第14話 美優という女


 カウンタで飲んでいた俺達を見つけた古市さんは声を掛けて来た。


「いらっしゃいませ。隣に座っていいですか」

 霧船が

「古市さん?」


 彼女は小声で

「ここではって言うんです」

「美優さん。仕事変えたんですか?」

「いいえ。会社はあの時のままです。あまりそういう話をここでは…」

「済みませんでした」


 彼女はカウンタの中に入ると俺達の前に来た。いつも霧船と二人で飲んでいる俺達に取ってはちょっとした驚きだ。


 霧船が

「あの、相手するってチャージとか取るの?」

「あははっ、カウンタでは取らないです。向こうのフロアのシート席に行った時は取りますけど。それに他のお客様から声が掛かったら離れるし気にしなくていいですよ」


 前に立って分かった事だが、美優さんは真っ赤なドレスを着て胸元が大きく開いて胸の谷間がしっかりと見えている。


 やはりこういう所からだろう。しかし美優さんの胸は結構しっかりとしている。やはり洋服の上からでは分からないものだな。


「お二人は良く来るんですか?」

「まあ、渋谷で飲んだ時はね」

 答えるのはほとんど霧船だ。俺は流石に女性とは話したくない。


「いつも二人なんですか?」

「そうだけど?何か?」

「いえ、そういえば随分前に合コンした後、何か変化有りました。私は誰からも誘いが無かったから寂しかったんですよ。


 あの後、小泉さんとか後藤さんに誘われて合コンに行ったんだけど、いつもお二人と比べてしまうと中々誘いに乗れなくて」


「俺じゃなくて剣崎だろう」

「そんな事無いですけど」

 明らかに剣崎だと言っている。しかし、剣崎は中西さんのダメージが回復したばかりだここは


「いやあ、俺達二人共誰からも声を掛けられなかったからフリーのままだよ、なあ剣崎」

「ああ、残念ながらね」

 霧船が気を使ってくれているのが良く分かる。


「えーっ、じゃあ、何年も遅れたけど、今から私、剣崎さんと話してみたいな」


 その時、シート席の方から戻って来た男の従業員が

「美優ちゃん、五番テーブルお願いします」

「はーい」


「剣崎、ここに来るの当面控えるか?」

「ああ、その方がいいみたいだな」


 美優さんが俺達の傍を離れた後、グラスに入っていたウィスキーだけ飲み干すとそのスナックを出た。


 俺は駅で霧船と別れて渋谷駅から電車に乗ろうとしたところで会社のスマホが震えた。


 今頃、誰からだと思って画面を見ると名前が出ていない。会社関係者は電話帳リストに登録されているから名前が出るはずだ。


 でもいたずら電話にしては非通知ではない。もしお客様だったらと思って出てみると

『美優です』


 えっ?なんで…そうか。役職は上がっても会社支給のスマホは変わらない。古市さんは俺の昔の名刺から掛けたんだ。


『剣崎です』

『剣崎さん、酷いですよ。まだ話したいと思って他のお客様のお話を短くしてカウンタに戻ったらいないんですもの』

『いや、もう遅いし明日も仕事だから』

『えっ、土曜日も出るんですか?』

 しまった。今日は金曜日だった。


『え、ええ。忙しくて』

『じゃあ、日曜日は?少しの時間でも良いんです。私剣崎さんと話をしたいんです』

『あの、日曜日は用事が…』

 嘘だけど。


『そうかぁ。仕方ないなぁ。また必ず来て下さいね。私が居るのは水木金ですから』

『はい』


 それだけ言うと切れた。参ったなぁ。当分女性はいいよ。



 次の月曜日の昼休みに霧船にその事を言うと

「いつも剣崎ばかりだな。こんないい方は悪いけど、焼き餅焼きたくなるよ」

「どう言われても当分女性はいいよ。ただでさえ、香坂さんが居るというのに」

「全くだな。ところで彼女の動きは?」

「今の所、何にもない。仕事は遅いが慣れて来たようだし」

