

身を縮める思いをしながら、わたしは三年生のとある教室の前で止まった。

「あの、朝倉先輩はいますか?」

勇気を出してクラスの前にたむろっている女子に聞くと、教室の奥からボブヘアの目がクリっとした女の子が出てくる。

「どうしたの?一年がわざわざこっちの教室にまで来て」

「そのぉ…神宮寺先輩の事でお話がありまして」

わたしは朝倉先輩をなるべく人気の無いところへ連れて行くと、思い切って口を開いた。

「その、単刀直入に聞きますが一週間前の夜、どこに居ましたか?」

「…確か友達の家で夜遅くまで遊んでいた気がするけど、なんでそんなこと聞くわけ?」

この学園に夜遅くまで遊ぶギャルも居るんだなぁ…。

そんな事を思いながら、わたしは先輩のストーカーの件について話した。

「そんな事言われてもあたしにだってアリバイはあるし、あいつの元カノってだけで決めつけられたく無いんだけど」

「…すみません」

「そんな疑うならあたしの友達に話聞きな。玄関の防犯カメラの映像だって映ってるだろうし、これで十分でしょ」

その台詞を最後に朝倉先輩はどこかへ行ってしまった。

そりゃあそうだよね。元カノって理由だけでストーカー扱いされたら誰だって不機嫌になるだろう。

念の為その後朝倉先輩の友達にも話を聞いたが、どうやら朝倉先輩の言った事は本当な様だ。防犯カメラまでは見せてもらっていないが、あそこまで言い切るなら友達の家に出入りした様子が記録されているのだろう。

