魂魄の死霊食い《ネクロイーター》
灯玲古未
死霊食い
空に雲がかかり、太陽を覆い隠す。日光が届かないとなると少し肌寒くなる。半袖で学校に来たのは間違いだったかもしれない。
スニーカーを脱ぎ、靴箱を開く。
と、そこにある俺の上履きの他にもう一つ、四角い付箋が貼られている。付箋の上には几帳面な文字、背後を振り返るが、一緒に登校してきた伸二が何やら怪しいそぶりを見せているわけでもない。
意を決して、文字を読む。
——屋上で待つ。
後ろの伸二を睨むが、伸二は何事かと首を傾げる。
誰の悪戯かは知らないが、すっぽかすのも面白くない。
進路変更、俺は教室のある二階を通り過ぎ、屋上へと向かった。
一棟中央階段を上り切った先、普段なら鍵のかかった扉に遮られて行き止まりになるはずの場所。その場所に風が吹いていた。
ドアノブを破壊し、無理やり開けられたドア。
恐る恐る覗いた屋上には、この学校の制服ではない制服を着た少女が立っている。
「やっと来た……」
溜息を吐きながら、凛とした立ち姿でこちらを見据える彼女。名前は憶えている。何しろ小学校の同級生で、昨日も会っているのだから。
「
早坂͡
様々な違法行為を働いてまで俺を呼び出したからにはそれなりの用事があるのだろう。そして、その用事も見当がつく。
覚悟を決めて、早坂の近くへと歩み寄った。
「何か……聞きたいこととかってないの?」
まさかの俺が聞かれる側だった。
聞きたいこと、言い換えるとわからないこと。俺が問うべきことは決まり切っている。
◇
少しさかのぼって昨日のこと。
放課後の帰り際、映画を見るために街に出ていた俺は路地裏で妙なものを目撃した。
それは、異形。明らかに異様で、異質なもの。
ぼんやりと、世界そのものから隔絶されたかのように薄く透けるそれは人の形をしているが、人ではないことは一目瞭然だった。
皮がない、肉がない内臓がない。骨だけで動く人間。
陽炎のように揺らめく青い炎を身に纏った骸骨。
そしてその怪物と向かい合う一人の少女。鉄パイプを握り締め、恐れることなく骸骨と正対する。
そして、一瞬。
女の子が骸骨へ急接近する。通常では絶対にありえないような速度から繰り出される鉄バットのフルスイング。骸骨は反応する暇もなくバラバラに砕ける。
俺はそれを何故かじっと眺めていた。眼を背けて、見ないふりをするのが賢明な判断なのに。あの少女が知人だったからだろうか。
「……見えた?」
少女、早坂琴音が振り返り、俺に声を投げかける。
「見えた……」
「……そう」
それだけ言って、彼女は踵を返して路地裏の奥へと去っていく。怪物を倒したからだろうか、早坂の表情は晴れやかなものだった。
◇
「普通追ってくるでしょ⁉ 見えた……じゃないわよ! 気にならないの?」
そして現在。俺はなぜか怒られている。
「関わらないほうがいいかなって」
「まあ、そうだけど!」
やたらととげとげしい態度の早坂。昔はこんな感じではなかった気がするが、何しろ四年半ぶりだ。多少は人柄も変わるというものだろう。
「というか、あれでしょ。人知れず人類の脅威と戦ってるみたいな」
漫画とかで見るやつ。そんなものが現実に存在していたことには驚きだが、ならなおさら俺は関わらないほうがいい。
「違うわよ。むしろ逆、私たちが狩る側。……半霊。化物の血が混じった人間のこと。私たちはそれよ。あの化物、死霊の魂を取り込むと私たちの力にできるの」
「強くなるために狩ってる?」
「違うわ。簡単に言うと、願いを叶えるために狩ってるの。死霊の魂は幽世のエネルギー。現世の法則を無視して大体なんでもできる」
だからあの化物の魂を集める。ということだろう。
淡々と話す早坂の語り口からして、彼女はかなりのベテランのように見える。
「早坂も、願い?」
「そう。内容は秘密」
頭の中にとある想像が湧く。
「願いって……なんでも?」
「ええ。基本的にはね。過去に干渉したりとかはできないけど……」
「なるほど……それって」
「八崎くんも、よ。どう? やる気になったかしら」
やるというのは、とどのつまり戦うということ。行動を起こすということ。
また、彼女のために。
「私、そろそろ帰るから。やる気があるなら放課後、駅前で会いましょう」
それだけ言い残して早坂は去っていく。
ドアとは反対側へ。
早坂は躊躇することなく4階建ての屋上から飛び降りた。
◇
「俺は……」
病院に居る。何か体が悪いわけでも心を病んだわけでもない。
お見舞いだ。
たくさんの機械を繋がれ、ベッドに横たわる少女。
会話はない。約6年近く、一度も。
目を閉じて、穏やかに息を吐く少女。同い年の少女。
俺の目の前で、飛び降りた少女。
——もしも、彼女が救えるなら。
そう思って行動を起こした結果がこれだ。
また戦って、それでどうなる。
どうせ悪い方に転がる。そうしたら……。
「いや、俺は……」
あと一回ぐらい、俺のことを信じてあげてもいいじゃないか。
大した望みじゃない。たった一度会って、言えなかった言葉を言うだけだ。
「おめでとう。八崎碧斗。死に場所が見つかったようだな」
低い、聞き覚えのある声。
「何で居るんだよ」
突然病室に入って来た不審者。
初めて会った時からこいつのことは嫌いだった。
