四十八睡目 準備と睡眠と
週末の午後、部屋には窓から柔らかい秋の光が差し込んでいた。
夏の名残をわずかに感じる空気の中、真白は机の上に制服のシャツやスカート、教科書やノートを広げていた。
「……やっぱり新学期は準備が多いな」
独り言のように呟きながら、畳んだシャツをそっと広げる。まだ少しだけ、外から蝉の声が聞こえていた。
そのとき、インターフォンが鳴った。
小さく首をかしげて玄関に向かうと、ドアの向こうに鳴古が立っていた。
「……来ちゃった」
制服ではなく、ゆるいパーカー姿の鳴古が、少し照れくさそうに笑う。
「う、うん。どうぞ……ちょうど準備してたところ」
靴を脱いで上がる鳴古の背中を見ながら、真白の胸の中に小さな安心が広がる。
なんでもない一瞬なのに、胸がじんわり熱くなる。
「……手伝おうか」
「うん、じゃあ靴下お願い」
鳴古は軽くうなずき、机の上の靴下を丁寧に揃えはじめた。
その姿は、いつもの長身で凛とした彼女とは少し違って、どこか子どもっぽく見える。
真白は思わず視線を落として、鳴古の手の動きをじっと見つめた。
「……これ、アイロンかけた方がいい?」
「うーん、少しシワが気になるかも」
「……やる」
鳴古は真白の隣に座り、シャツを手に取った。
指先が重なるように布に触れた瞬間、二人の間に小さな笑い声がこぼれる。
笑いながら視線が合ったとき、真白の胸は小さく跳ねた。
「……普通のことなのに、二人でやると楽しいね」
「うん、なんだかあっという間に片付く気がする」
教科書やノートも、一冊ずつ確認しながら揃えていく。
「これ、去年のノートいる?」
「……うーん、理科は必要かな」
「分かった」
鳴古は丁寧に重ねて棚にしまい、真白もその横でペンケースを整理する。
細かい作業をしているだけなのに、二人で並んでいると、部屋の空気がほんのり甘く、特別に感じられた。
「ねえ、鳴古」
「……なに?」
「制服のシャツの色、去年より少し白く感じない?」
「……うん。新しいのって、ちょっと緊張する」
「分かる。新品の匂いもするし」
その匂いを嗅ぐたび、夏の終わりと新しい季節の始まりを同時に感じる。
鳴古は少し俯いて、シャツを手で撫でるように触れた。
その仕草が真白の心をぎゅっと掴んで、自然に頬が少し熱くなる。
「……真白、鉛筆とかペンの色も揃える?」
「揃える! 揃えたほうが気持ちいいもん」
「……じゃあ、色鉛筆も?」
「もちろん」
小さな作業を積み重ねながら、二人は笑ったり、相談したり。
鳴古がふと肩に触れるたびに、真白の胸は少しだけ跳ねる。
消しゴムを借りるだけでも、指先が触れ合うだけで、思わず息を止めてしまう。
「……もうほとんど揃ったね」
「うん、これで新学期も安心」
真白が満足そうに頷くと、鳴古も小さく笑った。
肩や腕が触れる距離で作業をしているだけなのに、心が少しずつ近づいたのを感じる。
そのぬくもりが、夏の残り香みたいに胸に残った。
「……次は筆箱の中身も整理する?」
「うん、ついでに消しゴムとかも」
真白が鉛筆を一本手に取り、鳴古に「どれにする?」と差し出す。
その手を鳴古がそっと取ると、二人の指先が絡み合った。
触れた瞬間、甘い笑い声が重なり、部屋の中に小さな幸福が満ちる。
机の上がきれいに片付いた。制服もノートも、すべて整った空間に二人で座って、ふぅ、と息をつく。
「……やっと終わったね」
「うん。なんか達成感ある」
真白がそう言うと、鳴古は小さく笑った。
「……じゃあ、ご褒美にアイスでも食べる?」
「え、いいの?」
「うん。昨日スーパーで買ってきたから」
鳴古は紙袋から小さなカップアイスを取り出し、二人の前に置く。
「……選んでいい?」
「もちろん」
真白は少し迷って、バニラを手に取った。
鳴古はチョコレート。
「……あ、同時に食べる?」
「……いいね」
スプーンを手に取り、同時に口に運ぶ。
冷たいアイスが舌の上で溶けて、夏の余韻のようにひんやり広がる。
真白がふと鳴古を見ると、頬が少し赤く、目を細めて微笑んでいた。
「……やっぱり、二人で食べると美味しいね」
「うん。なんか、特別な味がする」
その言葉に真白もにやりと笑う。
アイスのスプーンをもう一口運ぶと、鳴古の手が自然と重なった。
指先が触れただけで、胸の奥がじんわり熱くなる。
「……ねえ、真白」
「なに?」
「……夏、楽しかったね」
「うん。海とか花火とか、全部覚えてる」
鳴古が少し照れくさそうに目をそらしながら言う。
「……真白と一緒だから、全部楽しかった」
「……え?」
真白は思わず目を見開く。
鳴古の小さな声が、甘く胸に響いた。
「……恥ずかしい?」
「……ちょっと」
「……でも、言っちゃった」
「うん、嬉しい」
アイスの冷たさを忘れるくらい、胸が温かくなる。
指先をそっと絡めて、手のひらでお互いの温もりを確かめる。
「……二学期も、一緒に勉強しようね」
「もちろん。……それに、放課後も」
「うん、約束」
窓の外、夕暮れの光が少しずつ消え、部屋の中は淡いオレンジ色に染まる。
空気には夏の名残と秋の涼しさが混ざり、甘く柔らかい時間が流れる。
「……真白、次の週末も来ていい?」
「うん、絶対」
「……嬉しい」
小さく笑う鳴古の声に、真白も自然に微笑む。
冷たいアイスを舌で溶かしながら、二人はただ隣で笑い合う。
夏の終わりと秋の始まりが、甘い余韻となって心に残る。
そして、これからの季節も、ずっと一緒に過ごしたいと思う。
――夏が去っても、二人の特別な時間はまだまだ続く。
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