「……って事があったんですよ」

わたしは数時間前の休み時間の出来事の一連を先輩に話した。

整理整頓されているシンプルな部屋。観葉植物などもちらほら置いてあって、おしゃれで広いこの空間に慣れず、まだそわそわとしてしまう。

そう、なんと神宮寺先輩のお部屋である。

流石有名企業の取締役の息子なだけあってほぼ一人で住んでいるのにも関わらず、広いお屋敷といった印象だった。

「ごめんね。三年生の教室だから僕が行けば良いのに、余計に手間取らせちゃって」

「そんなそんな!いいですよ元カノと気まづいのはしょうがない事です」

そう言いつつやっぱり相手は可愛かった事に対して地味に傷ついている自分がいる。

——あんなかわいい子にわたしが勝てる気がしない。

それだけじゃない。如月先輩や氷室ちゃんにも。

不安げな思考を振り払う。こんな事好きな人の前で考えるべき事じゃない。

「防犯センサーが反応した深夜十一時半に、こっそり裏口か窓から家を出て僕の家に侵入する事は理論上可能だね」

「いえ、どうやら5分以上友達と離れる様な時間はなかったとの事です。そんな短時間で家に侵入する事なんてできませんし、そもそもどうやって家に侵入したかさえも謎です」

「せめてストーカーの証拠が出ればいいんだけど、それさえ不確かだからな」

この事件だけで犯人を絞り込めないなら、他の事件で犯人を絞る必要がある。

「今までの事件の被害者の家って、先輩と仲が良い人の家でしたよね?」

それを聞くと先輩は驚いた様に目を見開いた。

「よく知ってるね」

「聞き込みをしている最中に聞きました。どうやらストーカーは神宮寺先輩だけでなく、神宮寺先輩と仲の良い人にまで手を出していたですね」

「なんだ、それで知っていたのか。企業の取締役である父の知り合いが多くてね。要するに親が顔見知りで仲良くなった人も多いんだ。」

なるほど。被害者の共通点は神宮寺先輩と仲が良い事と、親が顔見知りという事か。有名企業だから親同士が同じ社員の可能性だってある。

そして不法侵入したにも関わらず何も盗まなかったという謎。

元カノの完璧なアリバイ。

「もう遅いし、そろそろおひらきにしようか。夜桜さん?」

ふと一つの仮説が出来上がり、わたしは立ち上がった。

「すみません。お手洗い貸してもらってもいいかしら?」

「いいよ。廊下を出て突き当たりの右にある」

わたしは一人で廊下へ出た。

冷たい床の感触が靴下越しにじんわりと伝わる。窓の外はもう闇に包まれていた。

しばらくその場を歩き回ると、お手洗いには行かず先輩の元へと踵を返した。

——その光景を目に焼き付けて。


四月二十日。

××市内の住宅で高校二年生の如月凛(16)が今朝午前1時頃、リビングで娘が血を流して倒れているとの通報があり、市内の病院へ運ばれましたがいずれも死亡が確認されました。

死因は腹部を刺されたことによる失血死とみられています。

また、事件前被害者の通っていた学園の生徒の自宅が不法侵入されるという事件も多発しており、警察は関連があるとみて捜査しています。


四月二十一日。

事件の翌日。事件があったとの連絡があった日は学校が休みになった。

それから一日経った今日。教室には異様な空気が漂っていた。

先輩に連絡してみたが未だ既読がつく気配がない。

「ねぇ」

顔を上げると、いつものアクセサリーとかの自慢話が多いクラスメイト西園寺さんがいた。

「あなた写真部だったわよね?確か如月さんと同じ。あの人、なんか人に恨みでも買っていたの?」

西園寺さん以外にもたくさんのクラスメイトが興味津々といった様子でわたしの机を囲んでいる。

「……ごめん。今はその話したくないの」

重い話題だったからか、その一言だけで何やら察してみんなは離れていってくれた。

斜め前の氷室さんは俯いて何やら考えている様だけど、何を考えているのかわからない。

先生が緊張した空気の中朝の会を始める。

「昨日起きたこの学園の生徒が亡くなった事件ですが…」

そこからの話は、あまり覚えていない。

ただ、いつもの様に授業を受けて帰る時に部活動がなくなった事を思い出した。

三年の教室に行ってみたが、神宮寺先輩はやっぱり学校に来ていないらしい。

(今日も頑張ってメイクとヘアアレンジしてきたのにな)

いつもより早く帰れる事は嬉しいはずなのに、なんだか足取りが重い。

唯一わたしの元気の源である王子様も今日は見れない。

このままだと、もう一生王子様に会えなくなってしまう様な気がする。

そうなる前にちゃんと会っておかないと。

運命が、私達を切り裂く前に。

わたしは小走りで家へと急いだ。


将来の夢って何?

幼い頃から、聞き飽きるほど聞かれた問い。

わたしが幼稚園児や保育園の頃はケーキ屋さんやペット屋さんが人気で、人によっては保育士さんや看護師さんもいた気がする。

幼稚園を卒業して小学生、小学生を卒業して中学生、中学生を卒業して高校生。

あっという間に十年の時が過ぎた。

それでもわたしの夢が霞むことは無い。むしろ、時が経つごとに夢は膨らんでいった。

ふりふりのリボンに白いレースのついた淡いピンク色のワンピース。背中まで伸ばした長い髪をハーフアップにして、熱を灯したヘアアイロンでさらさらな髪をふんわりとカールさせる。