「よく顔を合わせているはずだがな。八崎碧斗。生徒の悩みを解決するのは教師の務めだと思うのだが……どうかな?」
「……余計なお世話だ」
「自分を信じることができない。失敗してそこの少女が死ねば、君は立派な大儀名分を得る。彼女の後を追うための」
「……お前、何でここに居るんだよ」
「彼女も大切な生徒だ。たとえ卒業しても、ね」
大きく息を吐く。
こんな奴に構っていられるか。
早足で廊下を歩き、エレベーターへ乗り込む直前、後ろから声を投げかけられる。
「成長の兆しだな。おめでとう。君の時はようやく進みだす」
◇
「……遅い」
ふてくされたような表情をする早坂だが、それほど怒っているようには見えない。
夕方の駅前。地方都市とはいえ、数えきれないほどの人がこの場所を行きかっている。
「で、その死霊を狩るんだっけ」
「そうよ。自覚した半霊の身体能力なら基本負けることはないわ」
「基本?」
「名前付きの、有名な死霊。河童とか、天狗とかね。大昔から居て誰にも狩られてない。知ってる妖怪が出てきたら戦わないこと。わかった?」
首を縦に振る。
話しながら歩いていると、いつの間にか周囲の人が減っていた。
「ところで、半霊って人と死霊のハーフなんだろ? どんなのの血を引いてるかってわかったりするの?」
「……死霊の特性は一点物よ。河童も人魚も一体しか存在しないの。だから、受け継ぐというより感染っていう表現の方が近いかもしれないわね。死霊の血を自覚すると幽世と体が繋がる。その時初めて半霊になるの」
「わからないってことか」
なるほど。ちょっとだけ理解できた。
路地裏に入る。人の気配が完全に消える。
落ちた太陽。曇天の夜空に薄い月明かり。
背後から、足音が迫る――。
「出た……!」
地面を蹴り、背後から迫る何かから距離を取る。
振り返って、そこに居るはずの異形は――。
人間の形をしていた。
「まずい……下がって!」
早坂が俺の前に飛び出す。
目の前の敵を観察する。
目元が見えなくなるほど深くかぶった帽子。紺色のジャージに手元には日本刀。
どこからどう見てもあれは人間だ。
「早坂、あいつ……」
「言い忘れてたけど。死霊の魂を集めるのに一番手っ取り早い方法は、魂を貯めこんだ半霊から奪うことよ」
狙いは早坂か。
互いに雰囲気が違う。現代日本で通常感じることのないような殺気。
鞄の中から取り出した早坂の刃物と日本刀が向かい合う。
「下がって、動かないで。……死ぬわよ」
瞬間、空気が弾ける。
地面を蹴り、路地裏を駆ける。2人の距離は一瞬にして詰まった。互いの刃が届く距離。一つの呼吸が、瞬きが死因となり得る、永遠のような一瞬。
接触の瞬間、早坂の足元から刃物が飛び出した。それは男の首元へ一直線に向かい、間一髪のところで躱される。
早坂の手元にはいまだに刃物が握られている。
うまく見えなかった。今の刃物は一体どこから――。
詳細はわからない。
だが一つだけ鮮明なことは、この中に飛び込めば数秒とかからずに誰かが死ぬということ。
俺か、あの男か。早坂か。
震える足。
死んだら本望か、あいつの言う通り。
まさか、ふざけるな。
「死んでたまるか、誰一人――!」
一歩踏み出す。
地面を蹴る。
最高速度で跳び込む――。
男の真横。早坂に注意を惹かれている男はこれに反応できない。
最短距離で顔面へ、拳を叩き込む。
はっきりとした手ごたえ。数秒前に空中へ飛び、落ちてきたナイフを掴み、仰向けに倒れた男に覆いかぶさる。
「俺はお前を殺さない」
持っている魂の半分で手打ちにしよう。——と、言おうとした。
何か、妙な、揺らぐような感覚。
口から出たのは言葉ではなく、どろりとした赤い液体。
「バカっ!」
ぼやける視界。
目の前から男が消えている。
駆け寄ってくる早坂。今度は本気で怒っているようだが、その表情にはどこか満足気なものが見えた。
◇
目を開くと、白い天井。
柔らかい場所に寝かされる自分。横を向くと緑のカーテン。
どうやら病院のようだ。
「あ、起きた?」
背中側からの声。振り向くとそこには早坂が居た。
「死霊の魂を使って願いを叶える。下手に追い詰めるとああやって逃げられるの。置き土産とばかりに腹も刺してったわね」
「へぇ……。ごめん、余計なことした」
俺がそう言うと早坂は視線を下に落とした。
「いや……。私も、あのまま戦ってたら死んでたかもしれないから」
照れるようにそっぽを向き、いつもより若干早口で話す。
「傷塞いだので貸し借りは無し! わかった? あと、ちょっと、雑魚二体分ぐらいだけ魂分けといたから、何か美味しいものでも食べなさい。一度は使っておかないと、いざという時咄嗟に使えないわよ」
一息でそこまで言い切ると、じゃあ、と手を振って早坂は病室を後にする。
腹を見ると、傷は塞がっていた。若干違和感がある程度で動きにも支障はない。
◇
体の中にある死霊の魂を何となく感じることができる。
欲しいもの、新しい現実。それをイメージする。
手のひらに乗るサイズの米の塊。冷たくて、味もしない。
「……こりゃあ、まだまだ死ねないな」
別の病院、別の病室。ベッドに横たわる目を覚まさない少女。
小さく呟く独り言。
まだ死ねない。この声が誰かに聞こえるようになるまで。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます