蒼穹を穿つ者
@morimori12138
第1話。 闘気、三段
「闘気、三段!」
漆黒の魔石碑に浮かび上がった五つの光る文字。その輝きは目に刺さるほど鮮烈だった。
その光を見つめながら、少年は無表情のまま、唇の端に自嘲の笑みを浮かべる。強く握りしめた拳は、爪が掌に食い込み、鋭い痛みが心臓まで突き抜けた。
「蕭炎、闘気・三段! 等級:下級!」
魔石碑の横に立つ中年の試験官が、石碑に刻まれた結果を冷然と読み上げる。
その言葉が響いた瞬間、広場に集まった人波の中から予想通りの嘲笑が湧き上がった。
「三段? やっぱりな、“天才”様は今年も足踏みか」
「はっ、まったく一族の恥さらしだ」
「族長が父親じゃなけりゃ、こんな出来損ない、とっくに追放されて野垂れ死にだろうよ」
「昔はウータン城に名を轟かせた天才少年だったのになぁ…」
「神の怒りでも買ったんじゃないか?」
嘲笑とため息が矢のように突き刺さり、少年の胸を締め付ける。呼吸が乱れ、顔を上げた彼の漆黒の瞳には、かつて自分の前で媚び笑っていた同輩たちの顔が映った。唇の自嘲は、より苦く歪む。
――人とはこれほどまでに冷酷なものか。
三年前、彼らは自分の前で最も卑屈な笑みを浮かべていたはずなのに。今は、その仕返しのように牙を剥いている。
苦笑しつつ、蕭炎は静かに列の最後尾へと戻る。その背中は周囲の喧騒から切り離されたように孤独で、誰よりも小さく見えた。
「次、蕭媚!」
試験官の声に応じて、一人の少女が人波を抜け出した。その瞬間、周囲のざわめきは小さくなり、熱を帯びた視線が一斉に少女へと注がれる。
年の頃は十四ほど。絶世の美女というにはまだ早いが、幼さを残す顔立ちの中に、わずかな艶めきが潜んでいる。清純と妖艶――相反する魅力が同居するその姿は、人々の目を釘付けにした。
少女は慣れた手つきで魔石碑に触れ、目を閉じる。
しばしの静寂。やがて石碑が再び眩い光を放った。
「闘気・七段!」
「蕭媚、闘気・七段! 等級:上級!」
「やった!」
試験官の声に、少女の顔が誇らしげに輝いた。
「七段か……すごい。あと三年もあれば、立派な闘者になれるだろうな」
「さすが一族の中でも有望株だ」
羨望の声が広がる中、蕭媚の笑みはさらに満ち足りたものとなる。虚栄心――それは多くの少女が抗えぬ甘美な誘惑だ。
友人たちと笑い交わしながら、彼女の視線がふと人混みを越えて一人の少年へと向かう。
列の最後尾に佇む、孤独な背中。
眉をひそめ、彼女は一瞬ためらう。しかし、すぐにその思いを振り払った。
――今の自分と彼とでは、もう階層が違う。
彼はこのまま凡庸な下層の一員として生きていくだろう。
だが自分は、家族の期待を背負う強者となり、未来を掴むのだ。
小さくため息をつく。脳裏に浮かんだのは三年前の姿。
四歳で修練を始め、十歳で九段に到達し、十一歳で闘気旋を凝聚――家族百年の歴史でも最年少の闘者。
あの時の彼は、自信と潜在力に満ち溢れ、数え切れぬ少女たちの心を奪った。その中には、かつての自分も含まれている。
だが天才の道は、往々にして険しい。三年前、彼は突如としてすべてを失った。
十余年かけて築いた闘気旋は一夜で消え去り、体内の闘気は日に日に減少していく。
その結果、力は衰え続け、天才はただの凡人以下へと堕ちていった。
高みに立った者ほど、落下は苛烈で、再び立ち上がることは困難だ。
「次、蕭薰児!」
再び試験官の声が響くと、人々のざわめきは一瞬にして消えた。視線は一点に集中する。
紫の衣を纏った少女が、静かに佇んでいた。
稚さの残る顔立ちに浮かぶのは、清廉で淡い微笑。群衆の視線に晒されても、心乱される様子はない。
その気配は清蓮のごとく。幼き身ながら、既に俗世を離れたかのような気品を備えている。
――彼女が大人になった時、いかなる絶世の美女となるのか。誰もが想像するだけで息を呑んだ。
紫袖から覗く白い手首が石碑に触れる。静寂ののち、眩い光が広場を包んだ。
「闘気・九段! 等級:上級!」
場は一瞬の沈黙に飲まれる。
「……九段だと!? 恐ろしい! 若き一族の頂点は、もはや薰児様で間違いない」
静寂を破る声とともに、少年たちは思わず唾を飲み込み、敬意の眼差しを送った。
闘気――それはすべての闘者が通る道。初階は一から十段。十段に至った者は闘気旋を凝聚し、真の闘者として尊敬を受けるのだ。
その事実を前に、蕭媚の顔には嫉妬が走った。
「薰児様、半年後には闘気旋を凝聚できるでしょう。もし成功すれば、十四歳にして闘者となる……百年に二人目ですよ」
試験官でさえ、思わず笑みを見せ、恭しく言葉をかけた。
百年に二人。
――その一人目は、かつて天才と呼ばれ、今は失墜した蕭炎である。
「ありがとうございます」
薰児は小さく頷き、静かに背を向ける。歓声の中、彼女は人波を抜け、最後尾に立つ少年の前で立ち止まった。
「蕭炎お兄様」
丁寧に頭を下げると、その笑みは周囲の少女たちの嫉妬を誘うほど清らかだった。
「俺に、まだそんな風に呼ぶ資格があるのか?」
苦笑混じりの声。彼女は、数少ない彼を見捨てぬ存在だった。
「蕭炎お兄様、昔あなたが薰児に言ってくれた言葉を覚えています。“手放せる者こそ、自由に掴み取れる”。それが真の強さだと」
幼い声は、不思議な温もりを帯びていた。
「はは……俺は口にしただけさ。見ろよ、この様。自由どころか、世界そのものが俺には縁遠い」
蕭炎は自嘲気味に笑い、肩を落とす。
薰児の眉がわずかに寄る。
「何があったかは知りません。でも、薰児は信じています。あなたは再び立ち上がり、栄光と誇りを取り戻すと……」
そこで言葉を切り、頬を薄紅に染めながら、小さく呟いた。
「……昔の蕭炎お兄様は、とても魅力的でしたから」
「……」
少年は苦笑しつつも答えを返さず、背を向ける。力なく歩き去るその姿は、誰の目にも孤独そのものだった。
その背を見つめながら、薰児はためらい、やがて一歩を踏み出した。
嫉妬の視線とざわめきを背に受けながら、彼女は少年の隣に並んで歩き始める――。
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