シティーソルバーナツキ
zeta exp
第1話 ナツキに出逢った日
◇プロローグ
暗く湿った地下回廊を、革靴の音が慌ただしく響いていた。
息を切らしながら走るのは、一人のOL。
ベージュのロングヘアーは乱れ、肩に貼り付く。
彼女は会社帰りに襲われ、この得体の知れない迷宮に引きずり込まれたのだ。
「はぁっ……はぁっ……どこなのでしょう、ここは……!」
石壁は苔と湿気に覆われ、先は闇に飲まれている。
逃げ場を探しても、曲がり角を曲がるたびに似たような通路ばかり。
まるで出口を拒むように、迷宮は彼女を翻弄していた。
背後でぬるりとした音が響く。
ぞわりと背筋が粟立つ。
振り向けば、赤黒い触手が床を這い、壁を這い、じわじわと間合いを詰めてくる。
「いや……いやです……!」
必死に駆け出す。
だが高いヒールが石段に引っかかり、バランスを崩した。
転倒した瞬間、ぬちゅりとした感触が足首を絡め取る。
「助けて……お願いです、放してください……!」
触手は獲物を逃がさぬよう、ずるずると彼女の体を引きずった。
背中から冷たい石床に叩きつけられ、両腕は瞬く間に巻き付かれる。
粘液が服の上から染み込み、シャツが透けて肌に貼りついた。
赤黒い触手はまるで意志を持つかのように、彼女の身体をなぞる。
頬、首筋、胸元、太腿。吸盤が脈打つように吸い付き、体温や鼓動を確かめるように震えていた。
「どうか……どうかやめてください……っ」
叫びは虚しく、触手の群れは容赦なく拘束を強める。
ぬるぬると這い回りながら、敏感な場所を調べるように探り、彼女の反応を丹念に確かめていた。
「やめてください……お願いです……!」
粘液が広がり、彼女の吐息が荒くなる。
「んっ…い、…いやぁぁぁぁあああ!」
――誰も知らない地下。
こうして今日も、新たな実験が積み重ねられていた。
異胎機関の影は確実に街の下で育ち、次の「器」を探していた。
◇◇◇
朝の街は、まだ夜の涼しさをわずかに残していた。
ビルの谷間を抜ける風がカフェの看板を揺らし、人々は出勤や登校の支度に追われている。
俺は民間防衛隊――**Re:GUARDS(リ・ガーズ)**の車の運転席に座り、無線機の調整をしていた。正式な隊員ではなく、臨時の支援要員。
銃こそ扱えるが直接戦闘は不得手で、地図や避難ルートの更新、情報伝達が俺の役割だ。
出発前に上司から言われた言葉が頭に残っている。
――「お前には、新たに街の
――「行うのは移動と情報の支援だ。いいか、彼女が危ない目に遭っても決して助けるな」
そのとき俺は首を傾げた。なぜ助けるなと念を押すのか。
聞かされたのは、魔獣と互角に戦えるほど強靭な女のサポート役、という話だけ。
だから勝手に、筋骨隆々の戦士を想像していた。
のだが、
「やっ、おはおはよー!」
独特な明るい挨拶に振り向くと、そこにいたのは拍子抜けするほど華奢な女性だった。黒いジャケットを肩にかけ、茶色のショートヘアを朝日に光らせている。年は俺と同じ二十歳。白いタンクトップに短いデニムスカートという出で立ちで、ブラジャーの青い紐と腰骨にかかった青い紐がちらりと顔を覗かせている。