仕上げに黒いリボンを後ろ髪に留めて、レース状の真っ白な靴下を履いたら装飾が施されたヒールも厚底も無い平べったい靴を履く。

もちろんキルティングのバッグも忘れずに持ったら、玄関にある全身鏡で一回転して自分の容姿を確認する。

透き通るような白色の肌に綺麗に上がった長いまつ毛。茶色くて縁取られた瞳、薄いピンク色に染まった頬、少し彩度が低い淡いピンク色の唇。

つま先から頭まで今日も全てが完璧。

最後の仕上げに口角を上げて微笑みの表情を作ると、わたしは玄関のドアを開けた。

外に出ると私の大好きな薄ピンクの花びらが夜空を舞っている。

孤独なお姫様は、王子様の元へと歩き出した。


午前0時。

扉がギィと開く音がして、浅い眠りから覚めた。

まだぼんやりとした視界にピンク色の何かが映り込む。

「ほんと、寝顔まで美しいのですね」

状況を理解し、飛び起きると同時に口を塞がれる。

突き出されたナイフが窓から降り注ぐ月光に反射した。

「大きな声は出しちゃダメ。わかった?」

目の前にいる人はいつもと変わらない様子でニコニコと笑っている。

初めて見るピンク色のフリフリのドレス、真っ白な手袋、艶がありカールさせたハーフアップの髪型、そこには大きな黒いリボンが付いている。

「なんで…なんで夜桜さんが僕の家に」

「王子様が迎えに来るのが遅かったから、先に来ちゃったの。早かったかなぁ?」

意味がわからず戦慄していると、夜桜は淡いピンク色の唇を開いた。

「わたし、あなたの為ならどこへでも着いて行くわ」

ナイフを片手に真っ白な手袋をはめた手が僕の手を包んだ。

「たとえ、あなたがどんな罪を犯していようと」

数十秒間、この言葉を理解できなかった。

夜の静寂と冷たさがこの部屋を漂っている。真っ暗なこの部屋を照らす満月が彼女の背後へと昇っていた。

「なん、で…」

衝撃のあまり声が出ない。

なんでばれたんだ?

そこでようやく脳が衝撃に追いつく。

「おまえがストーカーだったのか?」

夜桜は頬っぺたをぷくーっと膨らませた。

「ストーカーなんてつもりじゃなかったんですよ。わたしはただ神宮寺先輩の事が好きで見ていただけです」

背筋に冷たいものが走り僕が手を離そうとすると、夜桜はぎゅっと手を掴んで言った。

「とはいえわたしは不法侵入事件とは無関係です。ですがストーカーの件もその犯人がやったと罪を被せられるなら神宮寺先輩のことも守れて一石二鳥かと。でも、考えている事は同じだったんですね。同時に不法侵入事件を過去に起こしていた神宮寺先輩も、ストーカーにその罪をなすりつけようとしていた」

手だけでなく歯の奥まで震えが止まらない。

それでも目の前の彼女は変わらずにぎゅっと手を握った。

「捜査をする時、わたしはまず被害者の共通点について調べたんです。共通点は大きく二つ、一つは神宮寺先輩と仲が良い、もう一つは親同士の仲が良い。ここを掘り下げて調べてみたんですが、被害者の親は全員神宮寺先輩のお父様と同じ有名企業で働いていたみたいですね。そして犯人が不法侵入してまで被害者から盗んだのは金でも物でもなかった。これはおそらくこれは情報でしょう。何かしら犯人にとって不都合な情報を被害者は所持していた。だからそれを削除する為に不法侵入したと考えられます」

「次に、どうやって犯人は被害者の家に忍び込んだか。これはわたしが今この部屋にいる理由と同じですね。被害者と親しかった犯人は、数日前もしくは当日被害者の家に遊びに行ったときに防犯カメラの位置を把握し、防犯の死角となる場所の窓の鍵を開けておけばいいんです。相手の家が大きければ大きいほど、全ての窓の鍵の開閉をチェックされる可能性は低くなります。そうやって不法侵入を繰り返し、なんらかのデータをパソコンやスマホから消していたんですね。もちろん自身でデータを消す事ができなくとも、パソコンを開いた時に表示されるアカウント名や機種からアカウントを特定する事でハッカーを雇ってアカウントのデータを削除してもらうこともできます。もしかして…お父様の為ですか?」

彼女は全てを見抜いていた。

「…うん。父さんが酒に酔って帰ってきた時、偶然聞いてしまったんだ。部下にパワハラなどのハラスメントで訴えられかけている事を。父さんはとても落ち込んでいる様子だったから、今度こそ役に立ちたかった僕は父さんの部下のパソコンやスマホを調べ尽くしたんだ。そして一つずつ証拠を削除していった」

