第10話「知らない視線」

 ――翌日。


 幸一は、街の雑居ビルの一角にある小さな電気店に入った。

 工具や防犯カメラを扱っているが、奥には「個人向けセキュリティ用品」と書かれた棚があった。

 そこに並んでいるのは、手のひらサイズの小型カメラやペン型カメラ、球型の盗聴器。

(通販だと住所が残るからな……ここなら現金で済む)


 無表情を装いながら、カメラと盗聴器をいくつか手に取る。

 心臓は速く打っているが、顔は淡々としている。

 周囲から見れば、ただの客にしか見えない。

 会計を済ませ、袋を手にした瞬間――幸一の胸に熱いものが走った。


(これで……裕美さんの“本当”が、全部俺のものになる)


 アパートに戻ると、机の上に戦利品を並べる。

 小さなカメラのレンズが、自分を覗き込んでいるように見えた。

「さて、あとは少し改造して家にあってもバレにくいようにしないとね……」

 その視線に、幸一は静かに微笑んだ。


(もう少しだけ待ってて。すぐに“迎えに行く”から)



 休みだった幸一は、住宅街の角からじっと野田家を観察していた。

 午後3時頃、裕美が下の子を連れて帰宅するのを確認する。

 数十分後、彼女は再び子どもを連れて外出した。手には買い物バッグ。どうやら近所のスーパーへ行ったらしい。

 上の子はすでに友人宅へ遊びに出かけている。夕方までは戻らないだろう。

 夫も帰宅は遅い。


 ――つまり、今この家は無人だった。

「……絶好のチャンスだ」


 幸一は合鍵を取り出し、深呼吸をひとつしてから玄関へ。

 カチャリ、と小さな音を立てて扉が開く。


 中はしんと静まり返り、生活感のある空気だけが残っていた。

 彼は足音を殺して廊下を進み、リビングへと足を踏み入れる。

 整えられたソファ、ダイニングテーブル。

 普段そこに座る家族の姿が、頭にありありと浮かんでしまう。


(……今、この空間にいるのは俺だけだ)

 胸の奥にぞくりとした高揚感が広がる。


 次に洗面所へ移動。洗濯機の横に置かれた脱衣カゴには、ネットに入った洗濯物が残されていた。

 シャツやタオルの中に、女性用の衣類が混じっている。

「いや……この間の下着がまだある。それに……これからはいつでも手に入れられる」

 そして彼は不気味な笑みを浮かべた。


 そして、彼は今日の目的を果たすことに……。

 バッグから取り出した小型カメラを、リビングテーブルの裏側、寝室の机の小箱の隙間、脱衣所の鏡の上、さらには玄関の靴箱の隙間へと設置していく。

 盗聴器は電話台の下、棚の奥、コンセントの中へ。


(これで……彼女の一日を、全部“知る”ことができる)

 高揚と恐怖がないまぜになり、喉が渇く。

 だが、作業は淡々と進められた。


 全ての設置を終えると、彼は室内を一瞥し、深く頷いた。

「準備は完了だ。後は……帰ってくるのを待つだけ」

 そう心で呟き、小躍りするような気持ちで玄関を出た。

 夕暮れの風が頬を撫でる。

 幸一には、それさえ祝福の合図のように思えた。



 夕暮れ。

 買い物袋を抱えて家に戻った裕美は、子どもをリビングに座らせ、急いで夕食の支度を始めた。


 ふと――視線がテーブルの下に吸い寄せられる。

「……ん?」

 一瞬、何かがきらりと光った気がした。

 だが、しゃがんで確かめても、特におかしなところはない。


 気のせいか、と首を傾げて立ち上がる。

 けれど、胸の奥にかすかな違和感だけが残った。


 次に寝室。

 洗濯物を片づけようとタンスを開ける。

「あれ……?」

 無くなっているものこそなかったが、衣類の並びが少し崩れているように見えた。

 朝、自分で畳んで入れたときよりも乱れている気がする。


(子どもが触ったのかしら……)

 そう思い直し、改めてきちんと揃え直す。

 けれど、その瞬間も――背筋をなにか細い冷気が撫でた。


「……気のせいよ」

 小さく自分に言い聞かせ、寝室を後にした。



 夜。

 子どもたちを寝かしつけてから、ソファに腰掛ける。

 窓の外の闇を見ていると、わずかにカーテンの隙間が気になった。

 昼間、自分で閉めたはずなのに、数センチほど開いている。


 そっと近づき、カーテンを閉めながら――

(……なんだろう、この落ち着かない感じ)

 胸のざわめきは消えなかった。

 けれど夫に言えば「疲れてるんだろう」と片付けられてしまうのは目に見えている。


 裕美は、ため息をつきながら台所に立った。

 包丁を手にしても、なぜか握る手に少しだけ力が入る。

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