彼女は笑顔で手を振り、そのまま助手席に飛び乗った。
「君が新しい人? サポートって聞いたけど」
「……ああ。後方支援の担当だ」
「うん、知ってる! リ・ガーズの人だよね」
「ああ、そうだ」
「よかった。じゃ、サポートよろしくね!」
無邪気に笑うその瞳の奥に、一瞬だけ鋭さが見えた気がした。
ただの女の子に見えるのに、その底に何か戦い続けてきた影が潜んでいる。
「早速、事件現場に向かうが……いいか?」
「うん、大丈夫大丈夫。さっさと終わらせちゃお」
黒いジャケットの袖を軽く払って、ナツキは窓の外へ視線を流す。
その横顔には、年齢に似合わぬ落ち着きと、戦う者の覚悟が滲んでいた。
俺は深く息を吐き、ハンドルを握り直す。
エンジンの唸りが街の喧騒に重なり、車は朝の大通りへと滑り出していった。
◇◇◇
市街地の外れへ向かう車内。
街の中心を抜けると、人通りは次第に減り、古い倉庫や港のクレーンが見えてくる。
車が大通りへ滑り出たとき、無線が短く鳴った。
「こちら管制。A5区倉庫地帯で“残滓”を確認。至急、対応にあたれ」
「了解」
俺は短く返事をして通信を切る。ハンドルを握る手に力がこもった。
「ねえ」
窓の外を眺めていたナツキが、不意に口を開いた。
「さっき無線で“残滓”って言ってたよね。あれって、普通の魔獣と何が違うの?」
俺はハンドルを握り直しながら答える。
「魔獣は、異胎機関が造って放った実験体だ。本来は核を持っていて、そこを破壊しない限り再生する。
だが残滓は、核を失った個体だ。魔獣に比べると弱いが、本能のまま動くから厄介なんだ」
「ふんふん、つまり、ちょっとしたゴミ片でも油断すると危ないってことか」
「そういうことだ」
ナツキは苦笑しながらシートに体を預けた。
「異胎機関って迷惑だよね。毎日毎日面倒ごとばかり」
「ああ、いずれは本体を叩かないと、この闘いは終わらない」
「そうなんだよね……。ま、いいや。あたしが全部倒せばいいってことなんだから」
「……そういうことだな」
その単純な答えに、思わず苦笑が漏れる。
やがてモニターが赤く点滅した。
「反応あり。倉庫街に残滓が出てる」
「OKOK。準備運動にちょうどいいね」
ナツキは黒いジャケットの袖をまくり、拳を握る。
その瞳に、戦う者の光が宿った。
◇◇◇
車を降りると、潮の匂いが鼻を突いた。
古い倉庫の並ぶ一角は、人気がなく不気味なほど静まり返っている。
「……いるな」
俺がモニターを確認するより早く、ナツキは足を止め、わずかな空気の変化を感じ取っていた。
次の瞬間、建物の影からぬるりとした黒い塊が這い出してきた。
人型を模した泥のような魔獣――残滓だ。呻き声を上げながら、こちらへ迫ってくる。
「お相手、よろしくって感じかな」
ナツキの口角が上がる。
つま先で地面を蹴った瞬間、彼女の姿がふっと霞んだ。
目にも止まらぬ速さで懐に潜り込み、拳を突き出す。
――ドンッ!