それを聞くと夜桜は悲しそうに目を潤ませた。

「なんで…なんでそんなにお父様にこだわるのですか?認められたいというのなら、わたしがいくらでも褒めてあげだというのに」

「前にも言っただろ?母さんは出て行ってしまった。父さんも一度も僕のことを褒めてくれなかった。…それでも、父さんは僕にとって唯一の家族だったんだよ」

そう、本当に時々にしか帰ってこないけど、それでも大切な人であることには変わりなかった。でもその日常すらも崩壊しようとしている。なら、次は僕が崩壊を止めなければ。

そうやって無我夢中で計画を立てては実行するを繰り返した結果がこれだった。

如月…本当に、僕はなんてことをしてしまったんだ。

「では、今すぐ荷物をまとめましょう」

夜桜はようやくナイフを下ろすと一息ついた。

「は?何を言って…」

「あなたが如月先輩を殺してしまった事がバレるのも時間の問題でしょう?今ならまだ逃げられます」

「いや、僕は殺してない」

「ふぇ?」

「僕が家に忍び込んだ時には既に血を流して倒れていたんだ。怖くなって逃げ出してしまって…すぐに救急車を呼べば助かったかもしれないのに、僕が死なせてしまった様なものだ」

夜桜はそれを聞いてわなわなと震えた。

「如月先輩は確か神宮寺先輩のお父様の企業の後継候補です。そんな方が意図的に殺されるとなると相当大きな力が…」

空気が凍りつく様な気がした。

確か父のパワハラの証拠を消そうとした時、何やらメールが来て計画は二十日に決行するという趣旨のものが見えた。その時は気にもしなかったが、あれはもしや如月先輩の…あれ、もしやこれ知っているとバレたら殺されるやつじゃ——

ガチャリ、と玄関を開く音が聞こえた。

「嘘、だろ」

その時夜桜が驚きのあまりか手からナイフを落とした。

深夜の静寂に音が鳴り響く。

「っ何やってんだよ」

僕は慌てて夜桜の手を取ると無理やりベットの下の隙間へと潜り込んだ。

ギィ…と音を立てて扉が開く。

一人じゃない。何人かの人がぞろぞろと歩いている。

そのうちの一人が丁度僕たちの前で足を止めた。

思わず息すらも止める。

隣にいる夜桜が腕に縋り付いてくる。

いや、なにどさくさに紛れて腕握ってんだよ。

目の前にいるそいつがゆっくりとしゃがむ。

まじかまじか嘘だろ。

「おい、こっちはもう居ないみたいだ。それと物置き部屋の窓が開いている、逃げられた可能性があるぞ」

目の前の奴が立ち上がって別の部屋へ行くのがわかった。

助かった…。

夜桜と視線を合わせる。

夜桜はちょっと照れた様に視線を逸らした後、頷いた。

今しかない。

僕達は周りに人がいないのを確認すると真っ先に窓を開いた。

幸いここは一階だ。逃げ出せる。

夜桜はひょいっと身軽に窓を跨ぐと同時にすぐに窓を閉じた。

窓の鍵が開いているのがバレるのも時間の問題だ。このままうろうろしているのもまずい。スマホも取りに行けないし、とりあえず交番に行かなければ。

僕は夜桜の手を掴んで走り出した。

夜桜は驚いて目をパチパチしていたが、慌てて全力で走り出した様だ。

「なんだかシンデレラみたいですね」

「うっさいな。落とす靴もねぇよ」

「ふぅん。神宮寺先輩って裏表あるタイプのキャラだったんですか。完全に王子様タイプの人かと思ってました。」

余計な無駄口叩きやがって、今はそんな場合じゃないというのに。

裸足で家を飛び出してきたもんだから走るたびに足の裏が痛む。

後もう一つ角を曲がれば大きな通りに出る。そこに出れば交番はすぐそこだ。

その時、背後から猛スピードで車が走ってくるのが見えた。

「危ない!!」

慌てて道路沿いに夜桜を連れて退避する。

「痛いっ…」

夜桜は足を捻らせてしまった様だった。

車は僕達の前で急ブレーキをかますと、扉を開けてぞろぞろ出てくる。

どうしよう、逃げる時間がない。

「神宮寺先輩。行ってください」

夜桜が真っ直ぐにこちらを見た。

ここにとどまっても助けは来ない。

でも夜桜をこのまま見捨てるのか?