「そういえば、議事録係からお前のセクレタリになったんだよな?」

「俺のセクレタリと言っても一課のセクレタリだよ。俺だけの仕事なんて限られている」


 実際、香坂さんは、俺のスケジュール管理と上級職からのメール以外で事務的な物の返答位なものだ。それ以外は一課の仕事をしている。


 議事録は、彼女から他の人に移った。実際は取り上げられたと言って良いだろう。今の本部長会議の議事録係は彼女より遥かに早くて正確だ。


 香坂さんから市場調査部の頃の話を聞く機会が有ったけど、部内の雑用とりまとめ位が主な仕事の様だった。


 事務職で入社して一、二年なんてそんなものだ。香坂常務の縁故っていうのは嘘じゃ無い様だな。


 

 俺が考案して提案したFMRI検査機器の画像診断を最初AIにさせた後、潜在的な病気とその病変を医師に提案する企画が本部長会議で通って実際に開発に着手する事になった。


 ソフトウエア系は霧船が居る二企品管だから話が早いが、FMRI検査機器の改良は別の組織で行う。


 こういう時縦割りの組織は融通が利かない。一から説明し直さなければいけない。

 幾ら本部長会議の承認を経たとはいえ、餅屋は餅屋だとばかりに色々突っ込んでくる。だからその都度丁寧に相手が納得するまで説明しなければならなかった。


 それが昨日やっと終わった。一企品管の本部長から

「剣崎君、FMRI検査機器の改良説明、ご苦労様。大変だったようだな?」

「いえ、担当者一人一人の責任感が良く現れていましたから、俺も必死でした」

「そうか、向こうの本部長達が驚いていたぞ。とんでもない社員がいるものだと言って」

「恥ずかしい限りです」


「どうかね。今日は?」

「はい、お供させて頂きます」


 一介の課長が本部長の誘いを断れるわけがない。この日は定時を待たずに会社を出た。ビルの玄関前にはハイヤーが停まっていた。タクシーではない。


 本部長が先に乗り、俺が後に乗った。運転手がドアを閉めると何も言わずにそのまま走り始めた。

 本部長は何も言わない。当たり前の話だ。車の中で仕事の話をするなんてありえない。


 着いたのは赤坂にある料亭。幾らなんでも俺の仕事の区切りの飲みにしては高級すぎる。


 ハイヤーを降りて料亭の玄関に付くと多分女将だろう女性が

「お待ちしておりました。お相手様はもうお待ちしております」


 どういう事だ?


 女将に案内されて長い廊下を歩きそのまま行くと女将が正座した後、襖が開かれて

「おいでになりました」

 そう言って俺達が入ると襖を閉めた。

 

 なんと待っていたのは香坂常務取締役だ。本部長と俺は直ぐに正座すると


「香坂常務取締役、遅れて誠に申し訳ありません」

 俺も一緒に頭を下げると


「本部長、気にするな。霞が関の人達に用事が有ったので私が偶々先に来ていただけだよ。それよりお膳の前に座りなさい」


 目の前に大きな和膳が在った。本部長が手を一度叩くと直ぐにお酒と料理が運ばれて来た。そして本部長がビール瓶を手にすると

「常務先ずは」

「そうだな」


 その後、俺が本部長にグラスにビールを注いだ。俺は勿論手酌と思ったら香坂常務が

「剣崎君、私が注がせて貰おう」


 そう言って俺が差し出したグラスにビールを注いだ。本部長が

「常務」と言うと


「剣崎君、この度のFMRI検査機器の開発開始、おめでとう。これで我が社は他社に一歩先んじる事が出来る」


 どうもうちの本部長は香坂派の様だ。しかし、この席がどういう意味を持つかを知らされたのはずっと後になってからの事だ。


―――――

書き始めは皆様の☆☆☆が投稿意欲のエネルギーになります。

感想や、誤字脱字のご指摘待っています。

宜しくお願いします。

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