付喪神
「寝たんですか……私以外のベッドの上で!」
ここは俺の家だ。俺の部屋だ。ならどうして知らない人が居る。
肩まで伸ばした白色の髪。顔立ちは中性的で男女どちらとも言えないが、一つだけはっきりと言えることがある。人間かそれ以外かなら、こいつは人間じゃない。
「……もしもし早坂。俺の家になんか居る」
ひとまず扉を閉め、そういうこともあるのだろうかと早坂に電話をかける。
「知らないわよ。……死霊?」
「多分そう……なんか怒ってるけど、戦った方がいいか?」
「いえ、……ちょっとまって、通話はこのままで、ちょっとそいつと会話してみて」
再びドアを開く。
白髪の何かは当然かのようにベッドの上に腰掛けている。
「逃げましたね、何かやましいことがあるからでしょう」
「待った……。誰だ、君」
「誰って、あなたのベッドですよ」
俺のベッドは妖怪だったのか? それともこいつの頭がおかしいのか。
「そんなことより、二日もどこに行ってんですか! やっぱり寝たんですね、私以外の布団の上で!」
扉を閉じる。俺はあの言葉にどう返せばいいのかわからない。
なんとかしてくれ早坂。
「様子がおかしい……なにあれ」
「……付喪神、かしら。あいつ、八崎くんのベッドを名乗ってたでしょ?」
付喪神。大事に使っていたものに魂が宿るというやつか。
「なるほど……それで、どうしたらいい」
「基本的に害はないわ。むしろプラスのはずよ。よかったわね、仲良くしなさい」
プツリと電話が切れる。
仲良くなれそうにはないけれど……。
意を決して再び部屋の扉を開く。
「そこに正座です。話をしましょう」
部屋の中央に正座、ベッドの上に座る付喪神に見下ろされるような形になる。
「……状況を整理しよう。君はいつ現れた?」
「五年前からです。見えなかっただけですよ」
ずっと見られていた。と、そう考えるとぞっとする。
「君は付喪神?」
「そうです。私が居る限り快眠を約束しましょう。何時でも、何時間でもです。どんなベッドよりも、です!」
なぜか他のベッドに対抗心を燃やす我が家のベッド。
「そんなこと言わなくても、俺はここで寝るしかないのに」
「なっ……、そ、そんな……」
真っ赤な顔を手で覆う付喪神。
たぶらかすようで気が引けるが、この方向性で行けば仲良くなれそうだ。
部屋に入り、ベッドの近付く。
「ちょっ、なんですか……」
「昼寝だよ、昼寝」
「っっ……」
勢いで布団に飛び込んだが、心理的には全く眠れそうにない状態だ。
昨日は病院で好き放題惰眠を貪った訳だし、まあ寝るふりでも――。
◇
「で、どうなったの?」
「超ぐっすり」
「……そう」
早坂はそっけなく答える。
やはり怒っているのだろうか、約束の時間に二時間も遅れたから。
「言ってくれれば時間通りに起こしましたのに……」
「いや……、なんでこの人いるのよ」
「……え」
背後を振り向く。
この世界から浮くような白髪。気配もなく付喪神がそこに立っていた。
「うわ……」
「うわって言いました⁉ 別にいいじゃないですか、私強いですよ!」
なぜかずっと元気な付喪神を早坂は冷たくあしらう。
「別に、二人居ればほぼ負けないわよ」
「私、神ですよ」
「ベッドの神様じゃね……」
二人並んで俺の前を歩く。早坂の方が少し背が高い。
夜、星々が落ちてきたような輝く街。その間の闇に、死霊は潜む。
「出たわね」
爛れた皮膚の様なもの。緑色、ドロドロに溶けた生物の中央に、こちらをギロリと睨む瞳。
異形の怪異。この世の理から外れた存在。
「妖術って、わかるかしら。固有の異能みたいなものね。私の場合は……」
早坂が右手に構えていたナイフが左手にも現れる。
「手元の武器を複製する。あのベッドなら快眠を約束する、みたいに、八崎くんにも何らかの能力があるはずなのよ。普通ならなんとなく自覚できるはずなんだけど……とりあえず、何も考えずに戦ってみなさい」
何も考えず……か、自然に出た動きが能力なのだろうか。
とりあえずやってみよう。
正面、頭ほどの大きさの目玉と目が合う。
言葉などいらず、互いが相いれない存在だと理解する。
その瞬間、地面を足で踏みつけた。
瞬きする間もなく死霊との距離はゼロへと縮まる。腰ほどの高さの眼球を目掛けて、勢いそのままに蹴りを繰り出す。
飛び散る冷たい液体。命を感じさせない、凍り付いた血。
視界の情報を脳が処理する。
目の前のそれは、灰のようになって散ってしまった。
「……なんかわかった?」
「さっぱり」
早坂はお手上げといったふうに首を横に振る。
確かに、普通に走って蹴っただけだ。特別なことは何一つしていない。
「身体強化……とかは?」
「半霊は身体能力も上がる。それとの区別は付きづらいわ。……まあ、戦えれば何でもいいって感じでもあるし、そうゆうのの存在を覚えておいてくれればいいの」
「まあ、そうか」
若干期待してたのだけど、現実はそんなものだろう。
「しょぼい能力よりは無能力のほうがかっこいいですからね……わかります」
「確かに、その線で行くか……」
「その線も何もないわよ。無能力なんてありえないわ」
バッサリと夢を切り捨てる早坂。ロマンとは理解されないからこそロマンなのだ。
「
「勝手にわかってなさい」
遠くから足音が響く。この近くの路地。息切れ、細い悲鳴のような息の音が高く木霊する。
誰かがこちらに向かって走ってきている。
「逃げてる……のか」
足音は一人分。相手は死霊か。
足音が近づく。曲がり角から現れた少女。その背後には何もいなかった。
「えっ……」
少女は俺たちの姿が目に映るや否や、踵を返し背後に走り出そうとした。
「待った!」
それを早坂が呼び止める。
「参考までに聞かせてほしいんだけど、何から逃げてるの? ただでとは言わないわ。少し……あれ、神楽じゃない」
そこで初めて少女と目が合う。
小学校の頃の同級生、
「早坂さん!」
緊張によって固まっていた表情が安堵に変わり、神楽さんはすごい勢いで早坂に駆け寄っていく。
「怖かった……。急に変な人に襲われて……」
神楽さんに抱き着かれながら、早坂は真剣な表情を崩さずに思考を巡らせる。
「神楽……。あの人、見える?」
早坂のさした指の先には付喪神。俺がそうだったように、普通の人間にはあれは見えない。
「白い髪の……、って、八崎くん?」
「久しぶり」
にこやかに返事を返しておく。神楽さんは早坂とは中学も一緒だったらしいが、俺は訳ありで少し遠くの中学に行ったので再会は約五年ぶりか。
「そう、見えるのね……」
神楽さんが半霊なのは何となく感じ取れる。
問題はそれを自覚し、体が半霊のそれになっているかどうかだ。付喪神が見えているということはすでにそうなっているということだろう。
「で、何に追われてたの」
早坂は優しい声色ながらも毅然とした態度で質問を続ける。
「人……」
神楽さんは小さく呟いた後、冷静になったのか慌てて「ごめん」と言いながら早坂の腕の中から離れる。
「前みたいな急に殺しに来る奴、沢山いるの?」
「そうね……。珍しい存在じゃないわ」
半霊は半霊か普通の人間かを見分けることはできるが、その半霊がどれだけの魂を持っているかはわからない。半霊になった時点で命を狙ってくる存在から逃れることはできないらしい。
「……待った、早坂。半霊は自覚した時点で体が半霊になる……だったよな」
「そうよ」
「それを知っててあんな急にベラベラと俺に……」
「別に、八崎くんなら大丈夫よ」
その俺に対する妙な信頼は一体どこから来るのだろうか。
「まあ、別にいいけど……」
悪いことばかりじゃない。叶えたい願いもある。
だが、誰もがそうなわけじゃない。目の前の神楽さんは……。
「神楽。家出して私の家に来なさい。ひとまず、どこかに行きたくなるまでは」
なんでもない、落とした消しゴムを代わりに拾うぐらいの調子で早坂はそんなことを言い出す。まるでそうすることが当たり前だと言わんばかりに。
「私、一人暮らしだし、部屋余ってるし、居るだけならいつまででも居ていいわよ」
「いいの……?」
「だから、いいって言ってるじゃない」
久しぶりの再会で忘れていたが、早坂はこんな人間だった。
「あ、そういえば、後ろの白い髪の人は……」
「私はベッドだよ」
「あいつの言うことは無視していいわ。——そういえば、名前とかあるの?」
しばらく一緒に居たが、気にすることすらなかった。
「碧斗さんが呼びたいように呼んでくださいね」
つまり、まだ名は無いということ。そりゃあそうだ、ベッドなんだから。
視線が俺の方へ集まる。この場で命名しなければならないようだ。
「……ツクモ」
安直ではあるが、わかりやすいほうがいいだろう。
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