如月の時の様に逃げてしまっては取り返しがつかない事態になる可能性だってある

僕は夜桜からナイフを奪い取ると、それを人に当たらない様に車へ投げた。

一瞬敵の視線がナイフに集まる。

その間に夜桜を抱え、住宅街の狭い通路に逃げ込む。

土地勘ならずっとここに住んできた僕の方が有利だ。大通りを通らなくても、ここの住宅街の合間を通り抜けて相手を撒きつつ裏から交番に行く道だってあるはずだ。

「きゃああ!お姫様抱っこですか!?」

「お願いだから黙ってくれ」

ぞろぞろと背後から追いかけられてくる気配がする。

だがこの入り組んだ住宅街の中では完全に相手の後を追うのは難しい。

ゴールはすぐそこ。

もう足の裏の感覚は麻痺している。

なんとか交番に入り込むと共に膝から崩れ落ちた。

「わぁっ!神宮寺先輩!?大丈夫ですかー」

夜桜が捻ってない方の片足でぴょんぴょんと歩き警察官に助けを求めに行く。

深夜0時半過ぎ。

僕の意識は眠気と疲れでついに限界を迎えた。


まだ治りかけの片足を引きずりつつ、お弁当を持っていつもの部室へ向かう。

(この時間帯に来るのは初めてだな)

ガラリと写真部の部室を開けると、そこには待ち合わせ通り氷室さんがいた。

「氷室さんっ!珍しいね。氷室さんがお昼誘ってくれるなんて」

ちょっといい気分で部室の机をくっつけて氷室さんの正面に座る。

「あんたもどうせ一人でしょ?だから都合が良かったの。それにあんたから山ほど聞きたい事はあるしね」

言葉が鋭いな…でも、わたしも誰かにこの事を話したい気分ではあった。

あの怖い人達に追いかけ回されて交番に逃げ込んでから数日。

如月先輩を殺した挙句わたしと神宮寺先輩を追いかけ回した犯人は捕まった。犯人はやはり次期社長候補者の如月先輩を狙っていて、今まで数十年も働いてきたのにも関わらず社長の座を取られそうになった事で犯行に及んだそうだ。

それとは別に神宮寺先輩も不法侵入の件で自首したらしい。神宮寺先輩がお父様に本当の事を伝えたのかは知らないが、もうわたしには関係のない事だ。

あの夜、素の神宮寺先輩はつべこべ言いながらもわたしを守ってくれた。

それでも彼はわたしの王子様ではなかったみたい。

でもいつか牢屋から出てきた時に、またお話しがしたいなぁ。今度は初めからお互い何も隠さずに。

「やっぱりあの神宮寺は裏があったんだね。そんな気はしてた」

氷室さんが冷めた様子で言った。

「うーん、確かに裏はあったけど悪い人じゃないよ」

ていうか罪を犯したとはいえ先輩まで呼び捨てにする氷室ちゃんにもわたしはびっくりだよ。

「で、なんであんたが神宮寺先輩と殺人犯に追われることになった訳?」

窓の外のソメイヨシノはもう散って青々とした葉が揺れていた。

カーテンの隙間から暖かい風が入ってくる。

桜の季節はもう終わりかな。

四季の移り変わりを感じ取りながらわたしは口を開いた。

「話すと長いんだけどね…」

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この恋と謎、どっちが先に壊れる? 黒石くじら @kurokugira

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