鈍い音とともに残滓の上半身が吹き飛び、黒い泥が壁に叩きつけられる。
立て直す間も与えず、ナツキは回し蹴りを叩き込んだ。残滓は悲鳴のような音を漏らし、崩れ落ちる。
二体、三体と目にも止まらぬ速さで残滓を倒していくナツキ。
俺がサポートに入る間もなく、残滓の群れを次々と倒していく。
「ふぅ……やっぱり残滓は手応えないね」
軽口を叩く余裕すらある。
だがその直後、倉庫の天井が崩れ、砂埃が舞い上がった。
白い煙が視界を覆い、俺は思わず顔を覆う。
「っ……!」
横目で見たナツキの動きが、一瞬だけ鈍った。
目に砂が入ったのか、拳の軌道が逸れる。
すぐに立て直し、残りの残滓を蹴り飛ばしたが――その刹那の“間”が妙に引っかかった。
「……大丈夫か?」
俺が声をかけると、ナツキは振り返り、軽く肩をすくめた。
「平気平気。ちょっと砂が目に入っただけ」
笑って見せる表情に無理はない。
けれど戦闘中に動きが止まった事実は、心の隅に残った。
――違和感。
このときはまだ、その正体を掴むことはできなかった。
◇◇◇
残滓の掃討を終え、俺たちはリ・ガーズの車に戻った。
倉庫街の奥から避難してきた住民を数人まとめ、最寄りの避難所まで運ぶ任務も追加で受けていた。その中に、小学生くらいの兄妹がふたり、後部座席に座っている。まだ緊張した面持ちだ。
エンジンをかけると同時に無線が鳴り、管制からの声が響く。
「こちら管制。残滓の反応消失を確認。二名は帰還ルートを取れ」
「了解」
短く返して通信を切る。
助手席のナツキは、黒いジャケットを着たままシートに腰を沈め、息を吐いた。
「ふぅー。朝から動くと、お腹減るんだよね」
「……戦ったばかりで、疲れたんじゃないのか?」
「いやいや、むしろ身体が目覚めてきたって感じ!」
そう言って彼女はジャケットからチョコバーを取り出し、ぱきっと噛みついた。
「糖分補給、大事だからさ。甘いのは正義!」
「さっきまで闘ってた台詞とは思えないな……」
「いいでしょ?今は闘いが終わったんだからさ」
無邪気に笑う姿は、さっきまで残滓を粉砕していた戦士の姿とはかけ離れている。
そのギャップに俺は思わず言葉を失った。
信号で停車したとき、後部座席から小さな声がした。
「……助けてくれて、ありがとう」
おずおずと口にする声に、ナツキは振り返って柔らかく笑った。
「ううん、お礼なんていらないよ。守るのは当然だから」
そう言って、彼女は子供の頭をそっと撫でる。
「でもね、偉いのは君のほうだよ。怖かったのに泣かずに頑張ったでしょ?」
「……ほんと?」
「ほんとほんと!」
子供は照れたように笑い、ナツキも同じように笑みを浮かべた。
そのやりとりに、車内の空気が少しだけ明るくなった。
任務に出る前、上司は言った。
――「彼女が危なくなっても助けるな」
今目の前にいるのは、子供に優しく、チョコを頬張る二十歳の女の子。
どうしてそんな彼女に“助けるな”と命じられたのか――その理由が、ますます分からなくなっていった。
◇◇◇
車は倉庫街を抜け、大通りへと滑り出た。
子供たちは疲れたのか、互いに寄り添って目を閉じ始めていた。
その静けさの中、不意にナツキが窓の外をじっと見つめる。
「……やっぱり、この街、空気が変わったよね」
「変わった?」
俺が問い返すと、ナツキは顎に指を当て、思案するように呟いた。
「魔獣が出るようになって、街の空気がさ」
「……異胎機関か」
「そう」
たしかに、魔獣が出るようになり、街には不穏な空気が漂うようになった。
メディア統制が敷かれていることで住民のパニックはないが、人が実際にいなくなっているということは免れようのない事実だ。
ナツキの目が鋭く細められる。さっきまで子供を撫でていた柔らかな表情は消え、戦士の顔に戻っていた。
「でもさ」
そこで彼女はチョコの包み紙をくしゃりと丸めて、無理に明るい声を出す。
「敵が何を企んでても、やることは一緒。あたしは戦って守るだけ!」
笑みを浮かべながらも、俺には少し分かった。
彼女の瞳の奥には、決して消えない影が宿っていることを。
そのとき、無線が再び鳴った。
「こちら管制。新たな反応を確認。魔獣の模様、注意されたし。場所はB1区倉庫地帯──お前たちのすぐ近くだ」
◇◇◇
管制からの指令を受けた瞬間、胸の奥に嫌な汗がにじんだ。
車内に再び緊張が走る。
さっきまでの残滓と違い、今度はれっきとした化け物だ。
後部座席で眠る子供たちの顔を見れば、軽々しく車を戦場に突っ込ませるわけにはいかない。
「どうする?」
俺が問うと、ナツキはシートベルトを外して身を乗り出す。
「決まってるでしょ。あたしが行く」
「待て、子供たちが──」
「だから、君が避難所まで護送して。あたしは魔獣をやっつける」
あまりに即断。迷いのない瞳に、俺は言葉を失った。
「ひとりで行く気か?」
「うん。大丈夫、こう見えてタフなんだから」
ナツキがにっと笑う。
「子供たちは連れて行けないでしょ。だから、頼んだよ」
信号が青に変わる。車を進めながら、俺は息を整えた。
「……分かった。俺が避難所へ行く。だが、何かあったら連絡してくれ」
ナツキは拳を軽く突き合わせてきた。
「約束約束。メチャメチャ早く終わらせるから」
車を路肩に停め、彼女はドアを開く。
風に黒いジャケットがはためき、戦場へ駆け出す背中が一瞬だけ見えた。
残された車内に静けさが戻る。
だが、俺の心臓は鼓動を早めていた。
上司の言葉が、再び重くのしかかる。
――「彼女が危なくなっても助けるな」
(……あれだけ真っすぐな奴を、見捨てられるわけがないだろ……)
俺はハンドルを強く握りしめた。
◇◇◇
ナツキは急いで現場へと急行した。
倉庫街の広場に足を踏み入れた瞬間、空気が一変したような気がした。
赤黒い影がざわめき、鉄を擦るような軋みが響く。群れは数十体、地面を揺らしながらこちらへ殺到してくる。
そして、その奥には周囲とは明らかに違う異形の化け物、魔獣が鎮座していた。
「……数、多すぎ。でも、やるしかないか!」
拳を握り、息を吐く。次の瞬間には身体が走っていた。
足を軸にして跳び蹴り、眼前の一体を壁へ叩きつける。振り返りざまに拳を突き出し、甲殻を粉砕。膝、肘、掌底──連撃が途切れず繋がり、七、八体が次々と崩れ落ちていった。
息はまだ乱れていない。むしろ心臓が熱く、血が全身を駆け抜けていく。
(……やっぱ凄いね、あたしの体)
超人めいた反射と力。勝利を刻むたびに、同時に心の奥にざらついた感触が残る。
優勢に見えたが、
その刹那、敵が一斉に足を止めた。
次の瞬間、視界を焼くような閃光が炸裂する。
「っ……! だめ、見えない……!」
とっさに瞼を閉じるが間に合わなかった。
目くらましにあい、その場から動けなくなる。
瞼を閉じると、脳裏にあの記憶が蘇る。拘束具、黒布、目隠し。
息が苦しく、全身が硬直する。動きたいのに、脚が、腕が応えない。
余裕ぶっていた魔獣は、残滓を蹴散らしながらゆっくりナツキに近づくと背中から触手を伸ばす。
背後から触手が伸び、両腕を引き裂くように絡みつく。腰まで締め上げられ、膝が地面に叩きつけられる。
「いや……やめ、やめろ……!」
叫んでも拳は震えるばかりで振るえない。
赤黒い触手が肌を這い、粘つく音が耳にまとわりつく。
触手に締め上げられ、胸郭が押し潰される。息を吸うたび、肋骨がきしむように痛い。
喉が乾いているのに、耳に残るのは自分の荒い呼吸と、ぬらぬらと蠢く音だけだった。
「っ……うぁっ…やだやだ…!」
脳裏に浮かぶのは研究所の記憶。
無機質な灯り、目隠し、拘束、注入──何度も繰り返された悪夢。
「……また、同じ……? 」
羞恥と恐怖が胸を締めつけ、意識が白く霞む。
視界を奪われたまま、体の中だけが異様に鮮明に支配されていく。
「やめろ……! こんなの……っ」
四肢を締め上げる触手はますます強く、皮膚に食い込んで痺れるほどだった。
身体は熱く、しかし腹の中だけが異様に冷えていく。その温度差に意識が狂いそうになる。
視界を奪われたまま、耳だけが敏感になり、ぬちゅ、ずるりと蠢く粘音が脳に突き刺さる。
──自分は“器”にされる。
その恐怖が全身を覆い尽くし、思考が闇に沈んでいく。
「……もう、だめ……」
その刹那。
空気を裂くような轟音が広場を揺らした。
鼓膜を打つ乾いた破裂音。
一体何──?
白濁した靄が一気に周囲を覆い、絡みついていた触手が怯んだように離れる。
支配されていた重みが抜け落ち、肺にようやく空気が流れ込む。
「……え……?」
力の入らない手を、不意に誰かが掴んだ。
引き上げる強い力。その声は、無線越しではなくすぐ耳元で。
「立て、ナツキ!」
思考が追いつかないまま、身体が引き寄せられる。
視界のない闇を抜け、次に感じたのは──ドアの閉まる音とシートに沈む感触だった。
◇◇◇
ナツキと別行動から5分後の出来事──。
無線の向こうでナツキの声が途切れた瞬間、嫌な予感が背筋を駆け抜けた。
倉庫街に差しかかると、夕闇の中で群れに取り囲まれる彼女の姿が見えた。
赤黒い魔獣の触手が四肢を縛り上げ、苦しげに身をよじるナツキ。
俺は歯を噛みしめた。
――「彼女が危なくなっても助けるな」
上司の言葉が頭をよぎる。
……
………
「……くそっ!……命令なんて知るか!」
視界に映るその光景を見てなお、黙っていられるはずがなかった。
車に搭載していた煙幕弾を引き抜き、地面に投げ込む。
爆ぜるような破裂音が広場を覆い、白煙が瞬く間に立ち込める。
蠢いていた触手が一斉にたじろぎ、ナツキの身体から力が緩んだ。
「ナツキ!」
駆け寄り、その腕を掴む。細いのに、火照って震えている。
引き寄せると、彼女の身体は驚くほど軽かった。
抵抗はなく、かすかな息遣いと熱が俺の胸に押し当てられる。
車のドアを乱暴に開け、彼女を押し込む。
彼女の方を見やると、涙に滲んだ瞳が俺を映した。
「なんで……助けに……」
「助けないわけないだろ!」
言葉が自然に口を突いて出た。
彼女の唇が震え、微かに笑う。
「……変なの」
頬を濡らす涙が落ち、シートに染みていく。
その姿に胸が締めつけられた。
リ・ガーズは今までああなった彼女を助けなかったのか?
「見たでしょ……あたし、目をやられると抵抗できない。機関に……あいつらに、そうされたから」
苦悶の吐露。俺は言葉を失った。
ハンドルを握る手に力がこもる。
「そんな大事なこと、なんで言わなかったんだ」
「……ずっと一人で闘ってきたから」
「……わかった。じゃあ、次からは言ってくれ」
俺は彼女の目を真っすぐ見た。
「でないと、助けられるものも助けられない」
彼女の目に少し光が戻った気がした。
「……うん」
ナツキは体を起こすと、ドアに手をかける。
「ありがと。あたし、闘うよ」
涙に濡れた横顔が、妙に強く見えた。
俺は息を吐き、静かに頷いた。
「勝算はあるんだな?」
「うん、魔獣の核を叩けば、奴は倒せる」
「わかった」
「…なら、俺はお前をサポートする」
◇◇◇
「これを使おう」
俺は後部座席にあった軽量バイクを取り出した。
「これで間合いを一気に詰める。あとは任せた」
「うん、わかった」
俺とナツキは軽く拳を突き合わせる。
バイクのエンジンを唸らせ、再び倉庫街へ飛び出す。
ナツキは後ろに跨がり、腰にしがみついていた。
さっきまで涙を浮かべていた瞳に、もう迷いはない。
「位置、確認。大型魔獣、倉庫中央!」
「了解!」
スモークを焚き、再度目くらましをかける。位置はレーダー頼り。闘えなくても"運転"には自信があった。
全身を覆う甲殻の隙間から、赤黒い脈動が覗いている。視界を遮られた触手が暴れまわっている。
俺はハンドルを切り、路地を大きく回り込む。
「核の位置は胸部、中心だ!」
「任せて!」
触手が唸りを上げて迫る。一本はバイクの前輪を狙い、一本は俺たちを直接薙ぎ払おうと伸びる。
「伏せろ!」
俺が叫ぶと同時にナツキが身を沈め、触手が頭上を掠めていった。
間合いが詰まる。
ナツキが背後で拳を構え、俺はアクセルを全開にした。
「今だ、撃て!」
「――インパクト・コア・ストライク!」
ナツキの拳から伸びた青白い閃光の槍が、魔獣の核に向けて鋭く伸びていく。
ズザッッッ!!!!
閃光は甲殻を突き破り、赤黒い胸部を正確に貫いた。
刹那、核が砕ける鈍い音が響く。
ピシッ ズズズズゴォォォォォッッ!!!
赤黒い巨体がびくりと痙攣し、内部から赤い光が漏れたかと思うと──轟音と共に爆ぜた。
衝撃波が倉庫を吹き抜け、触手が四散して地面に崩れ落ちる。
残ったのは焦げた臭いと、夕暮れの静けさだけだった。
俺はバイクを急停車させ、深く息を吐いた。
ナツキが背中から腕をほどき、肩で荒い呼吸をしている。
それでも、口元には確かな笑みがあった。
「……ほら、言ったでしょ。核を叩けば倒せるって」
俺も苦笑しながら頷いた。
「確かに、見事だった」
◇◇◇
戦いが終わり、再び車に戻った。
広場を離れ、夕暮れの街を静かに走る。
窓の外に流れる景色を眺めながら、誰も口を開かなかった。
やがて目的地近くの路肩に停め、俺はハンドルから手を離す。
「……ここまでだな」
ナツキが不思議そうにこちらを見やる。
「どういう意味?」
息を吐き、正直に口にした。
「命令を無視した。もうリ・ガーズにはいられないだろう」
一瞬だけ沈黙。ナツキは目を伏せ、考えるように唇を噛んだ。
それからふっと顔を上げる。
「じゃあさ──一緒にシティーソルバー、やる?」
唐突すぎる提案に、思わず目を瞬いた。
けれど、その瞳には疑いではなく、確かな信頼が宿っていた。
「街の解決人、シティーソルバーか……」
シティーソルバー、街を救い続ける損な役回り。ずっとそう思っていた。
「………」
ナツキはわずかに笑みを見せ、それから真剣な眼差しをこちらに向けた。
「リ・ガーズからはさ、私を助けるなって言われてたんでしょ?」
「……ああ、なんで知ってる」
「なんでも何も。そういう契約だから。なんで助けたの?」
答えは一つしかなかった。
「それは……見過ごせるわけないだろ」
ナツキの瞳が一瞬揺れて、照れ隠しのように目を逸らす。
「へー、そうなんだ……」
小さな声で呟き、肩をすくめる。
(……嬉しかったかも)
ナツキがボソッとつぶやいた。
「なんだ?」
「ううん、なんでもない。リ・ガーズにも君みたいな人がいるんだなって」
そう言ってドアを開け、降りようとする。
「じゃあ、また会うことがあったらよろしくね」
俺は笑みを漏らした。
「水臭いな」
「ん?」
「これからも街を救うんだろ?」
「……うん!!」
夕暮れの中、二人は目を見つめ合い、同時に軽く笑った。
──街の片隅。
朽ちたビルの屋上に立つ影が、その様子を静かに見下ろしていた。
異胎機関の男が片手の端末を操作し、無線に低く告げる。
「……なるほど。命令を破ってでも“器”を救ったか」
画面に映し出されたのは、戦闘の一部始終。
ナツキが目くらましをされ、力を奪われ、なお立ち上がる姿。
それを男が助け、共に魔獣を討ち果たす姿。
「これは、器の今後が楽しみだ……」
笑みを浮かべた男の背後に、赤黒い培養槽が並んでいる。
中では無数の魔獣の幼体が、脈動するように蠢いていた。
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